2014年7月9日

 いま当時の状況を調べている。たとえば、河野談話(93年8月4日)の翌日、いくつかの新聞が社説を掲載している。この社説、どこだか分かりますか。

 「広い意味とはいえ、「強制性」があった以上、その意に反して慰安婦とされた女性たちの苦痛と恥辱は計りしれまい。彼女たちの名誉回復のためにも、事実を公表したのは当然のことだ。
 河野官房長官が「心からのお詫び」と反省の意を表明したのも当然だ」
 ……
 ともあれ「強制性」を認め、謝罪したからには、謝罪を形であらわす何らかの措置が必要だ。
 補償問題は……一連の戦後処理で法的には決着済みだ。……
 だが、法律論だけですまされる問題でないことも明らかだ。新政権は関係国政府、関係者と協議し、わが国、国民の気持ちが伝わるような措置をとってほしい」

 これは読売である。読売だけではない。日経社説も同じようなものだ。

 「その(河野談話)中で軍による慰安婦の強制連行があった事実についても、遅ればせながら初めて認めた。元従軍慰安婦の痛ましい傷跡をいまさら消し去ることはできないが、五日にも発足する新政権は今回の調査結果を踏まえて、問題の最終的な解決に向け速やかな対応とできるだけの誠意をみせるべきだ」

 産経は、社説ではとりあげなかった。代わってというか、「正論」欄執筆者の一人であった上坂冬子が、談話のようなものを寄せている。

 「全体的に詰めが甘いとか、これでは強制連行の事実を認めたことにならないとか、補償をどうするつもりか、肝心な問題にこたえていないなどという反論は当然おきるだろうが、私としては政府の談話としてはこれが限度であろうと判断している。おそらくこの談話は国家間レベルでの区切りを意味するものとなるのではないか」

 「限度」として容認したということである。翌月の「正論」(9月2日)には、同じ上坂が、もっと積極的な寄稿をしている。

 「近年、稀にみる名文といってよい。相手方のささくれ立った気をしずめ、同時にこちらとして外せないポイントだけはさりげなく押さえて、見事な和解にこぎつけている」

 そうなのだ。当時の国民世論は、こうした右派も含め、慰安婦問題をなんとかしないといけないと考えていた。読売が明示的に書いているように、条約で法的には決着済みだが、法律論ではおさまらないと考え、なんとか政治的に決着させたいと考えていたのである。

 ところが、左翼の側というか、市民運動の側は、河野談話をはげしく否定した。いちいち名前をあげないが、当時の新聞をみると、「早くケリをつけたい政府の意図がみえみえ。……だれも納得しないのではないか」などきびしい声が寄せられ、犯罪として責任者の処罰を要求する団体もあった。某政党紙も、「被害者……などから事実をつきつけられ、(談話で)その一部を認めざるをえなくなっても、天皇政府・軍部による国家犯罪を執ように隠ぺいする政府の態度は基本的に変わっていない」と、河野談話をはげしく批判した。

 しかし、紹介した各種の論調を現在の目でみれば明白なように、みんなが河野談話の線で決着させようと努力していたら、あの時点でなんとかなったはずである。左派が、河野談話を否定し、問題を質的に異なるレベルにもっていこうとしたが故に、右派や中間派はついてこれなくなって、河野談話を否定するまでになってしまった。

 いま、左派は河野談話を珠玉のものとして擁護している。態度が変わったのはいいことなので問題にするつもりはないが、では、当時は河野談話で決着させようとしていた右派、中間派をどうやって納得させられるのか。重い課題が突きつけられている。

2014年7月8日

 ある月刊誌から、こういうテーマで原稿依頼があった。集団的自衛権のことだから何気なく引き受けたけど、よく考えると難しいよね。

 だって、集団的自衛権がどんなものかなんて、もう書いても仕方がない。それは言い過ぎかもしれないが、これを具体化する法案の国会通過を阻止するというのが次の展望になるのだろうけれど、自公による国会多数という枠組みはこんごも変わらないわけだから、世論を強めれば大丈夫だと言っても、説得力には欠けるだろう。

 ただ、本日の新聞によると、法案は秋の臨時国会には一部といえども出てこなくて、来年の通常国会でまとめてやるみたいだね。その理由として、世論の反発を見ると、来年の統一地方選挙の結果に影響するかもしれず、その後に先延ばしにしようという考えだということだ。

 でも、先延ばしにすると、地方選挙への影響は最小限に抑えられるかもしれないが、国政選挙は近づいてくるんだよね。おそらく、自公は、地方選挙は選挙区の定数が多いところもあり、世論状況がリアルに反映するので与党が不利だけど、定数1を争う国政選挙の場合、多少、与党が劣勢でも、野党のていたらくからして、定数1を奪われることはないという判断なのだろう。

 まあ、くやしいけれど、そうだろうなあ。集団的自衛権に反対する政党は、地方選挙ではそれなりの議席を増やすけど、国政選挙では自公の枠組みをから議席を奪う政党は簡単にはあらわれないだろう。

 けれども、地方選挙であっても、自公の議席を大幅に減らすことができれば、そのインパクトは計り知れない。結果次第では、集団的自衛権に反対する勢力が協力しあえば、7月1日の閣議決定をくつがえす内閣をつくれるぞと、希望がもてるかもしれない。そういう希望が出てくれば、協力が促進されるという可能性も出てくる。

 だから、いま大事なことは、本格的な闘いは法案が出される通常国会でというのではなく、秋から統一地方選挙までが最大の山場だと位置づけることではないだろうか。自公の思惑は、地方選挙までは集団的自衛権の議論はおやすみにしようということなのだから、そこを打ち破らないといけないのではないか。

 ということで、集団的自衛権に反対する勢力に求められるのは、この秋にこそ闘いを強めることである。その闘いを統一地方選挙に結実させることである。だから、『集団的自衛権の焦点 「限定容認」をめぐる50の論点』は、いまから本格的に売っていきたい。

 それと平行して、集団的自衛権に反対する勢力が政権や政策をめぐって協力しあうことを想定し、九条のもとでの防衛政策をつくっていかねばならない。その点では、やはり「自衛隊を活かす会」の正念場でもある。

2014年7月7日

 先日、このブログで、「学校図書館向けに憲法の本を」を書いたとき、ある中学校の司書の方からメールをいただきました。「萌え」系のキャラを使って本をつくってほしいというご要望でした。今回の本は、「萌え」系ではありませんが、十分に子どもに通用するものを使っているので、「こんなのですよ」とお知らせするメールをお送りしようとしたのですが、戻ってくるんです。何か間違っているかもしれませんので、もう一度、メールをください。

 さて、そういう前書きを書いたので、関連する話題でないといけません。ということで、本日は、来年ではなく再来年の本のことです。

 タイトルは未定ですが、つけるとすると、以下のふたつが候補。「世界の言葉で「平和」ってなんていうの?」あるいは「世界に100通りの平和があったら」。

 おなじ「平和」という言葉を使っていても、国によってかなりニュアンスの違いがあるんですよ。それを相互に理解し合っていないと、「平和がいいね」と語り合っていても、ほとんど通じないままです。そこが分かるような本をめざしています。

 そのことで、先週末、平和学を大学で教えておられる先生のところに伺いました。いっぱい、いいお話を聞かせていただきました。

 たとえば、ギリシャ、ローマで生まれた「平和」という言葉が、ヘブライ語になるくらいまでは、「正義」という中身を色濃く含んでいたそうです。ところが、東に行くにつれて、「正義」概念が薄くなり、最東端の日本では、ほとんど「妥協」に近づいてくるんだということでした。軍事の概念がどんどん薄れてくるということでもあります。

 そういう面はありますよね。原義がそうだというだけでなく、たとえば欧州では、フランスのレジスタンスに見られるように、平和って、武器をもって闘いとるという要素があるわけです。

 でも、原義がそうであっても、変わってくる場合もある。中国でも平和の原義は融和的な要素が多かったそうですが、現在の中国では、日本軍と戦争して闘いとったのが平和ですから、平和と軍拡が一体のものとなっている。

 そこらあたりを深く掘り下げ、小学校の高学年や中学生に考えさせるような本をつくりたいと思っています。そして、平和という言葉への理解は異なっていても、というか異なるということを理解し合うことによって、お互いに平和な世界をつくれるのだという希望を、子どもたちにもってもらえるような本にしたいです。

 (追記)なお最近、「学校司書って、こんな仕事」という本を出しました。私が担当したわけではありませんが、優れものなので紹介しておきます。

2014年7月4日

 はい。「自衛隊を活かす会」の第2回シンポですが、参加の募集を開始しました。前回、応募が定員を大きく上回り、途中で予約を打ち切った経過もあるので、倍以上入る部屋を確保しましたが、さらに応募が殺到する可能性がありますので、ひきつづき事前予約制です。参加ご希望の方は、「自衛隊を活かす会」のホームページより、早めのご応募をお願いします。

 チラシはこの通りです。ホームページのデザインをボランティアでやってくれている岡山の岡嶋さんに、これもつくってもらいました。いつもありがとうございます。

20140726_symposium
 豪華な顔ぶれですよね。冒頭、加藤朗さんが「現在のテロ問題の特徴はどこにあるか」をお話しし、酒井啓子さん(現在、国際政治学会の理事長をしておられます)が「最近のイラク情勢の特徴と打開の道」を語り、宮坂直史さんが「世界的なテロ対策の現状と日本の役割」について報告し、伊勢﨑賢治さんが「非武装自衛隊で対テロ戦を終わらせる」ことを強調することになります。それを受けて、渡邊隆さんから総括的なコメントを伺い、柳澤さんが進行するという感じでしょうか。

 こんなメンバーの、こんなタイムリーな企画に1000円で参加できるんですから、すごいことだと思います。安倍さんや与党も、集団的自衛権の立法化作業を中止して、目の前で進行するテロ問題で日本が何をするのか、いっしょに考え、考えをまとめ、動き出すべきではないでしょうか。

2014年7月3日

 3年ほど前から、学校図書館向けに本をつくり始めました。最初につくったものが学校図書館出版賞を受賞したりして、少し注目されているんですよ。今年は憲法の本です。これから山のようにこのテーマの本が出てくるでしょうし、我が社としては、ただ客観性を売りにするようなことは止めて、憲法のここがすごいんだということが分かるようにしたいと思います。こんな感じの「まえがき」なんですが、いかがでしょうか。

 「憲法」と言われても、みなさんにとって、あまりピンと来ないかもしれません。でも、日本の憲法って、とっても優れているんですよ。

 たとえば、私たち一人ひとりに国をつくる権利がある(国民主権)という立場を明確にするとともに、その国民が選ぶ国会を「最高機関」と位置づけるなど、国民主権を国のあり方に貫いています。憲法とは国民の人権を守るためにあるというのが世界の常識ですが、日本の憲法ほど詳しく、深く人権のことを書いている憲法は他の国にありません。また、「平和憲法」という名前で呼ばれるのも、世界のなかで日本の憲法だけです。

 憲法ができた70年前、日本の社会は、憲法が描くものとは遠くかけ離れていました。紙の上に書かれた理想にすぎませんでした。でも、そういう優れた憲法があったから、みなさんのおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんの世代は、日本の社会を憲法の理想に近づけようと努力してきたのです。そして、少しずつ日本の社会は変わってきて、いまみなさんが住むような社会になったのです。

 70年以上前は、国を批判することは自由にできなかったのですが、いまみなさんは自由に発言ができるでしょう。70年以上前まで、日本はずっと戦争してきましたが、憲法ができてからは戦争で誰も殺していませんし、殺されてもいません。みなさんには、まだいろいろな不満や願いがあると思いますが、それを実現するためにも、優れた憲法を活用するのが近道です。

 なぜそんな憲法ができたのでしょうか。それは、いまの前の憲法である大日本帝国憲法(明治憲法)への反省でした。大日本帝国憲法では国民の権利が制限され、軍隊の活動には誰も口を差し挟めないようになっていて、日本は国民の暮らしを犠牲にして、戦争への道を進んでいきました。いまの憲法には、そんな時代は二度とごめんだ、平和で自由な暮らしをしたいという国民の願いがつまっているのです。この憲法を改正しようということが議論されていますが、大日本帝国憲法のような時代に後戻りしてはなりません。

 そんな憲法のことを分かってもらおうというのが、このシリーズの目的です。みなさんが分かりやすいように、そして憲法を身近に感じるように、憲法の優れた部分をマンガで表現したりもしています。この本を読んだみなさんが、憲法に関心をもち、もっともっと憲法のことを勉強したいなと思ってもらえたら幸せです。