2016年5月31日

 京都で配られている「赤旗」では本日、折り込み広告が入っていましたが、私が理事を務めている京都平和委員会が、来月18日(土)、「「ザ・思いやり」上映会&講演会」を開催します。午後1時から、場所はラボール京都(阪急もしくは嵐電の西院駅近く)の、なんと300名も入る大ホール。

 いま話題のドキュメンタリー映画「ザ・思いやり」を上映し、その後、私がお話しします。テーマは「対米従属の謎──70年経っても変わらないのはなぜか?」。似たようなタイトル『日米関係の謎──70年経ってもなぜ「対米従属」なのか』で本を書き始めているので、お引き受けすることにしました。当日券800円。

 いま、平和運動って、そのあり方をめぐって議論が求められていますよね。ずっと安保条約の廃棄、自衛隊の解消を求めて運動してきたわけですが、この参議院選挙では(1人区では)、それを掲げる政党が立候補しなくなって、安保と自衛隊を当然視する政党と候補者を選ばざるを得ません。複数区の大都市では顕在化していませんが、いずれ総選挙になると全国で同じことが起きるでしょう。

 それをどうやって説明するのか。戦争法廃止という大義のためのやむをえない妥協なのか。これまで安保は諸悪の根源だと言ってきたのに、実は妥協できる性格のものだったのか。

 あるいは、妥協ではなく、いくらかはその選択に積極的な意味をもたせるのか。つまり、安保や自衛隊を堅持する政権でも、その使い方次第では日本と世界の平和にとって意味のあることができると説明するのか。

 その場合、意味があるとなると、安保は諸悪の根源だという捉え方そのものを変えるのか。諸悪の根源だけれども、意味のある使い方が可能だとするのか。

 私がお話しするのは、タイトルにあるように、「対米従属」が生み出されてきた原因というか、その構造のようなものです。日本とNATO諸国って、同じように戦後ずっと米軍を受け入れてきたので、似ていると思われてきましたが、全然違うんですよね。

 まず出発点が違う。日本は敗戦にともなう占領があって、その延長として出発しましたが、NATO諸国は、戦勝国(イギリスやフランスなど)がソ連の脅威を前に、主権国家の行為として米軍駐留に踏み切ったわけです。その後の歴史も異なっています。それは講演でお話しします。

 だから、根本的には、そこから抜け出る道を選択しなければなりません。すごい力業が求められます。同時に、それだけの力業ができるだけの力量が身につけられれば、アメリカに意味のある転換を求められるかもしれません。というか、それをアメリカに求めていく過程で、現状から抜け出る力を蓄えていくということでしょうか。

 ご関心がありましたら、ご参加下さい。参議院選挙公示の直前ですが、選挙にも役に立つと思います。

2016年5月30日

 まず、以下の文章を見てほしい。

「第17条
1 1951年6月19日にロンドンで署名された「軍隊の地位に関する北大西洋条約当事国間の協定」が合衆国について効力を生じたときは、合衆国は、直ちに、日本国の選択により、日本国との間に前記の協定の相当規定と同様の刑事裁判権に関する協定を締結するものとする。
2 1に掲げる北大西洋条約協定が合衆国について効力を生ずるまでの間、合衆国の軍事裁判所及び当局は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族(日本の国籍のみを有するそれらの家族を除く。)が日本国内で犯すすべての罪について、専属的裁判権を日本国内で行使する権利を有する。この裁判権は、いつでも合衆国が放棄することができる。」

 これは、いわゆる日米行政協定のなかの一文である。現在、行政協定は地位協定と名前を変えているが、そのうち、いまでも問題となる裁判権に関するかつての規定である。アメリカの占領が終わり、日本が独立する際、旧日米安保条約とともに発効した(52年)。

 そう、まず、この後段の部分を見れば分かるように、独立したといっても、当初、日本はいっさいの裁判権を持たなかったのだ。現在は、公務中の犯罪はアメリカが、公務外の犯罪は日本が裁くことになっているが、出発点はそうではなかったのだ。

 これは独立国として異常なことだった。第二次大戦前の世界では、どこからか外国人がやってきて犯罪を犯した場合、その外国が裁判権を行使するなど、考えられないことだったのである。日本にとっても、幕末の不平等条約で領事裁判権を押しつけられ、その回復が独立をかけた闘いであったことは理解できるだろう。外国人を裁判できるのが独立国だった。

 軍隊の場合を見ると、平時に外国に駐留すること自体、かつてはあり得ないことだった。イギリス連邦諸国などで例外的に見られたが、そこで犯罪があった場合、やはり受け入れた国の裁判権に服するというのが基本的な考え方だったのである。戦時に同盟国に軍隊が駐留することはあったが、その場合は、まさに戦争を遂行している最中であり、勝利することが派遣国、受け入れ国の双方にとって必要なので、兵士の属する軍隊が行う軍法会議が裁くことになっていた。戦争中の特例という考え方だったのである。

 戦後の日本のように、独立した国が平時において外国軍隊の駐留を受け入れるのは、歴史上、初めてのできごとであった。だから、軍隊の裁判権をどうするのかというのは、まったく新しい考え方が必要とされていた。戦前のイギリス連邦諸国のように、すべて受け入れ国が裁くということだって、選択肢としてあったのだ。

 ところが日本は、はじめから、裁判権はアメリカにあるという考え方を受け入れた。出発点から独立を放棄したと言われても仕方のない措置であった。

 しかも、冒頭の引用の前段部分を見てほしい。これって、どういうことかというと、NATO諸国でも同様にアメリカ軍の裁判をどうするかが議論されていたのだが、その議論の結果が出れば、NATOと同じ裁判権方式にしますよということを意味していた。そして、NATOが、長期のはげしい議論の末、公務中はこうだ、公務外はこうだという仕分けをしたので、その方式が日本にも持ち込まれたというわけである。

 NATOができる前、欧州諸国だけでブリュッセル条約機構というのができていて、その条約では、裁判は受け入れ国がやるということになっていた。だから、欧州諸国は、その考え方をNATOの地位協定にも持ち込もうとした。米軍がやってきても、欧州諸国が裁くということだ。しかし、アメリカにとっては、欧州を守るためにやってくるのに、裁判権を放棄するなんてとんでもないということになる。そこで、長期のはげしい議論が闘わされ、妥協的な考え方になったということになる。

 その結論の評価は、ここでは措く。大事なのは、独立国なら、自分の権利を守るために必死に闘うということである。欧州諸国は米軍を受け入れるにあたっても、そういう立場でがんばった。

 しかし、日本政府は、自分ががんばることは最初からしなかった。欧州諸国とアメリカの協議を眺め、その結果をそのまま受け入れるということにしたのである。主権を守るために闘うという姿勢が、日本は原点から欠落していた。それをそのまま受け継いでいるのが、現在の地位協定をめぐる日本の姿勢である。だから、根底から変えなければならないのである。

2016年5月27日

 昨日、これが決議された。自民党は賛成しなかったが、全会一致の決議にするため、退席するという対応をとった。この意義は大きい。

 今回の事件が起きて以降、いろいろな議論がされている。その中には、米軍基地があるのが根源なのだから、すべての米軍基地を撤去せよというものもある。事件の容疑者が米空軍嘉手納基地に勤めていたわけで、この間、海兵隊に焦点があたってきたのを、より拡大するという意図があるのだろう。

 これは正論ではある。そういう主張をする勢力があるのは当然だ。ただし、米軍基地の全面撤去というのは、事実上、日米安保をなくせということだ。これも正論であって、そういう立場の勢力が持論を展開するのも当然である。しかし、そういう議論が野党側の主流になってしまっては、参議院選挙に否定的な影響をもたらすことになると思う。

 この問題をめぐっては、世論の分裂がある。基地被害をなくすには米軍基地の撤去を望むが、日本の平和のためには日米安保がなくなっては困るというのが、おおかたの考え方である。

 現在の翁長県政は、そういう世論にもとづいて成立している。安保条約をどうするかを選択肢として提示していては、沖縄といえども選挙で勝利することはできないのが現実だ。1月の宜野湾市長選挙は、普天間基地を抱える場所の選挙だから仕方なかった側面があるのだが、基地撤去を掲げる勢力と振興を重視する勢力の対決という、従来型の革新対保守の構図になってしまい、世論の多数を獲得するという点で弱点が生まれたのが敗因だと感じる。

 沖縄にしてそうなのだから、全国で野党がそれなりに前進しようと思うと、より慎重なアプローチが求められる。野党で一致しているのは新安保法制の廃止ということだけであって、たとえ何らかの政権ができるとしても、日米安保が現状のまま残るわけである。共産党だって、国民連合政府では、侵略されたら安保条約第5条が発動されると主張している。そういう時に、米軍の横暴や安保の危険を主張するのは当然だとしても、全米軍基地の撤去みたいになってしまうと、野党の協力は無意味化してしまう。

 一方、沖縄県議会が選択した全海兵隊の撤退というのは、そこをうまくクリアーするものだ。県議会が全海兵隊の撤退で一致するのは初めてのことであって、従来の対応をくり返していてはダメだという、現在の高まる沖縄の怒りに合致している。海兵隊はどこにいてもその役割を果たせるため、沖縄におらずともアメリカの戦略が成り立たなくなるわけではないので、日米安保の信頼性を重視する人たちを敵にまわすこともない(努力は必要だが)。しかも、地上部隊と航空部隊が離れていては困るという戦術上の要求があるので、普天間だけを移設するより合理的という側面もある。

 問題は民進党がこれを受け入れるだけの度量があるかどうかだ。鳩山政権の失敗がトラウマになっていて、いまだ県内移設の立場だが、沖縄県議会の全会一致の決議の重みを真剣に捉え、政策転換することを期待したい。というか、政策転換への絶好の機会を与えてもらったと、感謝して転換してほしい。それができると、野党による安倍政権への対抗軸ができることになり、国政選挙で大きな意味をもつことになるのではないだろうか。

2016年5月26日

 沖縄で事件が起きると、いつも地位協定の話になる。今回、日本の司法が及ばない公務中の犯罪ではなく、かつ日本側が容疑者の身柄を確保しているので、地位協定が捜査の妨げになることはないが、それでも地位協定の改定が焦点となるのは、この問題に悔しい思いを抱いてきた県民の気持ちが爆発するからなのだろう。

 私自身は、地位協定の文面を見直すのは大事だと思うが、それよりも見直しを提起することすらできない日本政府の姿勢の問題が決定的だと、常々感じている。協定の文面の問題ではない部分が大きいというか、現在の日米関係そのものをなんとかしないと、文面がどうあれ屈辱的な事態になるというか、そういう感じだ。

 たとえば、2004年に沖縄国際大学で米軍ヘリが墜落する重大事故が発生した。その際、事故直後からアメリカ軍が現場を封鎖し、日本の警察は機体が搬出されるまで現場に入れないという事態が続いた。

 これって、公務中の事故だから、裁判になるとしても裁判権はアメリカにある。しかし、日米地位協定をどう解釈しても、アメリカ側の管理権が及ぶのは米軍基地のなかだけであって、日本の大学の敷地を米軍が封鎖するなんて、あり得ないことだったのだ。それなのに、日本政府はこれを容認した。地位協定をたてにして闘うことをしなかった。

 なぜ米軍は日本でこんなに横暴に振る舞えるのかと、よく聞かれる。しかし、同じような米軍事故があっても、かつてはそういうことはなかった。

 たとえば、1968年6月、米軍機(ファントム)が九州大学に墜落する事件があった。その時は、米軍が大学に入って封鎖するなんてことはしなかった。というか、そんなことは問題にもならなかった。

 九州大学は、米軍が機体の撤去作業をすることを拒否。機体は5カ月も大学に留め置かれ、10月になってようやく日本の機動隊4000名が入って、反対する学生を排除しつつ、米軍基地までもっていくことになったのだ。

 つまり、日本の領土なのだから、そして米軍基地のなかでもないのだから、そういうやり方が普通だったのである。米軍が機体の封鎖や搬送に関わることなど、誰も考えなかったのだ。

 ところが、アメリカの言うことには反発しない日本政府、それを見越して横暴に振る舞う在日米軍という構図が長く続くことによって、次第に、日米地位協定さえも踏みにじられるような日米関係が出来上がってきた。それが慣習といえるほどになってきた。

 要するに、何十年も経っているのだから、少しは自主的になるでしょうというのが普通の感覚だが、それが通用しないのが日米関係。何十年も従属している状態が普通になっているので、どんどん従属関係が深まっているというのが、日米関係なのだ。

 どこからどうやったらそれを断ち切れるのか。かなりの力業が不可欠なのだと思う。

2016年5月25日

 ちょっと忙しくて、記事が書けません。次の日曜日、大阪の柏原市9条の会で、このタイトルで講演するので、本日はそのレジメでご勘弁ください。

 はじめに

一、戦争と平和の構図が変わる
 1、南スーダンはどうなっていくのか
 2、南シナ海はどうなっていくか
 3、対テロ戦はどうなっていくか
 4、自衛隊はどうなっていくのか

二、国の形の構図が変わってくる
 1、国の形は簡単に変わりうる
 2、戦後日本の構図──建前の憲法と本音の安保
 3、本音の根源──売国と戦犯が結合して
 4、現局面──意味のある建前を本音が圧倒

三、闘う側も変わろうとしている
 1、イラク戦争で変化した憲法対決の構図
 2、オール沖縄型保革共闘が生まれた意味
 3、安全保障観の異なる共闘という初体験
 4、護憲派の議論と成長が問われている

 おわりに