2014年4月8日

 昨晩、この会の準備会合だった。記事のタイトルにあるのは略称で、正式名称は、「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」である。

 一言でいえば、その趣旨は、自衛隊を否定するのでもなく、あるいは国防軍や集団的自衛権に走るのでもなく、現行憲法のもとで生まれた自衛隊の可能性を活かし、探ることにある。いま、安倍さんが日本を危うくする防衛政策を突きすすんでいるもとで、その方向ではなく、現実に立脚した防衛政策を提唱することにある。自衛隊の元幹部などに関与してもらうところに、他にはない特徴がある。

 そのことを先日、この欄でも紹介した朝日新聞で頭出ししたら、NHKから電話があって、「会」の正式のシンポジウム(6月7日予定)を待たず、準備会合から取材したいということだった。だから、いつもは居酒屋でやっている準備会合を、ちゃんとした事務所で開いたのである。

 5月に「安保法制懇」の集団的自衛権に関する報告が発表されるが、それにあわせる形で放映されるそうなので、楽しみにしていてください。やはり、現実味のある対案が求められているんだね。連休明けには、ホームページも開設し、取り組みの告知もするし、賛同者も募っていきたい。

 そこで教えられたことだが、私の『憲法九条の軍事戦略』が、次の「戦略研究」での書評の対象となっているらしい。たいへん好意的な書評だということだ。

 「戦略研究」といえば、軍事戦略を中心とした研究者の集まりである戦略研究学会が発行しているもので、防衛省関係の研究者も多い。そういうところで評価されるのは、たいへん心強いことである。

 さらに本日、イミダスの編集者から連絡があり、集団的自衛権が発動された実例について原稿を書いてほしいということだった。3000字程度。こういう種類のオファーもはじめてのことだ。

 いよいよ憲法問題で本格的な勝負が始まるということで、昨年、『憲法九条の軍事戦略』と『集団的自衛権の深層』を書いたのだが、いいタイミングだったということだと思う。7年前、防衛省関係者にお願いし、『我、自衛隊を愛す 故に、憲法九条を守る』を出して以降、この路線を進み、人のつながりをつくってきて、それがようやく実ろうとしているわけだ。

 昔、よく、『闘いに参加する喜びだけではなく、闘いに勝利する喜びを味わう』なんてことが話題になった時代があった。政治の革新というものが現実味をもって語られた時代のことである。そういうことが再び語り合えるような時代にしたいなと思う。

2014年4月7日

 本日の朝日新聞をはじめ、集団的自衛権に関する世論調査を見ると、護憲派にとって好ましい結果が出ているとは思う。だけど、じゃあ解釈改憲を阻止する展望が生まれているかというと、そうまでは言えないだろう。

 だって、秘密保護法だってそうである。あれだけの反対の世論と運動が広がって、でも阻止することはできなかった。いまでも世論と運動は継続しているけれど、じゃあ国会で廃止する展望が生まれているかというと、そうではない。

 安倍さんは、秘密保護法を強行したように、集団的自衛権も強行してくるだろう。何といっても相手が国会で多数を占めているので、それはいかんともしがたいことである。

 そこを阻止することができるとすれば、選択肢はひとつしかない。それは、次の選挙で、集団的自衛権に反対だという勢力が多数を占めること、そういう勢力が安倍政権に替わって政権を担うのが確実になることである。

 これは容易なことではない。次の選挙で、いま政界にあるいくつもの政党が争うことを想像してほしい。これだけの世論だから、たしかに集団的自衛権とか秘密保護法に反対する政党、候補者が伸びる可能性はあるだろう。だけど、小選挙区で1議席を争うわけだから、ほとんどの選挙区で巨大な自民党を上回る得票を得て議席を獲得するというのは、奇跡に近い出来事となろう。

 どこかひとつの政党が、自民党に替わって多数を占めるほどの力をもつことはできるだろうか。民主党は、政権の失敗をまだ総括もできておらず、国民から見放されたままである。維新やみんなは、集団的自衛権賛成であって問題外。共産党や社民党は、次の選挙で数十議席の獲得をめざしており、政権をとること自体を目的にしていない。

 要するに、安倍政権に替わる政権を実現するためには、それが大事だと考える政党、政治家が結集し、ひとりの候補者を擁立することしかない。それが可能になるなら、解釈改憲を阻止できるし、そういうことは現実的でないと考えるなら、解釈改憲を見過ごすことになる。

 ということで、今晩、この問題にもつながる可能性のある数人規模の会議に参加する。NHKがカメラを入れて取材に来るというので、近く、ニュースになるかも。

2014年4月4日

 集団的自衛権の議論が政府与党内で大詰めを迎えてきて、いろいろ新しい議論が生まれている。この機会を逃すと二度とチャンスは訪れないと考えて、必死なんだろうなあ。

 だけど、私から見ると、不誠実さばかりが拡大するように思える。絶対に実現したいということで、スジが通らなくなってきているのだ。

 たとえば、どういう場合に、どんな集団的自衛権の行使が求められるのかという問題。最近、ペルシャ湾での機雷の掃海とか、朝鮮半島有事での米軍との共同行動などが取りざたされるようになった。

 そういう場合に集団的自衛権が必要かどうかは別として、それ以前に、議論の仕方がおかしいんだよね。ついこの間までは、米本土に向かうミサイルがどうかとか、アメリカの艦船が攻撃されたときにどうするかとか、そういうケースを彼らは提示していたのに、その評判が悪いと分かると、ケースそのものの想定を変えてきたわけだ。

 もともと、この問題は、アメリカなどがどこかから攻撃されていて、それをどう助けるかということであって、攻撃されている国にしたら、とっても大事な問題なんだよね。そういう大事な問題なのに、これがだめならあれ、あれがだめならそれみたいに、とっても無定見。防衛問題って、いのちがかかる問題なのに、そういう問題を議論しているという真摯さが感じられない。いのちを守るという角度ではなく、どういうケースを提示したら国民を「なるほど」と思わせ、解釈改憲できるかという角度で考えている。

 それと、最近、高村さんが言っている砂川判決のこと。この判決で日本の防衛に必要最小限度の範囲では自衛権が発動できると言っているから、必要最小限度なら集団的自衛権もオーケーだというものだ。

 これは、本当は難しい問題。国際法上の概念で正確にいえば、米軍が戦争するときに基地を提供したり、後方支援するのは集団的自衛権の発動である。だから、誤解をおそれずにいうと、すでに日本は必要最小限度の集団的自衛権は行使しているわけだ。それを内閣法制局が集団的自衛権は戦闘行為に限るという狭くゆがんだ解釈をして、定着をしてきたのである。

 しかし、そういう理論的な吟味はしないまま、60年以上前から集団的自衛権は合憲だったなんて議論をもちだすなんて、あまりに不誠実でしょ。ずっと違憲だとしてきた政府の責任はどうするのか。

 しかも、やはり国民の理解を得たいがために、日本の防衛に必要な集団的自衛権という概念を作りだしている。だけど、日本の防衛に必要ならば、集団的自衛権ではなく個別的自衛権ではないか。

 こうして、国民の理解を得ようとすればするほど、論理が破綻してくるのである。本当にジレンマだよね。

2014年4月3日

 先日、山梨にある都留文科大学から大きめの書類が届いた。何かと思って開けると、弊社の出版物を大学の入試問題に採用したので、了解を願いたいというものだった。

 3.11後、福島の本もたくさんつくったが、岩手や宮城も含む東北全体にかかる本も、それなりに出版した。そのうちのひとつに、『3.11からの復興と日本経済再建の構想』(藤田実/著)というブックレットがあったが、それが採用されたのである。

 政府は、国際競争力を重視し、輸出主導型で経済回復を目指していて、被災地の復興のその方向で進めてきた。そういうやり方は、農業や水産業を主体とする地域にとっては、ただただ疲弊をもたらす。そうではなくて、福祉国家型経済産業システムをつくりあげるとともに、被災地の復興もその方向で進めようというのが、この本の核心である。

 左翼から提起される経済政策って、要するに国民のふところをあたためるところにばかり焦点があたっていて、経済産業のあり方まで行き着かない場合が多い。そういう問題に切り込んだ本なので、それが大学人の目にとまり、受験生にも知られることはうれしい。今後、大学のホームページで「過去問」として啓示されるそうで、期待大である。

 と思っていたら、本日、私個人宛にも同様の書類が来た。山形大学人文学部長からである(画像)。

20140403150028

 「松竹伸幸様
 ……
 平成26年度入学試験問題の作成にあたり、貴殿の玉稿を別添のとおり使用させていただきましたので、ご報告いたします。
 入学試験という性質上、事後の報告となりましたが、事情ご賢察の上、ご了承くださいますようお願い申し上げます」

 何かと思って中身をみたら、私が昨年、平凡社新書から出した『憲法九条の軍事戦略』のことでした。この本の105頁から120頁までの16頁全文を引用して、受験生(3年への編入試験)に読ませて、「以下の問いに答えなさい」となっています。

問1 筆者は集団的自衛権とその行使についてどのように考えているかを説明し、それに対するあなたの見解を述べなさい。(字数制限はない)
問2 筆者が考えている「憲法九条の軍事戦略」とその根拠について説明し、それに対するあなたの見解を述べなさい。(字数制限はない)

 いやあ、すごい問題ですね。みなさん、合格できそうですか。私が不合格になるかもしれないよね。

2014年4月2日

 まあ、集団的自衛権という憲法の根幹にかかわるものだって閣議による解釈で変えられるという安倍さんだから、武器輸出三原則を撤廃するのに閣議決定したのは、手厚すぎるくらいに思っているかもしれない。でも、これって、ボディーブローのように効いてくるだろうなあ。

 私は、憲法9条が自民党によって戦後ずっと踏みにじられてきたから、日本が世界の平和にとって何か役に立っているなんて、ありえないことだと思ってきた。いや、あったとしても、それを認めると、解釈改憲を容認することになったり、自民党政治を美化することになると考えてきた。

 武器輸出三原則だって、憲法をふみにじっていることの弁解にすぎないとか、そう評価していた。というか、そもそも深く考えなかったというのが、正直なところかもしれない。

 それではダメだと分かったのは、2004年5月の憲法調査会だった。この日、自民党の推薦で発言した上智大学の猪口邦子さん(現在は自民党の国会議員)の発言を聞いたからである。

 猪口さんは、小泉さんに請われて、ジュネーブにある国連の軍縮機関に日本の大使として赴任していて、その任期が終わって帰国したところだった。おそらく自民党は、国際政治の現場にもまれた猪口さんが、九条は現実政治にそぐわないというような発言を期待したのだろうと思う。

 だけど、猪口さんの発言は、最初から、憲法9条は1項も2項も世界中で評価されていることを強調するものだった。そしてて、これを将来にわたって堅持してほしいと訴えたのである。

 その根拠となったのが、前年、猪口さんが議長をつとめた国連の小型武器規制会合での出来事だったのだ。毎年50万人を殺傷する小型武器(自動小銃など)規制のため、国連はいろいろな努力を重ねてきて、その会合でも合意を得ようとしていた。ところが、あるふたつの国が合意に反対したのである。武器を規制するのに反対する国があるなんて、日本の平和主義者には信じられないかもしれないが、武器輸出でもうけている国もあれば、アメリカのように憲法で武器の保持を国民に認めている国もあって、そう簡単ではないのだ。

 ところが、その小型武器で内戦において50万の命が奪われたシエラレオネの代表が、「日本の議長提案通り可決してほしい」と訴えたら、他の国も次々と「そうだ、日本の議長の提案を支持する」と発言が相次ぎ、最後は、反対していた国も前言を撤回して、満場一致の可決となったのである。

 なぜ「日本の議長の提案通り」という発言が相次いだのかと聞かれ、猪口さんは、「それは武器輸出三原則があって、日本の武器は紛争地にないことを世界が知っているから」と答えたのである。いやあ、世界観が変わるような発言だった。 

 それで調べてみたら、武器輸出三原則があることによって、戦闘機や戦車など大型の武器規制でも日本が大きな役割を果たしていることを知った。外務省の白書などをみると、武器輸出三原則があることによって、日本が外交面でイニシアチブを発揮できることを堂々と書いていたのだ。

 アメリカ追随で影の薄い日本が、憲法九条のもとで生まれた武器輸出三原則によって、こんなに大きな仕事ができるのだと、とても誇りに思ったことを、昨日のことのように思い出す。それから10年たつんだなあ。

 だから、武器輸出三原則を復活させるため、新たな努力を開始しなければならない。安倍さんの軍事戦略に対抗する戦略、憲法9条を大切にする軍事戦略。いよいよ急務だよなあ。