2015年3月24日

 これはすごい本。戦争と平和の問題で悩み、模索している人、本気で護憲派を国民多数にしようとしている人には必読の書である。

 いろいろな感想があるけれど、まず、編集者として打ちのめされた。「負けました、鈴木久仁子さん」という感じです。

 私が伊勢﨑さんの最初の本を編集したのは、もう7年も前。『自衛隊の国際貢献は憲法9条で』という本でした。

 その次が『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』。最近のが『国防軍 私の懸念』。合計3冊ですね。

 その間、ずっとおつきあいしてきたし、似たような志もあって、いまも「自衛隊を活かす会」で一緒にやっているし、編集者としては伊勢﨑さんのことは一番知っていると思い込んでいたんですよね。これは関係ないけど、息子も伊勢﨑さんに惚れ込んで、伊勢﨑ゼミを卒業したし。

 でも、それは幻想でした。この本の編集者である朝日出版の鈴木久仁子さんに完敗しました。それが一番の感想です。

 たとえば伊勢﨑さんが知事として国連平和維持軍を統括していた東チモールのこと。インドネシアの民兵にニュージーランドの兵士が惨殺された結果、PKOの側で怒りが高揚し、交戦規則(ROE)を緩めることになって、伊勢﨑さんがそれを許可した話は、私も知っていました。それで、インドネシアの民兵が殺されることになるんです。

 でも、私が編集した本ではそこまで。それで十分だと思ったこともあるし、人を殺し、殺される話って、なかなか突っ込んでいきにくいことでもあったんです。

 でも、鈴木さんは突っ込んでいったんですね。たとえば、殺されたニュージーランド兵は、銃殺して絶命したあと、耳をそがれ、のどをかき切られていたそうです。だからPKOは怒ったし、伊勢﨑さんが武器使用基準を緩めるのを許可したことにもなるのです。敵を目視したら、警告せずに発砲できるようにしたのです。

 そして、伊勢崎さんの判断には、当然、その結果が付いてくるんですね。ニュージーランドの部隊は、補給路を断たれて敗走する民兵を、武装ヘリも使って追い詰め、全員(10名程度)を射殺したそうです。

 だけど、そういうことの総括とか、正当性を問う作業とか、まったくされていないそうです。国連にとっては、東チモールはPKOの成功例ということもあるし、踏み込めないでしょう。

 そして、伊勢崎さん。「後悔とも言えない奇妙な後ろめたさが、当時を思い出すたびに、僕を襲います」

 そうなんですよね。伊勢崎さんのトラウマになっているんですね。そういう伊勢崎さんが、鈴木さんの手で丸裸にされたんです。すごいです。同じ編集者として、尊敬するというか、本音では嫉妬するというか。

 戦争と平和の本ですから、そして現実の戦争と平和って、こういうものですから、リアリティがないと語れない部分があるんです。そこに成功した本として、すごくお薦めです。

 同時に、伊勢崎さん、東チモールを非武装の国にしようと努力したんですね。それがなぜダメになったのかってのも詳しく書かれてあって、戦争と平和の問題にかかわる人にとって必読です。(続)

2015年3月23日

 自衛隊を活かす会の関西企画が6月20日(土)、大阪市福島区民センター大ホールで開かれます。そのスタッフを募集します。

 今回の企画、テーマは「新安保法制で日本はどうなるの?」です。自民党、公明党が新安保法制で合意したので、5月中旬には国会に提出される予定です。その分析と批判をやろうとするものです。

 自衛隊を活かす会の呼びかけ人である3名(柳澤協二=代表、伊勢﨑賢治、加藤朗)はもちろん参加します。ゲストとしてお招きするのが、石田法子さん(現在、大阪弁護士会会長ですが、6月は前職になります)と渡邊隆さん(元陸将・東北方面総監)。

 憲法と安全保障をめぐる問題で、従来からの平和運動と自衛官らが同じテーブルで議論する場の誕生です。今週水曜日、関西の弁護士の方々を中心に、この企画を「成功させる会」が発足予定なんです。

 で、すでに10名近い方がスタッフとして働いてくれることになっているんですが、なにせ600名も入る大ホールですから、不安がぬぐえません。あなたもどうですか?

 当日、12時30分に現地集合で、午後5時まで。まあ、受付が終われば、あとは会場で聞くことができると思います。

 何かいいことがあるかというと、ひとつは、もちろん、参加費(資料代1000円)は頂きません。資料としては、憲法9条の枠内での防衛政策について「会」が発表する「提言」の日本語、英語、アラビア語になる予定。

 もうひとつは、夜の関連企画の優先予約権。午後6時より、北新地サンボアで、「伊勢﨑賢治ジャズヒケシin北新地with木畑晴哉トリオ」が開かれます。テーマは、「『戦争』と『平和』は対義語か類義語か?」。

 これ、4000円(ワンドリンク付き)なんですけど、主催者関係をのぞくと40名程度しか枠がありません。4月になったら公募しますけど、あっという間に締めきりになることが確実。当日のスタッフとして3月末までに申し込まれた方は、優先的に予約できます。立ち見席になるかもしれませんけど。

 ということで、ブログをごらんになっている方はメールフォームから、フェイスブックの方はメッセージで、それぞれ申し込んでください。よろしくお願いします。

 本日と明日は福島。明後日は「成功させる会」もあるし、会社の会議もあるので、関西です。忙しいです。

2015年3月20日

 今朝のNHKニュースで、若者が安全保障法制について考え、議論する様子を放映していた。安全保障の問題は、とりわけ若者にとって他人事ではなくなっているわけで、その現状が反映しているのだと思う。

 そこで、「グレーゾーンって言われても、ピンとこない」という発言が紹介されていた。そうだよなと思う。私だって分からない。

 もともとは、集団的自衛権と個別的自衛権の間にある事態ということで、この言葉を使い始めたのかと思っていた。日本防衛に限りなく近いということで、世論の支持を得やすくなるからね。

 でも、そうでもないようだ。この間の使われ方を見ると、日本有事か平時かの間にある事態ということみたいな感じだ。

 「切れ目のない法制」ということで、あいまいなところを整理しようとするわけだろう。だけど、そうすると、余計に分からなくなる。

 だって、現在でも、そういう事態はグレーではない。明確に定義されている。

 離島に武装した漁民が上陸するという事態が想定されているわけだが、これは原則として警察が対処すべき事態である。相手が国家の意思として離島に上陸するならば、それはもう有事ということになって自衛隊の出番になるのだけれど、一般的に武装した漁民ということだけでは、そういう判断はできないだろうからね。

 それだったら、相手が強大な武器をもっていて、警察では対処できない場合はどうするのかと心配する方もいるだろう。だけど、そんな場合、自衛隊が警察権の範囲で治安出動できることが定められている(自衛隊法90条1項3号)。ぜんぜんグレーではないのだ。

 相手が強大な武器をもっているだけでなく、実は国家意思の発動として離島を占拠する場合はどうなのだと、不安に思われる方もいるかもしれない。しかし、その場合は自衛隊が出動するわけであって、何の問題もない。

 同時に、この問題で大事なことは、警察が対処する場合も、警察権で自衛隊が出動する場合も、それは平時における対応だということだ。一方、自衛隊が出動する場合、それは有事だ(相手国と戦争するのだ)と判断を下すということなのだ。

 その平時と有事の間には、明確な切れ目がある。いろいろな情報をもとに、離島の占拠を国家によるものだと判断し、その国家と戦争するという決断をするわけだから、質的に異なる段階に入るのだ。

 そういうものなのに、その段階を「グレー」だと言ってあいまいなものに見せかけたり、あるいはシームレスと言って少しずつ有事への階段を上がっていくもののように装ったりするのは、危険きわまりないことである。「気がついたら有事になっていた」みたいな無責任なことになりかねない。

 平時か有事かを決めるのは、ときの内閣なのである。安倍さんなのである。その間に中間項はない。

2015年3月19日

 与党で実質合意ということだけど、なんだかしまりのない議論だったよね。緊張感がないというか。

 そもそも、今回の協議のキモにあたるのは、集団的自衛権の行使の問題だったはずだ。何十年も続いた憲法解釈を閣議決定によって変更したわけだから、それだけの重大な問題だった。

 ところが、今回の協議では、ほとんどこの問題は議論された形跡がない。武力攻撃事態法に、閣議決定で打ちだした要件を書き込むというだけで、どんな事態がその要件にあたるのかなどは、まったく議論されなかった。

 昨年6月の与党協議の際も同じだった。15事例が協議の場に出され、順番に議論するとして、最初のグレーゾーン(3事例)、次の国際平和協力(4事例)と議論が進んだが、一番大事な集団的自衛権(8事例)の議論が開始されたとき、突然議論が中断し、閣議決定に進んだわけだ。

 結局、米軍の後方支援みたいなものは、アメリカから具体的な要望があるので、具体的な議論が出てくるけど、集団的自衛権はそうではないということだと思う。だって、考えてみれば分かることだ。

 たとえば、集団的自衛権のなかで強調されていたのは、アメリカの艦船が攻撃されるとき、それを助けようという事例だった。これって、アジアのどこかでアメリカとどこかが戦争することを想定しているわけだが、考えられるのは、中国とフィリピン、ベトナムが衝突して、アメリカが中国と事を構えるケースだろう。現実にそういう衝突があることで、リアリティをもって語れると思ったんだよね。

 だけど、現実にそういう衝突があるけれど、アメリカは一度も軍事行動を起こしていない。フィリピンの立場に立って動いてはいるが、軍事面で自分が動くことはしていない。そういう判断をアメリカはしているわけだ。それに、もし本格的に軍事行動するときは、自国の艦船は自国で守る万全の態勢をとるのがアメリカである。

 いずれにせよ、日本に守ってもらいたいとアメリカが希望することはない。だから、具体的な議論ができない。だけど、集団的自衛権の解釈は変えたいので、かたちは進む。

 いま本当に大事なのは、テロ問題にどう日本が向き合うかということなのに、そこの議論はされないまま、かたちの議論だけが進んでいく。日本と世界の安全保障をもっと真剣に考えた議論が必要である。そういう議論を与党ができないことが悲しい。

2015年3月18日

 パソコンを使い出したのは、たぶん1994年かな。最初からマックだったのは、大きなもの(マイクロソフト)に楯突きたいという性分からだが、保育園の保護者会の会長やってて、会報作りなどにページメーカー(現在はインデザインになっている)を使えるのも便利だった。翌年、ウィンドウズ95が出て、世の中はさらにそれ一色になっていくのだけれど、あの青い画面が美しくなくて、ああマックで良かったと思い続けた。

 いまは出版業界で、堂々とマックが使えてうれしいのだが、一度だけ浮気したことがある。ちょうどマックOSがⅩ(テン)になるときで、あまりに不安定だったし、当時のウィンドウズはXPの時代に入っていて、使いやすくもなっていた。

 iPhoneは、日本で発売された当初から使っていたけれど。現在はお休み中。会社からアンドロイドスマホを支給されたのが大きい。だけど、SIMフリーの時代になって、月額のデータ通信料が1000円で済む時代なので、そのうち会社のは電話専用機に機種変して、データ通信はiPhone6plusにするつもり。

 iPhoneでワードの作業をして、家に帰ってパソコンを開いたら、iPhoneの作業での到達がそのまま引き継げるって、魅力的かな。でも、昔はパソコンの雑誌を月に何冊も買って、将来はどんなことが可能になっていくんだろうとワクワクすることが多かったけど、いまはそれほどのことはなくなってしまったね。

 そういう状態で登場したのがアップルウォッチ。買うつもりはないけど(少なくとも当面は)、可能性はあるんだろうか。

 私はいまも時計を使っているけれど、使わない人の大半は、携帯で時計機能は十分ということになったからだろう。そういう人がアップルウォッチに手を出すとしたら、スマホや携帯は身につけない(鞄に入れておく)という決断ができるときしかない。

 あのマップ機能も便利そうだけど、スマホが胸のポケットにあるなら、それを使った方が見やすいしね。鞄からスマホを取り出す手間を考えたら、手元にあるアップルウォッチを使おうと思えるようでないと、普及はしないよね。

 しかしなあ、あのつぶれそうだったアップルが、いまや株価総額でマイクロソフトを抜いてしまって、私が楯突くべき大きな存在になってしまった。いまは小さくても、どこかにアップルに挑戦し、それを超えるような企業があらわれないと、この世界は進歩していかないよね。

 いつもと違う話題ですみません。たまの遊びです。