2016年12月14日

 ことの顛末が見えてきましたね。安倍総理が何を考え、プーチン大統領はどう対応したのかということが。

 「新しいアプローチ」と安倍さんが言いだしたとき、どこに新しさがあるのか、全然見えなかったんです。報道されていた共同経済活動っていうのは、ロシア側への誘い水にはなっても、四島の主権が日本にあることの合意を求めることが前提なら(施政権はロシア側でいいという態度を堅持したとしても)、これまでと何も変わらないわけで、どこにも目新しさはありませんでした。

 しかし、「共同統治」ということだと、日本とロシアの双方が施政権を行使するということであって、まったく新しいアプローチです。統治が及ぶ範囲が限定されていたとしても、新しさに変わりはありません。

 日本企業が進出するとして、ロシアの法律が適用されるとなると四島の主権がロシアにあると認めることになるので、そうでない地域にしようと提案してきたのでしょう。究極的には裁判権なども含めた共同統治地域にするということで。おそらく四島の主権問題は棚上げにしようということだったのではないでしょうか。これが新しい。

 ところがロシア側は、そこから共同経済活動だけを抜き出し、共同統治はいかなるものでも受け入れないと明確にしてきた。それがこれまでの経緯だったのだと思います。

 私は、この共同統治案について、詳細は正確な報道がないので分からないところも多いですが、圧倒的に支持します。未解決の領土問題への新しいアプローチとして大きな意味があると思います。安倍さんの側近に知恵者がいるんですね。

 問題は、このアプローチのどこが新しく、どこに意味があるのかを、安倍さんが明確にしていないことです(深くは理解していないかもしれない)。四島返還、四島の主権が日本にあることの確認という、これまでの日本政府のアプローチと異なっているので、下手をすると世論の反撃にあうと思って、恐る恐るの対応になっているのだと思います。

 新しい政策を打ち出すときって、その意味を国民に分かってもらわないと、支持もされないし、実現可能性も遠のきますよね。それと同じです。しかも、共同統治案は、ロシアの国民の支持も得なければなりませんから、なおのことです。

 国境をめぐる紛争があって深刻な対立をしている地域を、どちらかの国が占有を続けるというのでなく、両方の国が協力しあって統治するって、画期的なことだと思いませんか。それが実現すれば、日本とロシアの双方の国民にとって利益になるし、平和と友好の象徴ともなると思います。世界の他の領土紛争にも大きな影響を及ぼします。

 そういう意味があるんだと安倍さんが堂々と言えるのかということが、この案の命運を左右するでしょう。言えれば、安倍さんの名前は歴史に残り、そうでないと、ロシア側に果実だけ奪われることになり、安倍さんの評判は地に落ちるでしょう。さて、安倍さんの運命や、いかに。

2016年12月13日

 土曜日のもう一つの仕事は、弊社の著者がある賞を受賞されたので、その贈呈式に出席することでした。平和・協同ジャーナリスト基金賞というんですが、ご存じでしょうか。吉永小百合さんも受賞したことがあるんですね。

 で、この基金の奨励賞を受賞したのは大塚茂樹さん。受賞した本が『原爆にも部落差別にも負けなかった人びと──広島・小さな町の戦後史』なんです。

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 弊社ホームページの紹介欄には以下のようにあります。ちなみに、その紹介欄を見ていただければ分かりますが、半年の間に8つのメディアで紹介され、すでに4刷りになっているんです。

 「川が息づいている都市・広島。そのなかに、食肉・製靴・皮革などをなりわいとする小さなまちがあった。
 部落解放を求めてきたこのまちも、71年前に投下された原子爆弾による甚大な被害を受けることとなる。このまちの人びとは、被爆の苦しみと部落差別からの解放を、より良きまちづくりのなかでめざしていく。明治生まれの福島町一致協会以来の歴史を受けつぎ、戦後をひたむきに生きてきた地域内外60数名の声を聞き取り、たしかな民主主義のあゆみを描いた労作。」

 最後に「労作」って書いてますよね。この言葉って、本を評価するのによく使われるので、「ああ、これもか」と印象に残りづらいかもしれませんが、率直に言わせてもらえば、この本を評価するためにあるようなものだと思います。

 著者は、この本を書くために定年を4年も前にして退職し(しかも名前を聞けば誰もが知っている大出版社をですよ)、広島まで何十回と通いつめたんです。60数名への聞き取りってのも、半端じゃないですよね。
 読んでいただければ分かりますが、聞き取りを通じて信頼関係が生まれているから、これだけの言葉が引き出せたということが、リアルに伝わってきます。これが労作でなければ、世の中には労作は存在しません。

 何よりも大事なのは、この本を読んでいると、「人」の果たす役割が分かるということです。原爆と部落差別に踏みつけられた町で、他にも生きていく選択肢があるのに、そこにとどまることを決断し、そこを変えていくのに努力を惜しまない人がいるから、前向きな変化が生まれるということです。

 それって、この町のことにとどまらず、どの町でも、そして日本全体でも、通用することですよね。それがつかめる本って、すごいです。

2016年12月12日

 先週末は土曜日のほぼ最終の新幹線で帰ってきました。土曜にもやることが二つあったんですよ。

 ひとつは、金子満広さんを偲ぶ会でした。金子さんは共産党の書記局長・副委員長などを歴任された方で、私は秘書として3年間、お仕えしました。選挙区の地元の秘書とか、党の本部の秘書とか、秘書と言ってもいろいろありますが、私は国会の秘書でした(衆議院議員を長く務められました)。

 こんな幹部の秘書をするのは経験がありませんでしたが、みなさんが共通しておっしゃるように、たいへん気さくで明るい方でした。秘書って、仕える人との関係でいろんな経験をしますし、病気にもなったりする場合も少なくありませんが、私は、金子さんの秘書をしていて、一度たりともイヤな思いをしたことがありません。これだけでもすごいことです。

 それだけではないのです。本当に自由に仕事をさせていただき、人生のなかでもっとも勉強した期間でもありました。大学に7年間も通いながら、最後の5年間は一度も授業に出ないという不勉強な日々を送ったので(卒業はできました)、この時期に系統的に勉強させてもらえたことは、いまにも生きていると感じます。というか、現在は、その時期の遺産を食いつぶしているだけかもしれませんが。

 自由にやらせていただいた分、責任感をもって自覚的に仕事ができた日々でもありました。一度だけ、はげしく衝突したことがありました。

 小選挙区制が導入されそうだということで、社会党までもそれに引きずられたことを覚えておられる方も、少しはいると思います。あの時、共産党のなかからは、「社会党も自民党と同じだ」ということで、「社会党同罪論」と名づけられる批判が吹き出しました。

 それを本会議で金子さんが質問することになったんですが、金子さんが私が起案したモノを採用してくれないんです。理由は、「冒頭から社会党も同罪だという展開になっていない」ということでした。そうなんです。当時、宮本顕治議長の発言などを見ても、そういう論調だったんです。

 でも私は、社会党が同罪なのは間違いないけれど、自民党の罪が深いということを国民が自覚しないと、社会党も同罪だという認識には到達しないのだから、まず自民党の罪深さを展開すべきだと主張しました。それで納得できるものができれば、社会党も同罪だというのは、最後の付け足しであっても心に響くと思ったのです。

 まあ、数日議論しましたけど、最後に金子さんが「松竹君の言う通りだね」とおっしゃってくださり、本会議に臨むことになったのです。それ以降、本当に信頼してもらって、その分、信頼に応えなければと思って頑張りました。

 自分の人生のなかで貴重な日々を送らせてもらい、金子さんには頭が上がりません。いまでも金子さんの数々の言葉は、私の頭にも心にも残っています。安らかにおやすみください。

2016年12月9日

 本日、某大新聞社の方から取材を受けるので、自分の考え方をまとめてみた。盟友の伊勢崎賢治さんの受け売りだけど、自分の言葉で語るとするとこういう感じかなというもの。

 現在派遣されているのは施設隊。施設(建物や道路、橋など)をつくる部隊である。これも戦闘行為を継続するには不可欠の部隊であって、そのため高い能力が必要とされており、実際、自衛隊は道路建設などをして南スーダンで歓迎されている。

 ただ、停戦合意が崩れ、戦闘行為が発生してしまうと、道路建設どころではない。現在の局面で現地で必要とされるのは、まさに「警護」できる部隊で、住民を守らなければならないが、それをできるのは歩兵部隊(自衛隊では普通科部隊)である。施設隊も襲われるときに備えて武器使用の訓練はしているが、「警護」は基本任務ではないので、やれることは限られている。

 それなのになぜ施設隊が派遣されているかといえば、歩兵部隊を派遣することになると、南スーダンが戦場だということを認めることになり、PKO五原則にもとづいて派遣するという日本の法律の建前に反することになるからだ。PKOはもはや過去のようなものでなくなっているのに、日本の法律はそのままなので、矛盾を抱えているわけだ。

 一方、いま述べたように、住民の保護は求められている。アムネスティ・インタナショナルの報告書などを見ても、PKOが住民を守らないことを非難する立場である。ルワンダの大虐殺以来、PKOにはそれが求められるようになり、人権団体もそれを支持する立場である。

 それなら、日本は何をすべきなのか。何かやれることがあるのか。

 その回答が自衛隊による停戦監視である。抗争をくり返す大統領派と副大統領派の間に丸腰・非武装で割って入って、停戦合意が守られるよう監視するのが仕事である。PKOの重要な仕事のひとつである。

 これはまず、日本の憲法上の問題が生じない。最近の国会論戦を見ても、憲法の武力不行使原則を守れという論調が強いが、国連の停戦監視員はそもそも丸腰・非武装なので、武力行使をするという問題そのものが生じないのである。

 さらにこの任務は、平和国家・日本の自衛隊に適している。

 いま国連が送ろうとしている部隊は、周辺諸国が中心である。南スーダンの利害関係国の部隊であり、そもそも先制攻撃ができるような部隊であって、一時的に沈静化に役立つことはあっても、根本的には問題を大きくしかねない。

 日本は利害関係国ではないので、紛争当事者に対して中立を保てる。自衛隊が海外で一人も殺したことがないという実績もモノを言うだろう。

 自衛隊はこれまで、ネパールに停戦監視員を送った実績もあり、成果をあげている。防衛省のホームページでは、その成果について、次のように述べられている

 「国連からUNMINへの軍事監視要員派遣の要請を受け、政府は閣議により派遣を決定しました。 2007年(平成19年)3月から第1次軍事監視要員(陸上自衛官6名)を派遣し、第4次軍事監視要員6名が2011年(平成23年)1月18日に帰国するまで、約3年10ヶ月、24名を派遣し軍事監視任務を継続してきました。
 UNMINへの軍事監視要員の派遣にあたっては、国連の規定に従い、武器は携行していません。
 派遣隊員は、7ヶ所のマオイスト・キャンプとネパール国軍兵舎において、武器および兵士の管理の監視などを行ってきました。
 派遣隊員の高い規律心・責任感、リーダーシップ、誠実な職務遂行などは、現地の国連、諸外国のUNMIN軍事監視要員などから高く評価されました。」

 現在のままだと、自衛隊は求められる任務と現実のなかで、矛盾を抱えたままだ。その結果、自衛隊の施設隊は、よけいな緊張を強いられる。

 安倍首相や稲田防衛相も「撤退」を口にすることがあるのは、その矛盾に自衛隊がさらされていることを、それなりに自覚しているからだろう。しかし、ただ撤退するということになると、日本は人道危機を見過ごしてしまうのかと言われてしまうので、打開策が見つからないわけだ。

 だから、「施設隊に替わって停戦監視員を」なのだ。どうだろうか。同時に実行すれば、「日本は逃げ出した」ということにならない。自民党だってこれなら大丈夫ではないのか。

 いまネパールの例をあげたが、武器は持っていかないので、「自衛隊が一人も殺さない」という実績は引き継がれるだろう。一方、危険な任務なので、「自衛隊が一人も殺されない」ということは保障できないかもしれない。ただ、紛争を終わらせるということを考えると、日本と自衛隊にもっとも適した任務だと思う。

2016年12月8日

 TIME誌の表紙は考えさせられますね。UnitedならぬDivided States of Americaですから。

 トランプ大統領を誕生させたアメリカのことが主題になっているわけですが、これが日本でも話題になるのは、アメリカだけのことではないと読者が直感するからでしょう。実際、国民の統合と分断をどう捉えるかという問題は、日本をふくめ現在の世界における中心問題のような気がします。

 分断というと、トランプさんや橋下徹さん、欧州の右派などが頭に浮かびますよね。「敵をつくって攻撃を集中し、有権者の拍手喝采を浴びる」やり方は良くないって。

 でも、やり方自体は、左派だって同じです。労働者階級の利益と資本家階級の利益は本質的に相容れないという考え方だって、そこで分断をつくろうとしているわけです。「改憲派は敵」というのもそうでしょう。

 だから、分断ということ自体は否定的にだけ捉える必要はないと思うんです。でも、拍手喝采を受ける分断と、あまり注目されない分断がある。その違いはどこから生まれるのでしょうか。分断の線をどこで引くかで違うんでしょうか。

 考えてるだけなんです。何か結論めいたものは、まだ浮かんできません。

 一方、統合という要素も、国民は求めているわけですよね。分断が進めば進むほど、それを求める気持ちが強くなるという面もある。

 いまの天皇を見ていて国民が安心するのもそうでしょう。無念のうちに亡くなった人とか、災害で苦しんでいる人とかに思いを寄せていて、「自分も見捨てられていない」、まさに「国民統合の象徴」だと感じられるわけです。

 安倍さんの支持率が高いのも、そのことが関係しているように思います。怒られるかもしれませんけど。

 当初、歴史認識問題とか改憲問題で、反対勢力を徹底的に叩いて、拍手喝采を浴びたわけです。一方、この一年ほどは、「戦後レジームの転換」という言葉も封印し、七〇年談話とか真珠湾訪問とか、「国民の首相」みたいな打ち出しをしているように見えます。安倍さん批判で凝り固まっていると、そう見えないかもしれませんが、多くの国民はそう感じ取っていると思います。

 そうでないと、これだけの支持率の高さは説明できません。もちろん、替わりの選択肢が見えないとか、別のいろいろな要素があることは否定しませんが。

 だから、どうやって安倍政治を転換するかというのは、そう簡単ではない。安倍政治は悪いものという前提でものごとを論じていては、支持が広がらないような気がします。

 本日から東京です。