2016年3月8日

 本日の朝、NHKの「おはよう日本」で、福島市のさくら保育園のことがとりあげられていましたね。私がこの保育園を訪ねた際にお会いした齊藤美智子園長も、テレビでインタビューに答えておられました。

 さくら保育園って、福島市の渡利地区にあります。渡利は県内でも放射線が高い地区として有名でした。3.11の後って、当然のことですが、どの保育園の放射線がどの程度かということが保育園選びの基準となり、さくら保育園は当初、入園希望者が減って定員割れになったところです。

 この5年間、放射線量を減らすため、どんな取り組みをしてきたのかを、テレビは追いかけていました。ホントにすごい努力だったんです。

 その努力の内容って、努力したわけでもない私がここで書いても、十分には伝わりません。その全貌は、弊社が出している『それでも、さくらは咲く』(さくら保育園/編)で分かります。是非、ご一読を。

 いまではだいぶ減ったと思いますが、当時、福島に残って子育てをすること自体が、「子どもにひどいことをしている」とネットなどで叩かれていました。保育園の会議などでもそういう問題を議論しながら、みんなはじめて経験する事態を乗り切ってきたわけです。

 行政がやる前から、いち早く放射線測定器を購入し、安全なものだけを子どもに食べさせるようにしたりとか。行政がその後、導入を決めたので、補助金をもらおうと思ったら、決める前に導入したものは補助しないとか言われたりするんですよね。

 子どもは外で思いっきり遊ばないと成長しないからと、園庭から始まって、散歩道などどんどん除染していくわけです。行政が除染する場所は限られているので、それ以外のところは自分で努力するしかないんですね。

 園長先生の願いは、保育園の裏山が子どもの絶好の遊び場なので、そこで遊べるようになることでした。どうしても自分が退職するこの3月までにと思っていた。でも、それは実現しなかったんです。テレビでは冷静に語っておられましたが、その結果が知らされたとき、すごく泣いておられたそうです。

 でも、そうやって努力しているから、さくら保育園の子どもの放射線量って、他の県の実測値と比べても変わらないんです。低いくらいなんです。

 こんな努力をしてきたわけですから、福島の人の成長って、半端じゃないでしょうね。『福島が日本を超える日』のコピーは、「日本の未来は福島の先にある」というんですけど、心からそう思います。今週は3.11の日から13日まで福島です。

2016年3月7日

 参議院選挙に向かうにつれて、これが大事になってくると思われる。安倍さんが「今度の選挙は自公VS民共の対決だ」と言ったのも、野党は野合していると印象づけるためのもので、これからますます強まってくるだろう。

 野合論って、共産党の政策が他の野党とは違うということを強調することにより、他の野党の腰を引かせるところに狙いがある。あるいは保守層が近づかないようにすることも狙いかもしれない。同時に、これまで理想の実現を願って共産党に投票してきた人に対して、「あんな野党に投票できるのか」と牽制する意味もあるだろうね。

 狙いがいろいろあるのだから、反論もいろいろあっていい。だから、これからこのブログでも論じていくつもり。

 野合論の中心にあるのは、安全保障政策の違いである。日米安保どころか自衛隊も認めない共産党と手を組むのはどうかというものだ。

 これについても、いろいろな反論があり得る。ただ、「自衛隊を活かす会」の取り組みをやってきたものとして言えば、安全保障政策は他の分野の政策と比べても野合論が通用しないことを強調しておきたい。

 それはなぜかというと、「自衛隊を活かす会」が昨年5月に公表した提言(「変貌する安全保障環境における「専守防衛」と自衛隊の役割」)が、野党が協力しあうための政策の基礎になると考えているからである。この「提言」にはそういう目的があることを、「会」代表の柳澤協二さんは、昨年6月に出した本(『新安保法制は日本をどこに導くか』)で、次のように言っている。

 「これは、いま安倍政権が進んでいる道への批判です。同時に、それに対抗する側の政策提言の基礎になると自負しています。先ほど、護憲派が戦争のことをリアルに語ることが大事だと述べましたが、防衛戦略を持つ護憲派になっていくことが、安倍政権に対抗する力をつけていく上で、きわめて大事なのではないかと考えます。是非、多くの方々に読んでいただき、活発に議論してほしいと思います」

 いやあ、この時点で、いまの野党共闘の動きを読んでいたみたい。すごいね。

 「自衛隊を活かす会」って、世論的にはまだあまり認知されていないが、政党や国会議員への働きかけは、特別に重視してきた。シンポジウムの大半は国会の議員会館で開いてきたし、チラシは議員の数だけ印刷し、複数の政党関係者の協力を得て、事前に全戸配布している。これとは別に、各党の政審会長には毎回案内を出している。

 野党関係者には、「提言」をそのまま採用してほしいとは言わないけれど、是非、叩き台にして議論をしてほしい。そうすれば、一番隔たりが大きいと思われていた安全保障政策の分野で、野合論を許さない気持ちよい協力関係が築けるはずなのだ。

 共産党が国民連合政府構想の発表とともに、この連合政府のもとで自衛隊や日米安保条約の活用という方針を打ちだした。そのことがもっと宣伝され、民主や維新の支持者、共産党の支持者に自覚されていけば、野合論はまったく通用しなくなるし、野党が協力するのも当然だということになるだろう。野党間の違いよりも、「提言」と自民党の安全保障政策の違いのほうが、ずっと大きいことに世論が気づいていくはずだ。

2016年3月4日

 辺野古での新基地建設をめぐり、政府と沖縄の双方が裁判所の和解案を受け入れることになったのは、政治的には大きなできごとだと思う。話し合いをせず問答無用で突っ走ることが政府の計画にも支障を来すという判断をしなければならないほど、政府の側も矛盾を抱え込んでいることが示された格好だろう。

 ただ、話し合いを再開するとしても、政府の態度が変わらないわけだから、どこかの時点で工事を開始するだろうことも見えている。参議院選挙を前にあまりに強権的にやっていると、選挙の結果にも否定的な影響が出るという判断もあっただろうから、盤石の体制で参議院選挙を闘うための戦術という見方もできる。

 しかし、いずれにせよ、時間ができたことに疑いはない。辺野古の新基地建設を止めさせるには、日本全土でその世論が高まることが不可欠だ。この問題を参議院選挙の争点にして、日本の安全保障のためにも辺野古の新基地建設は不要だという世論の構図をつくらなければならない。

 ただ、野党の統一候補問題が前進しているといっても、辺野古の問題は難しい。何と言っても民主党は鳩山さんが変心して、辺野古移設に変わった経緯があるから、野党の一致点にはなりにくい。「話し合いをせずに強行するのはやめよ」程度の一致点にしかならない。辺野古反対という世論は、それを望む人々の独自の運動が不可欠なのだ。

 5月に沖縄基地問題で2つの本を出す予定だけれど、まだまだだろうなあ。沖縄問題を全国の世論にするために、どんな主張が求められていて、そのためにはどんな本が必要なのか、真剣に考えないとダメだよね。

 「自衛隊を活かす会」の沖縄企画も、この秋にやりたい。「抑止力を考えたら辺野古しかない」というのが鳩山さんの言葉だったし、いまの自民党政権も同じだ。だから、沖縄で企画をする場合、「抑止力に替わって誰もが納得しうる安全保障の対案はこれだ」みたいな企画になるだろう。さて、どうするか。

2016年3月3日

 本日は午後から新大阪へ。著者である大学の先生と打合せ。

 その仕事の続きで、話題は革命論へ。これって、いつかは自分でも挑戦したい分野だ。

 日本共産党が資本主義から社会主義への移行を「革命」と呼ばなくなって久しい。これは衝撃的な変化だったが、私の周りでは、あまり話題にならなかった。

 変化の根拠となっているのは、レーニンの有名なテーゼである。「革命とは権力の移行」という、あのテーゼ。

 昔は、資本主義においては独占資本が権力をにぎっていて、社会主義では労働者階級が権力をにぎるとされていた。こうして権力の移行があるので「革命」と呼ぶのが当然とされてきたわけだ。

 しかし、日本共産党は、資本主義の枠内における民主主義革命の段階で権力が人民に移行すると考える。そして、社会主義になって労働者階級が権力をにぎっても、人民権力の枠内なので、「革命」と呼ぶにはふさわしくないということなのだ。

 ただ、そういうことになると、資本主義の枠内における革命というのは、いったどの時点でのことかという難しい問題が生まれる。人民が権力をにぎるって、どういう状態のことなんだろう。

 共産党のいう民主主義革命というのは、現在では、民主連合政府の樹立をもって開始されるということだから、その段階で人民が権力をにぎるのだろうか。しかし、それ以前の段階では独占資本の代表者が権力をにぎっていて、民主連合政府になったら人民が権力をにぎるって、かなり機械的な理解になるだろう。

 また、そういうことになると、いま共産党が提唱している国民連合政府というのは、人民の権力と何の関係もないのかということになる。共産党は、安保法制廃止の市民運動を捉えて「市民革命」と呼んでいるのだから、「革命とは権力の移行」という見地からして、国民連合政府の段階で、部分的であっても何らかの権力の移行が行われると考えていることになる。

 さらに、主権在民とそれを選挙で貫くための仕組みである普通選挙権があり、どんな政府であれその選挙を通じて生まれているわけだが、それだけでは人民が権力をにぎっているということにはならないのか。あるいは、民主党政権ができたときも、権力の移行というのは1%もなかったのか。

 よく、日本では主権在民といっても自分で闘いとったものではないから、成熟度が低いといわれる。だからまだ独占資本の代表者が権力をにぎっているのだと。

 それを認めるとして、では、主権在民を自分で闘い取った国では、すでにかなりの程度で人民権力が確立していると言えるのだろうか。もちろん、どの国にも独占資本は存在しているわけだが、それと人民権力の関係をどう理解したらいいのだろうか。

 いずれにせよ、主権在民のない国では、どうひねくり回しても権力が人民のものになることはないのだから、そういう見地で中国を見ると何が言えるのだろう。中国ではまだ「革命」さえ起きていないということだろうか。革命だと捉えるなら、どの権力からどの権力への移行だったのだろうか。

 こういう問題にすっきりと決着を付けたいな。そうじゃないと、どうも力が湧いてきません。
 

2016年3月2日

 出張が長引いています。本日中には京都に戻りますけど。

 昨日の夜は、東京書籍の方とお会いしていました。教科書で有名な出版社ですけど、再就職の依頼とかではありません。そんな仕事、できないし。

 東京書籍は、内田樹さんと釈徹宗さんの『聖地巡礼』という本を出しているんです。いろいろな聖地を訪れ、お二人で語り合うという趣向の本。聖なるものにふれて、そこで感じることって、やはりあるんでしょうね。お二人が語り合うと、また格別です。

 今月23日から、内田樹さんと石川康宏さんとご一緒して、マルクスの旅をやるって言ったでしょ。それが差し迫ってきたので、同じような趣向の本を出している方にお会いして、いろいろ経験を伺うのが目的でした。

 いやあ、思いがけないことが、いろいろと起きるんですね。海外で失敗したら取りかえしが付かないから、相当準備しないといけません。

 まあ、ただ、お二人が(くわえて池田香代子さんまで)9日間も一緒に語り合うわけですから、取り越し苦労なのかもしれません。東京書籍の方も、「1冊では収録しきれないかもしれませんね」と励ましてくれました。がんばります。

 それと、思いつきですけど、来年は「レーニンの旅」をやろうと思っています。ロシア革命100周年でもあるし、社会主義に未来があるのかを考える旅って、いいんじゃないでしょうか。

 レーニンが亡命し、『国家と革命』を書いたフィンランドにも行きます。ここには、世界で唯一の「レーニン博物館」もあるんですって。

 以上のこととは関係ないですけど、下の画像をご覧ください。弊社の東京事務所の近くにある三省堂書店の神保町本店です。すごいでしょ。

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 書店からの注文が相次いで、何と初刷り7000部でした。でも、増刷を重ねることによって、『福島が日本を超える日』を早く実現したいです。

 これに続いて、『沖縄が日本を倒す日』も出します。早く出して、『福島が日本を超える日』と並べたいな。