2014年9月5日

 慰安婦問題では、社会的な合意形成が必要だと思う。そういう種類の課題だと感じる。

 この問題、いまの構図は、左右の対立である。右と左がそれぞれ相容れない目標をかかげ、相手の間違いを正すことによって、自分の目標を達成しようとしている。

 だけど、その構図のままでは、いつまでたっても対立は続く。その結果、当の慰安婦は置き去りにされたままになるだろう。

 対立が続くのは、この問題には歴史観がからむからだ。イデオロギーを変えるのは難しい。慰安婦にさせられたことだけなら歴史観はあまり関係ない。だけど、韓国の慰安婦が問題になるのは、植民地支配の過去をどう見るかという歴史観と深くかかわっている。同じ慰安婦であっても、日本人慰安婦はほとんど取り上げられてもいないし、韓国以外の慰安婦問題が河野談話を契機に政治決着されたのと異なり、韓国人慰安婦が問題になりつづけるのは、植民地支配という固有の問題があるからだと私は観じる。日本に植民地支配され、日本人の慰安婦とされたという、韓国の女性固有の感情がからんでいる。

 植民地って、左翼の歴史観にとってみれば、当然違法なもので、謝罪されなければならないものだ。そういう歴史観が次第にひろがって、現在、国際的にみても、植民地などあり得ないという合意がある。

 だけど、じゃあ過去に植民地支配したことまで違法かというと、日本の右派だけでなく中間的な人も合意できないだろう。日本だけではない。世界的にみても、植民地支配の先輩である欧米諸国が、自分の過去の行為が違法だったと表明したことはない。そういう歴史観は、歴史修正主義には属さない。

 だから、この問題は、相手に自分の歴史観を採用せよというやり方では克服できない。数世紀後にならできるかもしれないが、すぐにはできない。

 ということで、そういう現実を前提にして、何らかの政治決着が必要なのがこの問題なのだ。歴史観と完全におさらばすることはできないが、だれもが少しの不満を抱えつつ、「この程度なら仕方ないよね」という社会的な合意形成をしないと、問題はいつまでたっても解決しない。解決しない方が、そして日韓の対立が続く方がいいのだと考える人は、そういう合意に加われないだろうが、大多数はそうではないと信じる。

 そして、そういう社会的合意をつくれるとすると、右でも左でもなく、右と左の双方から批判される勢力だと思う。朝日は、慰安婦報道では、これまで圧倒的に左だった。だけど、検証報道によって、両方から批判される立場になった。その立場を生かして、社会的合意形成に努力してほしいというのが、私の希望である。黙っていても左右から批判されるのだから、中途半端に黙ったりせず、覚悟を決めて取り組んでいただきたい。

2014年9月4日

 一転、池上さんの文章が載ることになった。いいことだけど、今回の問題で傷ついたことは完全に修復することはないだろう。池上さんのコメントも突き放したような感じを受ける。

 また、身内からの批判があって、それが表に出てくることは、言論機関としてまだ生き残れることを示しているとは思う。ただ、なぜ掲載拒否という判断をして、どういう議論があって、最後は載せるということになったのかについても、何らかの検証と公表が必要だと思われる。

 私のこの記事は、朝日の慰安婦検証記事に「欠けていること」を書くことを目的としている。だけど、それは明日に延ばして、池上さんの記事を見て感じたことを一言だけ。

 池上さんの書いていることは、おそらく多くの方が共通して感じたことだろうと思う。その中身について朝日がどう考えるのか、よくよく説明していかないと、読者と朝日の溝は埋まらないと思われる。

 池上さんがあっさりと書いていて、私が「これは問題だな」と感じたのは、他の新聞も同じ間違いをしているのだと弁解していることだった。それ自体は事実だし、そういう事情があることも理解するが、当事者がそう言っては身もふたもない。

 しかも、他の新聞は、早めに方向転換したわけだし、朝日が30年もかかったことの説明になっていない。当事者は自分自身の検証につとめるべきだ。

 それに、この言い方がすごい違和感をもたらすのは、慰安婦問題での橋下さんの言い方と同じだからだ。日本がやったのは悪いけど、他の国もみんなやっていたではないかという、あの言い方である。

 おそらく、慰安婦問題を憂えている方の多くは、橋下さんの言い方を見て、聞いて、慰安婦問題で橋下さんが何らかの反省をしているとは感じないだろう。自己弁護のように捉えるはずだ。それと同じようなものを感じさせるわけだから、やってはいけなかった。

 ただ、私がいちばん問題だと感じるのは、そういうことではない。その検証をふまえて、朝日は慰安婦問題をどうとらえ、どう解決しようとしているのか、そこが見えてこないことである。そこが欠けていることである。

 強制連行はなかったけれども強制性があったので本質は変わらないということなら、これまでと同様、法的な謝罪と賠償が必要だと言うのか。あるいは、そこが明記されていないことをとらえて一部の方が批判しているように、「決着済み」という政府の考えに近づいていくのか。そこは何も書かれていない。(続)

2014年9月3日

 うちの会社が『ロスジェネ』という若者雑誌を手がけていた時期があった。残念なことに4号で終わったのだけどね。

 「ロストジェネレーション」というのは朝日新聞が流行させた言葉だが、就職氷河期に社会に出ざるを得なかったということが若者から雇用を奪い、希望を奪っていることを突いていた。同時にそこから、それ以外の時期に就職できた人への恨みなども感じられて、社会に分断をもたらしかねないキャンペーンでもあった。うちの『ロスジェネ』は、それとは異なって、「希望は連帯」というスローガンをかかげ、追い詰めるべき相手を見失ってはならないことを呼びかけていた。

 朝日のロスジェネ報道を当時強く批判していたのが内田樹さんである。このキャンペーンが本になったとき「帯文」の執筆を頼まれたが、ゲラを読んだ上でそれを断ったことを公言しておられる。「朝日新聞がこれほど無内容な理論を全社的なキャンペーンとして展開しようとしたという事実に日本のメディアの底なしの劣化を僕は感じました」(『呪いの時代』所収)。

 だが、朝日新聞は、その内田さんをその後、紙面審議委員(正確な呼び方は忘れた)として迎えた。みずからへの批判を受けとめる謙虚さがあったのだ。

 だけど、いま、それと真逆なことをしているということで、池上彰さんのことが話題になっている。朝日を含めて各紙を論評する連載で池上さんが朝日の慰安婦報道に批判的な言及をしたのに対し、新聞側は「載せない」という対応をとったというのだ。

 正確な事実経過はすぐに明らかになるだろう。だけど、左翼って、追い詰められると我を失うというか、理性的な対応ができなくて、行政的な対応になってしまいがちであるが(朝日を左翼といえるかどうかは知らない)、同じようなところに陥っているようだね。

 問題になっている朝日の慰安婦検証企画は、私が書いている本に直接かかわっているので、興味深く読んだ。すぐに感じたのは、右と左の両方から批判が寄せられるだろうなということだった。

 左からは、法的な謝罪と賠償を求める姿勢もいっしょに転換するのかという疑念が出されるだろう。右にしてみれば、これでは不十分だ、誤報を謝罪せよということになるだろうと思った。

 その通りの展開になっているのだが、誤報問題への批判が、いわゆる右派論壇にとどまらず、わりと広範囲にわたりはじめているのが、現在の特徴だと思われる。今回のように行政的な対応をしていると、慰安婦問題での見解にかかわらず、朝日新聞は信用できないという社会的な雰囲気が醸成されることになるのではないかと推測する。

 ただ、私は、すごく欠けていることはあるけれど、朝日の検証記事については高く評価する立場である。左右の両方から批判が出るということ自体が、慰安婦問題では必要だと感じるからだ。(続)
 

2014年9月2日

 筑摩書房の読書人向けPR誌に「ちくま」というのがあります。岩波の「図書」のようなものですね。

 そこで文芸評論家の斎藤美奈子さんが「世の中ラボ」という書評欄の連載をもっています。9月号で54回目になるんですね。

 その54回目、「集団的自衛権をちゃんと勉強しよう」というもので、4つの本が取り上げられています。柳澤協二さんの『亡国の安保政策』(岩波書店)、石破茂さんの『日本人のための「集団的自衛権」入門』(新潮新書)、豊下楢彦さんと古関彰一さんの『集団的自衛権と安全保障』(岩波新書)、そしてなんと私の『集団的自衛権の焦点 「限定容認」をめぐる50の論点』(かもがわ出版)でした。

 いや、そうそうたる著者のなかで、なんだか私だけ浮いている感じ。でも、感謝。

 内容の詳しい紹介はしません。私の本の紹介部分だけ抜き取るには、複雑な構造になっているのでね。最初に、柳澤さんと私の本について以下のような総括的な感想をのべつつ、2つの本のエッセンスを紹介してくれます。

 「やや観点の異なる2冊を読むと、この案件は「日本は戦争ができる国になる」というほど単純でもないかわり、「これで日本の防衛が強化される」というほど有効でもないことがわかるだろう。いやむしろ、今回の解釈改憲=閣議決定で日本の治安は悪化するのではないか、という不安さえ頭をよぎる」

 そのような角度で、最後に石破さんの本を批判するというのが、この書評の構造です。そのなかで岩波新書が少し引用されるという感じ。

 これらの本のなかでの私の本の位置づけは、最後にある3つの本(岩波新書を除く)の紹介文で尽きているかな。以下の通りです。

 「著者は外交・安全保障を専門とし、10年以上前から集団的自衛権を批判してきたジャーナリスト。安保法制懇が提出した報告書をもとに、集団的自衛権のA〜Zを懇切丁寧かつ批判的に解きほぐす。語り口は穏やかだが、アメリカしか見ていない首相と法制懇が考える集団的自衛権は、冷戦後の国際的な流れとちがって「一国平和主義ならぬ二国平和主義」だと語るなど容赦がない。最初の1冊としてはこれがオススメ」

 まず、私の本を買いなさい(読みなさい)ということです。うれしいですね。「ちくま」9月号は、数日後くらいから大手書店におかれると思います。

2014年9月1日

 平日はずっとブログを書いてきました。本日だけ書かないと、毎日見に来る人が「何かあったのかな?」と、心配になるかもしれませんね。だからということで、書いておきます。

 そうです。本日は安静にしているんです。朝、、病院に行ったら、あまり足を動かすなということで。

 いやあ、2年半ほど前、骨折したときも、一日も休まず仕事して、出張もこなしたんですけど(東北三県とかにまで)ね。本日は休みました。

 骨折よりすごい病気ということはありません。大事をとってということで。明日からは普通に仕事する予定です。

 ということで、大事なことは書けません。読んだ本は『東京プリズン』。小説の新たな可能性を示したものでしょうけど、母と娘の関係を軸にした展開が、男の私にとっては理解できない部分があったかなあ。

 一日ずっと考えていたのは、慰安婦問題ですね。宣言しているように、『超・嫌韓流』を書いているからですが、最近の出来事があって、書く中身には変化はないと思いますが、書く角度はかなり変わりますよね。

 そうです。朝日新聞問題です。慰安婦問題というより朝日新聞問題みたいになってきて、それを抜きにして論じることが不可能になりましたから。

 この問題が生じる前(朝日の連載の前)、この新聞の幹部と飲んでいたときのことですが、日本の左翼が弱くなった結果、あらゆる批判が朝日新聞に集中することを嘆いていました。いや、嘆いていたんではなく、誇っていたのかな。批判されるだけ強い証拠なのだということで。

 でも、今回の問題は、へたをすると、朝日の凋落と左翼の壊滅につながっていく可能性がありますよね。日本の左翼は、この問題にどう立ち向かっていくのか、そのことも試されていると思います。私の回答は、『超・嫌韓流』で示します。