2014年9月22日

 北朝鮮側からの調査報告が遅れるという。被害者家族からすると「残念だ」「信じられない」ということになるだろう。

 だが私は別の印象をもった。北朝鮮の内部で、はげしい闘争が起こっていて、その結果かもしれない。

 この調査って、はっきりいって、「調査」とはほど遠いものだ。自分で拉致したわけだから、どこでどうしているのか、どういう状態に置かれているのか、どうなっているのか、調査せずとも北朝鮮側は分かっている。

 それなのになぜ調査が必要という体裁をとるかのか。そこには、セレモニーという形式的なものにはとどまらない意味がある。日本側にそれなりに満足できる結果を示そうとすると、拉致を実行してきた特殊機関の責任に踏み込まないとダメなので、それなりに内部の調整が必要だからだ。

 おそらく現在、現在の段階で特殊機関が容認できる「調査結果」があるのだろう。しかし、それを提示しても日本側の納得を得られないと、日本と交渉にあたる外務省関係者が判断したのだろうと思う。だから延期されたわけだ。

 これまでの北朝鮮は、きわめてずさんな調査結果を出してきて、「これで終わり」という対応だった。特殊機関が「これ」と言えば、それを出すしかなかったわけだ。そして、重ねて「解決済み」を主張するというものだった。

 けれども今回、延期されたということは、その特殊機関が容認する枠内のものではダメだという潮流が、北朝鮮の側に生まれていることの結果だろうと思う。調整不能な状態になっているのではないか。

 これが「対立」とまで言えるのかどうかは不明である。しかし、納得いく結果が出るためには、北朝鮮内部での闘争と対立は避けることができない。私としては、この行方が日本側の満足する方向に向かうよう、心から願うばかりだ。

 そのためにも、拉致問題の解決は日本側の一致した世論なのだということを、北朝鮮側に示していかねばならない。さらには核・ミサイルの問題を解決することと一体に、国交正常化と日朝平壌宣言の履行があるということを、繰り返し強調していかねばならない。

 特殊機関が国家のなかで特別に優位な権限をもっているって、ふつうの国では考えられない。拉致問題での日本国民の運動は、そういう北朝鮮の異常な体制をただし、北朝鮮国民の利益にもつながるという性格を有するといえるかもしれない。

2014年9月19日

 スコットランドの行方が気になるけど、午後から会議なので、ブログ記事は別テーマで。昨日の続き。

 日本は、当初は植民地支配される対象であった。不平等条約を押しつけられたりして、植民地になるのを余儀なくされようとした。

 だけど、幕末から明治にかけて、みんながんばったんだね。植民地にされないためには欧米のような国家にならないとダメだと自覚し、いろんな努力をしたわけだ。不平等条約といっても、その交渉過程での江戸幕府の人の発言などを読むと、すごく論理的でがんばっていたんだなと思う。さらに明治維新をへて、欧米に使節団を送っていろいろ吸収もして、いわゆる「富国強兵」の道を歩んでいく。

 日露戦争では、欧米のつくった戦時国際法を守ることが、欧米型の国家になりつつあることを知らせるために必要だった。だから、イギリスなどの武官を招いて戦艦に乗せたりもしたり、捕虜を人道的に扱って模範のような評価を受けたりもした。

 この歴史にはさまざまな見方、評価はあるだろう。だけど、アジアのなかで植民地とされなかったことには誇るべきことであって、私はそういう意味で日本の近現代史は全体として肯定的に見なければならないと思う。

 問題は、このなかで、植民地支配をする側に回ってしまったことだ。というか、当時は植民地を支配するのが近代国家の証のようなところがあったわけで、ロシアと争って朝鮮半島を支配することによって、日本は欧米の仲間入りを果たしたとも言えよう。こうして、朝鮮半島を日本が植民地としたことは、欧米から承認されるわけである。

 ところが、日本に支配された朝鮮・韓国は、欧米からは近代国家とみなされていなかったとはいえ、つい数年前までは、日本と同水準の国家だったのだ。何千年もの間、戦争もしたけれど友好関係もあって、同等のつきあいがあったのである。その日本から支配されたことは、朝鮮半島の人々を特別に傷つけたに違いない。

 よく、日本は朝鮮半島を支配したのではなく、同じ日本人として扱ったのだという人がいる。これって、この連載のどこかで書いたように、たとえば慰安婦問題でも日本人と同じに扱わず、成人前の少女まで慰安婦にしたことに見られるように、事実とは異なるものだ。

 同時に、同じ水準の国に支配されることの意味は、もっと深く考えるべきものだ。たとえば第二次大戦でドイツはフランスを侵略し、占領したし、傀儡政権をつくったりもしたけど、植民地にはしなかった。もし日本が朝鮮半島でやったように、フランス人にドイツ語を使わせたり、ドイツ風の名前をつけさせたり、学校でドイツ語しか使わせなかったりしたら、いったいどうなるだろうか。日本の朝鮮半島植民地支配というのは、だから、普通の植民地支配とは異なるのである。

 慰安婦問題って、韓国以外でもいろいろ問題になってきたけれど、他の国の問題は、もう国と国との間の外交問題にはならなくなっている。そのなかで韓国だけが問題を引きずるのは、日本が植民地支配したことが背景にあるのだと思う。それ抜きに韓国の慰安婦問題を論じることはできない。

2014年9月18日

 慰安婦問題を考えるうえで、日本の朝鮮半島に対する植民地支配の問題は、避けて通ることができない。だからそのことを少し書いておく。

 65年の日韓条約締結にいたる過程の交渉において、日本側代表の発言がいろいろと問題になった。そのうちには、植民地支配そのものを考えさせる発言も、いくつかある。

 たとえば、韓国側が植民地支配の違法性を追及したのに対し、日本側が、「世界の列強が朝鮮半島を植民地支配しようとしていた。日本が支配しなくてもロシアがやっただろう」と応えたこともあった。いずれにせよ植民地支配されたのだから、日本だけが悪いとつべこべ言うなという感じだったろう。

 この発言そのものは、おそらくその通りなのだと思う。日露戦争は朝鮮半島の支配権をかけた戦争であって、この戦争でロシアに勝ったから、日本は植民地支配に進んでいった。ロシアが勝てば、当然、朝鮮半島はロシアの植民地になっていっただろう。

 ところで、ある読者から、植民地支配と軍事占領とはどう違うのかという質問があった。戦争があると、軍事力によって他国(他地域)を支配するわけだが、占領はするが賠償などを課した後は撤退する場合もあれば、そのまま植民地として支配する場合もある。その違いはどこから生まれるのかということだ。

 一般的にいえば、軍事占領というのは、近代主権国家同士の戦争の場合に問題になる。相手は主権国家なので(お互いに国家として尊重し合っているので)、たとえ戦争で勝った場合も、その国自体を自分のものにすることはあり得ない。軍事占領した力を背景にして、賠償を課したり、特定の土地を割譲させたりしたら、そのあとは軍隊を引き上げるのである。

 一方、植民地支配というのは、近代国家が無主の地を支配する場合のことだ。欧米的な基準でみて、そこに近代国家がない場合(無主の地の場合)、ある国がその場所を自国のものだと宣言した上で実効支配すれば、そこはその国のものになる。

 これって、本当にその場所が無主の地の場合、それなりに合理的なルールである。誰のものでもない、誰も住んでもいない場所があれば、そこを獲得するための争いが起こるわけだが、ルールが決まっていないとその争いは戦争に発展するのであって、何らかのルールは必要だったと思う。

 ただ、その無主の地というのが、あくまで欧米目線ということだった。アフリカにせよアジアにせよ、そこには部族社会があったり、国家があったりしたわけだが、それは欧米基準では国家ではなかった。自分たちがつくった国際法についての知識もなく、それを守るような国家でない場合、そこは無主の地として植民地支配の対象とされたのである。

 そういう欧米がこの極東の地にやってくることになる。そこには近代国家とはいえない日本、朝鮮、中国があった。当然のこととして、この3国は欧米にとって植民地支配の対象である。しかし、その日本がどういうわけか支配する側にまわり、朝鮮半島を支配した。そこに慰安婦がずっと問題になり続ける背景のひとつがあるように思う。

2014年9月17日

 昨日は福島。福島を中心にして3800名以上が原告となり、原発事故を起こした国と東電の責任を追及する裁判がやられている。その法廷を傍聴してきた。

 この裁判の意義、中身を明確にしたのが『あなたの福島原発訴訟』という本。「みんなして「生業を返せ、地域を返せ!」というスローガンがサブタイトルになっている。

 裁判の本をつくっているのだから、その裁判の様子くらいこの目で見ておきたかったということもある。また、この裁判の原告団・弁護団が10月2日、福島市の音楽堂で『福島の過去・現在・未来を語る』というシンポジウムを開くのだが、私がそのパネラーになってしまっていて、裁判のことを肌で感じておかねばならなくなったという事情もある。

 傍聴して、とても感動した。裁判というと、原告と被告が決まり切ったことを言い合い、裁判官が決まり切った判決を下すというイメージをもつ人もいあるだろうけれど、そういうものではない。本当に心を打つ弁論があれば、裁判官の心を動かすこともできるし、舌打ちしたくなるような被告の発言に対する傍聴席のため息も、それはそれで裁判官とも共有できるのだということが分かる。

 ところで、新幹線に長い時間乗っていたので、本を1冊読了した。フランクルの『夜と霧』の新訳(池田香代子訳)である。というか、フランクルが70年代に改訂版を出して、その訳ということになる。

 その改訂版では、旧版に存在しない重要な箇所がある。米軍が進駐してきてユダヤ人を解放する場面で、ドイツ人のある看守を助けてほしいとユダヤ人が米軍に要請し、それを飲ませるというエピソードだ。我々の感覚では、ドイツの看守はみんなひどい人というものだろうが、現実はちがっている。同じドイツ人でも、いつも横暴に暴力をふるう人もいれば、一度もふるわない人もいるということだった。

 福島の法廷では、被告側国と東電から20人ほどが参加していた。みんな一様に黒い服を着て、黒いキャリーを引いてきて、どんな証言があっても顔色を変えないし、全員がひどい人に見える。だけど、そういう人の心のなかをのぞいてみると、じつは国や東電のやり方に納得していない人もいるかもしれない。

 だからこそ、法廷をなおざりにすることなく、国や東電は何を言っても変わらないという立場ではなく、変わるのだと信じて真剣に心から訴えることも大事なのだと思う。そのことが何かももたらすのだと思う。本当に勉強になった一日だった。

2014年9月16日

 慰安婦問題をかかげる市民運動のなかでは、吉田証言に信頼性がないことが、早くから分かっていたと言われる。朝日が今頃取り消したのは遅いというわけだ。それはそうだと思うけれど、朝日も市民運動も、いわゆる「強制連行」とか「強制」に引きずられたことは間違いなく、それは吉田証言の影響である。

 「強制連行」というのは、本人に意思に反して無理矢理連れて行くということである。そんなことがあれば、たとえ植民地支配下であったとしても、絶対に許されない違法行為である。

 そういう許されないことがあったという吉田証言があったために、その後、慰安婦が名のり出た際、「あなたは強制連行されたのかどうか」ということが、問題の重大さを判断するメルクマールみたいになってしまった。強制連行されたかどうかで、その行為が重大だったかどうかがちがってくるということになるので、名のり出た慰安婦にも大きなプレッシャーになっただろうと思う。親に売られたのだと証言すれば、朝日新聞も市民運動も気にくわないということになるのだから。

 慰安婦問題の重大さは、そんなところにはなかった。それを誤らせたのが吉田証言なのだ。では、慰安婦の何が問題だったのだろう。

 軍隊が戦争するに際して、兵士に対しては命を差し出せと求める。女性に対しては体を差し出せと求める。そういう制度を政府がつくった。日本やドイツは公式的に、国民の反発の強いアメリカやイギリスでは非公式に。

 まず、そのこと自体が問題だ。いま、アメリカやNATOがアフガニスタンで十数年にわたる戦争を遂行しているが、慰安所をつくるかどうかなど問題にもならない。そういうものを日本がかつて堂々とつくり、いまなおそれを正当化しているように見える(ただ見えるだけか、本当に正当化しているかは微妙)ことが、国際的な批判の対象となっている(いま問題にならないのは、かつての戦争が勝敗が決するまで兵士が帰国できなかったのと異なり、派兵がローテーションになって休養ができるようになったという変化も反映しているのだが)。

 しかも日本は、植民地である朝鮮半島の女性に対しても、体を差し出せと求めた。日本から戦地に行った慰安婦の多くは、貧しい農村から売られて、戦時下にはすでに公娼になっていた人たちだったが、韓国からはまだ職についたことがない年若い女性が対象にされた。慰安婦否定派とされる秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』を読むと、日本軍が経験豊かな日本人だけでなく、朝鮮半島から来るうぶな慰安婦を渇望していた様子が活写されていて、恥ずかしくなるほどだ。前にも書いたが、21歳以上の女性の売買は国際条約で禁止されていたのに、日本は、それを植民地には適用しないことで(日本だけでなくどの国も適用除外したわけだが)、そういう女性を戦場に集めたのである。

 市民運動がこういうことを問題にしたなら、それこそ秦郁彦氏なども含め、一致できるものになったはずである。そういう女性を日本がかつて集めたという日本の政治的、道義的責任を問題にするというならだ。

 しかし、朝日も市民運動も、それでは満足しなかった。法律違反の「強制」にこだわったのである。違法だということは、法律に違反したものを裁けということであって、実際、市民運動は、実行行為者を裁判にかけ、有罪にすることを求めたりした。民間法廷では、慰安婦制度に根本的に責任があるとして、天皇に対しても有罪判決を下した。

 この結果、「ああ、市民運動をやっている人が政権につけば、天皇が法廷に引きずりだされ、何十年も前の「罪」が暴かれ、有罪になって牢獄につながれるのだ」というイメージを植え付けた。私が学生の頃、ある大学当局者が大学民主化闘争の頃をふりかえり、「団体交渉で学生に反論したら、「政権を奪ったら人民裁判にかけてやる」とすごまれた。怖いと思った」と告白していたけど、それと同じ感じを国民多数はもっただろうか。

 そのような思惑優先で集めた「強制」の証拠だから、個々には貴重なものがあったとは思うが、天皇を有罪にするほど日本国全体が組織的に朝鮮人女性を「強制連行」したかということでは、やはり説得力に欠けた。そして国民の支持は、90年代半ばを最頂点にして、どんどん減り続けていった。

 市民運動って、多数をめざすなら、どういう対決構図をつくるのかが大事である。多数をめざさないなら、ただ理念をかかげて突っ走ればいいのだけれどね。