2016年8月17日

 お盆は一日も休まずこれを書いて過ごしました。まだ書き上げていないのですが、とりあえず「はじめに」を上下でご紹介します。

 日本会議が注目を集めています。なにしろ、安倍首相を筆頭にして三〇〇人近い国会議員が日本会議に属しているとされ、閣僚(第三次安倍改造内閣)に至っては二〇人中一六人がメンバーだと言われています。そのことを根拠にして、日本の政治は日本会議が動かしていると言う人もいるほどですから、注目されるのは当然です。しかも、その日本会議が第二次大戦前の日本を現代に蘇らせることをめざしているのだと聞かされれば、誰しもびっくりするでしょう。

●新しい批判の方法が必要ではないか

 本書は、日本会議が振りまく日本近現代史に関する歴史観(以下、「日本会議」史観)を取り上げ、それを批判しようとするものです。それは言うまでもなく、「日本会議」史観の影響力を重視しているからです。

 戦後五〇年の年に出された歴史認識に関する村山総理大臣談話(村山談話)を前後して、日本会議(その前身である「日本を守る会」「日本を守る国民会議」を含む)を中心にして活躍する人びとは、自虐史観批判の大キャンペーンをくり広げました。その影響力が国民の意識に与えたものの大きさは、「日本会議」史観に立ち、歴史問題でも右派的な立場で発言をくり返す安倍晋三氏が総理大臣となり、連戦連勝を重ねていることでも理解できると思います。

 とはいえ、本書が「日本会議」史観を批判する方法は、多くの人が予想するものとは異なります。これまでも同種の図書や論文は数多く出されていますが、その多くは、「日本会議」史観が日本の光の部分を強調するのに対して、日本の影の部分を掘り起こし、提示していくものだったと思います。しかし、安倍氏の連戦連勝は、そういうやり方の有効性に疑問符を突き付けています。

 しかも大事なことは、日本会議自身が、憲法改正をはじめとする野望を実現するため、国民多数をどう獲得するかという視点を持って、新しい手法をとろうとしていることです。本書でも、それに対応して、「日本会議」史観を批判する新たな手法を提示したいと考えています。

●「天皇生前退位に『日本会議』が猛反発」!?

 日本会議の新しい手法と言いましたが、その問題を考える上で絶好の材料が、今上天皇の「生前退位」をめぐって明らかになりました。本書が採用する手法とも関わりますので、少し詳しく紹介しておきます。

 天皇が生前退位の意向を表明すると、いろいろな議論がわき起こりましたが、「週刊文春」(八月一一日・一八日号)が「天皇生前退位に『日本会議』が猛反発」という見出しで報じたように、日本会議はそれに反対していると受けとめられました。実際、その翌日に新聞各紙で掲載された識者のインタビューを見ると、日本会議の中心メンバーは、共通して反対しているように見えました。

 百地章氏(日大教授、憲法学。日本会議常任理事)「現在の皇室典範をつくる際には、過去の歴史を踏まえて慎重に検討した結果、生前退位の仕組みを否定した。先人の判断は尊重すべきで、一時的なムードや国民感情で皇室制度を左右してはならない」(京都新聞)
 大原康男氏(國學院大學名誉教授、宗教行政論。日本会議政策委員会代表)「天皇陛下は国民統合の中心であり、お一人の天皇が終身その位にいらっしゃることにより、日本社会が保たれる。……譲位が政争の具とされたり、皇位継承をめぐる対立で血が流れた悲史を反省し、明治時代に皇位継承は天皇崩御の場合に限るとされ、それを昭和の皇室典範も受け継いだ。……今後の政府の検討では、こうした歴史を配慮すべきだ」(朝日新聞)

 この談話にもあるように、天皇が死亡したときにのみ皇位が継承されるという制度は、明治時代になって以降の固有のものです。そして、明治時代を懐かしむ日本会議の有力メンバーが生前退位を否定する談話を出しているのですから、日本会議それ自体も生前退位を否定しているとメディアが捉えたのは当然だったのかもしれません。

●国民の気分感情を考えて判断している

 ところが、日本会議のホームページを見ると、異なった風景が展開しています。「いわゆる「生前退位」問題に関する日本会議の立場について」と題する見解が掲載されており(八月四日付)、そこで「週刊文春」報道などを「日本会議に関する誤った報道」「かかる報道に類する立場を表明しておりません」としているのです。その上で、八月二日付(天皇のメッセージ公表以前)の、以下の「いわゆる「生前退位」問題に関する日本会議の基本見解について」が掲載されています。

 「七月十三日夜のNHKニュースが「天皇陛下『生前退位』の意向示される」と報じたことを発端として、現在、諸情報がマスコミ各社によって報道されている。しかし、その多くは憶測の域を出ず、現時点で明確なのは、政府および宮内庁の責任者が完全否定している事実のみである。
 この段階で、天皇陛下の「生前退位」問題に関連して本会が組織としての見解を表明することは、こと皇室の根幹にかかわる事柄だけに適当ではないと考える。確証ある情報を得た時点で、改めて本会としての見解を表明することを検討する」

 すでに天皇のメッセージは伝えられ、生前退位が天皇の意向だという「確証」はあるのに、これが現在(八月一六日)に至るまで掲載されています。日本会議にとって、生前退位問題は、「皇室の根幹にかかわる事柄」なので、慎重な検討がされているのでしょう。そして、いずれは見解が出されるのかもしれません。

 ただ、大事なことは、日本会議の幹部があれこれ見解を表明したからといって、それがただちに日本会議の見解になっているわけではないということです。生前退位をめぐる世論調査を見ると、国民の圧倒的多数はそれを好意的に受けとめており、日本会議が生前退位に反対することになると、国民を敵にまわしかねない事態です。そういう状況をふまえ、日本会議それ自体は、みずからの見解を表明する際にあたって、本当に慎重に検討し、練り上げているようです。(続)

2016年8月12日

 最近、このテーマでの依頼が増えております(テーマの性格上、小規模な「学習会」程度のものです)。共産党関係筋ばかりですけど。そうですよね、こんなテーマで九条の会が講演会するはずもないし。

 それなら共産党の担当部門が話せばいいと思うんですが、まあ、これで1時間、2時間と話せる人はそんなにいないでしょうね。ですから、日程が合えば(交通費と宿泊費もいただきますけど)、引き受けるようにしています。

 ただ、私がお話しできるのは、退職(2006年)前の時点までのことです。当時、自衛隊の活用を打ちだした22回大会決定にもとづき、かならずしも自衛隊や軍事力を否定しない立場で、いろいろな模索がありました。

 たとえば、98年(22大会前ですが)、自衛隊が災害救援でホンジュラスに派遣される際、「人の命を救うのだから反対してはならない」という立場と、「自衛隊の海外派兵だから反対だ」という立場がありましたが、結局、公式な態度表明はしませんでした。それまでだったら自衛隊の海外派遣にはすべて反対していたわけで、それだけでも画期的だったんですよ。そして2004年、スマトラ沖大地震での自衛隊派遣の時、「反対しない」という立場を明言することになります。

 また、2001年の9.11同時多発テロに際して、不破、志位書簡(10月11日)が出されました。そこでは、「私たちの提案は、つぎのとおりです」として、「第二に、タリバンがそれを拒否した場合の制裁の措置も、国連が主体になって、国連憲章第七章にもとづく強制措置という形でおこなうべきです。まず、アフガニスタン国民への人道的配慮を十分におこないながら、国連憲章第四一条にもとづく経済制裁などの「非軍事的措置」をとるべきですが、これを徹底 してもなお不十分と国際社会が認定した場合には、第四二条にもとづく「軍事的措置」をとることも、ありうることです」と述べています。

 また、この年、北朝鮮の不審船問題をきっかけにして、海上保安庁法改正案が出されました。これは、不審船が停戦命令に従わず逃走する場合、それまでは威嚇射撃しかできなかったものを、不審船の船員に危害を与える恐れがあっても直接船体に射撃することを認めるものでした。この法案に対して、共産党は、「「不審船」に対する立ち入り検査などは必要なものであり、停船命令に従わずに逃亡する場合には、危害射撃によって逃亡を阻止することが必要との立場から、今回の法案改正に賛成」という立場をとります(2001年11月4日(日)「しんぶん赤旗」)。

 2005年以降、自衛隊の活用は民主連合政府以降ということになったので、以上のような態度が表明されることもなくなりました。この10年間にどんな議論があったのかは、私は直接には知りませんので、お話しできません。

 また、今回の参議院選挙の結果を踏まえ、次の総選挙で安全保障問題を弱点として攻撃されないよう、おそらく本格的な検討がされていると推測(期待?)します。何と言っても政権選択選挙ですし、共産党自身が「国民連合政府」を提唱しているのですから、当然でしょう。だけど、どんな検討がされているかは、私は知りません。

 以上のような制約付きですが、私でいいのだというなら、ぞうぞお気軽にご依頼ください。明日から来週火曜日までお盆休みですので、ブログもおやすみです。

2016年8月10日

 昨日お知らせしたように、このタイトルで本を書きます。表紙画像を添付しておきますね。どうでしょ。

1

 ところで、「日本会議」の歴史観というと、多くの方が直感的に捉えるのは、「極反動」「超右翼」「タカ派」のようなものでしょう。そして、東京裁判を否定し、慰安婦問題はないと主張し、南京虐殺もなかったと豪語しているというイメージでしょうか。

 そういう捉え方をするから、それに対する批判の中身も、硬直したものになりがちです。だけど、本当に「日本会議」は、そういう主張をしているのでしょうか。

 「日本会議」といっても、その構成員はさまざまで、歴史観のことだから、一人ひとり個性があります。たとえば、稲田朋美氏は、有力メンバーと目されていますが、最近出版された『日本会議の正体』(青木理)に次のようなやり取りが載っているので、紹介しておきます(防衛大臣になる前、自民党政調会長の時のものです)。

──稲田さんご自身も、憲法改正にしても他の政策についても、日本会議の主張に異議はないと。
 「方向性は一緒だけれども、違っているところは少し違っています。私は東京裁判にしても、東京裁判自体を否定する(無効を主張する)ということはありません。だから実物以上に期待されているところがあると感じる時があります。
──というと?
 「たとえば慰安婦問題です。20万人もの若い女性を強制連行して『姓奴隷』にした、というようなことはないと私は主張していますが、慰安婦制度自体が重大な人権侵害だったことは間違いありません。南京の問題だって、20万人とか30万人を手当たり次第に殺したということに疑問を持っているのであって……」
 ──南京虐殺そのものがなかったと主張しているわけではないと。
 「ええ、捕虜の多数殺害はありました。当然ですが一言で『保守』といっても、考え方は少しずつ違ったりもするわけです」

 「日本会議」が明治時代を懐かしんでいることは事実です。それをもって、なんとなく印象から、「日本会議は明治憲法の復活をねらっている」ような批判もあったりします。

 それに対して、「日本会議」は、「結成以来今日まで「大日本帝国憲法復活」などの方針を掲げたことは一切ありません」と反論しています。そうなんです。日本会議の憲法改正に対する取り組みは、本気でやっていますから、国民の多くが心配するようなやり方はしていないんです。国民が支持できるところはどこまでかを考えながらやっています。

 それを無視して、「日本会議はこんな超反動だ」などを批判していては、軽くかわされてしまいそうです。そのあたりをどうするのか、今度の本で書くつもりです。

2016年8月9日

 私の尊敬する歴史学者の一人に吉田裕先生がいる。第二次大戦にいたる日本の戦争史に関して多くの業績をあげておられる。

 その吉田先生が、10年ほど前から相次いで出版された岩波講座『アジア・太平洋戦争』の第一巻に、「戦争責任論の現在」という論考を書いておられる。ここで先生が言いたい中心点は以下の引用で明らかである。

 「戦後歴史学は、戦争責任問題の解明という点では確かに大きな研究成果をあげた。しかし、国際的契機に触発される形で研究テーマを戦争責任問題に移行させることによって、それまでに積みあげられてきた重要な論点の継承を怠ったこと、戦争責任問題、特に戦争犯罪研究に没入することによって、方法論的な問い直しを棚上げにしたことなど、戦争責任問題への向き合い方自体の内に、重要な問題点がはらまれていたことも事実である。戦争責任問題を歴史学の課題としていっそう深めてゆくためには、この問題の解明を中心的に担ってきた戦後歴史学そのもののあり方が、今あらためて、批判的に考察されなければならないのだと思う」

 慎重な言い回しだし、直接の面識はないので(吉田先生の前に「日本近現代史」を一橋大学で教えていた藤原彰先生の授業は受講していた。といっても、学生運動に没入していた私は授業には一度も出席せず、試験だけ受けて単位をもらったのである。恥ずかしい)、私の解釈は間違っているかもしれない。だけど、大事な指摘だと感じている。なぜか。

 そう、戦後歴史学は、大きな研究成果をおさめたのである。ところが、戦後50年に向かう過程で、慰安婦問題その他、「国際的契機に触発される形で」、「戦争犯罪研究に没入することになった。その結果、「方法論的な問い直しを棚上げ」してしまったという、悔恨に満ちた提起である。

 実際、戦後歴史学といえば、たとえば「明治維新論」での遠山茂樹先生とか井上清先生とか芝原拓自先生の研究など、いくつも成果を指摘することができる。現在の日本につながる明治維新というものの性格付けなど、本当に方法論に充ち満ちた成果だったと思う。学生時代、とっても刺激を受けた記憶がある。

 しかし、吉田先生が指摘するように、戦後50年を前後して、歴史学ってずいぶんと変わっていったように思える。「日本の戦争犯罪」がほとんどすべてを規律するようになってしまった。

 仕方のない面はあるのだ。だって、「日本は間違っていなかった」「侵略じゃなく自衛だった」「アジアの人びとに残虐なことはせず、歓迎された」という主張が蔓延し、それに対する反論をするわけだから、日本の残虐性を示す証拠を発掘し、提示することが、一つの重要な方法になったのである。

 けれども、そういう見地のみで明治維新以来の歴史を見てしまうと、日本の歴史は「侵略と犯罪の歴史」ということになってしまう。ポジティブなものは切り捨てられ、日本は全体として評価することのできない歴史を持つ国、ただただ反省を表明すべき国ということになってしまう。

 90年代半ば以降、その隙を突くことによって、いわゆる「歴史修正主義」がのさばってきた。ネガティブな日本像を提示する戦後歴史学、ポジティブな日本像を提示する歴史修正主義という単純な構図では、ポジティブなほうが国民に受けが良くなるのは当然である。歴史修正主義が広がる土壌は、戦後歴史学のありようのなかにも存在したのだと思う。

 だから、歴史修正主義を批判する上では、こちらは「方法論」を持って対峙することが不可欠だと感じる。その見地で書いた『「日本会議」史観の乗り越え方』を、来月中旬、弊社から出版します。いや、もっとゆっくりと出すつもりだったけど、「日本会議」をテーマにした本が書店で好評みたいなので。

2016年8月8日

(本日午前、前原誠司氏と穀田恵二氏の事務所を回って、以下の申し入れをしてきました。中身は同じなので、穀田氏宛のものだけ掲載します。民進党代表選挙の行方とも関連するので、結論が出るのはしばらくかかるでしょうし、微妙な問題もありますので、ブログで次に書くのはメドがついてからです。楽しみにして下さい。)

民進党・前原誠司様との対談本作成についてのお願い

 日頃のご健闘に敬意を表します。標記の件につきご検討をいただきたく、お手紙を差し上げます。

 現在、野党の共闘をめぐる問題が政治の焦点の一つとなり、読者の関心も増大しています。しかし、残念ながら、野党共闘はどういう場合に可能になり、どういう場合は可能でないのか、野党間の政策の違いはどこまで埋めることが可能で、どこまで一致すれば選挙協力となり、どこまでなら政権協力となるのかなど、基本的な問題について、読者は十分な情報を持っていない状態です。

 幸い京都では、この問題でのキーマンとなる穀田様、前原様がおられることに着目しました。お二人に対談を通じてご見解を披露し、議論を闘わせていただき、それを本として世に問うことができれば、読者にとって有益ではないかと考えます。

 実際に対談が実現します場合は、以下のような柱で、秋に二日間かけて(一日三時間程度)実施できればと思います。もちろん、この柱は、お二人のご意見、ご要望を踏まえて、整理していきます。

1、「戦った日々、肩を抱き合った瞬間」──お二人が京都で立候補されて以来、相手をどう認識し、論戦してきたのか。今年五月、北海道衆院五区補選の街宣車に同乗したとき、何を感じたのか。

2、「社会保障・経済政策はどこまで一致できるか」──ちょうど前原様の「世界」インタビューが掲載されましたので、その趣旨をご説明いただき、穀田様が感想を述べるかたちで、議論を進めたいと思います。

3、「安全保障政策は野合しかないのか」──この問題の議論がいちばん難しいと思います。たとえば、「自衛隊を活かす会」(代表・柳澤協二)が「(安倍政権)に対抗する側の政策提言の基礎」として「提言」を昨年六月に発表していますが(同封の講談社新書『新・自衛隊論』所収)、それを叩き台にして、どこまで一致できるのか議論するのはいかがでしょうか。ちょうどその提言が出された直後の「自衛隊を活かす会」のシンポジウムでは、日本共産党から穀田恵二様、民主党から福山哲郎様が党代表としてご挨拶されております。なお、私は、この「会」の事務局長を務めております。

4、「選挙協力と政権協力の狭間」──政党の協力で選挙協力に止める場合、政権協力にまで踏み込む場合、その他、何を基準として選択するものなのか、率直にご議論いただければと思います。

 以上、突然のお願いですが、ご検討いただければ幸いです。よろしくお願いします。

二〇一六年八月八日
────
〒六〇二-八一一九 京都市上京区堀川通出水西入
電話〇七五(四三二)二九三四
メールmatutake@kamogawa.co.jp
かもがわ出版編集長 松竹(まつたけ)伸幸