2014年12月3日

 本日は、公示翌日にふさわしい、まさに政治の日かな。私にとってもね。

 午後は3時間近く、ポスト資本主義をめぐる議論である。とくに、それに向かっての改良と革命という話。

 先月、朝日新聞社の「アエラ」に、「幸せな資本主義は可能か」という特集が出ていた。これが特集になるほど、資本主義でやっていけるのかどうかということが、世間の話題になっているということである。

 そこで佐藤優さんが言っていることが印象的であった。資本主義ではダメだということでポスト資本主義論がさかんであるが、それをいま提唱しているのは水野和夫さんなど、いわゆるマルクス主義者ではない人であって、既存の左翼勢力からは出てきてないということだった。

 まあ、そうだよね。いまの選挙でも、資本主義の次の社会をめざそうという議論は、どの政党からも出ていない。論壇と政治の間に乖離があるのかもしれない。

 だけど、たとえば原発事故があって、それ自体からも、その後の東電の対応からも、いったい資本主義のままでいいのかということは問われているわけである。もうけ優先で、そのために事故も起こし、賠償の責任も果たさないわけだから。

 もうけ優先の資本主義という状況下で問題が起きているのに、やはり資本主義の枠内で解決するというアプローチなのだろうか。資本主義ではダメであって、東電に責任を果たさせるためには、東電を社会が把握していくという(生産手段の社会的所有)アプローチは問題外なのか。

 まあ、こんなあたりをずっと議論していた。改良と革命というのかな。いや、資本主義の枠内が革命であって、社会主義になるのは革命ではないという議論もあるから、改良と革命といっても、全然議論のありようが違うのかもしれない。こんな問題が、そのうち本になる可能性はあるのかなあ。

 これから夜になっていくが、まだ東京で仕事がある。なんと、この日本に忽然と出現した30代の若いレーニン主義者とお会いするのだ。なんとも楽しみである。

 その後、最終電車で京都へ。なんとも忙しい東京出張だった。

2014年12月2日

 3.11の直前だったと思うが、NHK教育放送で、菅原さんが福島県の自由民権の歴史と伝統を訪ねる旅の企画があった。菅原さんがそういうものに関心を持っていることを全然知らなかったので、とても新鮮だった。

 いや、後で知ったのだが、何かのテレビのインタビューが菅原さんのご自宅でやられたそうだ。そうしたら、後ろの本棚には、難しそうな専門書が並んでいたそうで、すごい勉強家なんだね。

 ところで、その福島の旅を案内する役をしたのが、大和田さんという方だ。福島で高校の社会科の先生をしていたという。

 3.11の後に知り合った別の福島の高校の先生に聞いたのだが、大和田さんは福島では反原発の闘志として名高かった。そして、菅原さんを案内している最中、原発のことを徹底的に菅原さんに話したそうだ。それを菅原さんが「うん、うん」と聞いていたとか。

 その話を聞いていたものだから、震災後、菅原さんが原発問題で積極的に発言し、行動するのを見て納得していた。「いのちの党」をつくったときは、さすがにびっくりしたけれども。

 その菅原さんから、ある出版社を通じて、「伊勢崎賢治さんと会いたい。対談がしたい」というオファーが来たのは昨年末だったろうか。弊社から出ている伊勢崎さんの『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』とか『アフガン戦争を憲法九条と非武装自衛隊で終わらせる』を読んだそうで、体を張って戦争を止める伊勢崎さんの生き方に惚れ込んだということだった。

 その仲介をして、対談は実現した。いつか活字になって出ると思う。

 その際に、菅原さんにお手紙を出して、いつか菅原さんが大和田さんを案内役にして、福島の原発関係の土地を訪ねる旅をやって、それを写真集にしたいとオファーをしたのだ。奥様からご返事がきて、興味深い話だけど、もう少し内容を膨らませたらいいと思うので、検討させてほしいということだった。

 この企画、菅原さんがお亡くなりになったことで、もう日の目を見ることはない。残念だけれど、晩年の菅原さんと少しで交流できたことは、そして菅原さんが沖縄の選挙をはじめ、すごくがんばっておられるのを目にできたことは、ずっと記憶に残ると思う。

 菅原さん、ご苦労様でした。ゆっくりとおやすみになってください。

2014年12月1日

 昨日から東京。3日(水)まで日程がびっしり詰まっている。その空き時間をつかって、3月に出したい福島関連本の原稿チェックというか、リライトの仕事もしなければならない。いや、大変。日程の3分の1は、やはり福島関連。なんで、こんなに足を突っ込むことになっているのかなあ。

 ところで、今年の流行語大賞は「集団的自衛権」だそうだ。いま、前に座っている東京事務所の社員が、それを聞いて怒って、「それって、流行語程度のものにしていいんですか!」だって。

 そっか、そういう見方もあるか。私なんか、自分の本がまた注目されればいいなと、浅はかな思いを抱いたのに。恥ずかしい。

 ただ、それでも、「集団的自衛権」が言葉としても人の目にふれ、耳にする機会が増えるのはいいことだ。選挙が明日は公示になるというのに、自民党は選挙公約でこの言葉さえ使わないしね。それなのに、集団的自衛権の閣議決定を批判されると、居丈高に非難をくわえる。

 安倍さんに欠けているのは、「日本国」の首相という自覚だと思う。自民党の総裁は、他の政党の党首と異なり、「日本国」を代表している。その自覚がない。

 集団的自衛権をめぐっても、自民党総裁としての安倍さんは、批判者には反論しなければならないだろう。だけど、首相としての安倍さんは、国民の多数は閣議決定に賛成しておらず、自分はそういう国民をも代表しているという自覚が必要だ。

 この間、話題になっているが、フェイスブックでの対応は、まさにネット右翼の代表としての言動である。テレビに出て、自分への批判があると、不公正な扱いがされているかのように振る舞う。

 昔の自民党の首相や大臣は、対立する党派の紹介で陳情団が来たときなんか、「いやあ、○○党の先生は立派な方ですよ。そんな方の陳情だから、がんばりますよ」なんて持ち上げて、そういう団体にも支持を伸ばそうとしたものだ。

 いまの安倍さんは、気持ちの余裕がないのだろうか。敵を仲間にしようなんて考えず、敵は敵として排撃するだけ。そんなことでは、自分の支持者は熱狂的に盛り上がるかもしれないけど、ふつうの人の目から見て、信頼がなくなっていくと思う。

 まあ、安倍さんの信頼がなくなることだから、それでいいと言えばいいのだけど、日本の政治の信頼性ということで見ると、大きな損失である。