2015年10月30日

 昨日、南沙諸島の現在のもめごとは分かるけれど(暗礁を中国が埋め立てて領土だと主張している問題など)、もともと歴史的には領有権はどうなっているのだという質問がメールであった。それに答えたので、ここにも以下、書いておく。

 「歴史的に固有の領土」という言い方がよくあるし、実際、日本の大半もそういう領土である。それって、まず昔から日本人が住んでいる場合なら、文句なくそう言える。無人島であっても、たまにそこを拠点にして漁をした程度であっても、その漁獲に対して課税されるとかすれば、そこは領土として認識されていたといえる。

 ただ、海洋上の遠い島、とりわけ人の住めない島についていうと、20世紀以前、領土として認識された例はほとんどなかった。だって、まだ手こぎ船しかないような時代に、沿岸で採れる魚だけで生活が苦しいとしても、1週間をかけて命がけで遠洋に出て行って漁をするなんて、ほとんどあり得ないことだったわけだ。

 ということで、南沙諸島は、20世紀以前、どの国も領土としてみなしていなかった。そういう種類の文献も見つかっていない。中国は、何百年も前に近くを航海して島のことを知っていたと主張する場合もあるみたいだが、島を知っていただけでは領有していたとはいえない。

 20世紀になって、ようやく領有権が問題になってくる。この時代、すでに領土を獲得する原理として、国際法上の「先占」の考え方が定着していた。ある土地を自分のものだと宣言して、そこを実効的に支配すれば、その国のものになるという考え方である。

 それを最初に実行したのは日本とフランス。日本は、1920年以来開発を進め、39年に当時は日本領であった台湾に編入した。インドシナを支配していたフランスも、33年、「先占」を宣言し、コーチシナ(ベトナム南部)に編入している。こういう日本やフランスの行為が、現在の台湾、ベトナムによる領有権主張の根拠となるかは、難しい問題である。

 第二次大戦後、複雑な事情が展開する。中国は、1951年、外交声明によって、南シナ海における幅広い領有権を宣言した。ただし、「先占」の考え方からすれば、宣言しても領土にはならない。実効支配が不可欠である。中国は、同じ南シナ海でも中国に近い西沙諸島は74年に実効支配したが(ただしベトナムを武力で追いだして支配したもので、これで領有権が確立したとはいえない)、南沙諸島には80年代半ばまで、手を出さなかった。文化大革命とその後の混乱もあって、とてもその余裕はなかったのであろう。

 その間に、ベトナムやフィリピンは、南沙諸島への実効支配を広げていく。60年代末、この海域に資源があると報告されたので、その勢いは増していく。

 しかし、80年代後半になり、中国も南沙諸島への進出を開始する。初期には、武力を行使してベトナムが占拠していた島を奪ったこともある。

 この過程で、中国とASEAN諸国は、この問題を話し合いで解決しようと合意はしている。あるいは、資源は共同で開発するという合意もある。

 けれども、たとえばベトナムが一方的に開発を進める例もある。中国も、国際法上は島とは言えない暗礁を埋め立て、自国領だと主張したりしている。ベトナムなどの漁船を拿捕したりして、緊張も高まっている。

 ということで、これらの島がどこの国のものかという角度から接近しても、この問題は解決しない。どうやったら周辺諸国みんなが利益を得られるのか、そのためにはどんな方式があるのかを見いださないといけないということだろう。そういう努力を踏みにじるような関係国の一方的な行動は、きびしく批判されるべきだということでもある。

2015年10月29日

 9月3日、このブログで、「一点共闘と政権共闘との間」という記事を書いた。まだ新安保法制の審議が続いている時期で、現在のように参議院選挙に向けた野党協力など問題にもなっていなかったけれど、それなりに見通しは当たっていたと思う。

 その記事は、野党の政策上の違い(とりわけ安保政策の違い)があるもとで、安倍政権を打倒するための政権共闘は難しいと指摘しつつ、じゃあ、どうすればいいのかを論じたものだ。これまで何十年もの間、「基本政策の違いがある党とは政権協力しない」のが、野党の間では自明のことだったのだ。そこを何カ月の協議で変えるなんて、誰が見ても難しい。

 実際、共産党の志位さんは、その安保政策・自衛隊政策で他の野党と協力できるような考え方を表明しているが(できれば10年前に言ってほしかったが)、民主党のなかには安保政策の違いを強調する声が少なくない。岡田さんはそれに配慮したのか、参議院選挙は政権獲得とは関係ないとして、政権共闘という考え方を共産党は撤回してほしいと表明した。

 これを批判する考え方もあるだろうけれど、私の9月3日の記事は、まさに参議院選挙は政権を変える選挙ではないが、ここで野党が多数になれば戦争法発動のための国会承認を阻止することができるとして、そのための「一点共闘」を呼びかけたものである。政権共闘ではなくても大きな意味があると強調したものである。

 もし、ここで一点共闘が成立し、野党間の信頼関係が築ければ、政権選択の選挙となる次の総選挙に向けて、新たな展開もあり得る。だから、岡田さんの提案を後ろ向きだと批判するのではなく、十分に考慮に値するものとして受けとめ、議論していってほしい。

 まったく政権共闘のない政党間の協力関係なんて、一朝一夕でできあがるものではない。そこの冷厳な認識が不可欠だ。

(以下、9月3日の記事の該当箇所)
 安倍政権を打倒するために協力しあうことが必要なことについて、少なくない人が一致するだろう。だけど、野党を見渡すと、政策上の「違い」があまりに大きくて、選挙で協力しあうなんてとっても無理だろうというのが、大方の見方だろ思われる。そして、これまでなら、その「違い」の最大のものが、安全保障政策だったわけだ。
 いまでもそれは変わらない。だって、自衛隊が憲法に違反するかしないかという、いわば立憲主義の根本で違うのだから。だけど、この戦争法案に反対する闘争、国会での議論を通じて、他のどの政策分野と比べると、安全保障政策で野党に接近が見られるのが、最近の特徴であると思われる。まだまだ違いは大きいけれど、わが「自衛隊を活かす会」の提言をベースにしてもらえば(すでに紹介したが、7月28日のシンポには、民主、維新、共産、生活、元気の各党が挨拶に来てくれたし)、なんとか協力し合えるのではないだろうか。
 これから焦点になるのは、来年の参議院選挙でどうするかである。たとえ法案が通ったとしても、衆議院と参議院と両方で承認されないと、自衛隊は海外に出動できない。参議院で自公を過半数割れに追い込めば、戦争法案は無力化するということだ。
 常識的にいえば、衆議院で自公を過半数割れに追い込むために野党が協力するというのは、「政権共闘」である。そして、政権共闘というのは、基本的な分野で政策が一致することによって、ようやく実現する。
 だけど、次の参議院選挙というのは、政権を変える選挙ではない。たとえ野党が圧倒的多数を占めても、衆議院で自公が三分の二を占めるわけだから、政権は変わらないのだ。
 だから、参議院選挙で戦争法案発動阻止で野党が協力し合うのは、政権共闘ではない。一点共闘の枠内といえるのではないか。ほかの政策分野で大きな違いがあっても、戦争法案発動阻止で協力し合えるのではないか。そうしても、「基本政策で一致しない限り国政選挙で共闘できない」という建前と、そう大きくは矛盾しないのではないか。どうなんでしょうね。

2015年10月28日

 普通、アメリカが軍事行動を起こすと、支持する世論がある一方で、強い拒否反応が出てくるものである。しかし、今回の南シナ海へのイージス艦派遣は、驚くほどそういう反応が少なかったと思う。ASEAN諸国も賛成か中立で、反対はないようだ。日本国内でも、「朝日」の社説は「目的通りなら支持」だし、「赤旗」にも否定的な論評は掲載されていない。

 それも当然だろうね。あまりにも中国の行動が非常識だから。軍事行動が引き起こす可能性があるリスクよりも、中国が現在の行動をつづけるのを許容してしまうリスクの方が、もっともっと問題だという認識が共有されているのだろう。

 中国の非常識の内容は、ここでは書かない。みんな知っているから。問題は、どうやったら中国が国際法の常識的な水準にたって思考し、行動する国になれるかだ。

 アメリカの今回のようなやり方も、ある局面では必要になるのだろう。だって、中国が力で現状変更を推し進め、話し合ってもゼロ回答をつづけているのである。武力衝突に至らないような細心の配慮は不可欠だが、南シナ海はどの国のどの船であっても自由に航行できるのだということを事実で示し、それを慣習にまでしていくことは大事である。

 こうした行動に自衛隊を参加させるのは、「細心の配慮」をぶちこわしにするので、絶対にやめてほしい。アメリカ単独の行動だから、中国も自制して行動し、警告するなどにとどまっているわけで、日本の自衛隊がやってきたら、世論対策上も警告では済まなくなる。アメリカ政府はそれくらい理解していると思うけど、安倍さんがどうか分からないので、不安がある。
 
 大事なことは、中国の行動の理不尽さを説得する道筋である。もともと南シナ海を含む周辺全域に支配を及ぼしていた国だから、「ここはオレの領地」という意識がぬぐいきれない。ヨーロッパや日本に領地を侵食された経緯があり、戦争することで国家主権を維持したわけだから、主権のためには武力が必要だという国民的な体験もある。その戦争や戦後の内乱を経て、ようやく国際社会の一員になってみたら、自分は形成にかかわっていない「国際法」というものがあって、何千年もの華夷秩序を否定している。そこを誰がどう説得するのか。

 ホントだったら、国際法を踏みにじったことでどんな結果が生まれたかについて、日本が過去の体験を反省的に語ることも、そのための手段の一つなのだと思う。だけど、いまの安倍政権にそんなことは期待できないしなあ。

 やはり、南シナ海における航行の安全を守るため、日米中とASEANが共同で警戒監視をするという方向が大事だと思う。中国だって、この海域の安全を守るために埋め立てしてするという建前があるし、中国にとっての「領海」であっても共同の警戒監視のために他国軍隊が入ってくるなら、中国も認めた「主権」の範囲だということになるし。その実績が積み重なっていけば、自由な航行が慣習になっていくし。

 どうなんだろうね。12月22日(火)の「自衛隊を活かす会」のシンポジウムをご期待下さい。

2015年10月27日

 予想外に風邪が悪質で、昨日は寝ていました。新しいものを書く気力がないので、弊社のメールマガジンに寄稿したものを、以下、そのまま掲載します。

 「アベ政治」をどう退場させていくのか。アベ政治を憂える人たちの共通の願いであり、悩みでもあると思います。

 弊社は、安倍第二次政権が登場したとき、シリーズ「安倍新政権の論点」計7巻を刊行し、読者の期待に応えようとしました。しかし安倍政権は、特定秘密保護法をはじめ強引にファッショ的な政治を推し進めることになります。しかも、そういう路線に対する国民の不安が強まっているのに、国政選挙では与党が3連勝するという状況が生まれます。

 なぜそれだけ不安を持たれるアベ政治が支持され、継続するのか。そこにはいろいろな理由があるでしょうが、そのなかでも最大のものは、アベ政治に対抗する側の団結の不足でした。自民党が国会で3分の2の多数を占めるといっても、選挙での得票は2割程度です。それなのに、野党がバラバラで闘っているため、自民党の得票を超えることができないのです。

 その状況を打破する願い込めて刊行を開始したのが、安倍政権批判の第2期にあたる新シリーズ「さよなら安倍政権」でした。その第1弾は「新安保法制は日本をどこに導くか」ですが、著者の柳澤協二さんは言わずと知れた元防衛官僚。自民党政治の防衛政策を担ってきましたが、安倍政権がそこを変質させたことに怒って、袂を分かった方です。第2弾は「アベノミクスの終焉、ピケティの反乱、マルクスの逆襲」です。著者の友寄英隆さんは、「しんぶん赤旗」の論説委員を長くつとめた方で、共産党の有名な論客です。このシリーズは、最初からいわば「リベラル保守と共産党との共闘」のような装いがありました。

 その後、第5弾までシリーズが続きましたが、いよいよ第6弾として登場したのが、今回の本です。『「開戦前夜」のファシズムに抗して』。

 著者のなかでは、森達也さんがかつて『拉致2──左右の垣根を超えた対話集』に、著者である蓮池透さんの対談相手として登場してくれたことがありますが、それ以外の方はかもがわ出版の本には初登場です。山口二郎さん、白井聡さん、想田和弘さん、海渡雄一さん、木村朗さん、熊野直樹さん、成澤宗男さん、川内博史さんと、それぞれ著名な方ばかりですが、弊社から本を出されたことはなかったのです。

 その理由までは書きませんが、大事なことは、今回の戦争法反対闘争のなかで、政治的な立場を超えてアベ政治退場への協力関係が強まったことです。東京の国会前だけではありません。私も戦争法反対の講演会などに講師として招かれることがありましたが、民主党、維新の党、共産党などの代表が揃って挨拶する場面が少なくありませんでした。

 もし、アベ政治を退場させるだけの協力関係が生まれるとすれば、それは黙っていて実現できるものではありません。このメールマガジンをお読みになっている方のお住まいの近くでも、同じような体験を生みだしていくことが求められます。自分の身の回りで共闘を実現できているのかが、この問題のカギです。それ抜きに批判だけしても説得力がない。

 出版社だって同じです。出版社のできる範囲で、出版社としてのやり方で、この協力関係をつくりだすことが大事だと感じます。この本に至るシリーズ「さよなら安倍政権」は、戦争法成立の直後に、そして野党の協力関係が問われる来年の参議院選挙を前にして、築き出すべき協力関係を目に見えるようなかたちで生みだしたいと考え、刊行してきたものなのです。

 鳥越俊太郎さんの帯文は以下のようになっています。「「アベ政治」退場を実現する力に満ちた水準と陣容の本だ」。そうなのです。水準も「陣容」もそれにふさわしいものです。

 内容の水準もすばらしいです。なぜアベ政治のようなものが生まれ、どこに行こうとしているのか、内外の豊かなファシズム論のなかでアベ政治はどう位置づけられるか、どこに退場させる展望があるのかなど、著者が渾身の分析をしています。

 是非、手にとってください。そして、参議院選挙を前に、大いに広げていただけるとうれしいです。

2015年10月23日

 昨日から風邪気味で、ボーッとしているので、ブログを書く気力がありませんでした。少し持ち直したようなので、短く。

 安倍さんって、外交で失敗するかもしれませんね。この間、不手際だらけ。

 北方領土問題では、この間、プーチン大統領の年内訪日を掲げていたので、何らかの進展が見込めるのかと思っていたら、ぜんぜん違いましたよね。岸田外相が訪ロしてロシアの外相と会談したのに、領土問題は議題にもなっていないと言われる始末。挙げ句の果てに、プーチンさんは年内は来ないというのだから、何の展望もないのでしょう。

 北朝鮮による拉致問題。約束した期限までに北朝鮮が調査報告を出していないというのが、日本政府の公式的な言明になっています。しかし、北朝鮮側の担当者である宋日昊(ソン・イルホ)大使によると、調査に「いましばらく時間がかかる」としているのは、「調査自体ではなく、日本側と情報を共有し、結果の発表時期などを調整するために時間がかかるとの趣旨だと説明」したとされます(日経新聞9月10日)。ということは、調査報告自体はできていて、それを日本に示しているが、日本側がそれを「共有」してくれない状態だということです。拉致問題を解決すると意気込んだ安倍首相ですが、残念ながら解決にほど遠いものしが提示されていない(だから、まだ提示されていないことにしている)ことがうかがえます。

 そして、最近の世界記憶遺産問題。南京虐殺を登録するという中国に反発するあまり、日本側も「さあシベリア抑留だ」とかがんばりはじめました。ところが、シベリア抑留って、日本では不法に抑留されていることになっていますが(それは事実ですが)、ロシアとの外交問題があって、日ロの外交文書では「抑留」の用語は使われず、合法性を示す「捕虜」だとされているそうです(毎日新聞本日夕刊)。そのため、ロシア側から、「(合意を)乱暴に歪曲している」と日本が批判されているとか。

 どの問題も共通の要素があると思います。外交って、相手のあることなのに、日本国民が熱狂するような立場を日本政府自身がとり、その立場をそのまま外交に持ち込んでいることです。これって、問題を解決することよりも(そのために難しい外交交渉に挑むよりも)、勇ましい言葉を紡ぎ出すことに力を入れているということでしょう。外交による問題解決よりも選挙での勝利と言ったらいいでしょうか。

 でも、こんな稚拙な外交では、国民の利益が侵害されるっていうことが、次第に分かってくるのではないでしょうか。その日が近いことを願うばかりです。