2015年4月7日

 ようやくオモテに出せるまでになりました。いかがでしょうか? これは書店用のチラシの一面だけでして、本物は合計4ページもの特別版です。

さよなら安倍チラシ

 現在、もう安倍さんには我慢ならないという声が充満しているように見えますが、その安倍さんは、平気の平左ですよね。そんな声など気にせずに、やりたいことに邁進しているんです。

 秘密保護法も集団的自衛権も残業代ゼロも、個別の課題では自分に対する反対の声が大きいことは、世論調査もあるから安倍さんも自覚しているでしょう。しかし、それが政権を脅かすものになるとは、露ほども思っていません。

 だからいま、考えなければならないのは、どうやってわれわれの闘いをレベルアップさせるかだと思います。そのためには何を探究する必要があるのか。

 まず、個別の課題では、その批判の内容を深めるとともに、オルタナティブが大事でしょう。著者の名前を見ていただければ分かるように、安保法制でも沖縄基地問題でもその他でも、それを打ち出せる人がそろったと思います。

 同時に、闘う側がまとまっていく必要があります。いくら多くの人が参加するように見えても、安倍さんに対して一党一派が対決するという構図では、誰がみても勝てるという希望を持つことができません。そこをどう打開するのか。

 このシリーズに書いていただけるのは、いわば右から左まで、保守から中道、そして革新まで、安倍さんにだけは任せられないという人たちです。そういう人がひとつのシリーズにまとまって書くということが、いま大事なのだと思います。安倍さんの側だって、自分に対抗する側はバラバラだから恐くないと考えているのですから、団結しているところを見せつけなければなりません。

 だから、このシリーズ、これだけではありません。これをベースにして、是非あなたも加わってほしいと訴えて、さらにレベルアップさせていきます。

 きょうもいまから、来年の参議院選挙後にも予定される改憲国民投票の項目となる緊急事態問題について、著者と会いに行きます。教育問題も加えなければ。

 安倍さんが倒れるのだ先か、私が倒れるのが先か(笑)。いや、冗談です。ボチボチやっていきます。

2015年4月6日

 昨日の菅さんとの会談は、何というか、政治家としての格の違いというものを感じさせたね。NHKのニュースだったか、翁長さんが「粛々と」という言葉を菅さんが使うことの問題点を指摘して、それを受けた菅さんが会見でこの言葉を使えない姿を映したわけだが、それだけで勝負があった気がした。

 安倍さんをはじめ政府が翁長さんとの会談に応じないことについて、子どもじみているし、日本国民の代表者としてふさわしくないという批判があり、それはそれで正しい。だけど同時に、翁長さんと会って議論すると、政府の道理のなさが白日の下にされされてしまうという事情もあるんだろうね。

 「粛々と」だが、本日になって菅さんは、この言葉は今後使わないと明確にした。これって、実質的なところでは譲歩しないけれど(工事を中断することはないけれど)、言葉くらいなら譲ってやろうと菅さんは思っているかもしれないけれど、そんな程度は済まないものになるような気がする。

 翁長さんがこの点を指摘したのは、どういう脈絡でかというと、沖縄が米軍の軍政下にあったときのことと搦めてである。菅さんの言葉が、キャラウェイ高等弁務官の姿と重なると指摘したのである。

 キャラウェイって、私もよくは知らないが、ウィキペディアによると、アメリカの日本大使であったライシャワーが、沖縄の自治権を拡大し、財政援助を増やそうとしたのに、それに反対した人物として知られているという。ライシャワーは、自分の回顧録で、キャラウェイのことを「独裁者」とまで表現しているようだ。1963年3月。キャラウェイは演説で、「沖縄の自治権を強く欲する住民は、彼ら自身で政治を行う能力はない」とまで発言したとされる。

 菅さん、キャラウェイのこと、誰かに教えてもらっただろうか。こんなキャラウェイと菅さんが同じように見えるって、翁長さんの言葉はきついよね(当然だけど)。

 でもね、翁長さんのきついところは、沖縄を支配したアメリカの高等弁務官と菅さんを比べたこと自体にはない。そうではなくて、アメリカのなかにも、沖縄のことに少しは気を配るグループと、ただ弾圧するだけのグループがあることを前提に、そのうちの後者と同じだと言ったことが、物事の本質を言い当てていて、とってもきついと思う。

 つまり、日本政府の対応は、ただアメリカに追随しているというだけではなく、先頭に立って沖縄を抑圧する側に回っているという批判なのである。会談の最後に、抑止力の考え方からすれば、沖縄の基地をもっと後方に置く考え方もアメリカ側にあるのに、日本政府が沖縄に引き留めようとしているのではないかと危惧の念を表明しているのも、それと同じ立場の表明である。

 そういう意味をもった「粛々」である。それを言葉として使わないと追い詰められたわけだが、それが意味するものは、果てしなく深いと思う。

2015年4月3日

 そもそもテレビはあまり見ないし、とりわけ報道ステーションは、福島で被ばくの影響を最小化しようと必死で努力している人への配慮が足りないので、最近、まったく見ていない。古館さんのことだって、別に反権力という感じはしないし、何の共感もない。

 だけど、古賀茂明さんの今回の発言をめぐり、批判が古館さんやテレビ局に集中しているのを見ると、何か言わないとダメだねという気にさせられた。古賀さんの対応、あまり気持ちのいいものではない。

 そもそも、本当に官邸からバッシングがあるなら、それを証拠とともに暴露すればいいだけのことなのだ。「官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきた」と言うわけだから、「皆さん」ということで多くの人がかかわった証拠があるのだろうし、「ものすごい」というのだから、みんながびっくりするようなものなのだろう。

 だったら、その内容を言えばいいではないか。それが正しいやり方かどうかは別にして、生放送で何かを暴露することが古賀さんの狙いなら、中身を言えばいいのだ。菅官房長官がどういう圧力をかけたとか、誰はどうしたとか、等々。

 「官邸の皆さん」の「ものすごい」ものなら、古賀さんほどの有名人なら、個人のブログで書いたって、何百万では済まないアクセスになり、新聞やテレビも取り上げざるを得なくなったであろう。それができなかったのは、それを言ってしまえば名誉毀損になる程度の噂話だったとばれてしまうからかと、勘ぐりたくなってしまう。

 いまからでも遅くないから、真実であるなら、すべて表に出すべきである。表に出さないと、信用されなくなってしまうよ。言論弾圧なら、裁判に訴えたって勝てるでしょ。

 いちばん問題だと思うのは、権力者である官邸が何をしたかは言わないまま、批判を古館さんやテレビ局に向けていることである。古館さんはこれまで、古賀さんを出演させてくれ、言いたいことを言わせてもらった恩人のようなものではないか。古賀さんが言うように、たとえ古館さんやテレビ局が権力に屈したのであったとしても、批判する場合は、恩義を裏切らないようなやり方があったはずである。世話になった人を困らせるって、私は見ていて気持ちが良くない。

 このままでは、古賀さん、権力とは正面から闘わないし、人としても信頼できないと思われてしまうのではないか。隠れて話の内容をテープをとるような人となんて(相手が官房長官ならまだしも)、心を打ち明けた話なんかできないでしょ。

2015年4月2日

 昨日、午前の出張仕事が終わり、東京事務所に立ち寄ってみたら、小学館からこんなものが届いていました。何か分かりますか?

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 そうなんです。今度私が出す本なんですけど、ちょっと安っぽいですよね。これ、私はこの業界にいながら知らなかったのですけど(大手出版社だけしかやらないと思うので)、プルーフ本というらしいです。プルーフって、もともと「証拠」ですけれど、この場合は「校正刷り」。まだ校了していない(だから部分的には内容が確定していないところもある)段階で、それを本のかたちにして、宣伝のために使っちゃおうというものです。それを渡されたんだから、ブログでも宣伝しなくっちゃ。

 これでお分かりのように、最終的なタイトルは、『慰安婦問題をこれで終わらせる。』になりました。サブタイトルは「理想と、妥協する責任、その隘路から。」。なんだか、著者と編集者の思いがつまったタイトルであり、帯文ですよね。

 このブログでは、タイトルについてこれまで、あくまで仮でしたが、『慰安婦問題の終わらせかた』と書いてきましたよね。何人かにご意見を伺ったのですが、伊勢崎賢治さんは、「終わらせかた」の方が主観性が排除されている感じでいいとおっしゃり、池田香代子さんは「これで終わらせる」の方が主観が強調されていていいとおっしゃり、同じことを理由にふたつに分かれるという結果になりました。ああ、難しい。

 結果としてこれになったのですが、この写真では全然伝わりませんけど、実はカバーがすごく美しいんです。そのおかげで、「これで終わらせる」が持つギラツキ感が和らいで、メッセージ性もあり、ソフトで受け入れやすさもあり、という感じに仕上がっていると思います。デザイナーさん、ありがとうございます。

 内容については、本の売上げにつながるようなら、おいおい書いていきます。「売り」は、いろいろ言えると思います。

 たとえば、朝日新聞も読売新聞も、慰安婦問題について言っていることは、あまり変わりがないよねとか。「まさか」って思うでしょ。

 でも、そうなんですよ。この本では、読売はもちろん産経新聞だって、「正論」や「諸君」や「文藝春秋」だって、たくさんの引用が出てきます。それって、批判するために引用しているのではなくて、評価するためのものなんです。

 とりわけ、悩みながらこの本を書いてきて、最後の結論部分というか、どうやって終わらせるかという提案の部分で、「これで書ける」と確信できたのは、じつは産経を読んでいたときでした。産経だって、真剣にメモをとりながら読んだんですよ。

 この問題は、20年来の対立のなかで、お互い、対立する陣営の意見なんか、聞く耳を持たないという状態だったと思います。ましてや、相手に学ぼうという姿勢は皆無だったと思います。

 さて、相手に学んだ結論は、どんなものになっているでしょうか。ご期待ください。

 四六判256ページ、本体価格1500円+税=1620円。25日頃から書店に並ぶ予定です。

2015年4月1日

 本日は朝から東京出張。バタバタと動き回る予定。

 まず午前中は、学校図書館向けの本の編集プロダクションである。数年前、この仕事に参入し、現在、毎年2冊を刊行している。今年も2冊の予定で、順調に準備を進めていたのだが、いまの局面からすると、イスラムのことが分かる本が学校図書館向けにも必要だと感じたのである。

 だけど、いまの弊社の力量からすると、毎年3冊を出すのは難しい。いろんな研究者とのつながりはあるから、テキストは完成するとは思うのだが、それを本として仕上げていくのが簡単ではない。普通の本の組版なら、インデザインを使って私でもできるのだけれど、学校図書館向けの本って、専門のデザイナーの仕事なのである。それも学校図書館に受けいられるようなデザインが求められるから、専門家がそれほどいるわけではない。

 そこを開発するのが、本日の仕事。はじめての方にお会いしに行くのである。

 その後、午後のはじめは、雑誌『教育』関係で人と会う。東京事務所で1時間ほどかな。

 さらに、来月参加するツアーの打合せ。来月21日から、池田香代子さんと訪ねるアウシュビッツ・ドイツ平和と文学の旅に参加予定。こんな忙しいときに、9日間も旅行できるかどうか不安があるのだが、言い出しっぺということもあり、どんなツアーにするのか、旅行社と打合せをしておかねばならない。これが本の出版につながるかどうかは、まったく見通せないけど、私の骨休めになったら、それも仕事にとってプラスだと思い込むことにする。

 そして夜は、某テレビ局の有名ニュースキャスターにお会いする。さて、テレビ出演という話になるのかどうか。

 明日は、「さよなら安倍政権」シリーズの著者に会ったりして、夕方は、大阪の福島区民センターへ。6月20日の「自衛隊を活かす会」関西企画の会場である。下見をしておかないと、はじめて使う会場で、不手際があったら困るからね。

 明後日から8日間ほどは、京都で日常の仕事。その後、また東京に何泊もする出張へとつづく予定。

 忙しいので、ブログも手抜きである。では、また。