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『教育』2016年11月号 No.849

『教育』2016年11月号 No.850

『キョウイク』2016ネン11ツキゴウ No.850

編著者
JAN
491-012835-116-7 00667
判 型
A5判
ページ数
112頁
発行年月日
2016年10月 
価 格
定価(本体価格667円+税)
ジャンル



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特集

特集1:
アクティブ・ラーニング!?
特集2:
親と教師は出会えるか

とびらのことば

真にアクティブな学びを切り拓くために
単に一方的に知識を詰め込むのではなく、子どもの思考を活性化することができる学習活動形態──書く、話す、表現する、討論する、発表する、作品をつくるなど──を授業に組み込む方法をアクティブ・ラーニングと理解するならば、それ自体は、重要な開発課題である。
しかしそのためには、たんに学習の外形ではなく、内面において、子どもを学びへと突き動かす関心と目的、意欲を生みだす働きかけが欠かせない。子どもの認識過程や人間的な 藤に深く寄り添い、そこにある困難やつまずき、可能性を教師がとらえ、それを一緒に解決していくような深い子ども把握、子どもを主体化する指導方法や教育内容の開発、そのための教師の専門性の自由が欠かせない。
ところが現場はまったく逆の状態に向かいつつある。外面がアクティブな授業形態のみが強制、点検され、教師はその授業の形が子どもの学習、子どもの思考にどんな変容を引き起こしているのかを見きわめる余裕もなく、アクティブであるはずの授業が空疎化するという現象が広まりつつある。
そのもとでは、アクティブさの指標となる活発さだけを子どもに演じさせる圧力が教室空間に生まれ、そのようなスキルを身につけることが「生きる力」として評価されるという教育の変質が引き起こされる。それは従属的な能動性というまがいものの人格を強制する危険すらもつ。
学びの主体性、能動性の原点に立ち返り、「アクティブ・ラーニング騒ぎ」を諫め、子どもの権利としての学びを切り拓かなければならない。

編集後記

◉「アクティブ・ラーニング騒動」といってもよい状況が生まれている。
 たしかに、「教えと覚え」の空間となっている現在の学校に対する問題提起の意味はある。しかし、それを国が上から「これがスタンダードだ」と示し、「強制」することは、本末転倒なのではないだろうか。
第1特集の諸論文はそのことにさまざまな角度から言及している。
 教育実践というからには「なんのために、なにを、どう」という「目的・内容・方法」を一体的にとらえる必要がある。今日のアクティブ・ラーニングの押しつけは「なんのために、なにを」の部分を欠落させ、教師の目をやり方だけにくぎづけにする「支配の方法」なのかもしれない。
 これに対して、今泉、宮崎、金子の各論文は「なんのために、なにを」のなかに方法はおのずと内在することを示してくれているし、東畑論文はアクティブ・ラーニングという形式から入る授業のむなしさを明瞭に説明してくれている。
◉特集2は、「親と教師は出会えるか」というタイトルとなった。どの論文も、子どもの成長を願っているはずの親と教師が、なぜわかり合えないのかを軸に展開されている。そして、形式的な対応から離れ、子どもの事実を互いに語り合うところに出会いと成長の契機がある、としていることは興味深い。考えてみれば、これこそ文科省がアクティブ・ラーニングの意義として強調している「問題発見・解決を念頭においた深い学びや、他者との協働と対話的な学び」そのものではないか。

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