2013年11月8日

 積極的平和主義という言葉は安倍さんが使っているので評判が悪い。だけど、私自身の考えをどう表現するかと言えば、やはり「積極的平和主義」である。

 世界中に戦争の火種があり、独裁政治とか貧困がある。それに対して、他国のことだからということで、消極的であっていいのかといえば、そうは言えないだろう。

 もし侵略されるような国があれば、その国を助けたいと思うのは、人間の普遍的な感情であると思う。目の前の侵略であれ、地球の裏側の侵略であれ、それは許せないと誰もが思うのではないか。

 日本国憲法の前文もそのような立場だと感じる。「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」というのだから、当然だ。「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のである。そして、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」ったのだ。

 安倍さんの「積極的平和主義」というのは、こうした理念とは正反対のものである。アメリカに向かうミサイルを撃ち落とさなければならない、アメリカの艦船が攻撃されたら自衛隊で反撃しなければならない、だから集団的自衛権が必要だ、その他その他。要するに、安倍さんの視野に入っているのは、ただアメリカだけなのだ。どこが積極的なものか。「消極的戦争主義」の方が正しいネーミング。

 それに対して、平和護憲勢力は、世界中から戦争と貧困と隷属をなくすための提言を出し、行動しなければならない。戦争の現場に出かけていって、銃を持って向き合っている紛争当事者に対して、「撃ち方止め」と説得するような考え方を打ち出し、それをどう実践するか示さなければならない。

 これができたときに、安倍さんの「積極的平和主義」のまやかしが明らかになる。護憲勢力こそ「積極的平和主義」だと実感されるようになる。

 それにしても、われわれは、自民党などが何かのスローガンを掲げるとき、それに反対するという立場をとることが多い。「積極的平和主義」もだが、「コメ輸入自由化」などに際してもそうだった。

 だが、彼らが使う用語は、用意周到に準備されている。そして、一般的に「自由」「自由化」というのはプラスイメージを持つ言葉だから、それに対して、「自由化反対」を基本スローガンにしてしまうと、こちらがマイナスイメージを持たれてしまう。

 だから、彼らがイメージづくりのために何らかのスローガンを出してきたときは、機械的に「反対」のスローガンを叫ぶのは慎重にしなければならないと思う。彼らのスローガンにマイナスイメージを持たせるネーミングを与え、われわれはプラスイメージを持ってもらえるスローガンをつくることが大事だ。どうでしょうね。

2013年11月7日

 本日夕方、京都の向日市に行きます。今月の17日午後2時より、沖縄の伊波さんの講演会(「憲法フェスタ2013」)があり、その第二部で私との対談まであるのです。本日は、その日に向けた事前学習会ということで、私の『集団的自衛権の深層』をテキストにして集まるそうで、自宅に帰る途中に下車して寄ってきます。

 17日は、「9条の会」向日市連絡会が主催です。場所は向日市民会館ホール。大きめの会場ですね。

 講演会のテーマは、「沖縄と憲法―憲法の原点を沖縄とともに考える」というんです。そして、私との対談テーマは、安保と憲法をめぐる共闘をどう考え、どう構築するかというようなものです。

 これは大事なことだと思います。もう3年前になりますが、沖縄県知事選挙を前に、伊波さんの「普天間基地はあなたの隣にある。だから一緒になくしたい。」を出版したときも、その問題意識がありました。

 伊波さんを押し立てて闘った沖縄の革新共闘というのは、いうまでもなく安保条約の廃棄が一致点です。本土とは異なり、それが一致点になるわけで、そこに横たわる米軍基地の現実というものは、本土にもっと知らされなければならないと思います。

 しかし同時に、その沖縄でも、安保条約の廃棄という角度だけで選挙をしていては、なかなか多数にならないという現実があります。その知事選挙のときも、北朝鮮による韓国への砲撃事件があったりして、軍事力を備えているのは当然だという世論の高揚がありました。

 そういう問題意識があったので、伊波さんの本を出版した一週間後、『抑止力を問う 元政府高官と防衛スペシャリスト達の対話』を出したのです。著者は、防衛省の元局長で、閣僚のトップである内閣官房風長官補にまでなった柳澤協二さんでした。

 当時、海兵隊は沖縄にいらないという論考を新聞で発表されたので、どうしても書いてほしいと頼み込んだのですね。柳澤さんは、日米ガイドラインをはじめ、日米共同作戦にかかわってこられた方ですから、そういう人まで普天間基地の撤去の側にいることをアピールしないと、とても多数派にはなれないと考えたわけです。

 選挙の結果は残念でしたが、貴重な経験をしたと思います。そして、その後、安保と憲法をめぐる共闘という問題は、どんどん発展しています。その辺りの最新事情とか、それを導いている考え方を、この対談ではお話しするつもりです。

 興味のある方は、是非、ご参加ください。参加費は800円だそうです。

2013年11月6日

 中国では、先週の天安門における自動車爆破事件続き、共産党の省委員会前でも爆発事件である。ただ事ではない。

 これをテロだとする見方がある。テロという場合、二つの要素が必要だ。動機に政治的なものがあること(個人的な報復等ではないこと)、手段に無差別性があること(個人的な報復なら対象は明白だが、テロの場合、社会に訴えることが目的なので、対象は特定されないのが普通である)だ。

 この観点で見た場合、後者の無差別性という特徴は、今回の二つの事件は満たしているだろう。社会に恐怖をもたらせばもたらすほど、手段としてはいいものになるので、事件を起こす場所は、めだった方がいいのだし。

 前者は、まだ微妙な段階である。通常、テロ事件を起こした場合、特定の政治目的があるわけだから、犯罪者はそれを世間に明らかにする。犯行声明などのかたちで。

 しかし今回、そのようなものは出されていない。前者についてみても、中国当局が勝手に「ウイグル族のテロであることの証拠がある」と言っているだけだ。実際には政治目的のない犯行だったのに、ウイグル族を弾圧する口実として使うため、当局がでっちあげをする可能性だって存在する。

 ただ、天安門という、中国の権威を象徴する場所を犯行現場に選んだことは、それだけで政治的な目的があることを類推させる。共産党の省委員会の場合は、なおさらだ。だから、テロという可能性もあるとは思う。

 中国のような独裁国家では、選挙で自分の意思を表明することはおろか、言論によって世論に訴えることもできない。だから、何かの政治目的を達成しようとする場合、社会の関心を惹こうと思えば、目立つ手段が必要だということになり、テロに走りがちになってしまう。悲しいけど、それが現実だ。中国の独裁状態が変わる見込みはないから、これからすごいことになっていくかもしれないね。

 だけど、やはりそれはダメだ。テロって、目立つことにおいては秀逸の手段であるが、ただそれだけである。共産党の嫌いな人の溜飲を下げる効果はあるかもしれないが、誰もが殺されるかもしれないという恐怖は、結局、人びとの心を離反させてしまう結果になる。

 倒すべき対象が独裁的であればあるほど、手段は、目立たないかもしれないが、多数の人びとに支持されるものでなければならない。中国の独裁政権というのは、共産党の何十年もの経験を通じて非常に強固で根深いものになっているので、並大抵のやり方では変革することはできないだろうが、だからこそ一歩一歩すすむということが大事だと感じる。

 私も近く、ここでは書けないけれど、ウィグルの実情を探るため、個人的な密使を派遣する予定。その成果が活字になるかどうかは保障できないけれどね。

2013年11月5日

 すごく話題になっていたけど、どうも話題のなりかたに違和感があって、何を書くべきか分からなかった。だけど、これだけの問題だから、何かを書いておかなくちゃね。

 いろんな違和感があるけど、誰もが指摘するのは、ずっと天皇の政治利用をしてきた自民党とかが問題にするのは、ちょっとおかしいだろうということだ。その指摘には私も共感する。

 だけど一方で、天皇の政治利用という点で、自民党と同じようなやり方をしている山本太郎という人物にも、かなり違和感を感じる。左翼だったら、そんなやり方はしないだろうという違和感だ。もしかしたら彼は、本質的には、曲がりなりにも国民の力で物事を達成するという建前のある左翼ではないのかもしれない。彼が右翼だというなら、納得できる行為だからね。

 それに、福島の被ばくのことを天皇に知ってほしかったという、彼の発言にも違和感がある。天皇は、福島をよく訪れていて、私が浜通りの家におじゃましたりすると、その際に写したという大きな写真が飾ってあったりする。山本氏よりは頻繁に行っていて、福島の実情をよく知っているのではないだろうか。

 また、前にも記事に書いたことがあるが、天皇は福島を訪れる際、農家に行って桃を食べたりして、その努力を励ましたりもする。そういう天皇に対して、実情を知らないだろうからオレが教えてやるという態度をとるのも、どうも理解できない。

 いや、もしかして、福島の果実や農産物を食べるという天皇の行為を批判するために直訴したというなら、これまでの彼の言動からして素直に理解できるのだけどね。どうなんだろうか。

 いずれにせよ、「政治利用」という問題は難しい。福島の桃の話にしたって、いろいろな努力を重ねて、ちゃんと計って流通しているのだから、それで大丈夫だという立場がある。一方、それでも福島のものは流通させてはならないという立場もある。そういうなかで、天皇が「福島の桃はおいしい」と発言するのは、「政治的行為で憲法違反だ」と言う方もいるかもしれない。

 そういえば以前、同じようなことがあった。園遊会で東京都の教育委員が、「日本中の学校で、国旗を掲げて国歌を斉唱させるというのが、わたくしの仕事でございます。いま、頑張っております」と発言し、天皇が「強制になるということでないということが、望ましいですね」と答えた。これに対して、右翼はさすがに天皇批判ができずに黙り込んだが、左翼のなかに「憲法違反だ」と批判するのがいたりしたよね。

 いまの天皇って、たいへん理性と良識があって発言するから、その発言を憲法の条文解釈という角度だけからみると、右と左がごちゃまぜになるのかもしれない。本当にむずかしい問題である。
 

2013年11月1日

 一昨日から東京出張。昨日も、朝から時間刻みのスケジュールだ。

 まず東京事務所で簡単な打合せ。いろいろ難しいことがあって、対応すべきことを明確にする。

 11時には御成門へ。12月に刊行予定の『加藤周一最終講義』関連。加藤さんの著作権継承者とのご相談だ。ご了解を得て一安心。表紙に使う予定の加藤さんの顔を見て、「こんないい表情の写真はなかなかないですよ」と満足していただく。いろいろ貴重な思い出話も伺った。あとは刊行に向けて最後のダッシュが残るのみ。

 そこから歩いて神谷町へ。昼食をはさみ、とある弁護士事務所だ。来年発足予定の「憲法9条下の自衛隊活用を考える会」の事務所設置に関するご相談。この事務局の性格次第で、会が広範な人びとを集められるかが決まってくる。私だけがやっているみたいになると、偏りがあるからね。お会いしたのは、つい一カ月ほど前、ひょんなことでメールでやりとりしただけの弁護士さんなのだが(だからお会いするのは昨日が初めて)、気持ちよく引き受けていただいた。会が開くシンポジウムの司会とかもついでに決まったりして、出だしは順調である。これで、護憲政党はもちろん、改憲政党のなかに護憲派をつくる足がかりができるかもしれない。防衛戦略のある護憲へと前進。

 その後、四谷に行って、別の弁護士の方と打合せ。労働法制の規制緩和に関する本の出版について。

 それから国立市に足を伸ばす。まず山村浩二絵本原画展。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」がアーサー・ビナードさんの英訳で出るんだが、その原画なのだ。

 で、学生時代にときどき利用したロージナ茶房で、知り合いの編集者と相談。12月15日に開くシンポジウム「学校・スポーツから暴力・体罰をなくすために」の打合せだ。弊社のホームページで紹介しているので、関心のある方はご参加ください。また、これに向けて手記の募集もしているので、応募していただけるとうれしい。

 夜に事務所周辺に戻って、某政治団体に勤める優秀な編集者と飲み会。気持ちよい議論をして、いい情報をいただいた。

 本日は朝から昼過ぎまでみっちり会議。午後は、大手印刷所からまさかの営業を受け、まさかの面接もしなければならない。夕方からは、旅行社と打合せ。忙しい1日になりそう。