2015年6月22日

 小林よしのりさんがやっておられる「ゴー宣道場」。その8月2日の道場にゲストとして招かれてしまいました。

 前回6月は、宮台真司さんと東浩紀さんですからね。圧倒的に知名度の低い(ないに等しい)私などを呼んで、営業的に大丈夫かなと、いらぬ心配をしちゃうんですが……。

 テーマは、『戦中・戦後の倫理を問う』。「倫理」を「戦争や植民地の問題に結び付けて考えてみたい」とされています。

参加するには、課題図書が3つあるそうです。
『慰安婦問題をこれで終わらせる』(松竹伸幸)
『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(笹幸恵)
『卑怯者の島』(小林よしのり)

「この3冊には、それぞれ戦場や植民地での倫理観が問われ、
まさに深掘りするためのヒントが隠されている」
 「ゴー宣道場」のホームページで、そう書かれています。

 慰安婦問題を解決するために一番大事なのは、世論の大きな分裂を終わらせ、「この解決策だったら容認する」という人を多数にすることだと思います。これだけ世論が分裂したままだと、どんな解決策を政府が提示しても、左か右かに重大な異論が残ってしまい、政府案は支持されず、元の木阿弥になってしまう。

 そうしないためには、もう問題は終わったと思っている圧倒的多数の保守派、右派、中間派のみなさんと対話し、河野談話の線まで戻ってきてもらうことが大事だと感じます。93年に発表された当時は河野談話を攻撃していた左派、市民運動の側が、いま河野談話を否定する右派をいくら責め立てても、「否定していたのはおまえだろ」と言われたら、そこまでです。

 だから右派、保守派との対話が必要だと私は思うのですが、残念ながら、対話しようという左派はあらわれませんね。ただただ糾弾する相手だと思っている。それって、慰安婦問題でこの20年、左派への支持が減り続けてきたのと同じ構図なんですけどね。

 結果は分かりませんが、私はそこに飛び込んでいきます。「ゴー宣」道場への参加申込みは、ホームページからできますので、応援してくださる方は、是非どうぞ。

2015年6月19日

 先日、「安倍談話と村山談話をめぐる40章」を書き始めると予告したけれど、そのうち10章分を一応書き終えた。「侵略とはそもそも何か」という部分。

 ここは現在のような意味をもって「侵略」という言葉が使われるようになった一九一九年から、侵略の定義が最終的に固まった二〇一〇年まで、合計で九一年間の経緯を振り返ったものである。国連総会でのやりとりなど細かいものも含むけれど、深く理解するためには不可欠だと考えた。だから合計で1万4千字もある。その章のタイトルだけ、紹介しておく。

第1章 
「侵略」という用語は、いつ誕生したのでしょうか。それ以前は「侵略」は存在しなかったのですか。
第2章
「侵略」という用語がベルサイユ条約にあらわれたのには、どのような背景、事情があったのでしょうか。
第3章
「侵略」の定義が固まるのは、いつ、どんな文書によってなのですか。どんな経過をたどるのですか。
第4章
国連憲章では「侵略」はどのように定義されているのですか。それはどのような考え方にもとづくものですか。
第5章
戦後ずっと侵略の罪を裁く機運がしぼんでいたのに、国連総会で「侵略の定義」決議ができたのはなぜですか。
第6章
「侵略の定義」決議の概要を教えてください。この決議のどこが重要ですか。問題点はあるのですか。
第7章
「侵略の定義」決議は簡単に合意できたのですか。作成過程では、どんなことが議論になったのですか。
第8章
「武力攻撃」と「武力の行使」という言葉が出てきますが、このふたつは同じものですか、違うものですか。
第9章
国連総会決議では拘束力がないという問題は、国際刑事裁判所規程によって克服されたと考えていいですか。
第10章
侵略を認定する安保理の権限と、侵略を裁く国際刑事裁判所の関係は、結局どうなったのでしょうか。

 安倍さんの談話がどんなものになるかを8月15日に確認し、それも含む資料を入れた上で、17日に印刷所入稿という感じかな。それだと、まだ話題が継続していると思われる8月中に、本ができあがってくる。

2015年6月18日

 そうです。関西企画「新安保法制で日本は危なくなる!?」は、明後日(20日)午後1時30分より、場所は大阪市福島市民会館大ホール(環状線野田駅近く)です。

 ネットをボヤッと見ていると、「この松竹というのは、改憲派が護憲派に送り込んだスパイだ」というのを発見したりします。「その証拠に、貧しい出版社につとめているくせに、どこからカネが出るのか、出版とは関係ないことをいろいろやっている」として、「証拠」まで提出されたりします。本当にネットというのは暇人が集う場だと思います。それに、いろいろやってますけど、出版でも社内の稼ぎ頭なんですけどね。まあ、注目されるだけ光栄だということにしておきましょう。

 私は、別に、自衛隊を全体として否定的に見る従来の護憲派の方々の考えを変えようとは思っていません。国民のなかでは圧倒的多数を占める自衛隊を肯定する人々を、自衛隊を肯定するという考えはそのままにして、護憲派に加わってもらおうとしているだけです。さらにいえば、従来の護憲派の方々と、自衛隊を肯定する護憲派が、気持ちよく協力しあう関係をつくりだそうとしているだけです。

 だから、「九条の会」と「自衛隊を活かす会」が、共催で何かをやるなんてことを、国民投票までには実現したいと考えています。今回の関西企画は、そこまでは行きませんでしたが(まだ「自衛隊を活かす会」が広く知られていないので当然ですが)、大阪、京都、兵庫の九条の会の事務局長にご挨拶に行き、それぞれ個人として名前を出していただき、「自衛隊を活かす会の関西企画を成功させる会」をつくってもらったわけです。本当は「連帯する会」くらいにまでなるならうれしかったわけですが、はじめてのことなので、これで精一杯だと思います。

 いずれにせよ、関西企画は、伝統的な護憲派と、新しく生まれた護憲派がコラボする場になると思います。それが国民のみなさんの目に見えるようなかたちで実現するところに意味があると感じます。是非、ご参加ください。

 あと、夜の伊勢﨑賢治ジャズヒケシin北新地は、参加申込みを打ち切りました。関西企画の会場で若干の当日券を発売しますが、本当に若干です。ご容赦ください。

2015年6月17日

 少し余裕ができたので、8月に発表される歴史認識問題での「安倍談話」に焦点を当てた本を書き出した。『安倍談話と村山・河野談話をめぐる40章』みたいなタイトルで、「さよなら安倍政権」シリーズに加えるつもり。

 安倍さんが日本の「侵略」を否定すると予想されるものだから(そうならないと思うが)、侵略(aggression)とは何なのかが定まっていないと、議論にならない。そこで、いろいろ調べはじめている。

 aggressionって、たんなる「攻撃」ということを超えて、「侵略」という現在の意味で使われたのは、第一次大戦の講和のためのベルサイユ条約(1919年)であろう。英文と私の訳は以下の通りで、英文では最後の方にaggressionが出てくる。

 The Allied and Associated Governments affirm and Germany accepts the responsibility of Germany and her allies for causing all the loss and damage to which the Allied and Associated Governments and their nationals have been subjected as a consequence of the war imposed upon them by the aggression of Germany and her allies.

 「同盟および連合国政府は、ドイツ国およびその同盟国の侵略によって強いられた戦争の結果、同盟および連合国政府、またその国民の被った一切の損失および損害について、責任がドイツ国およびその同盟国にあることを断定し、ドイツ国はこれを承認する」

 これって、悪名高い「戦争責任条項」(第二三一条)だ。アメリカのウィルソン大統領などは「無併合、無賠償」の講和だと表明していたのに、フランスやイギリスのあまりに犠牲が大きかったので(ドイツだってそうだが)、多額の賠償をとることに決め、そのためにはドイツが「侵略」したので一方的に責任があるのだという認定が必要とされ、ひねり出された条項である。

 この戦争の経過についてはいろんな立場があるだろうが、レーニンは「双方の側からの侵略」だと言っていた。『帝国主義論』の記述だ。

 「この小著で、一九一四年から一九一八年までの戦争は双方の側からの帝国主義的な(すなわち侵略的、強盗的、略奪的な)戦争であり、世界の分けどり、植民地や金融資本の『勢力範囲』の分割と再分割、等々のための戦争であったことを証明した』(『全集』第二二巻二一八頁)。

 そういう点では、「侵略」概念の最初の登場には、政治的なものがある。右派がよく言うような、いわゆる勝者による裁きに他ならない。

 侵略が包括的に定義されたのは1974年。その弱点とされた拘束性のなさ(条約ではなかったこと)、最後は安保理が判断するという政治性が克服されたのは2010年の国際刑事裁判所規程だ。

 「侵略」概念を確立するのに、登場以来、91年も要したのである。侵略概念なんか簡単じゃん、と安倍さんを揶揄するより、その複雑さを描くことの方が、この問題を深くつかむことになるかもしれない。

2015年6月16日

 講談社新書として、『新・自衛隊論』というタイトルで発売されます。一応、私も「会」の事務局担当として「はじめに」を書き、本全体の構成を担当し、巻末の執筆者プロフィールにも名前を連ねていますので、紹介しておきます。

 価格は900円+税(72円)です。発売は18日からですが、アマゾンではすでに予約が開始されています。

 ちょうど1年前の6月7日に発足した「自衛隊を活かす会」。それ以来、元幹部自衛官や安全保障論等の専門家を迎え、6回にわたるシンポジウムを開き、その成果をふまえて先月、「提言」を発表しました。

 今回の著作では、シンポジウムに参加していただいたすべての方が、そこでの発言をもとに寄稿しています。国会では、新安保法制をめぐる議論が活発になっていますが、現行憲法の枠内においてこそ、国民と自衛隊員のいのちが守られ、日本の存立も全うできる道があるということを、この著作を通じて広げたいと考えています。

 発売直後の20日に開催される「関西企画」ではサイン会も行います。こぞってご参加ください。

 ちゃんとしたホームページがあり、2カ月に1度のペースでシンポジウムを開催してきたりしているので、この「会」には財政的な基盤があると思われているようですが、違います。本の出版を当て込んで、いろいろやってきたんです。だから、本が売れることが、「会」の活動を飛躍させることになります。

 たとえば、「提言」は、英訳版をすでに出していますが、現在、アラビア語、中国語、韓国語にも翻訳中です。また、パンフレットにして、国会議員には配ろうと思っています。

 その程度なら、本の初刷り分の印税でまかなえますけれど、「会」としては今後、アメリカを訪問して議論したり(その場合は、伊勢﨑賢治ジャズヒケシinニューヨークも開催するつもり)することも考えています。そのためには、2刷り、3刷りと売れていくことが不可欠なんです。

 是非、ご購入をお願いします。そして、「会」を支えてください。