2014年8月29日

 でもそれは、この本にとっては、結果としていいことでした。日本の社会をどうするかって、まさにマルクス主義そのものの課題ではないですか。貧困と格差の広がり、ブラック企業が横行したりグローバリゼーションがのさばる社会の出現のなかで、ソ連の崩壊によって死に至ったと思われていたマルクス主義が蘇ってきた、蘇る可能性が見えてきたというのが、いまの時代の特徴だと思います。マルクス主義でなければ説明できず、マルクス主義でなければ克服できない現実が、いま目の前で広がっているわけです。

 それが自覚されているかどうかは別にして、ボヤッとしていてもそんな感じがあるから、朝日カルチャーセンターが、お二人を招いてこの春、企画を実施したんです。そのテーマが、『若者よ、再びマルクスを読もう──蘇るマルクス・レーニン主義』でした。『若マルⅡ』のサブタイトルが「蘇るマルクス主義」となっているのは、そういう背景があります。

 今回取り上げた最初の書簡は『フランスにおける階級闘争』と『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。それをやりとりしたあと、次の書簡が準備されれる前、最初に書く石川先生に、「次は『フランスにおける内乱』にしたらどうでしょう」と提案したんです。パリ・コミューンを論じた有名な本です。そうすればフランス3部作をいっきょにとりあげることになるし、何よりも、フランスの変革という主題に惹きつけて日本の変革を論じることができると考えたからです。これは、時代の順番に書くことが大事だという石川先生の意向もあって、実現しませんでした。

 でも、結果として、それで良かったと思います。結局、順番通りということで『賃金、価格および利潤』をとりあげることになったのですが、これって、私の当初の感触では、理論的な著作を理論的に論じるという往復書簡になる予定でした。でも、日本の経済社会の現状、はたらく人々の実態からして、まさに現実をどう捉え、どう変革するかという、きわめて実践的な著作として浮上したわけです。

 『若マルⅡ』で『賃金、価格および利潤』を論じる内田先生の文章を見ていると、日本の若者をいまのような現実におとしめたものへの怒りがふつふつと伝わってきます。それを読みながら、『若マルⅠ』で『経済学・哲学草稿』を取り上げたとき、内田先生が「貨幣や地代のことなんか、極端な話、どうだっていいんです(なんて書くと石川先生に怒られちゃうけど)。マルクスの人間的なところは、「疎外された労働者」たちのことを考えるとつい興奮しちゃうところなんです。……」と書いたことを思い出しました。マルクスを論じる人は、こうでなきゃいけませんよね。

 お二人の政治的立場の違いとその議論の仕方いうことでは、前出の朝日カルチャーセンターでの対談(冒頭に収録した)をご覧ください。スターリン主義をめぐる議論って、マニアじゃない人が読んでも面白いです。

 また、マルクスが読みが得ざるをえない社会状況が背景にあるわけですが、対談を冒頭にもってきたことで、マルクスへの親しみやすさという点では、第1巻を超えるものがあると思います。本の帯に「この第2巻から読みなさい!」としているのは、ただ売らんかなではなく、第2巻を読んで第1巻に進むというのも、まっとうな読み方だと思うからです。是非、多くの方に手にとってほしいです。

 なお、昨年秋、『超訳マルクス』(紙屋高雪/訳、加門啓子/イラスト)という本を出しました。「ブラック企業と闘った大先輩の言葉」というサブタイトルです。その本には1頁をまるごと使った六種類のマンガがあるのですが、その最後で、「グローバリズムにはインターナショナリズムで反撃しよう」という見出しをつけています。『若マルⅡ』で内田先生は、いまの日本社会の階層二極化を食い止めるにはどうするかということで、マルクスがのべた「万国のプロレタリアート、団結せよ」という処方箋しかないと強調しています。これもインターナショナリズムですよね。連帯と団結が、今後の社会のありようとして模索される時代がくるかもしれません。併せてご覧ください。

2014年8月28日

 会社のメルマガに書きました。上下でご紹介します。

 大好評を博した前作から4年。とうとう『若者よ、マルクスを読もう』(『若マル』)のパートⅡがお目見えです。

 前作のサブタイトルは「20歳代の模索と情熱」でした。マルクス20歳代の著作をとりあげ、内田樹先生と石川康宏先生が往復書簡を交わすものでした。いまの感覚で20歳代というと、まだ若造の頃の著作だなと思われるかもしれませんが、あの有名な『共産党宣言』だって、29歳のマルクスの手によるものなんですよ。すごいですよね。

 この本、誕生するのは、あるきっかけがあったんです。石川先生とはかねてから交流があったのですが、あるとき居酒屋で飲んでいたら、「内田先生とは何でも言い合う仲なんですよ」という話が出ました。私の頭にパッと浮かんだのは、内田先生の『寝ながら学べる構造主義』でした。この本、タイトルの通り、構造主義を分かりやすく解説したものなんですが、私はこれを読んだとき、「フムフム、構造主義って、少なくとも内田先生の構造主義への理解って、マルクス主義と似てるじゃん」て思ったんです。それで石川先生に、「内田先生と会わせてください。マルクス主義について書いてほしいのです」とお願いしたのです。石川先生はすぐメールを出してくれて、内田先生もすぐ(十数分で)お返事をくれて、すぐに大学でお会いすることになって、マルクスのいくつかの著作をお二人が往復書簡で論じ合うというかたちで本をつくることが、これまたすぐに決まったのでした。

 1冊目が出た頃は、ちょうど『蟹工船』ブームのあとでした。このブームのあと、どんな本が求められるだろうと考え、いろいろ悩んでいたんです。マルクス主義そのものが注目されるとは感じたけれど、難しいものはダメだろうとか、等々。

 その最初の挑戦が『理論劇画マルクス資本論』でした。これ、劇画といいながら、剰余価値論を本格的に論じたもので、分かりやすさと理解の深まりやすさと、両方から評判になったと思います。

 そして、次の挑戦が、『若者よ、マルクスを読もう』でした。著名な著者に書いてもらうものだとはいえ、なにせ何せ取り上げる本が難しい。『ドイツ・イデオロギー』とか『ユダヤ人問題によせて』とか『ヘーゲル法哲学批判序説』とか、昔ならともかく、いまでは共産主義を自称する人だって読まないでしょ。

 ところが、すごく好評だったんですよ。著作の内容や来歴については石川先生の解説があって、内田先生は独自の視点で現代的な読み方を提起するという感じで、その組み合わせが絶妙でした。

 私がとくに感動したのは、お二人が意見の違いを処理するそのやり方というか、姿勢というか、そういうものでした。このお二人、今回の『若マルⅡ』で詳細が明らかになりますが、政治的な立場がかなり違うんですよ。それが『ユダヤ人問題によせて』の理解などにあらわれるんです。だけど、意見は異なるが、上品にやりとりしつつ、読み終わったらすごく理解が深まるという感じで、書簡が往復するんですね。

 過去の本のことばかり書いてもいけません。突然、今回の本に話題を移しましょう。最初の書簡が2010年12月ですから、3年半前に開始されたんですね。それがいままでかかってしまいました。最大の問題は、3.11があったりして、日本の社会をどうするかということが、内田先生や石川先生のようなタイプの知識人にとってすごく重要な課題となり、お仕事がめちゃくちゃ増えたことでした。(続)

2014年8月27日

 慰安婦問題の解決は、結局、これしかないと思う。左右両派に不満が残るだろうが、河野談話の堅持である。

 右にとっては、世界に日本の恥をさらした諸悪の根源だ。だけど、河野談話が出たときは、読売も産経も、これで行こうということだったのだから、元に戻るだけである。

 左にとっては、さらに前に進んで法的謝罪と賠償を求めるということだろう。だけど、河野談話が出た時は口を極めて談話を批判していた左翼が、現在はこれを強く支持しているわけだから、堅持することに異論はなかろう。

 大事なことは、いやいや堅持するのではなく、心から堅持することである。総理大臣になったら、すぐに談話を堅持するのだと表明する。そして、毎年、何かの記念日に、河野談話の内容を慰安婦に対して語りかけるのだ。

 その場合、内容はコピペでなければならない。独自色を出そうとすると、内容が後退する可能性もあるし。そして、ワイツゼッカーのように、心を込めているということが分かるような語り口で語るのだ。

 アジア女性基金はなぜ失敗したのか。それは、河野談話がもつ芸術性というか、悪い子言葉でいえばあいまいさをぶちこわしたからだと、私は考える。

 河野談話は、政府の検証結果が示すように、軍は強制連行していないという日本の立場を貫いている。一方で、慰安婦に対する謝罪の気持ちが伝わる内容になっている。法的な謝罪が必要かという難しい問題をあいまいにしたままである。

 ところが、アジア女性基金によって、このあいまいさが壊された。実際の運営にあたっては莫大な税金が投入されたわけだし、カネに色が付いているわけではないので、慰安婦に渡すお金が税金なのかカンパなのかは、あいまいにしてもよかったのだ。実際、カンパが十分に集まらない場合、慰安婦に渡すお金が足らなくなることが予想され、その場合に税金をあてるかどうかという大問題が存在していた。そのことを橋本龍太郎首相とやりとりしたことが、大沼保昭さんの本に出てくる。

 それなのに、慰安婦に渡すのはカンパだけと早々と表明して、法的謝罪にもとづくものではないことを天下に示したのだ。河野談話の芸術性が破壊されたのである。

 だから、こんご、何らかの措置が必要になるとしても、その教訓を生かさねばならない。しかし、いずれにせよ、慰安婦問題での日本の立場ということでは、その中身は河野談話を堅持するということしかない。

2014年8月26日

 2回続けて書いたけど、結局、何がいいたいのか。自分でも回答なしに書いてきたのだけれど、少し見えてきたかな。

 要するに、慰安婦問題の解決というけれど、何をもって解決だというのかだ。それを根本のところから考えなければならない。

 まず、日本政府に何かをやらせるのを目標とするならば、その政府というのは、他でもない安倍政権だということを前提にしなければならない。河野談話を継承すると口では言っているけれど、誰もそんなことを信じていない。その安倍政権に何らかのことをさせねばならない。

 いや、安倍政権を倒して、正しい歴史認識をもった政権をつくるのが目標だというならそれでもいい。しかし、そういう立場は現実の世界ではほとんど誰からも相手にされないだろうし、そういう人だって、慰安婦が生きているあと数年の間にそんなことが可能になるとは思わないだろう。実際、いまでは奴隷制を肯定する人がいないように、慰安婦の問題だって、数世紀あとには歴史のなかの出来事としても肯定的に見る人はいなくなるだろう。そういう将来を目標にするならいいが、それではいけないのではないか。

 ひとつの回答は、安倍さんの歴史認識そのものを批判するのが目的だということだ。安倍さんが慰安婦問題で心から謝罪して賠償に踏み切ることなど考えられない。それでも、安倍さんの認識の問題点を糾弾し続けるのが、市民運動の役割だというものだ。

 これも、慰安婦が生きているうちに何らかの解決を求めるという点では、遠い立場にあるといえよう。しかも、実際に問題は解決しないわけだから、日本と韓国の現状のような対立関係も続くことになる。実際、この問題にかかわっている人を見ると、一部ではあるが、慰安婦問題を解決するというより、日韓の対立を先鋭化させ、長引かせることを目的としているのではないかと、そんな疑いをいだかせるような人もいる。やはり、ただ批判というのではなく、何らかの「解決」を求めることが必要だと思う。

 目標の性格を変えるというやり方もある。たとえば、日本の原爆被爆者の運動が参考になる。アメリカに原爆を投下され、何十万という方がなくなり、生き残った方々も辛酸をきわめた人生を生きることになった。ところが、サンフランシスコ条約によって、すべての請求権問題は解決済みとされた。日韓条約で韓国の請求権が解決したとされたのと同じである。

 原爆被爆者は、アメリカに対する怒り、恨みはあっただろうが(いまもあるだろうが)、アメリカに賠償を求めることはしなかった。賠償を放棄した日本政府に国家補償を求める運動を起こす。そして、もっと大事なことだが、運動の目標に「核兵器の廃絶」をおいた。そういう崇高な目標をかかげることで団結し、希望をもつことができた。

 慰安婦についても、ああいう姓奴隷を二度と生みださないということを目標にすることも可能である。その点でいえば、1998年の国際刑事裁判所規程で、それが裁かれる対象の罪となったことは、じつは慰安婦を含む人々の叫びの結果なのである。だけど、そういうことは、原爆被爆者が核廃絶を明確に目標としたのと同じような形では、残念ながら慰安婦の目標にはなってこなかったように思う。いまからそういう目標の転換は可能なのだろうか。

 でも、それだけではダメなんだろうな。やはり、安倍さんに何をさせるかが、ことの焦点のように思える。

2014年8月25日

 いろいろな政治的対立を乗り越え、1965年に日韓基本条約を締結した日本側の首相は、佐藤栄作であった。よく知られているように、佐藤は、岸信介の実弟である。

 その佐藤は、岸と歴史観も似ている。「八紘一宇」について、「本当の考えはそういう帝国主義的なものじゃなく世界一家とか人類愛のしそうにつながる崇高な考え方」だと表明している。

 さらに日本側の外相は、椎名悦三郎であった。岸の長年の盟友である。「日本が明治以来、このように強大な西欧帝国主義の牙から、アジアを守り、日本の独立を維持するため、台湾を経営し、朝鮮を合邦し、満州に5族共和の夢を託したことが、日本帝国主義だというのなら、それは栄光の帝国主義」というような人物であった。

 交渉を直接担当する主席代表は、三菱電機相談役の高杉晋一。その高杉は、外務省記者クラブで、次のような発言をしている。

 「日本は朝鮮を支配したというが、わが国はいいことをしようとした。山には木が一本もないということだが、これは朝鮮が日本から離れてしまったからだ。もう20年日本とつきあっていたらこんなことにはならなかっただろう」「日本は朝鮮に工場や家屋、山林などをみなおいてきた。創氏改名もよかった。朝鮮人をどうかし、日本人と同じく扱うためにとられた措置であって、搾取とか圧迫とかいうものではない」

 日韓会談の妥結を左右する3人の歴史観はこういうものだった。しかし、たとえばその佐藤は、最初の所信表明演説で、日韓会談の早期妥結が当面第一の課題であると表明した。

 椎名は、いま引用した考え方について国会で問われ、「私の考え方は多少修正されております」「あくまで民族感情を尊重するという立場に修正されつつあります」とのべている。また、これもよく知られたことだが、はじめて外相として韓国を訪問し、相当あいまいさはあったものの、「両国間の永い歴史のなかに、不幸な期間があったことは、まことに遺憾な次第でありまして、深く反省するものであります」とあいさつした。

 もちろん、思想が変わらないままニュアンスを変えるわけだから、不徹底なものにならざるをえない。しかし、たとえばこの椎名発言が、韓国側の反日感情を相当緩和したことも事実である。

 現在、慰安婦問題がいろいろ議論されているが、「解決させる」といくら大きな声でいっても、その解決策が出てくるとして、それを実行するのは安倍首相である。安倍首相を倒してまったく新しい歴史認識をもつ政権をつくり、慰安婦問題を解決する展望はないだろう。民主党政権でも、自民党政権と本質的に変わらなかったのだから。

 でも、前回の記事、今回の記事で指摘した事実が示すことは、安倍首相のような歴史認識であっても、それを変えなくても、別の動機で慰安婦問題において何らかのことはできるということだろう。それはどんなものだろうかということを、慰安婦問題の解決をめざす人は考えなければならないと思う。