2016年7月29日

 私がこの論文を書いたのは、2000年の第22回党大会決議にもとづくものでした。この大会は、憲法九条を将来にわたって堅持することをあらためて強調するとともに、次のように、自衛隊と九条の「矛盾を解消することは、一足飛びにはできない」として、自衛隊の解消が現実のものとなる過渡期には自衛隊を活用するという方針を打ち出したものでした(私はそう思い込んでいました)。

 「(自衛隊と九条との)この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要である」
 「そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である」

 ところが、常任幹部会からの批判は、私の立場は間違っているというものでした。この大会で打ちだした過渡期における自衛隊活用という際の「過渡期」とは、安保条約を廃棄する民主連合政府以降のことであって、それ以前の段階は含まれていないというのです。だから、時期を限定せず、「侵略されたら自衛隊で反撃する」と一般化する私の立場は、大会決定に反しているというものでした。

 常任幹部会によると、当初の大会議案の段階では、私のような誤解が生まれる恐れがあったそうで、そうならないために大会期間中に修正をくわえたそうです。具体的に言うと、決議に次のような修正が加わったのです。

 「……これは一定の期間、憲法と自衛隊との矛盾がつづくということだが……矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である」
 この修正文を加えた上で、その直後に「そうした過渡的な時期に、……自衛隊を国民の安全のために活用する」としたというのです。これは、「過渡的な時期」とは、「民主連合政府」の時期であることを示すものだというのが、常任幹部会の説明でした。

 しかし、大会では、そういう説明はされていませんでした。この大会の最終日、この部分をなぜ修正したのかという理由が、志位委員長より三つ示されました。一つは、「自衛隊の段階的解消という方針と日本国憲法との関係についての解明を、報告をふまえて、決議案に明記した」ことです。二つ目は、「『必要に迫られた場合』について、『急迫不正の主権侵害、大規模災害など』と具体的にのべた」ことです。三つ目は、「活用することは当然である」というと憲法上当然といっているように誤解されるので、表現を工夫したということです。

 どの修正理由にも、「自衛隊の活用は民主連合政府の段階」という説明はありません。それに、たとえそういう趣旨で修正がされていたとしても、それ以前の段階で侵略されたらどうするのかといえば、当然自衛隊で反撃することになるでしょうから、大会決定が明示的にそれを否定していない以上、「侵略されたら自衛隊が反撃するといえる」と私は主張しました。

 しかし、合意に達することはできません。その結果、この問題は引き続き議論していこうということになりました。そして、それとは別に、私の論文には「自衛隊は憲法九条違反」という規定がないことが問題となり、そこを自己批判すべきだということになったのです(最後に自己批判書全文を掲げます)。

 その後も、議論は続きました。けれども、私の主張は受け入れられることになりません。それならそれで仕方ないのですが、大会での修正がそういう意味を持っていたということを知らない人が多いのだから、次の大会で説明すべきだというのが私の立場でした。しかし、次の大会でもその説明はありませんでした。

 それらをふまえ、私は退職することになります。退職に際し、常任幹部会からは、「意見の違いは留保して活動することが大事であり、何が正しいかは実践で明らかになる」との指導がありました。

 それから10年が経ち、昨年、国民連合政府構想が呼びかけられ、その説明のなかで侵略された際の自衛隊の活用が打ちだされました。国民連合政府とは、いうまでもなく民主連合政府以前の政府構想ですので、以前の段階であっても自衛隊を活用するという方針の明確化でした。「意見の違いは留保して活動することが大事であり、何が正しいかは実践で明らかになる」という、共産党の組織原則は、本当に大切なものだと思います。(了)

(以下、自己批判書全文)

前号「九条改憲反対を国民的規模でたたかうために」に関連して

 本誌の前号に標記の論文を寄稿したところ、多くのご意見が寄せられました。その
なかには、憲法や自衛隊の問題で日本共産党の見解が変わったのか、などの疑問も寄
せられています。
 前号論文の基本的なねらいは、自衛隊をめぐる問題での意見の違いをこえ、海外における武力行使をめざす国づくりに反対する一致点で、憲法九条改悪反対闘争をひろげようとするものでした。
 ところが、前号論文のなかには、自衛隊が憲法違反であると明記された筒所がありません。それを明記しないまま、「自衛権や自衛隊に反対しているわけではありません。むしろ、自衛隊は活用しようというのが、私たちの現在の立場です」とのべ、海外で戦争する国にすることに反対する一致点をつくろうと提起しています。これは、自衛隊は違憲であるという見地を堅持し、それを一貫して主張すべきとする日本共産党の基本的な見地と異なるものでした。
 党綱領は、憲法と自衛隊の問題で、次のようにのべています。
 「自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」
 ここには、〝第九条違反〟という認識と、〝自衛隊の解消によって第九条の完全実施にすすむ〟という目標」が「はっきりと書かれて」います(第二十三回党大会での綱領改定報告)。
 私は、前号論文で、日本共産党が「憲法九条を将来にわたって堅持するという方針」であること、「九条の文面どおり、戦力(常備軍を必要としない時代がやがてはやってくる」ことなど、自衛隊解消の問題を強調しています。しかし、自衛隊解消の一般的な強調にとどまり、憲法違反だから解消するのだという見地が明記されていなかったことは、正確ではなかったということです。
 もちろん、前号論文でも指摘しているように、九条改悪反対のたたかいは、そういう認識を一致点として求めるものではありません。自衛隊をめぐる問題での意見の速いをこえ、海外で武力行使する国づくりに反対することで共同をひろげるものだということは、あらためて強調しておきたいと考えます。

2016年7月28日

 いまではどうか知りませんが、当時、共産党のなかでは、自己批判とか相互批判という言葉がよく使われていました。間違いを犯した場合、周りからの批判に率直に耳を傾け、お互いが真剣に討論を行い、みずからの間違いの根源について思索を深め、成長の糧にするためのものと言ったらいいでしょうか。

 普通、そういうことを言うと、上級の人が下部を批判するというように捉えられがちです。しかし、そうでもないんだとびっくりしたのが、1983年の8月号の「前衛」でした。

 そうなんです。なんと不破哲三委員長と上田耕一郎副委員長が、そろって自己批判書をこの号に出したのです。不破さんのは、「民主集中制の原則問題をめぐって―党史の教訓と私の反省―」というものでした。上田さんのは、「『戦後革命論争史』についての反省―「六十年史」に照らして―」です。

 簡単に言うと、1960年以前、共産党は革命の基本方針をめぐって大きく意見が分裂した状態にあって、そこをなんとかしようと共産党の内部でいろいろ議論していたわけです。不破さんや上田さんは、その内部での議論にも参加していたわけですが、同時に、『戦後革命論争史』という本を出し(1956年〜57年)、外部からその議論に影響を与えようとした。それを「自由主義、分散主義、分派主義の誤り」だったとしたのが、この自己批判書だったのです。

 内容より以前に、26年も前に出した本のことについて、83年になって自己批判した、しかも共産党の最高幹部みずからが自己批判したということで、すごい組織だなあとびっくりした記憶があります。おそらく共産党が綱領を確定した60年以来、83年まで、自己批判という言葉は頻繁に使われていても、こういうことは初めてのできごとだったと思います。83年以降いままで33年経ちますが、その間にもなかったことです。ただ一件を除いて。

 その一件というのが、私のことでした(幹部ではありませんでしたが)。昨日まで連載していた『議会と自治体』に掲載した論文について、常任幹部会からきびしい批判が寄せられ、翌月号(2005年5月号)に、「前号「九条改憲反対を国民的規模でたたかうために」に関連して」と題して、私の自己批判書が掲載されたのです。いや、不破さんたちと並んでのことですから、何と言ったらいいか、自己批判の価値が落ちたかもしれませんが。

 ところで、ブログでこんなことを書いていると、それこそ不破さんではないですが、オマエが「自由主義、分散主義、分派主義の誤り」を冒しているのではないかとおしかりを受けそうです。意見の違いを外に出して影響を与えようとしているとか。

 でも違うんです。2005年からこれまでずっと、この問題は活字にしてきませんでした。11年経って、いまなぜこんなことを書いているかというと、時間が経って過去の問題になったからというようなものではなく、意見の違いがなくなったからなんです。だから、外部から影響を与えようにも、与える対象(意見の違い)そのものが存在していないんです。

 共産党の方針について多少でも知っておられる方なら、昨日までの3回の連載が方針に違反しているなんて、どなたも思われませんでしたよね。でも、当時はそう思われたんですね。(続)

2016年7月27日

 論文の紹介としては最後。明日以降、この論文をめぐって起きた問題を論評します。

(以下、紹介)

3、共同をひろげるうえで日本共産党の責務は大きい

●自衛隊についてのさまざまな意見の違いを超えた共同
 いま、各地の九条の会には、政治信条、党派の違いをこえ、多くの方々が結集しています。その動機はさまざまでしょうが、平和への熱い思いという点では、確固とした一致があります。

 同時に、ではどうやって平和を守るのかという問題では、これらの人びとのなかでも違いがあります。とりわけ、自衛隊の位置づけをめぐって、無視できない違いがあるといえます。大きく分ければ、自衛隊をできるだけ早くなくそうという人びとと、自衛隊の存在や活用は当然だという人びとがいます。そして、第一章でのべたように、自衛隊の存在を憲法に書き込もうという人びとにも、私たちは協力共同をよびかけなければなりません。こういう人びとの強力な団結をつくることなしに、改憲勢力の強大なカに対抗し、打ち勝つことはできません。

 日本共産党は、戦後すぐ、政府(吉田首相)が自衛権を否定していた当時から、「日本は自衛権をもっている」と主張してきました。現在、日本が侵略されたり、国内外で災害が発生したとき、自衛隊の活用は当然だという立場です。

 同時に、安保条約がなくなり、この地域で平和の情勢が展開するのに応じて、国民合意により、自衛隊を段階的に解消することをめざしています。

 自衛隊をなくそうという主張にも、自衛隊を活用しようという主張にも、日本共産党は共感できるのです。このような立場をとるだけに、九条改憲反対勢力を結集するうえで、日本共産党の役割は特別に大きいものがあります。

 この問題は、九条を守ろうという運動を、どのような性格のものとして発展させるべきかという、大きな意味をもつ問題です。少し立ち入って論じたいと思います。

●自衛隊の解消をめざす人びとは重要な役割をもつ
 九条を守る運動のなかで、自衛隊をできるだけ早くなくそうという立場の人びとは、その有力な一翼を担っています。そもそも軍隊と平和は両立しないのだ、と考える人もおられるでしょう。一方、自衛隊はアメリカに従属しているから、そういう現状のまま残しておいてはいけない、という人もいます。

 日本共産党は、九〇年代、憲法九条を将来にわたって堅持するという方針を確立しました。それは、九条の文面どおり、戦力(常備軍)を必要としない時代がやがてはやってくるという、歴史の流れへの確信に裏づけられています。

 本来、第二次大戦が終了し、国連が結成された時点で、そういう方向への歩みが起こるはずでした。しかし、現実には米ソの冷戦が開始され、勢力圏の維持を目的に軍事同盟が各地でつくられ、米ソが日本周辺でも対決していました。そのもとで、九〇年代以前は、九条を政治の大目標としてかかげることはできなかったのです(それでも、九条は日本の軍事大国化の歯止めとして機能してきましたから、その改悪を阻止することは一貫した目標でした)。

 ソ連が崩壊したことにより、その構造が変化したため、九条を将来にわたって堅持するという大目標をもつことが可能になりました。国連憲章が機能する時代が現実のものになる時代が訪れたのです。実際、最近のイラク戦争での国連の役割に見られるように、歴史は日本共産党が見通した方向にすすんでいます。

 これだけの変化があったわけですから、時代の先を見通す力のある人びとのなかで、憲法九条の理想をただちに実現しようとする人びとが生まれたことは、当然だったといえるでしょう。こういう人びとには、九条を守る運動において、引きつづき中心的な役割を担ってもらわなければなりません。

●現時点では、国民意識に立脚しつつ目の前の現実を変えること
 同時に、すでに紹介したように、国民全体からみれば、こういう人びとは少数です。せいぜい一割にすぎず、圧倒的多数は自衛隊を認める人びとです。

 では、自衛隊を認める人びとの認識が遅れているとか、平和への思いが劣っているかというと、そんなことは絶対にありません。日本共産党も、この地域に安保条約があり、紛争の火種があるもとで、自衛隊の活用は当然だと考えています。世界を見渡せば、侵略に訴える国はまだ存在しています。

 日本共産党は、大きな時代認識としては、戦力に頼ってきた時代から、戦力がなくなる時代になるだろうとは見通しているのです。それでも、現時点での政策判断は、現実の情勢と国民意識に立脚したものであるべきだというのが、日本共産党の立場です。

 この大きな時代認識を普遍的な流れにするためには、現実を変えねばなりません。安保条約がなくなることをはじめ、この地域の平和環境が改善されることが必要です。だから、日本共産党は、当面の課題としては、安保条約の廃棄、国連の平和ルールの確立をかかげ、全力をあげているのです。

 しかも、軍隊をもっていれば世界平和に貢献できない、ということはありません。イラク戦争の過程でも、軍隊を保有しているフランスやドイツが、積極的な平和の役割を果たしました。現在の世界では、戦争勢力か平和勢力かの対決は、軍隊を肯定する国か否定する国かではなく、国連憲章の平和のルールを守るかどうか、を軸に争われているのです。国連憲章の秩序を厳格に守る国は、軍隊をもってはいても、立派な平和の勢力になりうる資格をもっているのです。

 さらにいえば、私たちは、憲法九条をもつ国にいるから、軍隊をもたないという選択肢を視野に入れ、活動しています。しかし、世界を見渡せば、そういう選択肢をもった平和運動というのは、そう多くはありません。しかし、そういう選択肢がないからといって、平和運動の価値が減じるということはないのです。

●自衛隊の活用を国民のふつうの感情だととらえて
 このことは、自衛隊の存在と活用を当然だと考えている大多数の国民にたいし、私たちがどう接近すべきかという問題と、密接にかかわっています。

 現在、自衛隊の保有と活用を当然だと考える立場は、国民のふつうの感情に根ざしています。九条を守る運動が、こういうふつうの感情を否定的に見たり、ましてや軍事優先論と同一視したりしていては、圧倒的多数を結集する運動にはならないでしょう。

 私たちは、こういう人びとにたいし、自衛隊はできるだけ持たないようにしようとか、侵略に対抗するのに自衛隊を使わない方がいいとか、そんなことで一致点をひろげるのではありません。自衛隊を活用するという点では、気持ちを共有していることを、率直に表明するのです。そのうえで、日本を海外で戦争する国にしないために、いっしょに九条を守ろうと呼びかけるのです。九条二項に自衛隊を書き込むのには反対するけれども、それは自衛隊の存在と活用を否定する立場からでなく、海外での戦争につながるからだということを、繰り返し説得し、協力関係をつくりあげるのです。

 もちろん、運動の現状は、すでにそういう段階を脱していると思います。実際の運動には、自民党の幹部など、戦後保守政治を支えてきた人びとも参加しているわけですから、自衛隊を積極約に認めたうえで、九条を守ろうという流れも、この運動のたいへん有力な一翼になっています。九条のもつ生命力はすごいと感じます。

 この生命力をさらに輝かせ、九条を守るという強大な国民多数派を結集するうえで、日本共産党の役割は決定的です。そういう自覚をもって、このたたかいに挑もうではありませんか。(続)

2016年7月26日

 昨日の続きです。この頃はまだ、九条の「理想」への言及が多かったですね。誰もが言えることなので、最近は私はあまり強調しませんが。

(以下、紹介)

2、九条が現実的な理想であることへの確信をひろげる

 「憲法九条を守ろう」という世論を多数にするうえで、もう一つ大事だと思うことがあります。それは、九条が実際に世界で求められているということ、世界は九条の方向に近づいてきているということを、大いに語っていくことです。

 九条が理想を描いたものだということは、多くの国民にとって共通の認識でしょう。けれども、少なくない人びとの目には、理想だけれども現実的ではない、ある意味では空想的なもの、として映っています。

 しかし、九条が先駆的に打ち出した問題が、やがては世界で普遍的なひろがりを見せたことは、いろいろな分野に存在します。いくつか紹介しましょう。

●非核三原則の広がりと集団的自衛権への批判
 九条によって誕生した日本国有の政策の一つに、非核三原則があります。「核兵器は持たない、つくらない、持ち込ませない」という原則です。

 同様の原則をもつ国際的な取り決めに、非核地帯条約というものがあります。日本がこの原則を宣言した当時(六八年一月)、世界には、効力をもつ非核地帯条約はありませんでした。しかし、同じ六八年、世界ではじめてラテンアメリカ非核地帯条約が発効しました。そして、八五年には南太平洋、九五年には東南アジア、九六年にはアフリカと、次つぎと非核地帯が広がっていきました。今年中には、中央アジアでも非核地帯条約がつくられる予定です。

 こうして、南半球はほとんどが非核地帯になり、北半球にまで広がりつつあります。九条をもつ日本が宣言した内容が、何十年もかけて、世界の常識になったのです。

 集団的自衛権はどうでしょうか。たしかに、憲法が誕生した当時、集団的自衛権を認
める考えが、国際政治ではふつうだったといえます。国連憲章の集団的自衛権を根拠に、戦後すぐ、世界中で軍事同盟がつくられました。

 ところが、集団的自衛権が実際に発動されると、その正体がただちにあきらかになります。五六年、ソ連の支配からの脱却をめざし、ハンガリーで反政府運動がひろがると、ソ連は軍隊を送って鎮圧しました。その行動が国際社会から批判されると、ソ連は、集団的自衛権を発動したのであって、国連憲章にそった行動だと弁解し、さらに大きな批判をあびることになります。

 その後も、集団的自衛権をかかげた軍事行動は、すべて違法な軍事行動でした。ソ速によるチェコやアフガニスタンへの軍事介入、アメリカのベトナム、グレナダへの侵略などです。これらの多くは、国連総会で、国連憲章違反だと批判されました。アメリカは、ニカラグアへの攻撃に際しても、集団的自衛権だと表明しました。しかし、八六年、国際司法裁判所は、アメリカのいう集団的自衛権は正当化できないと判決を下しました。

 こうして、集団的自衛権を否定する日本国憲法九条の正しさが、国際政治の実践のなかで、しだいに試されていったのです。

●武器輸出への国際的批判をつくり出した憲法九条
 大事なことは、世界が九条に近づいてきた、というだけではありません。そういう動きをつくるうえで、九条が実際に役割を発揮したことです。その一例として、九条が生みだした武器輸出禁止原則をみてみましょう。

 日本は、六七年、紛争当事国などに武器を輸出しないことを決めました。七六年、憲法の平和原則があるのだから、そういう国だけでなく、すべての国に武器を輸出しないことにしました。

 武器の製造能力がありながら、それを輸出しない国という のは、世界でも希有な存在です。武器の輸出は、多大な利益をもたらすため、多くの国が当然のように実施しています。大国であるほどその傾向は強く、国連安保理常任理事国の五カ国だけで、世界の武器輸出の八五%を占めています。国連の中心にある国が武器輸出でも中心なのですから、武器輸出を規制しようという動きは、戦後ほとんど見られませんでした。

 しかし、イラクが大量の武器輸入で軍事大国になり、クウェートを侵略した(九〇年)ことをきっかけに、野放図な武器輸出への反省が生まれました。

 九一年、国連は、戦闘機や戦車、ミサイルなど七つの武器の輸出入を国連に報告する制度を発足させました。

 また、現在、世界中に氾滋する六億ともいわれる小型武器(自動小銃など)が、毎年、五十万人の命を奪っています。国連は、この十年間、小型武器の輸出入などをどう規制するか、会合を開き、行動計画を作成してきました。

 日本は、九一年につくられた武器輸出入の報告制度を国連に提案し、実現した国です。また、小型武器規制の行動計画づくりをまかされたり、関連会合で議長をつとめるなど、積極的な役割を果たしています。それは、日本が武器を輸出していないため、世界の国を説得し、いろいろな提案を実現できるだけの道義的なカをもっているからです。外務省も、次のようにのべています。

 「日本は武恭輸出を原則的に行っておらず、輸出を前提とした軍事産業もないことから、国際社会をリードできる立場にあると言える」(『日本の軍縮・不拡散外交』二〇〇四年四月)

 九条が世界を動かしているというのが、国際政治の現実です。この貴重な九条を失うことは、世界にとっても大きな損失になるのではないでしょうか。

●日本がアジアで受け入れられるためにも九条は不可欠
 九条は、アジアを侵略した日本の戦後の原点であるとともに、アジア諸国が日本を受け入れ、友好関係を保つ保障であることも、あらためて強調しなければなりません。

 昨年末に発生したスマトラ沖地震と大津波により、三十万人ともいわれる甚大な被害が発生しました。このさい、戦後六十年にしてはじめて、かつて日本が侵略、支配した国(インドネシア)に自衛隊が派遣され、救援活動をおこなうことになりました。

 日本政府はこれまで、侵略戦争への反省も十分でないまま、自衛隊をアジアに派遣できるようにするため、必死の活動をつづけてきました。

 災害救援が名目だったら相手国も受け入れやすいだろうと考え、九二年、国際緊急援助隊法(災害時に医者や看護師を派遣する仕組み)を改正し、自衛隊を派遣できるようにしました。

 ところが、九八年にパプア・ニューギニアで津波被害が起こり、政府が自衛隊の医官派遣を打診したところ、パプア・ニューギニア政府の返事は「ノー」でした。パプア・ニューギニアは、第二次大戦で日本軍が侵略し、海軍の基地を置いた場所です。日本兵も十三万人以上が戦死しましたが、現地の人びとにも多大の犠牲を強いることになりました。それから半世紀以上がたち、目的は災害救援に限定され、自衛隊とはいえ、医者が丸腰で来るというだけだったのに、侵略の記憶は消え去らなかったのです。

 その結果は日本政府にとって深刻でした。政府は、その後昨年まで、四回にわたって災害救援のために自衛隊を派遣することになりましたが、日本が侵略したことのない国だけに限ることになったのです。

 インドネシアでも、日本が侵略した記憶は失われていません。それなのになぜ今回、自衛隊を受け入れたかといえば、そのこだわりを押し流すくらい、被害の規模が巨大なものだったからです。同時に、日本が戦後、一人も海外で人の命を奪ってこなかった、そのことを保障してきた憲法九条がまだ存在しているということが大きな意味をもっています。自衛隊がくるといっても、「かつてのようなことは起こらないだろう」という人びとの受け止めが、自衛隊を拒否しなかった背景にあります。

 日本共産党は、自衛隊が災害救援のために海外派遣されることについて、これまで反対したことはありません。一人でも二人でも、それで人の命が助かるのなら、貴重な仕事だと思います。

 けれども、自衛隊がそういう活動をすすめるためにも、憲法九条は必要なのです。日本が戦争しない、人びとの命を奪うことはしない、銃口を向けないと約束しつづけてこそ、アジアの人びとは、日本を心から受け入れてくれるようになるのではないでしょうか。(続)

2016年7月25日

 まだ共産党の政策委員会というところで仕事をしていた頃の2005年、「議会と自治体」という雑誌に「九条改悪反対を国民的規模でたたかうために」という論文を書きました(巻頭論文です)。現在の私のことを決定づけたようなものでして、以下、3回に分割して掲載するとともに、その後、なぜこの論文が私のことを決定づけたのかをご紹介したいと思います。

(以下、紹介)

 ことし二〇〇五年は、憲法をめぐるたたかいにとって、特別に大きな意味をもつ年になろうとしています。

 改憲勢力は、春のあいだに、自民党の憲法改正試案の発表、民主党の提言とりまとめ、国会憲法調査会による最終報告書作成など、矢継ぎ早に、具体的なかたちをとって攻勢をしかけてきます。一方、護憲勢力の側も、各地における九条の会の結成や講演会の大規模な成功をはじめ、重要な意義をもったたかいをすすめています。

 おそらく、このたたかいは、私たちがかつて体験したことのないような規模、性格のものになるでしょう。

 改憲勢力にとってみれば、もしこのたくらみに失敗するようなことになれば、大きなダメージを受けることになります。二大政党による支配にもひびが入ります。そういうことがわかっていても、〝何としてもやりとげなければならない〟と思っています。そして、国民投票で多数の支持を得られなければ失敗するわけですから、彼らも、国民に何を訴え、どう獲得するのか、必死になって考えているのです。

 私たちも、これまでの知恵とカの水準にとどまっていてはなりません。このたたかいをすすめるにあたって、国民多数を結集するという観点から何が求められるのか。改憲勢力の動きもふまえて、必要と思われる問題を論じておきます。

1、海外における軍事介入反対の一致点で

 最初に明確にしたいことは、私たちは、何を一致点として九条を守る運動にとりくんでいくのかということです。それは、結論的にいえば、海外で戦争する、海外に軍事介入する国づくりに反対する、ということです。

 ところで、改憲勢力は、海外で戦争するという文面を九条に書き込もうと、あれこれ画策しているわけではありません。

 自民党、民主党のあいだで議論中なので、まだ確定的なことはいえませんが、〝戦争放棄を宣言した九条一項はそのまま残そう、しかし二項の戦力不保持という規定は自衛隊があるという現実とかけ離れているので、自衛権や自衛隊のことを明記しよう〟 というのが、大きな流れになっています。

 これにたいして、私たちは、九条の全体を堅持しようと主張しています。自衛権や自衛隊を明記することに反対しています。

 表面上、このような構図になっていますから、国民の目には、あたかも自衛隊に賛成する勢力と反対する勢力が争っているかのように見えてしまいがちです。

 けれども、対決の本質はそんなことにはありません。私たちは、自衛権や自衛隊に反対しているわけではありません。むしろ、自衛隊は活用しようというのが、私たちの現在の立場です。九条二項の改悪に反対しているのは、それが日本を海外で戦争する国にしてしまうことにつながるから、別の言葉でいえば、だいぶメジャーな用語になってきましたが、いわゆる集団的自衛権を行使できるようになってしまうから、なのです。九条改憲反対のたたかいは、その一致点が大切です。

●自衛隊の明記は海外における軍事介入につながる
 ふつうに考えれば、九条二項に自衛隊のことを明記するというのは、ただ自衛隊が存在する現状を確認するだけのことのように思えます。ところが、それは、日本が海外で戦争する国になるという ことを意味します。

 このことは、私たちが、勝手に解釈して主張しているものではありません。改憲勢力が正直に表明していることです。自民党、民主党の主張から、代表的なものを紹介しましょう。自民党は中曽根元首相の「憲法改正試案」、民主党は鳩山元代表の「憲法改正試案の中間報告」です。

 いずれの案も、憲法九条一項は残します。そのうえで、中曽根案は「日本国は、自らの平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つため、防衛軍をもつ」としています。鳩山案も、「日本国は、自らの独立と安全を確保するため、陸海空その他の組織からなる自衛軍を保持する」とのべています。

 なんだ、日本を守ることに限定されているではないか、海外軍事介入につながるなんて言い過ぎだと、多くの方は感じるかもしれません。けれども、この二人自身が、九条二項に代えて、このような規定をもうけるだけで、集団的自衛権を行使できるようになるのだ、と明言しています。

 「集団的自衛権については、……現行の第二項を削除した場合には、第一項において集団的自衛権の保有について、個別的自衛権と切り離して議論する必要性は生じないと考える」、「集団的自衛権については、自衛概念の中に個別的自衛権と切り離されず同様に含まれているものとの立場をとる」(中曽根氏)

 「独立した一つの章として『安全保障』を設け、自衛軍の保持を明記することとした。現行憲法のもっとも欺瞞的な部分を削除し、誰が読んでも同じ理解ができるものにすることが重要なのだ。この章がある以上、日本が国家の自然権としての個別的、集団的自衛権を保有していることについて議論の余地はなくなる」(鳩山氏)

●国連憲章の規定を利用した改憲勢力のねらい
 この問題は多少の解説が必要でしょう。

 国連憲章は、いうまでもなく平和のルールを定めたものですが、そのなかには自衛権の発動にかんする規定もあります。それによれば(第五一条)、自衛権は、加盟国にたいする武力攻撃が発生したときに、国連が必要な措置をとるまでの間、発動できる権利だと書かれています。

 ところで、ここでいう自衛権とは、ふつう私たちが考える自衛権、自分の国を守るための権利(個別的自衛権)だけではありません。集団的自衛権も、個別的自衛権と同列に認められることになっています。だから、改憲論者は、〝国連憲章で集団的自衛権が認められている、世界の国はみんな集団的自衛権もっている、日本だけが憲法九条で持てないようになっているのはおかしい〟と、ずっと批判してきました。

 憲法九条に、〝集団的自衛権を禁止する〟と書いているわけではありません。それなのになぜ、集団的自衛権を行使できないのか。それは、九条には自衛権が明文で規定されておらず、それどころか「戦力をもたない」とまで書かれているからです。

 そうなっていても、個別的自衛権のほうは、禁止されているわけでもないわけだから、国際的、国内的な常識からみて当然だ、という考え方が定着しました。そして政府は、〝自衛権があればそのための組織も当然だ〟〝自衛のための組織は戦力ではない〟と強弁し、自衛隊をつくったのです。

 けれども、その自衛権が、国連憲章に書かれているとはいえ、あまり常識的とはいえなかった集団的自衛権を行使することまでは、とても容認できなかったわけです。

 でも、憲法で自衛権とか自衛隊が明記されれば、集団的自衛権を認めるのに何の障害もなくなります。自衛権には二つあるのだから、その両方が認められることになってしまいます。だから、改憲論者は、九条二項に焦点をあて、そこを改変しようとしているのです。

 国連憲章にこんな規定が入ったのは、戦後の世界で自分たちの勢力圏を確保しようとしたアメリカ、ソ連が、それを可能にするための条項を必要としたからです。

 ですから、実際に集団的自衛権が発動された事例をみると、第二章で紹介するように、勢力圏から離脱しようとする国を軍事力で阻止する例がほとんどです。

●海外での武力行使反対は大多数の国民の一致点
 このような実績がありますから、国民多数は、集団的自衛権に懐疑的な目を向けています。ことし正月に発表になった日本世論調査会(共同通信と地方新聞各社)の調査によれば、集団的自衛権を行使できないという解釈は「今のままでよい」と考える人が三四%で、「憲法を改正して行使できないようにすべきだ」は二二%でした。国民の過半数が集団的自衛権の行使に反対です。

 集団的自衛権といえば、言葉のなかに「自衛」が使われているように、誤解を生みやすい言葉です。その実態が、いま紹介したようなものであったことは、まだ全国民的な規模では知られていません。その段階でも、国民からこれだけの疑念がもたれているのです。

 自衛権や自衛隊についての国民の評価は、さまざまです。国民の多数は、自衛権や自衛隊の存在を当然のことだと考えています。

 たとえば、日本世論調査会の調査(〇四年六月)では、九条と自衛隊の関係が問われたのですが、「憲法を改正し、自衛隊の存在を明記すべきだ」が四九%で最多でした。次に多かったのも、「自衛隊は憲法違反ではなく、改正の必要はない」で二二%であり、合計で八割は自衛隊を肯定し、その多くが、だから憲法にも書き込もうという意見だったのです。「自衛隊は憲法違反であり、認められない」とする意見は一一%にすぎませんでした(「西日本新聞」六月十三日付)。

 しかし、日本を海外に軍事介入する国にしないという点では、おおかたの国民が一致できます。いま、憲法に自衛隊や自衛権を明記しようと思っている国民も、そのことで海外での戦争ができるようになることがわかるなら、改憲反対の流れに加わってくるのです。ですから、私たちは、憲法九条の二項を変えて、自衛権や自衛隊を明記するということが、国民の気持ちにそったもののように見えても、実際はまったく異なる結果を生みだすのだということを訴え、理解をひろげていく必要があるのです。(続)