2013年7月9日

昨日紹介した毎日新聞の記事のなかで、以下のような記述がある。6年ほど前、『我、自衛隊を愛す 故に、憲法九条を守る』という本を出したときのことに関した記述である。

「松竹さんは「自民党で防衛庁長官も務めた加藤紘一さんが推薦の帯を書いてくれました。もっとも一部の書店では帯は外されましたがね」と苦笑する。」

これってどういう意味なのかと、いくつか問い合わせがあった。これまで活字にしてこなかったけれど、時代が変わって、いまなら笑い話になると思うから、書いておこうかな。

この本の広報にあたっては、加藤さん(元幹事長でもある)に推薦を依頼したり、自衛隊の準機関紙「朝雲」一面に広告を載せたりと、それまでと異なることをした。それは、護憲運動が成功するためには、自衛隊員のなかにも護憲派を広げないとダメだし、政党の枠を超えて協力関係をつくらないとダメだという考えにもとづくものであった。幸い、自衛隊員からも大きな反響と注文があったりして、この試みは成功したと思う。

で、ふつう、本の帯って、書店が外すことはないのだが、この本は違ったのだ。本の取次で有名なのはトーハンとか日販だけど、いわゆる民主書店とか共産党を相手に本を流通させている「新日本図書」という取次がある。ここが、帯を外さない限り流通させないと言ってきたのである。それで泣く泣く外したというのが経過である。

ところが最近は、「赤旗」に自民党の古賀元幹事長が憲法96条改正に反対して登場したり、それが選挙での共産党の「売り」になったりするのである。変われば変わるものだ。かつての経過を知るものにとっては、隔世の感がある。

ところで、この問題を考えれば、共闘する相手は、自民党関係者だけであってはならない。だから、この本の次に、伊勢﨑賢治さんの『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』をつくった5年前のことだけど、全政党の国会議員から推薦をもらおうと思って、実際に、自民、民主、公明、共産、社民の方からもらえたのだ。「全政党から推薦」っていう帯も用意した。

だけど、本にする直前、共産の方から、やっぱりダメということになったと電話があった。それで、帯の内容も、「改憲政党の国会議員からも推薦」って変えたんだよね。そのため、社民の福島さんを帯に出すことができなくなり、平謝りだった。

いやあ、いまから見ると笑い話なんだけど、当時は深刻だった。かっこをつけると時代を先取りしたということだが、ちょっと先走りしすぎた試みだったのかなあ。

でも、時代も、護憲運動も、6年前とはずいぶん変わった。これからも、時代より数年早い出版を心がけたいと思っている。

2013年7月8日

毎日新聞京都版がこの間、「KYOTO書林探訪」という連載をしています。昨日(7日)付はかもがわ出版が対象でした。(画像)

毎日京都版13.7.7
私が取材を受けたので、恥ずかしながら写真まで載っています。まあ、こんなものでしょう。是非、ご覧ください。

 

2013年7月5日

現局面における護憲の闘いも、憲法それ自体をまもるというだけのものではない。それよりも、日本社会をどう変革するかという課題が、密接に関わっているように思う。

あまり議論されていないことだが、この連載でもとりあげた民法について、いま改正が俎上にのぼっていることをご存じだろうか。法務省のホームページで、4月から6月はじめまで、パブリックコメントを受け付けていた。

このうちの「債権関係」の改正というのが重点なのだが、それは経済のグローバル化にともなう改正が目的である。具体的には、契約に関するルールを国境を越えてどう標準化するのかということだ。TPPによって、モノもサービスも国境線を取り払って、資本も人も自由に移動し、商売し、企業を興すような世界を実現することがめざされているわけだが、日本の民法もそれに対応できるものにしようということである。

この世界では、現行憲法の第22条についての自民党改憲案が話題になっている。現在、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」となっているのだが、そこから「公共の福祉に反しない限り」を削除するというものである。

ご存じのように、自民党改憲案の中心は、人権への制限をつよめるところにある。「公共の福祉」を「公益と公の秩序に」に置き換えることによって、そうしようとしているわけだ。

だけど、この22条に限って、自民党改憲案は、自由と権利を拡大するのである。「居住、移転、職業選択」の自由は、公共の福祉によって制約されないことを明確にするのである。ここには、国境をこえた資本と人の移動をどう自由化するかという思惑が、明確に反映していると指摘されている。

そう考えると、自民党改憲案の他の条項も、たんに「復古的」というものではないことが分かる。自民党がめざす日本社会の将来像にピッタリとしてくるのである。

国際競争に勝ち残れる強い企業と人に自由と権利を保障するわけだ。そうでない人は、そんな企業の邪魔になってはいけないことが最優先だから、、権利を制約しますよということだ。国のお金は強い企業に回すので、ふつうの人は家族で助け合って暮らしてくださいということだ。グローバルに進出する企業の利益は「国防軍」でまもりますよということだ。そうやって国民を分断するわけだから、天皇を元首化することによって、唯一、日本国民としての一体感を醸しだそうというところだろうか。(続)

2013年7月4日

この間、関西のいくつかの県のマルクス経済学者の集まり行き、お願いしたことがある。なぜ関西かといえば、ある信頼する人から、「そんなことを関東でやっても相手にされない」と言われたからなんだけどね。

「そんなこと」というのは、こんなことである。近代経済学者と共闘して本が出せないのかということだ。

憲法9条をめぐっては、そういう本を出してきた。いわゆる旧来の護憲派だけでやっていては広がりがないと感じて、防衛省とか自衛隊の幹部とかにもウィングを広げて本をつくってきた。その経験を通じて、こういう人なら信頼できるという基準なんかも、自分なりにつかんできた。

いま、そういう共同が、経済社会の分野でも必要だと感じる。だって、相手の側は、アベノミクスとかいって、これまで政府寄りでやってきた主流の近経学者だって切り捨て、猪突猛進である。だから、これまで論敵だった人だって、理解し合える部分が増えていると思うのだ。

金融学界なんていう超政府系学者の集まりでも、最近の学界では、日銀の黒田総裁が招かれたりしているそうだ。そういうところでも、白川さんが放逐されたということで、これまで主流派としてやってきた人びとの反発も大きいはずだ。

ところがですよ、ある集まりに行って、こう言われた。そんな問題意識はもってこなかったし、だからそういう人脈もない……。

いや、ホントなんでしょうか。この日本の経済社会の苦境を打開しなければならないというのに、マル経の立場って、それでいいのでしょうか。自分の「正しさ」を仲間内で確認したって、日本国民のためになるんでしょうか。

この間、それなりにアベノミクス本を読んできましたが、近経の学者の本のなかにも、とても共感できるものがあったんです。だから、その人と対談できませんかとお願いしても、「彼(彼女)はマル経じゃない」と、そのことを問題にする人もいますし。

憲法9条にかかわることなら、自分でそれなりに分かる部分があるので、自分で判断して進められるんですが、経済はそういうわけにはいかない。一応、わたくし、一橋大学の社会学部を卒業した後、経済学部に学士入学したんですが、それは学生運動するためだったので、まじめに勉強していないしなあ。

マル経学者のみなさん。どなたか、問題意識が共有できませんか。近経学者と協力して本が書けませんか。関西じゃなくてもいいんです。月に一度は東京に来ていますし。

それとも、そういう問題意識が間違っているでしょうか。そうだというなら、ご指摘いただければ幸いです。

2013年7月3日

斎藤美奈子さんが「週刊朝日」で『憲法九条の軍事戦略』の書評を書いてくれました。斎藤さんといえば、私が出版社に入ってはじめて編集した『我、自衛隊を愛す 故に、憲法九条を守る』の書評を朝日新聞に書いてくれた人なんですよ。何か通じるものがあるんでしょうか。いつかお会いしたいと思っています。

斎藤さんの書評は、「今週の名言奇言」という欄なんですね。本のうち、「名言」か「奇言」にあたる部分を特定し、評していくというやり方です。

で、私の「名言」「奇言」は、次の部分です。「軍事力に頼るという気持ちは、平和を願う気持ちと矛盾しない」。

これが取り上げられていることも、うれしいことです。そこが護憲のキーワードのひとつだと思いますから。

いまの日本をめぐる状況下で、多くの人が軍事力は必要だと感じています。その気持ちを否定して、軍事力のことを考えるのは右翼的だとか反動だとか、そういうふうになってしまうと危険だと思うんですよ。

そういう人は、じゃあ改憲して日本を戦争をする国にしたいのかというと、そんなことはないからです。攻められてもいないのに相手の国に攻め入ろうとか、攻められたら相手国を滅ぼすくらい反撃してやろうとか、そんなことも思っていません。

せいぜい、日本の領土を奪われたら困るよね、という程度でしょう。それって、護憲派の多数とも通じると思います。その程度のことなのに、軍事力のことを考えるのは問題だと詰め寄られたら、仲間になれるものもなれなくなる。

少し角度が違いますが、先日、ある学習会で話していて、質疑の時間になって、中国が尖閣を奪ったらどうするかという話になりました。ある人は、「たとえそうなっても、日本政府に対して軍事力は使うなと求めていく」と語っていました。

軍事力を使うか使わないかでこの方と私とは考えが異なりますが、それよりもっと違うのは、中国に対する態度です。中国が日本の領土を奪ったという前提で議論がされているときに、まず必要なのは日本政府に対して何かを求めることではなく、中国への批判になるでしょう。軍事力は絶対に使わないという確固とした信念をもっていたとしても、その中国が軍事力を使ったという想定ですから、まずやるべきことは、軍事力を行使した中国を批判し、中国軍隊の撤退を求めるためのキャンペーンではないでしょうか。

中国には何も言わないで、日本政府にだけはもの申すということでは、「(領土を奪う)中国の仲間か」みたいに思われてしまいます。それでは多数の国民の支持を得られることにはならない。

あれ、話が変な方向に来ましたね。この問題を論じると、すぐ熱くなるのが、私の欠点かな。話題は斎藤さんの書評でした。まあ、画像を掲載しますので、読んでください(本もね)。「護憲派のあなたにも改憲派のあなたにも発想の転換を促す、これはなかなか魅力的な一冊だ」ということですから。

斎藤美奈子書評1