2016年4月20日

 「国民連合政府」は、新安保法制の廃止と立憲主義の回復が基本的な目的だとされる。そこまでの仕事をやり遂げたら、再び解散・総選挙をやって、次の政権を選択するとされていた。あくまで暫定的な政府である。

 それなら、自衛隊や安保条約をどうするかは一致点にしないわけだから、別に、日本有事で自衛隊や安保条約を使うとまで言わなくても良かったはずだ。共産党に寄せられている批判は(推測だが)、そういう重大問題を議論もなく公表するという手続き問題にくわえ、平和のために安保廃棄と自衛隊解消が必要だと自覚して全力をあげてきたと思っていたのに、それを使うなんて正反対のことであって、とんでもないという気持ちがあるからだろう(これについては明日の記事で書く)。

 しかし、いくら特定の限られた課題での暫定政権であったとしても、それなりの期間、政権をともにするわけである。新安保法制を廃止するのだって、なんの審議もなくやるわけにはいかないし、それどころか「徹底審議」をすることになるだろう。

 それならその期間、経済にせよ安全保障にせよ、政権にはなんの一致点もないというわけにはいかない。「その期間に攻められることがあったらどうするのか」「来年4月に予定されている消費税引き上げにどう対応するのか」などに回答が必要になってくる。だから、安保法制廃止で野党共闘しているからといって政権共闘は別物だという、民進党岡田さんの立場は当然である。

 というか、暫定政権論というのは、理論的な問題としては認識してきたけれども、こうやってはじめて現実の問題になってくると、なかなか難しいと感じる。特定課題だけをやってあとは解散・総選挙をまたまたやるのだということが、はたして国民に受け入れられるのか、難しいのではないかと感じるのだ。

 いずれにせよ、たとえ新安保法制廃止のためだけの暫定政権であったとしても、日本有事のどうするのかという基本問題への回答は必要だ。その点で、自衛隊の出動、日米安保の発動という回答を出した共産党の態度は適切だったと思う。

 その線で、もっと議論がされて、安全保障の問題で野党が野合しているという自民党からの批判を打ち破るようになってほしい。この点が国民に知られるようになることが、決定的に重要である。

 残る問題は、共産党のなかのことである。これまで、安保条約は諸悪の根源で、だから安保を廃棄することが平和のためにもっとも大事なことだと主張してきたわけだ。それなのに平和のために(侵略を阻止するために)安保を使うというわけだ。

 たとえば消費税の問題などで、廃止が目標だけれど、連立のために「引き上げ反対」を一致点とするというのだったら、真逆のことではない。当面は引き上げ反対で将来は廃止ということで整合性がある。

 しかし、平和のために安保を廃棄するということと、平和のために安保を使うのでは、その整合性が問われてくるわけだ。共産党のなかには安保廃棄のために命をかけているような人が多いから、そこをどう考えるのかで悩んでいるのではないだろうか。(続)

2016年4月19日

 17日付の「赤旗」で、共産党の井上哲士参議院議員がBSフジの「プライムニュース」に出演した記事が掲載されていた。共産党の安全保障政策が番組のテーマだったらしい。

 まず、菅官房長官が北海道5区の応援演説で、「共産党の党綱領は日米安保条約の破棄、自衛隊の解散だ。日米同盟を破棄し、自衛隊を解散して国民の安全を守ることができるのか」とふれている事が紹介されたらしい。それについて、「赤旗」記事は「反共演説」だと批判している(井上さんの発言ではなく、あくまで「赤旗」記事)。

 ただ、菅さんは党綱領そのものを正確に引用している。実際、井上さんも、番組では、「日本共産党が綱領で日米安保廃棄、自衛隊解消を展望する意義を解説」したとされている。同じことを言って、菅さんが言ったら「反共演説」で、井上さんが言ったら正解ということでは、何がなんだかよく分からない。

 一方、井上さんは、安保廃棄と自衛隊解消について、「国民のみなさんがそれで安全が守れると思わなければ、できないし、やらない」と発言した。さらに、井上さんは、国民連合政府は「暫定的な政府」であることを強調しつつ、その政府では日本有事において、「自衛隊を出動させるし、日米の共同対処も安保条約に基づいてやる」とも述べている。

 昨年、共産党が国民連合政府構想を打ちだした直後、志位さんが外国特派員協会で、有事における自衛隊の出動と日米安保条約の発動を認める発言を行った。その後、「赤旗」にはその線での続報が一行たりとも載ってこなかったので、批判が殺到して取り下げたのかと思っていたが(殺到しているのは事実のようだが)、そうではなかったようだ。

 この問題、なかなか深い問題だと思う。新安保法制の廃止ということと、野党共闘と連立政権というテーマが凝縮する問題だ。安保廃棄・自衛隊解消と安保発動・自衛隊出動容認という正反対のことの狭間をどう埋めるかという問題でもある。ちょっと考えてみたい。

 これまで何回もかいてきたことだが、新安保法制の発動阻止という限定的な課題のためには、野党共闘は必要だが、野党政権までは必要がない。衆議院で多数にならなくても、参議院で多数をとって、発動についての承認をしなければいいわけだ。両院で承認しないと、発動できない構造である(南スーダンは以前から派遣されているものの継続なので国会承認案件にはならない)。

 しかし、新安保法制の廃止という課題の実現のためには、安倍政権の退場と安保法制廃止を掲げる新政権の誕生が不可欠である。参議院では野党共闘が進んでいるけれども、衆議院では民進党の岡田さんなども二の足を踏んでいて、そのことが「共闘派」から批判されているけれども、「政権をともにする」ということは相当の覚悟と準備がいる問題であり、特定の課題のための共闘とは質的に異なる高いレベルの共闘であることについては、よく理解してあげないとダメだと感じる。そのことを理解して対応しないと、政権共闘の展望も見えてこない。(続)
 
 

2016年4月18日

 昨日は私の母方の親戚一同が我が家に集合した。こんな集まりは30年ぶりだろう。11人の平均年齢を計算したら、ちょうど70歳ということで、こんな規模では二度と集まれないかもしれない(集まりたいけど)。

 東は東京から西は長崎から(みんな長崎県の崎戸という小さな島の出身だ)。長崎(諫早)から出てきた親戚は、熊本の地震で家が揺れはしたけれど、大丈夫だということを確認して出てきたのである。

 その熊本地震。さっそく菅官房長官が15日、憲法に緊急事態条項を入れることの「大切」さとからめ、記者会見で発言した。

 「今回のような大規模災害が発生したような緊急時に国民の安全を守るために、国家、国民みずからがどのような役割を果たすべきかを憲法にどのように位置づけるかについては大切な課題だ」

 なんでも憲法改正につなげようというのは、改憲をねらう人たちにとっては当然のことかもしれないし、わりと成功しやすい。だけど、今回に限って言うと、世論形成という点では失敗に終わると思う。

 なぜなら、現実の事態の進行が、行政権力に権限を集中させることの問題を浮き彫りにしたからである。みんな知っていることだが、初日、政府が「青空避難」を解消せよと主張し、それに対して、熊本県知事が、「避難所が足りなくてみなさんがあそこに出たわけではない。余震が怖くて部屋の中にいられないから出たんだ」と不快感を示したという問題である。

 いま安倍さんがいろいろ努力している姿は評価している。熊本の方々のためにがんばり抜いてほしいという気持ちを私がもっていることは当然である。

 「青空避難」の解消ということも、テレビその他で被災者の姿を見ていて、そういう気持ちが湧いてくるのは自然かもしれない。私だって、車で寝泊まりしている人の話を聞いていると、何とかならないかと感じることもある。

 だから、「青空避難」の解消は、善意で主張しているわけだ。別に独裁者が権力を集中して振り回そうという意図で発言しているわけではない。

 だけど、災害という非常事態において、現場にいるわけでもない人に権力を集中してしまうと、現実とかけ離れた対策がとられてしまう可能性があるというわけだ。いまの体制なら、政府が何かやろうとしても、現場にいる人たちの主張があって是正されるが、権力が集中されてしまうと、そういう力が働かなくなるということだ。

 緊急事態条項の創設について、独裁権力の確立が目的だという言い方がされることがある。そういう要素があることは否定しないが、あまりにおどろおどろしくて、現実味に欠けることも事実だ。

 今回の事態を見ながら思うのは、安倍さんが緊急事態条項をめざすのは、独裁権力というよりも、みんながうろたえている緊急事態において、自分だけがカッコよく指示を飛ばし、すべての行政機関、地方自治体が整然と動く姿を見せつけたいというところにあるのかもしれない。まあ、そのことによって政権への支持を増大させることになるなら、やはり独裁的な権力ができるのかもしれないけれどね。

 だけど、そういうやり方が現場とは軋轢を生み出すことが、今回の最大の教訓である。安倍さんはちゃんとその教訓をくみ出すことができるのだろうか。
 

2016年4月15日

 衆議院北海道5区補選、克服すべきは、やはり最後は「野合論」ですよね。いわゆる「謀略ビラ」なるものも出てきました。

 ただ、このビラ、少なくともオモテは、共産党の綱領を引用しているだけなんですよ。安保条約廃棄とか自衛隊の解消とか、そのまま正直に引用しています。

 それに対して、「赤旗」の本日の反撃解説、どうなんでしょうか。次のように書いてあります。

 「謀略ビラは、補選の焦点の問題にはいっさい触れず、共産党綱領をつまみ食いし、「日米同盟」「自衛隊」「天皇」をなくそうと主張しているかのようにねじまげています。まったくのこじつけです。」
 「綱領は、日本共産党がどんな段階、道筋を通って最終的にめざす未来社会をどう切りひらいていくかを明らかにしたもので、選挙政策と違います。将来の段階のことをもちだして野党共闘の分断を策しても、見当違いです」

 そうなんですか。私は、共産党の綱領にかかわって「未来社会」と言った場合、ずっとずっと将来の社会主義・共産主義を指すのだと思っていました。

 それに、安保条約の廃棄や自衛隊の解消は、綱領の言葉としても、「将来」「未来社会」ではありません。「現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである」として出てくるんです。
 
 「現在」、考えなければならないのは、そこに向かうためにも、安保条約や自衛隊の存在を前提とする段階が求められているということです。その積極的な意味を打ちだす必要があると思うんですけどね。共産党のためにというのではなく、池田候補が勝つためにね。

 それに比べると、「赤旗」の10日付は出色でした。15面で、迷彩柄の上着を着た元自衛官の共産党市議が、すべての自衛隊官舎前で以下のように訴えたことを報道しています。

 「日本の防衛ではなく、海外で自衛隊員が亡くなったとき、受け入れることができますか。改憲を狙う安倍首相についていく気持ちはありますか」「自衛隊員の命を守ることができるのは池田候補です」

 以前、北海道の民主党関係者が、共産党が自衛隊基地に来て騒いだら票が逃げると口にしたことをこのブログで書きましたが、そうでもないんですね。共産党こそが自衛隊の票を取れるんだって、見せてほしいです。

 ちなみに、この迷彩柄の元自衛官の共産党市議ですが、茨城県土浦市の井上圭一さんといって、弊社から昨年、本を出しています。『自衛官が共産党市議になった──憲法9条が結んだ縁』という本です。

2016年4月14日

 6月8日午後6時より、憲法9条をどうするのかを議論する催しが開かれることを、先日このブログで書きました(場所は日本記者クラブ10階ホール)。今のところ決まっているメンツは以下の通り。

 長谷川三千子(明確な改憲論)、井上達夫(9条削除論)、伊勢崎賢治(新9条論)、そして私(自衛隊を護憲の立場で活かす)。

 私だけが護憲ということになると(なお、伊勢崎さんも「自分は異端児だけど護憲だ」と叫んでおられます)、護憲派の全体を代表しないことになります。「自衛隊は違憲だから廃止せよ」と主張する護憲派がたくさんいるのだから、そういう人に出てもらわないと困るんです。

 だけど、難航しているみたいですね。私もある方を推薦しているんですが、どうなることやら。

 「今の局面で自衛隊廃止を主張しづらい」と思っているんでしょうか。確かに従来型の護憲派にとって、理論的に深めるべきことがたくさんあります。

 単に市民運動レベルで主張するなら、とくに問題ないんです。「自分は自衛隊廃止だけど、そうでない護憲派とも手をつないで9条を守る」ということで、立場が違っても協力しようということになりますから。だけど、市民運動がいまのように政権の誕生に関わろうとすると、とたんにいろいろ問われてきます。

 「自衛隊は即時に廃止すべきだ、廃止したほうが平和になるんだ」と主張するなら、その根拠が問われてきます。戦後も100をはるかに超える戦争があったけれども、日本だけは戦争に巻き込まれることはないというのか、戦争になっても反撃しない(占領を容認してレジスタンスで占領者を追いだすのか)ことが大事だというのか、よくよく考えなければなりません。そういう主張は、これまで仲間内では通用してきたと思いますが、国民投票の時代には、半分の国民を納得させる論理が求められてきます。

 そうではなく、「自衛隊廃止はしばらく先のこと」と言うと、まず「当面は使うのか。憲法に違反することを護憲派が主張するのか」と批判されます。この間の市民運動のなかで、「立憲主義を守る」ことが問われ、今度の選挙でもそれが大争点です。そして、自衛隊違憲論者にとっては、自衛隊の存在自体が立憲主義に反していることになるので、自衛隊を当面は容認するというなら、立憲主義を守れという主張との整合性が問題になってくるのです。

 従来型の護憲派にとっても、いまの時代というのは、新しいチャレンジが必要だと思います。そのチャレンジがあってこそ、護憲運動は成長していくと感じるので、是非、どなたか参加してほしいです。