2014年10月17日

 以下の寄稿を行いました。掲載は月末か来月初めでしょうか。

 日米両国政府は、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」見直しの作業を行ってきたが、11月8日、そのための中間報告をまとめた。早ければ年内にも最終的な結論を得る方針だという。

 ガイドラインとは、1978年に最初に策定された時点においては、日本が武力攻撃を受けた時(日本有事)の日米協力のあり方を定めるものであった。日本は、あくまで日本有事に際して、アメリカと協力して防衛行動にあたるという建前だったのである。それが97年の見直しにより、日本が武力攻撃を受けていなくても、「周辺事態」(我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態)であれば、「後方地域」において米軍を支援するものへと変貌を遂げることになった。

 今回の見直しは、集団的自衛権の行使を容認した7月1日の閣議決定をふまえ、ガイドラインにその内容を反映することが最終的な目的である。中間報告にもそれは明示されている。その点では、閣議決定への批判がそのままガイドラインへの批判になるのであって、日本が海外で戦争する道を切り開くという本質は変わらず、ガイドラインに特化した新しい批判の論点が存在するわけではない。

 しかし、中間報告の手法は、閣議決定のそれとはかなり異なるものであるように思える。性格としては似たようなものだが、ふたつの特徴がある。

 ひとつ。閣議決定の際、集団的自衛権は、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」にのみ行使するとして、個別的自衛権とあまり変わらないもののように描きだされた。世論の反発をかわそうとする意図が見え見えだった。これは、「周辺事態」の定義とそう変わらないものであり、閣議決定の手法を貫こうとするなら、「周辺事態」のような場合に日本の米軍支援をどう拡大するのかという接近方法もとれたはずである。ところが、中間報告は逆に、「周辺事態」という考え方をなくし、どんな事態であっても米軍を支援するのだという、驚くべきアプローチをとっている。

 ふたつ。閣議決定後の記者会見で、安倍首相は、湾岸戦争やイラク戦争のような戦争に日本は参加しないと明言した。ところが、中間報告は、米軍を支援するのは「後方地域」に限るという現在のガイドラインの考え方を否定することによって、「戦闘地域」への自衛隊派遣に道を開くことになった。湾岸戦争のようなものであれイラク戦争のようなものであれ、後方支援のためなら戦場にまで出向くということなのである。

 これはふたつとも、集団的自衛権の本質を正直に示すものといえる。自衛隊による米軍支援は、閣議決定の際に強調されたのとは異なって、日本の存立を全うするために行われるものではないということである。日本の平和と安全に関係のない事態において、世界のどこにでも自衛隊が出て行き、軍事行動を推し進めるということである。

 なぜこのような手法の違いが生まれたのだろうか。それは、閣議決定は政治の文書であるが、ガイドラインは実務の文書だということであると思われる。別の言葉でいえば、閣議決定はあくまで世論対策であったのに対して、ガイドラインは、戦争現場で米軍をどう支援するかという、実際の必要性から生まれた文書だということでもある。軍事的合理性から考えれば、事態ごとにやるべきことを違えるのではなく、閣議決定にも中間報告にもあるように、どんな事態にも対応できる「切れ目のない」支援こそが求められているということでもある。その点では、集団的自衛権の本質は、今後もガイドラインのなかにこそ明瞭にあらわれると言えるかもしれない。

2014年10月16日

 今回の韓国ツアーの大事な目標は板門店を訪ねることだった。訪ねたからといって何かすごいものが得られるわけではないだろうが、安全保障に少しは関わっているものとしては、どうしても外せないものだったわけだ。

 土曜日のツアーだったのだが、大型バス2台で行く。減り続けているとはいえ、日本人客も3割ほどいて、日本語ガイドもついている。昼までで往復するツアーもあったが、板門店だけでなく周辺の非武装地帯とか、そこから眺める北朝鮮にも興味があったので、丸一日のコースにした。

 感じたのは、韓国の余裕というものだろうか。そもそも、板門店ツアーで儲けるということ自体、この地域をアンダーコントロールに置いているという自信がないとできないことだと思う。

 時として北朝鮮との間で緊迫した事態が生じることもあって、訪ねる数日前もそうだった。そういう時は中止になるのかとガイドの方に聞いたら、ずっと仕事をしているけれど、天候などで中止になることはあっても、軍事情勢の緊迫で中止になった記憶はあまりないとのことだった。

 中止といえば、近くは4年前の延坪島砲撃事件の時だったらしい。あの時は民間人に犠牲者が出るほどのことだったからね。そういうことでもない限りツアーも実施するわけである。

 そういえば、4年前の事件って、沖縄県知事選挙の真っ最中だったんだよね。絵に描いたように銃撃事件が起きて、韓国の民間人が殺されて、南北関係が緊張する。それに応じて米軍のプレゼンスの重要性が強調されるという流れができて、そのなかで県知事選挙に突入したわけである。

 当時やっていたブログで、そういう事態のなかで県知事選挙を闘うことになるのを嘆いてはダメだと書いた。そういう事態でこそ左翼が頼りになると国民から思われるようにならないとダメだろうなという気持ちだった。

 今回もそういう事態の再現を望むわけではない。だけど、普天間基地撤去という翁長さんの政策に対して、現職陣営は「抑止力の大切さ」で押してくる。そのためには少しの緊張も大きく描くことになるだろうし、やはり情勢が緊迫したときこそ左翼の出番だと思う気持ちの強さがないと、こういう選挙で確実に勝利することはないと思う。

境界線

 ところで、板門店での写真をアップ。右下に段になったところがあるでしょ。これが南北の軍事境界線である。その右が韓国、左が北朝鮮。ということは、私のいる場所、北朝鮮側なんですよ。

2014年10月15日

 韓国から14日中に帰国予定だったが、その便が関空に到着する予定時間帯は、ちょうど台風が岸和田に上陸する時間帯と重なっていた。ということで、当然、飛行機は飛ばず、昨夜ようやくたどり着いた次第である。

 疲れ果てた状態で行って、現地では最悪の健康状態だった。だけど、まあ基本はバスとかでの移動だし、締めきり仕事を持っていかず、毎日10時間ほど寝たので、現地にいる間に体調が回復したという感じかな。

 いろいろ勉強になった。大韓帝国歴史博物館のオープン記念日にちょうど行き会わせ、日本人として最初のゲストになったりもしたし(超レアな記念品ももらえた)。つけられた大韓帝国という国の名前が示すように、韓国も日本と同様、「帝国」となって国際法基準で一人前国家になりたかったんだね。皇帝が『万国公法(国際法)の基礎』なんてタイトルの本を必死に読んだわけだ。それが叶わないまま植民地になっていくわけだが、そのあたりの心情に対する考察というものも、韓国に関する本を書くためには不可欠な要素ではある。

 慰安婦問題では、挺対協の博物館を訪れたわけだが、予想通りであった。全体として意味のある展示だと感じるが、やはり河野談話への敵意というのが、この博物館のベースにある。日本語で流れていたアナウンスでも、日本の責任を回避するために文書という位置づけである。

 そう、現在、河野談話は、左と右の偏狭な部分から攻撃にさらされている。これをどうするかが、この問題のキーポイントであると思う。

 発表当時は、右側の全体は「不満はあるが、これで収まるものなら仕方ない」という位置づけだった。国民全体も「この線で行こう」という感じだったと思う。

 だけど、挺対協をはじめとする左翼、市民運動は、この談話を口を極めて批判をした。その結果、談話で鉾を納めようとしていた韓国政府も態度をかえ、日本に対する補償を求めるようになってくる。

 その結果の結果、右側は「これで収まらないなら白紙だ、収まらない元凶は河野談話にある」として、談話への評価を変えていく。中間派も、何回謝っても収まらないなら、もう謝りたくないとして、右側に寄っていくわけだ。

 慰安婦問題を解決し、終わらせるには、中間派も右派も一時はOKした河野談話を堅持するのを基本とする以外にはない。彼らがかつての立場に戻るための論理を考え方を提示していかねばならない。

 くわえて、挺対協のような立場の人びと、団体をどうするかが考えどころである。河野談話を支持しないなら、「もう一緒にはできないね」ということになるのか。もちろん、右であれ左であれ、すべての人が最後まで一緒に行くということは、この問題ではないのかもしれない。

 あるいは最後まで説得を続けるのか。もし説得できるとすると、昔は河野談話を否定したが、いまは賛美する側に回った人たちだろうね。なぜ以前は批判をしたが、いまは大賛成なのか、その論理を分かりやすく挺対協に提示できれば、心が解けていくかもしれない。もちろん、私は私なりに、何らかのものは提示するつもりである。

2014年10月9日

 明日(10日)の早朝、韓国に旅立ちます。ということで、これまで平日にはずっと記事を書いてきましたが、明日は異例の休載ということになります。悪しからず。

 韓国行きのいちばんの目的は、来年、慰安婦問題で本を書くからです。その本のなかでは、安倍政権のことを批判するのは当然ですが、韓国側の対応についても批判を加えるつもりです。だけど、私はこれまで、北朝鮮には行ったことがあるんですが、韓国はまだなんですよ。批判する相手の国や、批判する市民運動団体に行きもせず、遠く離れた日本から批判することはやりたくなかったんです。

 慰安婦問題では、いろいろ考えることがあります。とりあえずの私の問題意識は、法に違反するような強制はしなかったという日本政府の主張も、意に反する強制があったという慰安婦や韓国政府の主張も、両方がおおむね間違っていないのではないかということです。

 これって矛盾していますよね。強制していないというのに強制されたということですから。だけど、両者がそう言っているわけです。二律背反。

 これまでは、その矛盾を解決するために、お互いが、相手の側の認識が間違っていることを論証しようとしてきました。日本の側は、韓国側の主張の根拠となっている慰安婦の証言が間違っていると主張してきました(ねつ造だとか)。韓国の側は(それを支援する日本の市民運動もですが)、強制せよという方針文書は焼却されたのだとか、文書で残すようなへまはしないだろうとか、そういう主張をしてきました。あるいは、個別の証拠を持ちだし、全体がそうだったのだと強調してきました。

 だけど、私は、相手の主張を完全否定するようなことをする必要がないと考えます。日本政府が強制するつもりはなくても、慰安婦の方が強制されたと感じることはあると思います。そこに、この問題をとらえるカギがあるし、解決方法もひそんでいるのではないかと推測しているのです。

 韓国では、そこらあたりを、つらつらと考えてきます。現場の雰囲気って大事ですよね。

 ソウル以外では板門店にも行く予定です。南北関係が緊張して、板門店行きのバスが動かなくなることは懸念事項ですけどね。

 いやあ、この旅行(出張?)が終わると、平壌、板門店、ソウルの3つにの都市に行ったことになります。そんな人、日本人では(韓国人でも)、数えるほどしかいないでしょうね。だからといって、発言に説得力がでるわけではないでしょうけど、何か書いたり、しゃべったりするのに、迫力はでますよね。どうでしょ。

 では、休暇の明ける来週の火曜日に、このブログで再会しましょう。すごい台風が帰国予定の13日に関空あたりを通過しそうで、一日遅れるかもしれませんが。

2014年10月8日

 突然つくることになった本です。「異議あり開催計画! 2020年東京オリンピック・パラリンピックを考える」。

 編著は「革新都政をつくる会」。東京の本を京都の出版社がつくるって、全国的な意味のある本なのでうちはいいんだけど、東京の出版社さん、いいんですか?

チラシ・オリンピック

 まあ、ふつうの出版社なら、とうてい引き受けないスケジュールです。だって、昨日にどっと原稿と資料が寄せられて、月末には本にして納品するというんですから。ということで、あわてて書店向けチラシもつくりました。

 来年2月、オリンピック組織委員会と東京都は、IOCに最終的な開催計画を提出するそうです。それに向けて、いろんな人たちが、「こんなオリンピックにしよう」という声をあげていて、そのための世論づくりに使われる本ということになります。

 あまり関心がありませんでしたが、オリンピック憲章とかIOCがつくったアジェンダ21によると、オリンピックの目的は「人間の尊厳保持」であったり、「平和な社会の推進」であったり、「社会的排除と闘う」「貧困と闘う」ことであったりするようですね。だから、ロンドン・オリンピックでは、低所得者に配慮した住宅計画などを含むロンドン・プランがつくられ、それにそってオリンピックも計画されたとか。施設の建設など最小限にとどめられたそうです。

 ところがご存じのように、東京オリンピックに向けては、建設計画のラッシュです。駒沢競技場などは使わず、新国立競技場を巨額の建設費でつくったりもします。アベノミクスの第4の矢ということで、地下鉄とかもつくられます。すごい計画ですよね。

 今回の本は、そういう動きを強く批判します。そして、全ての人びとのためのスポーツへの転換、社会的排除や貧困との闘いの重視、環境にやさしい持続可能な社会の構築などを展望し、そこに位置づけられるオリンピックにしようという提案の本です。

 オリンピックのやられる夏って、ヨーロッパの北中部は別にして、「暑い」という感じがありますよね。最近はとくにそうです。実際に参加する選手にとっても、ホントに夏に東京でやるのがいいのかという問題もあります(7月24日から8月9日だそうです)。

 だけど、記憶になかったけど、ソウル・オリンピックは、9月17日から10月2日だったとか。東京が夏になったのは、放映料の最大の負担者であるアメリカへの配慮だそうです(アメラグとバスケのオフだとか)。いろいろ考えさせられます。

 まあ、とにかく、突貫工事です。がんばります。