2015年12月11日

 昨日は、ブログを書いてないと自覚したのが、もう夜の10時頃でした。朝からずっと詰めた仕事をしていたんです。

 来年の3.11に向けた本なんですけどね。何回か書きましたが、福島の「生業訴訟」の公判の度ごとに、傍聴には入れない原告のために実施している連続講演会をまとめた本です。

 タイトルは「福島が日本を超える日」(仮)。こんな構成になります。

はじめに(編集部)
一、原発再稼働で日本経済は良くならない(浜矩子)
二、福島第一原発事故と『永続敗戦論』(白井聡)
三、福島から広がる里山資本主義(藻谷浩介)
四、もし「あまちゃん」の舞台が福島だったら(大友良英)
五、3.11が日本に問いかけたこと(内田樹)

 どうですか。著者とタイトルだけ見ても、魅力的だと思いますよね。

 内容は想像を超えてすごいです。何というか、約200名の被災者・原告を前にして講演しているわけですよね。一方、その同じ時間、裁判が開かれていて、国と東電の責任を問うやりとりがされているわけです。その緊張感が、講演する人と、講演を聴く人の関係に表れるんです。

 講演者は、引き受けてくれた時点で、そういう場で話すのだということが分かります。そして、ふつうの講演とは違って、ある闘いに自分も参加するのだという気持ちになって来られるのです。そして、それぞれなりの話し方で、「生業訴訟」の意味をどう捉え、講演することにしたのかにも言及してくれます。

 そういう講演者の意気込みが、講演を聴いている側にも伝わってくる。質疑応答を聞いていても、両者の心のふれあいが感じられるんです。

 この1年、「どなたのお話が聞きたいですか」と原告の方々に伺い、連絡先を知らなかった場合は必死で調べ、どうアプローチしたら引き受けてもらえるかを考え、そして当日は福島に行って自分でも聞いてきました。

 現地では、次から次へと著名な方が来られるということで、それなりに評判になっているとのことです。この裁判、国と東電の責任を問うことを主眼にしているという点では、他の裁判と性格が異なっていまして、世論をどう盛り上げるかが大事ですから、そういうことも意味があるんですね。

 私も、その度に原告の方に感謝されますし、うれしいことです。でも、いちばん得したのは私でしょうね。こういう方々のお話を全部聞けて、新しくおつきあいできる方も生まれて、それを本にできるんですからね。

 原告のみなさん、ありがとうございます。これからの裁判でもよろしくお願いします。

2015年12月9日

 「自衛隊を活かす会」は来年1月30日(土)、札幌でシンポジウムをすることになっています。ホームページではすでに紹介済みです。

20160130シンポ_ネット掲載版

 これは、「新安保法制の予想される発動事例の検証」と銘打って開始したシリーズ企画の2回目です。第1回は、今月22日(火)、南シナ海問題をとりあげますが、申込者が殺到してキャンセル待ち状態。札幌の方は広い会場でやりますので、とくに事前予約は必要としません。

 6月の関西企画に続く地方企画ですが、札幌でやることにしたのは、当初、北海道の自衛隊が駆けつけ警護の任務を付与され、南スーダンに5月から派遣されそうだったからです。参議院選挙を意識して、半年後に伸ばされそうですが、予定通り実施しますので、札幌と周辺の方はどうぞお越し下さい。

 自衛隊を活かす会のメンバー以外に、元幹部自衛官(職場との関係でお名前は出していませんが、すでに決まっています)が駆けつけ警護問題を、スーダン出身の方が紛争地域が日本に何を期待しているかを語ります。この12月、南スーダンに派遣された自衛隊で交代で戻ってくる部隊があるので、そこに取材して現地の最新の様子もお伝えできると思います。

 外務省の渡航情報を見れば分かるように、南スーダンは現在、首都のジュバを除いて、レベル4の「退避勧告」が出ています。「退避してください。渡航は止めてください」というものですね。ジュバだってレベル3の「渡航中止勧告」です。

 そこで国連PKOが「住民保護」を任務にして活動しているわけですが、誰が保護すべき住民で、誰が排除すべき「敵」かが分からない状態です。イラクに派遣された自衛隊の場合も、南スーダンと同様に復興支援が任務だったのですが、それでもあわや殺すか、殺されるかという場面がありました。現在の南スーダンは、当時のイラクと比べても、派遣された自衛隊をめぐる状況はきびしいです。そこに、新たに成立した戦争法の具体化として、自衛隊の任務に「駆けつけ警護」を加えるというわけですから、どうなっていくかは見えています。

 では、戦争法を廃止すればいいかというと、それだけではダメだということが悩ましい。いま述べたように、これまで自衛隊がこれまで殺し、殺されなかったのが、ほとんど偶然なのです。現在の自衛隊は、戦争法以前、現行法にもとづき派遣された部隊であって、戦争が11本すべて廃止されたからといって、危険が去るわけではないのです。

 しかも、南スーダン派遣は、民主党政権のときに決まったことです。さらに、たとえ駆けつけ警護の任務が付与されても、南スーダンへの自衛隊派遣は継続案件なので、国会の承認が不要です。参議院選挙で野党が多数を占め、派遣を承認しないというやり方が通用しません。

 よほど、南スーダン問題の現状や展望を明らかにすることができなければ、成立した戦争法が発動されるという「実績」ができてしまいます。どうやって運動をしていくのか、覚悟が求められますね。

2015年12月8日

 以前、予告していましたが、やっとメドがたちました。聽濤弘さんの新著です。270ページにもなる大著になりました。来年1月半ばに書店に並びます。サブタイトルは「アメリカ、中国、IS、ロシア、EU」。

マルクスチラシ

 昔は、こういう「世界論」って書く人が多かったですけど、最近、あまり見かけませんよね。とりわけマルクス主義の立場で書く人はいなくなりました。でも、これだけの激動期ですから、関心が持たれるのではないかと期待しています。

 この本の作成過程で知ったのですが、再来年のロシア革命100周年を記念して、モスクワで社会主義フォーラムが開催されるそうです。ロシア共産党は共産主義とは関係のないロシア大国主義党になってしまいましたが、社会主義・共産主義を大事に思う潮流はいるそうで、日本からも研究者を中心にかなりの人が参加予定とか。

 社会主義論というものを、狭い内輪の話にせず、どうやったら一般の論壇でも議論されるようにするのか。これは、来年、再来年の大きな課題ですね。

 とにかく、この本の目次を紹介しておきます。

序章 「二一世紀の新しい神聖同盟」の結成──安倍政権の狙い
第一章 中国をどうみるか──「社会主義」か「資本主義」か(*マルクスと非マルクス
第二章 米日中関係をどうみるか──その基本的視角について(*カントとマルクスの平和規範)
第三章 なぜテロが多発する中東・アフリカなのか(*エンゲルスのイスラム教・アラブ世界観とマルクス)
第四章 ロシアとウクライナ問題の本質(*マルクス主義者・レーニンの見解から)
第五章 揺れるEU──その本質と現状をどうみるか(*マルクスと「世界市場」)
第六章 ASEANとラテンアメリカ共同体(*そのどこが違うか)
おわりに マルクスを越えて──市民と市民運動の問題
補論1 なぜ「米ソ冷戦終結」は可能だったのか(*「ぺレストロイカ」はなぜ失敗したか)
補論2 「日ロ領土問題」解決の道はどこにあるのか(*日ソ両共産党会談の歴史もふりかえりながら)

2015年12月7日

 先週木曜日、こういう本を書きたいと宣言し、週末にいろいろ手を打ちました。その結果、ぐっと現実味が増してきました。ある出版社が関心を示してくれたのです。

 ただ、当然のことでしょうが、そんなタイトルの本が商業的に成功する見込みは薄いということでした。だから、その前にべつの本を書かないかというのが最初の申し出でした。

 どんな本かというと、なぜ日本は対米従属なのか、その理由、原因を書くというものです。実態としてひどいことは指摘するまでもありません。その原因として安保条約や地位協定を強調する見解もあります。だけど、NATO条約やNATO軍地位協定だって、細かな違いはあるけれど、本質的に別物だとは思えない。なぜ日本だけがいつまでも従属国家なのかということを探る本を書いてほしいというものでした。

 それって大事なことで、これまでもバラバラとは書いてきたつもりですが、まとまってはいなかった。だから、この際、本にしてしまおうと思いました。

 私の考えは、その出版社がいうように従属問題単体で出すのではなく、その補論に、「共産党の安全保障政策の変遷」を持ってこようというものです。本の章立ては以下のようになります。

タイトル 対米従属の謎──なぜ70年経っても変わらないのか
はじめに
第1章 従属の原点──日本「独立」の特殊性
第2章 従属の形成──行政協定から地位協定へ
第3章 従属の展開──沖縄返還交渉と慣行の慣習化
第4章 従属の深層──保革両派の軍事戦略の欠落
おわりに
補論 日本共産党の安全保障政策の変遷

 なぜ補論にこれが必要かというと、日本に独自の軍事戦略がないことが、真の独立を妨げている重要な要因だと感じるわけですが、共産党は、その安全保障政策を確立しようとする歴史のなかで、そこを打破しようとした局面もあったからです。いわゆる「中立・自衛」政策です。そして今回、国民連合政府で自衛隊の活用を打ちだしたことによって、再びそこに挑む可能性があるからです。

 問題は時間ですよね。補論だけだったら2週間で書けると思っていましたが、これ全体を書くには2カ月はいるでしょう。『自虐も栄光も超えて──安倍晋三氏への手紙』も必死の勉強を終えて、年末から書き始めようとしていたわけですが、どちらを優先するか悩ましいところです。

2015年12月5日

 NEWSポストセブンというサイトがあります。小学館が発行する「週刊ポスト」とか「女性セブン」など4誌が共同で運営しているものです。そこに本日から3回連載で私のインタビューが載ります。

 題して、「元共産党外交部長 日韓関係改善には「左翼が妥協を」。このサイト、4誌の紙面に載ったのを再掲する場合が多いようですが、私のは独自記事となります。

 先日、東京に行ったとき、インタビューを受けたんです。歯茎がはれていて、それが写真でも分かりますが、ご容赦を。

 実際にお話ししたことが、少し柔らかめに編集されているでしょうか。慰安婦問題を解決しようとする運動のなかで、「妥協」をめざす人々に対して投げかけられる批判に対して、かなり強い言葉で問題にしました。

 河野談話も、この談話にもとづくアジア女性基金も、いわば妥協の産物でした。理想をめざすけれども、とりあえずここで妥協しようというものでした。

 けれど、それに満足しないというだけならいいのですが、その妥協に対して、「敵」に浴びせかけるような批判をした人たちもいました。国の法的責任の回避であり、それをごまかす点では、敵よりもっと悪質だという感じで。

 言葉としては、「社民主要打撃論」って聞いたことがありました。共産主義運動内部の用語で、敵を倒す上では、まず社会民主主義勢力を倒さなければならないというもので、昔はそんなことがあったのだなあと、いわば「歴史の一部」として知っていたのです。

 けれど、河野談話とアジア女性基金をめぐって、運動が分裂し、お互いの批判が飛び交う中で、社民主要打撃論的な思想が、過去のものではないことを思い知らされました。目の前で、敵と闘うのではなく、仲間内を攻撃し、それが現実的な影響力を及ぼすのを見たのですから。

 それから20年が経ち、少しはその傷が修復されたかなと思っていました。実際、挺対協の側にも歩み寄る姿勢があるし、安倍さんだって、何とかしようとしたわけです。

 けれど、朴裕河さんの著作『帝国の慰安婦』をめぐる言論を眺めていると、「いや、少しも変わってないな」と感じます。慰安婦問題の解決に努力すべき運動の側は、あまり変わっていない人が多すぎる。

 慰安婦問題をリードしてきたある有名な歴史学者は、私に対して、朴裕河さんはきわめて悪質で、歴史修正主義者の方がマシだとまで言い放ちました。歴史修正主義者は「敵」なわけですから、その敵より悪質だという位置づけです。

 日韓首脳会談で、慰安婦問題で何らかの合意を達成しようという意思が表明され、努力が開始されています。それが実を結ぶことを願い、努力したいと思いますが、運動の側がこれでは、河野談話とアジア女性基金のときの再来ということになりかねません。

 それって、悲劇だと思いませんか。私は二度と見たくありません。慰安婦の生あるうちに何らかの合意を達成し、安らかな日々をと思う人は、是非、声をあげてほしいと思います。