2016年11月15日

 会社宛に毎日たくさんのメールが届きます。昨日、寄せられたメールが私宛だったので、そのまま転送されてきました。

 冒頭、差出人から、ある九州の大学で日本近現代史を研究、教育していると自己紹介がありました。それに続いて、「(私の)『「日本会議」史観の乗り越え方』を読んで……」とあったので、「ああ、何か批判されるのかなあ」と思っちゃいました。

 だって、私のこの本、もちろん究極的には右派歴史観に対する批判ですが、そのためにも左派というか、正統派の歴史観を鍛えないとダメだという立場から書かれているからです。そのため、正統派の歴史観の人にとっては、受け入れられない部分もあると思っているのです。

 だけど、杞憂でした。建国記念日が制定されてから、一度も欠かさず開催されている集会で講演してほしいという依頼だったんです。ホッ。建国記念日に歴史認識問題でお話しするって、初めてです。

 そのやり取りのメールで書いたんですが、私は歴史学は素人です(好きではあるんですよ。大学入試は世界史と日本史を選択しました。私が入学した大学は当時、全問が記述式で答えることが求められたので、岩波新書の歴史書とか、中央公論社などの「講座 日本の歴史」「世界の歴史」などを読みあさりました)。

 私の本は、歴史書というのでなく、歴史を題材にとった政治論だと思っています。右派に打ち勝つ歴史認識をどう構築するのかがテーマです。

 90年代半ば、右派による歴史認識問題での攻勢が始まったとき、正統派の対応に疑問を感じていました。日本が犯した犯罪行為を発掘し、あぶり出し、提示していくことは大事なんです。だけど、それを提示するというだけでは、右派には勝てないのではないかと危惧しました。

 提示した上で、日本の歴史を全体としてどう見るのか、その方法論が大事だと思ったんですね。そのことを歴史学者にもお伝えしたことはあるんですが、右派の攻勢にさらされるもとでは、なかなか受け入れてもらうことにはなりません。「日本には誇るべき歴史もある」なんて言ったら、それだけで右派に屈服するという感じだったんでしょうか。

 でも、対立構図をどこに持っていくのか、その方法論って大事です。憲法問題でも、政策論的に見ると、かつては「非武装中立」と「専守防衛」が対立軸だったわけです。でも、いま同じ構図で戦おうとしたら、護憲派の完敗ですよね。

 歴史認識問題でも同じだと思います。どういう対立構図をつくりだすか。勝てないところに対立軸を持ってきても、やはり勝てないんですね。そこらあたりをお話ししてこようと思います。

 すでに大阪の堺市でお話ししましたが、次の日曜日は神戸で、2月のはじめには西脇市で。そして、2.11へと続いていきます。

 

2016年11月14日

 すでにホームページにアップしていますが、「自衛隊を活かす会」は12月24日(土)、「自衛隊は尖閣を守れるか」をテーマにシンポジウムを開催します。事前申込みが必要ですので、ここからお願いします。

 それにしても年末ですよ。しかも3連休の真ん中のクリスマスイブ。午前から夕方まで。非常識とはこういうことを言うのでしょうね。夜はジャズセッションということで、まあ許すかという感じかな。書いてはいませんが、夜9時にジャズ終了後も、同じ場所で懇親会が続行です。ドリンク(500円)はお店に頼んで、おつまみは近くのスーパーに買い出しです。

 さて、尖閣問題です。トランプさんの登場でこれがどうなるのかです。

 日本の核武装を容認する発言が話題になっていますよね。日本核武装の衝撃というところに話題性が行ってしまっていますが、これの意味するのは別のところにあると思います。日本は自分で自分を守りなさい、もう「核の傘」は提供しないよという文脈で語られているわけです。

 これは「国益第一」を掲げるトランプさんらしいんです。だって、「核の傘」を提供するということは、同盟国を守るために核兵器を使用するということですよね。その段階でアメリカが核攻撃を受けていなくても、核兵器を使用するわけですから、その結果、アメリカ本土も核の標的にされてしまうということです。核によるアメリカ本土の被害を生み出してしまうということです。「国益」を考えれば、そんなこと、できないでしょ。

 ソ連を相手にしている時は、どこかの国がソ連の勢力圏になったら、どんどんそれが広がっていくという恐怖感がアメリカを支配していました。各国にソ連を支持する勢力がいたわけですからね。そういう事態では、同盟国に「核の傘」を提供するってリアリティがあったんだと思うんです。

 でも、相手は中国に変わった。どこかの国が中国の影響下に入ったところで(それ自体もリアリティはないですが)、世界が中国の影響を受けていくということはあり得ないでしょ。各国に中国を支持する政治勢力は、ほぼ皆無でしょう。

 そうなっているのに、日本と中国が争ったとき、日本のために「核の傘」を提供するのかということです。その結果、アメリカ本土がねらわれるというのにです。

 しかも、発端が尖閣のことであれば、日本人さえ住んでいないわけです。そこにアメリカの兵士が命をかけたり、アメリカ本土が被害を受けることもいとわないで、やっていくのかということです。

 トランプさんが出現したことで、そういう「本音」がクローズアップされていくのではないでしょうか。日本防衛の問題を、建前や理念でなく、本音で議論する機会が訪れようとしていると思います。

 今回の「自衛隊を活かす会」のシンポが、そのきっかけになればいいなと思います。是非、お越し下さい。

2016年11月11日

あとがき

●現在の人々に何ができるかが大事
 戦後七〇年以上経ってもなぜ対米従属が続くのか。この問題を歴史的な角度から論じてきました。
 対米従属が続く理由は、本書で明らかにしてきたように、いろいろなものがあります。ただ、そこから抜け出す上で現在の人々に何ができるのかが、この問題での結論でなければなりません。
 戦後、アメリカが日本を占領し、日本を言いなりになる国にするため、戦犯勢力とも結託して支配したこと。その後も旧安保条約のもとで、かたちの上では独立しているのに事実上の従属状態が継続したこと。その体制を打破するとしてつくられた新安保条約下においても、それ以前の状態がくり返され、それが慣習にまでなっていったこと。これらは日本の現在を理解するために大事なことです。
 しかし、いま指摘したことは、もう取り戻すことのできない過去に属することです。対米従属の原因としてそれらを指摘することはできても、過去のできごとをなかったことにはできません。本書が最後の結論として、日本型核抑止力政策の形成が従属の根底にあるのを指摘したことは、その転換は現在生きている人々によって可能な事柄だからです。過去のしがらみがあまりにも強いため、防衛政策の転換を成し遂げるには想像を絶する努力が必要とされるでしょうが、不可能ではないと思うからです。
 では、防衛政策の転換はどうやったら実現するのか。その道筋は容易ではありません。現在の自民党は、抑止力に対してみじんの疑念も持っていないと思われ、政策転換を期待することはできないでしょう。

●民進党──失敗を真剣に総括し、対案に挑むべきだ
 民進党はどうでしょうか。対等の日米関係を掲げ、普天間基地の県外移設を約束して政権についたのが民主党でしたが、結局、抑止力の呪縛から抜け出せす、国民を裏切ることになりました。ところが、現在の民進党の政策は、引き続き「抑止力の維持」を明記しています。
 おそらく民進党のなかでは、抑止力というものの定義すらできていないと思います。ただ抑止力への信仰だけが存在しているのでしょう。そして、普天間問題での大失敗の責任は鳩山氏一人に押しつけ、政権から引きずり落とされた原因を議論することもせずにいるわけです。
 しかし、政権についた直後、自民党政権が何十年も隠し続けてきた核密約を公開するなど、抑止力の中心問題の一つで新しい試みを行った実績はあります。新安保法制反対の世論が高まったなかで、自民党と同じ防衛政策ではいけないという自覚は、さらに高まっているようにも見えます。
 民進党に政権獲得への意欲がまだ存在するなら、普天間問題の責任を人ごとのように捉えるのでなく、みずからの問題として徹底的に議論すべきです。民進党の政策では、「抑止力の維持」を明記したあと、「普天間基地については固定化を招くことなく、沖縄県民の思いに寄り添いつつ、合意可能な基地移設の包括的解決をめざして、日米が沖縄と対話を重ねることとします」とされています。
 かつて、「抑止力の維持」を大原則としていたから、民主党は沖縄の声を裏切ることになったのです。それなのに現在も、「沖縄県民の思いに寄り沿う」とか「(沖縄も)合意可能な……解決」と主張しつつ、「抑止力の維持」は変えないでいる。この矛盾を乗り越えない限り、民進党が再び国民の信頼を得て政権を奪還することはできないし、奪還したところで同じことのくり返しになるでしょう。
 普天間基地問題も解決するし、日本国民の不安にも応えられる防衛政策はどんなものか。過去の責任を徹底的に究明した上で、民進党にはそこに挑んでほしいと思います。

●共産党──自衛隊の活用を基本政策とすべきだ
 日本共産党はどうでしょうか。共産党はかつての社会党による「非武装中立」政策を批判し、自衛権の発動を明確にした「中立自衛」政策を掲げていた時代があります。抑止力については徹底的に批判しつつ、国民の命を守るためには、憲法九条を変えるようなことがあっても、独自の防衛政策が必要だと考えていたのです。
 九〇年代半ば、憲法九条を将来にわたって堅持するという態度変更を行った際、防衛政策についても「警察力での対応が基本」ということになってしまいます。しかし、それでは侵略された際に国民の命への責任が果たせないとして、二〇〇〇年、この問題では三つの段階を経るのだという政策を打ち出しました。
 第一段階は、自衛隊と日米安保の存在を前提として、軍縮や海外派兵には反対する段階です。第二段階は、日米安保は解消し(自衛隊は存続)、日本周辺の平和と安定をつくりだすことに注力する段階です。そして第三段階が、平和と安定が確固としたものになったとして、自衛隊の解消に踏みだす段階です。そして、この経過的な期間に日本が侵略されることがあったら、自衛隊を活用して反撃するとしたのです。逆に言えば、侵略の不安を国民が抱えている間は、第三段階には移行しないということです。
 この考え方は、共産党の大会で決まったものですが、その後、長く注目されることはありませんでした。しかし、新安保法制反対の世論が高まり、共産党が野党に「国民連合政府」での共闘を呼びかけるなかで復活し、この政府は自衛隊と日米安保の存在を前提にしたものであるとされたのです。
 ということは、第一段階というかなりの期間、侵略には自衛隊と日米安保で対処するという点で、共産党は民進党などと政策が一致しているということです。ところが一方で、第一段階の考え方を基本政策だと位置づけていないためか、民進党とは基本政策が一致していないという態度をとっており、それが野党間の違いを国民に印象づけ、自民党などからの「野合」批判に口実を与えているように見えます。ここをどう乗り越えるのかは、共産党の課題でしょう。

●国民自身の覚悟が問われている
 野党共闘が何らかの化学変化を起こすとき、何らかの前向きな政策が生まれるかもしれない。それが私が現在抱いている印象です。
 大失敗の原因をいまだ総括していないが、国民には寄り添わなければならないともがいている民進党。自衛隊の位置づけを明確にできないが、国民の命には責任を負わないといけないと考えている共産党。この二党が、他の野党とともに、抑止力に替わる防衛政策をどうするのかを徹底的に議論する時、その先に、国民にとって魅力のある防衛政策が生まれるのかもしれません。
 そして、新しい防衛政策をもって政権獲得の選挙に臨み、抑止力を漫然と掲げる自民党に対峙する時、国民にとっては戦後一度も存在することがなかった防衛政策での選択肢が与えられるのです。自民党がそこで政権維持が不安になるほどに追い詰められれば、自民党のなかにも抑止力一本でいいのかという戸惑いも出て来て、新しい防衛政策への探究が勢いを増すことでしょう。
 ただし、この問題でもっとも大事なことは、政党任せでは解決しないということです。日本型抑止力依存政策が長きにわたって堅持されてきたのは、国民のなかにそれに頼る気持ちがあったからです。アメリカの核兵器に守られれば安心だという気持ちと、だが被爆国の国民として核兵器に日本は関与していないことにしておきたいという気持ちと、さらにアメリカに依存することによる負の側面は沖縄に押しつけておいて見ないことにしたいという気持ちと、それらの絶妙なバランスの上に成り立っていたのが、日本型核抑止力依存政策です。
 そこを国民自身が徹底的に反省し、見つめ直し、新たな防衛政策に勇気を持って踏みだすのでなければ、この転換は起こりません。その転換に本書が少しでも役立つなら、筆者として望外の幸せです。(了)

2016年11月10日

 大統領選挙の結果をふまえ、来年初頭に出版予定の本(平凡社新書)の「まえがき」に以下の文章を補足しました。出版も早めるかもしれません。

 (冒頭の数行はそのまま)……トランプ大統領の出現は、この課題の大切さを提起していると思います。

●トランプ大統領出現の衝撃
 トランプ氏がアメリカの大統領になるなどと誰もまだ想定していなかった二〇一六年半ばのことです。米軍駐留経費は同盟国が一〇〇%負担すべきだ、そうしないなら米軍を撤退させるとのトランプ発言を受けて、ある日本の新聞が「日米同盟が消える日」と題する大きな特集記事を掲載し、こう書きました。
 「しばしば取り上げられるのが『思いやり予算』と称される接受国支援(ホスト・ネーション・サポート)だ。日米地位協定上は支払い義務のない負担で、……(平成)二八年度は一九二〇億円となっている。
 日本の負担が米軍が駐留する国の中で突出して高いことは、米国防総省が二〇〇四年に公表した報告書が示している。……日本側の負担割合は七四・五%でサウジアラビア(六四・八%)や韓国(四〇%)、ドイツ(三二・六%)などを大きく上回っていた。
 トランプ氏は「なぜ一〇〇%ではないのか」と全額負担を求めるが、それは米軍将兵の人件費や作戦費まで日本が負担することを意味する。
 『米将兵の人件費まで日本が持てば、米軍は日本の傭兵になってしまう』……。
 ……
 『同盟解体』は今の時点では現実味は乏しい。だが、暴言と聞き流すだけでは、いつの日にか現実のものとなりかねない」(五月二五日付)
 どの新聞だか分かりますか? 激しい言い方なので左翼っぽいと思われるかもしれませんが、実は産経新聞です。最後の引用で日米同盟堅持を望む姿勢が示されているので、予想通りという方もいるでしょう。
 いずれにせよ、トランプ大統領の出現は、日本の左派、中間層にとってだけではなく、右派、保守層にも衝撃を与えたようです。日本は世界のなかでもアメリカの求め通りにやってきて、「これ以上は無理だ」というところまで来ているのに、それでは足りないというわけですから、日本政府の混迷もしばらく続くと思われます。

●「守ってやるのだからカネを払え」は歴代政権に共通
 しかし、冷静に考えてみてください。安全保障分野についてトランプ氏が言っていることは、それまでのアメリカ大統領の言明と、そんなに違いがあるでしょうか。
 そもそも「思いやり予算」が開始されたのも、七〇年代後半から吹き荒れた「安保ただ乗り論」の嵐のなかでした。日米地位協定では、基地を提供することにかかわる費用(土地代など)は日本が負担し、基地を維持することにかかわる費用(施設建設費、水光熱費、人件費など)はアメリカが負担することが決まっているのです。ところが、日本を守ってやっているのにおカネを払っていないというアメリカの圧力が強まり、不平等性がたびたび指摘される地位協定の規定さえ破って五年毎に補足協定を締結することとなり、基地維持費用まで日本側が負担する思いやり予算の仕組みが生まれたのです。
 つまり、「守ってやるのだからカネを払え」という点において、歴代アメリカ政府とトランプ氏の論理は、まったく同じなのです。異なるように見えるのは、産経新聞が言うように、現在では日本側の負担がすでに限界に来ているという現実があり、トランプ発言があまりにも極端に見えるからでしょう。米軍撤退にまで言及していることも違いではあるでしょうが、その言葉をさらにカネを払えという圧力の手段だと捉えるなら、これまでのアメリカのやり方をさらに露骨にしたものだということになるだけです。

●安倍首相ではトランプと四つに組めない
 とはいえ、日本側の負担は限界です。おカネの面だけではありません。防衛負担という点でも、何十年も続いた憲法解釈を強引に変えてまで、自衛隊が米軍を支援する新安保法制をつくったばかりです。これ以上の負担が求められた場合、日本はどう対応するのかが問われます。
 安倍首相は大統領選挙の結果が出た日、「日米同盟は普遍的価値で結ばれた揺るぎない同盟」だとして、トランプ氏とも「普遍的価値」が共有できるかのように述べました。安倍首相だけではありません。選挙結果を受けて日本に充満しているのは、トランプ氏への不安を抱えつつも、日米同盟だけは堅持しなければならないという、ある種の信仰とでも言えるような論調です。率直に言って、そのような立場では、予想されるトランプ氏の攻勢に対して四つに組むことはできないでしょう。
 産経新聞も、選挙の結果が出るとさっそく翌日、「『基地撤退なら街が廃れる』 トランプ氏勝利、(米軍横田基地のある東京)福生に不安と戸惑い」という見出しで記事を掲載し(東京地方面)、トランプ氏に迎合する姿勢を示しました。こうして、基地が撤退するくらいならトランプ氏の求めに応じていくという姿勢になることは、日本の限界を超えるかどうかという問題となり、国民との間で解決できない矛盾を抱え込むことになっていくはずです。

●「日本核武装」発言はどこが問題なのか
 日本はなぜ日米同盟信仰と言っておかしくないほどの対米従属状態に陥っているのか、本当にそれでいいのか。トランプ大統領の出現は、そこを考えさせてくれるきっかけになるかもしれません。
 選挙戦の最中、トランプ氏が日本の核武装を容認する発言をしたとして、大きな話題になりました。FOXニュースのインタビューで、「北朝鮮は核を持っていて、日本はそれに対して問題を抱えている。多分、日本は北朝鮮から自衛した方がいい」と発言した際、インタビュアーに「核で?」と尋ねられると、「そう、核を含めて」と述べたのです。
 これは、日本核武装というところに話題性があったわけですが、大事なのはこの発言の別の側面です。どういうことかと言うと、日本の核武装を容認するということは、アメリカは「核の傘」を提供しないというところに核心があるのだということです。
 これまでアメリカが「日本を守ってやる」と言う場合、守る手段の中心は核抑止力でした。しかし、アメリカ国民のなかにも、「それでいいのか」という気持ちが生まれており、トランプ発言はその裏返しだと思われます。
 「核の傘」を提供するということは、たとえば日中間の紛争があったとして、その際にアメリカは中国に対して核兵器を使用するということです。その結果、中国はアメリカ本土に向けて核兵器を発射することになり、それまでは安全だったアメリカが多大な被害を被ることが予想されるのです。ソ連が相手だったときは、一国を守れないと他国もソ連の影響下に入るという不安があり、アメリカ国民も「核の傘」の提供を当然だと考えていたのですが、日中間の戦争にそこまで関与するのか、それがアメリカの国益に適うのかという疑念が生まれているわけです。
 トランプ発言は、そういう国民の本音に根ざしたものですから、簡単に撤回することのできないものです。アメリカの核戦略はこのままでいいのか、核抑止に頼る日本の防衛政策は正しいのか、アメリカでも日本でもこれから本音の議論が開始されるのではないでしょうか。ここには期待したいと思います。
 一方、「核の傘」が提供されているということで、日本はアメリカの度重なる要求に屈してきました。日本が対米従属に陥っている原因はいろいろあり、本書はその「謎」を解明することを目的としていますが、「謎」の根底にあるのは核抑止力への依存がそのまま対米従属の構造を生み出しているということです。このトランプ発言をどう捉え、どう対応するかは、対米従属がいまのまま続くのか、変わっていくのかを占う問題になるでしょう。

……(以下、以前とほぼ同じで、最後に次を加える)

 トランプ氏の「日本核武装発言」を徹底的に議論することは、そのためにも不可欠な作業だと感じます。本書がこれから明らかにするように、日本は引き続き核抑止力に依存するのか、そこから抜け出して新しい防衛構想を確立できるのかという問題は、対米従属のスパイラルから日本が自由になれるかどうかを左右することになるでしょう。

2016年11月9日

 米大統領選挙の結末は明白になってきましたが、書くのは明日にしましょうね。いま執筆中の『対米従属の謎』(平凡社新書、来年2月か3月刊)の「まえがき」と「あとがき」は、この選挙の結果を踏まえて書くことにしていたので、考えるべきことが多いです。出版界でもいろいろ新しい本が求められるでしょうね。

 ということで、本日は緊迫した局面と関係のないお話を。9月末に上梓した『「日本会議」史観の乗り越え方』についてです。

 すでに大阪の革新懇に呼ばれてお話をしてきました。兵庫の九条の会からも依頼がありました。やはり、日本会議について講演する人って、まだ多くないようですね。しばらく頑張らなくちゃ。

 この本に関連してお二人から手紙を頂きました。まったく立場が異なる方です。

 一人は芝原拓自さん。言わずとしれた歴史学の大御所ですよね。私が大学に入ったとき、ちょうど『所有と生産様式の歴史理論』が出た直後で、難しかったけれど、その問題意識の鋭さに圧倒された記憶があります。『世界史のなかの明治維新』(岩波新書)も、新しい明治維新の描き方を提示していて、興奮しました。

 その芝原さん、ご病気でしばらく本を書いておられませんが、私の本に目を通してくださったんですね。お手紙の冒頭で、「なによりその迫力・説得力が最大の魅力です」と評価してもらいました。

 芝原さんも、この間、日本会議の批判をしてこられたそうですが、私の本を見て、「「日本会議」史観の特徴をほとんど識らないまま、岸信介や安倍晋三を批判しつづけたこと」を後悔しているとおっしゃっています。そこをくみ取っていただき、うれしいです。日本会議の書いていることをほとんど読まないまま、とにかく右翼だから批判するみたいな風潮があって、それをなんとか克服したいというのが、私の願いです。

 もう一人は、お名前は付せますが、日本会議の有名な役員の方です。活字にならない講演会では、お名前も中身も出すんですけど、さすがに活字にするとご迷惑をおかけするかと思って。

 この方がおっしゃるのは、こういうことです。「両極のはずの松竹さんと私とで、実は意見の相違は実質30%程度。ただ、その30%をどうとらへるかで、全体の結論が逆になる──そんな印象をこのご著書についても持ちました」
 
 そうなんですよね。立場が違うとはいっても、何から何まで違うわけではありません。日本会議の方と論争する上でも、「ここは違わない」ところは明確にしておかないと、有益な論争になりません。

 たとえば、日露戦争やアジア・太平洋戦争における日本の役割を、アジアの国々の指導者で評価する人がたくさんいます。左翼的な人は、そういうことを提示されると、「それはウソだ」ということになりがちなんですが、事実としてそういう人はいるわけです。アジアは西洋の植民地として支配され続けていたわけで、日本がそこに風穴をあけたことについて、当時、率直にうれしいと思った人は少なくなかったと思います。

 だから、そこは日本会議と違わないと言っていいわけです。しかし、「全体の結論は逆になる」わけです。評価される部分があっても、日本の侵略戦争であったことは間違いない。

 日本会議が歴史のシンポなどをやるとき、もしかしたら呼ぶことも考えてくださるそうです。いまから緊張しています。

 論争は、やはり勝てるところでやらないとダメだと思います。そこをどう見つけだすかですよね。まあ、学問としてはいろいろあるでしょうが、政治の場で通用させるには、そういう見地が求められるということでしょう。