2015年12月18日

 来年というか来月30日、自衛隊を活かす会の札幌企画があるので、その準備に。南スーダンの駆けつけ警護を議論する企画のため、札幌の20人もの方が「呼びかけ人」になってくださって、その会議に出てきます。そのまま東京に行って、来週22日の南シナ海企画へ。私用のようだけど、その二つをまとめて本にする予定なので、仕事半分。

 札幌で企画をするのは、自衛隊の北部方面隊が来年5月、駆けつけ警護の任務を与えられて派遣されそうだったからですが、それが延期になっても、大きな意味があると思います。自衛隊を活かす会との親和性というか。

 もともと、憲法をめぐる対決構図は、「専守防衛」VS「非武装中立」だったわけですが、そこが変わるきっかけとなったのは、札幌の運動でした。そう、自民党国会議員で国防族のタカ派だった箕輪登さんが、小泉内閣による自衛隊のイラク派遣に怒り、海外派兵は憲法に反するとして裁判に訴えたわけです。それを社会党や共産党の国会議員を含めて支援して全国的な闘争になりました。「専守防衛」と「非武装中立」が手を組み、「海外派兵」派と対抗する構図が生まれたわけです。

 それで早速、私が箕輪さんを含む本をつくった。それが『我、自衛隊を愛す 故に、憲法九条を守る』でした。そういう構図の変化は、護憲運動の内部ではあまり自覚されなかったけれど、大きな変化だったと思います。

 その路線を進んで、沖縄に海兵隊はいらないと主張していた柳澤協二さんの本をつくることとなり(最初は『抑止力を問う』)、その本を読んだ札幌の弁護士さんから柳澤さんと伊波洋一さんの対談をしたいと持ちかけられ、私がコーディネートして対談が実現したのが5年前。当初、弁護士関係の九条の会で主催したいとのことでしたが、当時の柳澤さんはまだ、九条の会主催のものには出ないという立場でしたので、主催者の名前を変えてもらったりしました。

 そういう経過があったので、今回、札幌で企画をしなければならないと自衛隊を活かす会で議論されたとき、何とかなるでしょうとして、関係者に相談し、実現する運びになったわけです。

 何というか、旧来的な論理にしばられず、運動が求める必要性に沿ってやっていくと、新しい運動が生まれ、理論が発展してくるんだと思います。札幌はその象徴のようなものです。

 ということで、伊丹に向かう時間です。行ってきます。

2015年12月17日

 昨日書いたこと、ホントになりました。共産党の安全保障政策の矛盾を共感を持って描くということです。iRONNAに載った後、産経新聞にも紹介される場合があるって。いやあ、純化路線を進む左派論壇と違って(野党共闘が焦点になってくるから、これからは違ってくるかも)、余裕があるんでしょうかね。

 最近、共産党の安全保障論をこのブログで書くことがよくあり、いろんな方からご心配の声が寄せられています。「問題にならないのですか」とか「共産党とは仲良くやってくださいね」とか。

 いやあ、大丈夫ですので(と思いますので)、ご心配には及びません。だって、共産党が国民連合政府で自衛隊を活用するという方針を打ちだした結果、見解の違いがなくなったのですから。

 これまでも、自分の見解は正直に書いてきましたし、その見解にそって活動もしてきました。出版もそうでしたし、自衛隊を活かす会もそうです。

 だけど、その自分の見解と対比する形で、共産党の安全保障論を論じることはしてきませんでした。いくら客観的に書いても、自分とは違うと言ってしまえば、批判することになりますからね。

 現在は、両者を対比して論じても、批判にならないでしょ。というか、論じれば論じるほど、褒めることになるし。

 もちろん、この新しい方針のもとで共産党が抱えることになる矛盾というのも、自分がずっと抱えてきた矛盾なわけです。だから、ずっと悩んできたことだし、共感もできるわけです。

 だけど同時に、これまでの方針が正しいと思ってきた人には、ついて行けない人もいるでしょう。どう変わろうが、議論もせずについて行くというのは、健全でもないし、実際にあり得ないでしょうし。

 だから、いま、「ホントにそれでいいの」って、議論が巻き起こってほしいんですよ。ところが、野党統一候補のことは関心が寄せられても、自衛隊活用のことは、ほとんど議論になっていないでしょう。その議論ために、自分なりの役割があると思っています。

 それにしても、いまふっと思うことは、自衛隊に関する見解でどこが違っているのかって、退職してから10年、どこでも活字にしなかったんですよね。当然だって言われるかもしれないけれど、すごい節度! Walking Dictionaryならぬ「歩く規約」かな。

2015年12月16日

 『SAPIO』に書いたばかりだけれど、今度は、もっとすごかった。さっき会社に電話がかかってきて、何かと思ったら、iRONNAへの寄稿依頼でした。

 共産党の特集をやろうとしていて、そこで共産党について書いてほしいだって。何を書くんですかと聞いたら、共産党の組織についてって言うんだよね。

 それは無理ですねと、いちおうお断り。その後、テーマが良くないんであって、安全保障論なら書けますよと言ったら、再検討して電話してくるそうです。

 来年、それを扱った本を書くわけなので、準備はできています。共産党の安全保障論を一言でいうと、立憲主義を守るということと、国民の命を守るということの相克のなかにあるということだと思います。

 立憲主義を守るって、戦争法反対の運動のなかでよく使われましたが、立憲主義を守ろうとすると、自衛隊違憲論に立っている限り、自衛隊を廃止しなければならないわけですよ。いまの運動にそういう自覚があるかどうか知りませんけれど。

 それでは国民の命に責任を負えない。政党としては当然ですよね。そこで共産党は、1960年代からの長い間、現行憲法では自衛隊は認められないので廃止するけれども、将来、憲法を改正して自衛組織をつくることを展望していました。

 でも、そこには矛盾があるんです。いくつかありますが、二つだけ。

 一つは、じゃあ、はじめから憲法改正を提起すればいいじゃないかということです。それの方がすっきりするよということです。

 でも、それだと、当時の自民党は、自衛隊のことを憲法で明記するような憲法改正をめざしていたわけで、めざすべき憲法にあまり違いがなくなるのです。それに、自民党が本音で狙っていたのは、現在につながる集団的自衛権の行使できる国づくりだったわけで(自衛隊を憲法で明記してしまえば、個別的か集団的かにかかわらず行使できるようになった)、当面の方針としては、九条を含め憲法改悪阻止ということになります。大きな矛盾ですよね。将来にわたって護憲だという側からも、改憲が必要だという側からも、批判されます。

 もう一つは、自衛組織が存在しない期間が生まれてくる。その期間、攻められたらどうするのかということです。

 しかも、これも立憲主義から来ることですが、それを厳密に解釈すると、政府に憲法改正を提起する権限はないということになりますから、かなり長期間にわたる可能性があります。そこで、昔は、護憲で一致する民主連合政府の間(自衛隊を縮小して廃止する過程でもあります)は憲法改正に手をつけないとしてきましたが、その間にも議論は開始するという提起をしたりします。自衛組織がない期間を最小限にしようとしたわけです。でも、不安は解消しないわけで、やはり大きな矛盾を抱えていました。

 そうした経過をへて、1996年、憲法九条は将来にわたって変えないという方針になります。これで、護憲勢力からの批判はなくなりますが、攻められたらどうするのだという問題では、以前より大きな矛盾を抱え込むことになります。

 右派から見ると、ばかばかしいとか、お笑いだねということになるんでしょう。でも、私に言わせると、立憲主義も国民の命も大事で、その間で苦悩するというところが、共産党のいいところだと思います。律儀なんですね。

 だから、電話をしてこられた産経新聞の方には言ったのですが、そういう矛盾や苦悩は書くけれども、決して揶揄したり批判するという立場ではなく、共感する立場です。それでも良ければ書きますということです。

 担当の○○さん、ブログも読んでいるということでしたが、この記事も判断の基準にしてくださいね。どんな結果になるか楽しみにしています。

2015年12月15日

 自衛隊を活かす会は、ここでもお知らせしているように、新安保法制の予想される発動事例の検証ということで、企画を予定している。第1回目は南シナ海問題で、今月22日に東京、第2回目は南スーダン問題で、来月30日に札幌だ。

 札幌でやるのは、新安保法制が3月に施行されたら、5月に派遣予定の自衛隊の北部方面隊に対して、新法で「駆けつけ警護」の任務が与えられることが予想されたからである。しかし、報道によると、半年先延ばしになりそうだ。さすがに、参議院選挙前に世論を刺激したくないということなのだろう。

 それで、1月のシンポでどんな資料を配付するかを考えていて、じゃあその次、半年後の11月に派遣されるのはどこかと調べていたら、東北方面隊であった。いやあ、東北でも何かしなければ。

 そう思って、仙台の弁護士さんと連絡をとったら、是非、来春にやりたいとのこと。私は、参議院選挙の結果をふまえ、秋がいいのではと提案したのだけれど、東北方面隊が行くのなら、それが参議院選挙の焦点になるということで、やはり春にという希望だった。

 そうだよね。当然だよね。自分のスケジュール優先で考えてしまっていた。東北は全部が一人区だから、「我が県から派遣する自衛隊に駆けつけ警護の任務を与える候補なのか、それに反対する候補なのか」が争点になっていくことだろう。というか、そういう構図を自覚的につくらなければならない。

 いやあ、春は忙しいんです。5年目の3.11から福島に行くし、3月後半は、内田樹さん、石川康宏さんと訪ねるマルクスの旅でドイツ、イギリスに行って本づくりをするし。

 だけど、そんなこと言ってられないよな。駆けつけ警護って、すでに派遣済みの部隊の任務を追加するだけだから、国会での承認も不要で、あっという間に決まる可能性がある。それを押しとどめるには、東北の各県で自公候補が全敗、それも完敗することが求められるよなあ。

 よし、ここはがんばりどころ。無理してもやっていこう。こんなに意味のある選挙、二度と来ないかもしれないし。

2015年12月14日

 本日、病院で治療を受け、その後は安静。ということで、ブログも控えめに。

 『自虐も栄光も超えて──安倍晋三氏への手紙』は、年末から書き始める予定だったけど、一年で書き終わらないようなものなら、『対米従属の謎』の方を先行させようと思い、昨日、第一信(まえがき)を5000字だけ書いてみた。何とか数カ月で書き終わるかなあという感じ。やはり、こちらを先にしよう。

 それを書きながら思ったのは、村山談話と安倍談話って、比べて論じられることが多いし、そういう手法は間違いではないが、比べられないことも少なくないということだ。そもそも性格が異なるのではないか。

 だって、村山談話というのは、戦後50年を前にして、日本の侵略と植民地支配がアジアから改めて問題とされ、それに対応することを目的にしてつくられたものだ。ことの性格上、侵略と植民地支配にどういう態度をとるかが迫られ、それが論じられることになった。

 つまり、日本近現代史のうち、侵略と植民地支配にかかわる部分についての、国家としての評価だったわけである。日本近現代史の全体像を描き、評価したものではないのだ。

 日本近現代史の全体像ということになれば、光の部分も当然ある。欧米の抑圧の中で独立を守り抜いたことの誇りとか、経済的にもそれなりの成功を収めたこととか、戦後は殺し、殺されることがなかったこととか、その他。安倍談話は、その全体像を描こうとしているわけで、そこが村山談話と違うのだ。

 ところが、村山談話について、それを日本近現代史の全体像の基本的評価であるかのように捉える考え方があった。そういう人たちは、光の部分を重視しようとする試みに対して、侵略と植民地支配の悪行を対置して否定することになる。

 けれど、光があることは事実であって、それまで否定するとなると、いわゆる歴史修正主義者が批判するというだけでなく、ふつうの国民にも受け入れがたいだろう。この20年、いわゆる自虐史観派と歴史修正主義者の争いがあって、学問の世界でどちらが優位だったかは別にして、世論のレベルで歴史修正主義が圧勝したのは、ふつうの国民を味方につけたからだと思う。

 だから、日本近現代史の全体像をどう評価するかが、左翼にもいま求められていると思う。安倍談話の個々の部分を批判するというのではなく、光と影の双方の区別と関連を捉え、本質的に超えるものが打ち出せるかどうかだ。成功するか失敗するかわからないけれど、挑戦してみようと思った。