2017年4月21日

 一方、軍事的対応は絶対にとらないという選択肢も、あり得ないだろう。その選択肢は、極端なことを言えば、北朝鮮からミサイルが撃ち込まれるようなことがあっても、こちらは我慢するのだ、被害を受けても外交努力だけに徹するのだ、と言っているように聞こえる。

 1955年1月、アメリカのアチソン国務長官が、アメリカの防衛ラインは日本列島からフィリピンまでだと演説したため、金日成が韓国を攻撃しても反撃されないのだと考え、朝鮮戦争が勃発したというのが国際政治学では通説となっている。その教訓をふまえれば、現在、北朝鮮が核・ミサイルで先制攻撃してくれば、それ相応の反撃をするという意図は、北朝鮮に伝えていく必要がある。

 具体的に言えば、ミサイルが日本に落ちてくるなら、現存のミサイル防衛システムを発動し、迎撃するのも当然だろう。10年ほど前までは、北朝鮮はミサイルを「衛星」だと強弁しており、撃ち落とされるなら反撃すると公言していた。本当にそれが「衛星」だったなら、北朝鮮の反撃にはそれなりの正当性があったと言える。しかし現在、北朝鮮は核・ミサイルの開発だという意図を隠していないわけだから、落ちてくるミサイルを迎撃するのは、国際法上も許される自衛措置である。

 他方で、日本あるいは日米がやろうとする軍事対応が、北朝鮮に核・ミサイル開発を止めさせるための外交努力と矛盾するものであってはならない。最終的にこれを止めさせるようとすれば、外交の力に頼るしかないからだ。

 この点では、こちら側が先制攻撃するというのは、最悪のシナリオである。北朝鮮にミサイルや化学兵器を使用させる口実を与えてはならないのだ。

 それと表裏一体のことだが、北朝鮮側の先制攻撃がないかぎり、こちら側は武力の行使をしないというメッセージも明確に伝えるべきだ。さらに、その武力行使の規模と態様も、もっぱら自衛措置の範囲に止まることを明確に北朝鮮に伝えるべきだ。ミサイルが撃ち込まれるなら、そのミサイル発射基地は叩くという程度のものにするということである。

 北朝鮮は、イラクのフセイン政権の末路その他、アメリカが実際にやってきたことを見て、武力を行使される時は体制が転覆される時だと感じ、必死になって核・ミサイル開発に狂奔している。だからこそ、多少のメッセージで真意を伝わるのは簡単ではなかろうが、核・ミサイル開発を止めさせようとすれば、そこに真剣になる必要があるのだ。

 核・ミサイルを開発し、使用するようなことがあれば、北朝鮮の体制は維持されない可能性がある。しかし、その開発を中断し、核とミサイルを放棄するなら、体制の維持につながる報償は与える。与えることになる報償の内容は、外交関係者が知恵を出していかなければならないが、軍事対応と外交努力の結合というのはそういうことだ。(続)

————

 私の週刊誌デビューは今年2月の「サンデー毎日」でした。新聞では、神奈川新聞、神戸新聞と長いインタビューを載せてもらいました。そして本日、全国紙でデビューしました。なんと産経新聞。この連載の要約版が、本日の産経新聞オピニオン面に掲載されたんです。まさか、そんな時代が来るとは。

産経新聞「iRONNA発」松竹伸幸様(北朝鮮有事)第2校ゲラま、加熱する産経新聞読者の冷却剤にはなるのかな。

2017年4月20日

 この問題を考える上でもう一つ大切なことは、アメリカ抜きで解決することはできない問題であると同時に、日本独自の立場も貫かなければならないということである。日米の利害は一致しているように見えて、異なる部分もある。

 北朝鮮の核・ミサイル開発を阻止するという目標では日米は共通している。情報交換その他、緊密な日米連携が必要であることは論を俟たない。

 しかし、決定的に違うのは、もし戦争になるようなことがあれば、戦場になるのは日本(と韓国)だということである。アメリカに届くミサイルが完成しているわけではないので、米本土は戦場にならないということである。

 アメリカの中で先制攻撃がオプションの一つとして浮上しているのは、そうなる前に何らかの対処が必要だと考えられているからであって、主にアメリカの国益を最優先させる立場からである。90年代前半の核危機では100万の死者というシナリオを前に冷静になれたが、トランプ政権下では、たとえ軍事攻撃をしたとしても、北朝鮮は体制維持を優先させようとするので、体制崩壊につながるような全面戦争に北は踏み切らないという楽観的な考え方も生まれていると聞く。

 けれども、それはあくまで希望的観測である。北朝鮮が体制維持を最優先させるのは間違いないが、アメリカに一方的に攻撃され、反撃もできないとなれば、それこそそんな金正恩体制を維持する求心力は失われるだろう。体制維持のために反撃に出てくるシナリオだってあり得るということだ。「国体護持」の保証を得るため、どんなに被害が拡大しても戦争を止めなかったようとしなかった日本の過去のことを考えれば、こちらのほうが現実味があるかもしれない。

 そうなれば、アメリカの先制攻撃を支持し、発進基地を提供する日本は間違いなく標的となる。北朝鮮のミサイルの精度が高まっていることは日本政府も認めていることであって、日本に到達する前に落下したり、上空を通過していくということにはならないだろう。

 要するに、日本としては、自国が戦場になることは避けるという目標を持つことが大切だということだ。アメリカがお気軽な先制攻撃のシナリオを持つのも、米本土は戦場にならないという安心感が生みだすものであって、自国を戦場にしないと考えて行動するのは、どの国であれ決して身勝手な立場ではない。お互いの異なる立場をぶつけ合って、対応を決めていく必要があるということだ。(続)

2017年4月19日

(ネットメディアに依頼されて投稿しました。5回連載です)

 北朝鮮情勢が風雲急を告げている。真剣な対策が必要だ。軍事対応と外交努力をどう適切に結合させればいいのか、その「最適解」を見つけだすことが決定的に重要だと考える。それはどんなものだろうか。

(1)
 軍事対応だけでも、あるいは逆に外交努力だけでも、北朝鮮の核・ミサイル問題には対応できない。歴史的な経緯を見ればそれは明白だ。
 いわゆる1990年代前半の朝鮮半島第1次核危機。クリントン政権が軍事対応を志向したが、その道を進めば100万人以上の死者が出るとの試算も出され、当時の韓国金泳三政権が断固として反対したこともあって、軍事対応には至らなかった。あとで論じるように、軍事対応がいまでも同じ問題を引き起こすという構図は変わっていない。
 一方、その核危機が米カーター元大統領の訪朝によって回避され、北朝鮮は、1994年のいわゆる「米朝枠組み」合意により、核兵器を最終的には放棄することを約束した。その見返りに北朝鮮に対して軽水炉2基を供与するとともに、それが完成するまでの間、毎年50万トンの重油を供与することになり、日本も軽水炉建設費の30%を負担した。外交努力の成果だと見られたが、結局、北朝鮮が秘密裏に核開発を続行していたことが明るみになり、IAEAの査察を拒否するわ、NPTからの離脱も宣言するわで、外交努力は見事に破綻したのである。「外交努力だけでなんとかなる」というならば、この時の失敗の教訓を徹底的にくみつくした上で、「このやり方ならば」というものを説得的に提示しなければならないが、そういうものにはまだお目にかかっていない。
 それに続くブッシュ大統領の時代、アメリカはイラク戦争に突入し、小泉首相は「北朝鮮が攻めてきたときはアメリカに頼る必要があるのだから」という理由で、その戦争を支持した。今回、トランプ政権のシリア爆撃を「理解」した安倍首相につながってくるが、金正日は、化学兵器の保有をちらつかせるような甘い対応では体制を打倒されるということをイラク戦争の教訓だと捉え、本気で核保有国になる決意を固めたとされる。シリア爆撃を「牽制」とする見方は、北朝鮮には通用しないだろう。
 オバマ大統領の時代、アメリカは「戦略的忍耐」といって、北朝鮮が核放棄するまでは相手にしないという態度をとった。軍事対応は行わず、外交努力もしないという新たな対応だったが、結局その期間、北朝鮮の核・ミサイル開発は加速した。
 要するに、これまで世界がどういう対応をしようとも、北朝鮮は核・ミサイル開発を止めやめなかったということだ。軍事対応されるかもしれないという恐怖感があったとしても、何らかの経済的利益を得られるかもしれないという期待感があったとしても、そういうものには目を向けることなく、まさに自分たちも「戦略的忍耐」を堅持して、ただひたすら核・ミサイル開発を完遂するのが体制維持に決定的だと考え、邁進しているのが、現在の北朝鮮だということである。
 そういう国とどう向き合うのかという問題に我々は直面している。単純な結論で済ませられるわけはない。(続)

2017年4月18日

 「私や妻が関与していたら、首相も国会議員も辞める」。安倍さんがこの言葉を吐いたのは、おそらくとっさのことだったのだろうけど、全経過を見ると(まだ終わってはいないけど)、安倍さん、この発言に助けられたよね。

 だって、この言葉があったから、野党は(反安倍の世論も)ここにしがみついた。「関与」を証明したら安倍さんは辞めることになると思って、そこにしゃかりにきなった。

 例えば100万円の寄付だってそうだろう。安倍さんがおカネをもらって便宜を図っていたら大問題だけど、学校の理念に賛同しておカネを出すのは、法的には何の問題もない。だから、これをどう追及しても、安倍さんの責任が問われることになるはずがないのに、「関与」の二文字にすがって、ここが大事だと思い込んだ人がいたわけだ。

 これって、根本的に間違っているでしょ。私の周りにも、「これで安倍の首がとれる」と思い込んで、必死になっている人がいる。でも、要するに、客観的に言うと、選挙で国民多数の支持を得て勝つことはできないから、「関与」を証明して安倍さんに辞めてもらうようにしたいということだ。そこを見透かされて、安倍さんは堂々としている。

 この問題では、先月、「森友問題は安倍政治型の事件」という記事を書いた。以下、少し引用。

 「通常、こういう事件が起きると、我々の思考は、これまでの同種の事件に引きずられがちです。大企業や大金持ちがおカネを政治家に渡して、それで政治家が役所を動かし、政治がゆがめられるという、贈収賄型の事件です。……
 確かに、昔の自民党政治というのは、そういうものでした。でも、……小選挙区制になって、首相の力の源泉は候補者を公認する権限があることから生まれる構造になっています。おカネも政党に集中するようになっています。おカネがなくても首相が絶大な権力を行使できるようになっているわけです。……
 こうした時代には、何かの目的を達成しようとすると、政権のトップにどう取り入るかということが大事になってきます。籠池さんが首相の名前を冠した学校をつくろうとしたのも、そうした意図があったからでしょう。
 また官僚についてみても、昔なら、ある派閥から別の派閥に権力が移動するということが日常茶飯事だったので、特定派閥とだけ親密にするようなことはしなかったでしょう。だけど現在の権力構造のもとでは、派閥に対して等距離である必要はない。首相による働きかけがあろうがなかろうが、首相の意向に沿った行政ができるかどうかが、官僚の腕の発揮のしどころということになっているように思えます。

 そいうことで、今回の事件は、現在の政治構造が生み出したのだと思います。その意味で「安倍政治型」と名づけました。」

 まあ、これが正しいかどうか、分からない。だけど、いま野党に求められているのは、「関与」を証明して安倍さんの首をとることではなく、森友学園問題を通じて明らかになった安倍政治の構造がどんなに問題かを明らかにして、それに対峙する新しい政治のあり方、国家のあり方を示すことであるように思う。

2017年4月17日

 すでにホームページをご覧になった方からは申込みが来はじめています。「南スーダン後の日本の国際貢献」をテーマに、政党・会派代表の方々にご参加をいただき、議論したいと考えています。5月17日の午後5時から、衆議院第一議員会館国際会議室です。

 国会議員の方はもちろん参加し、発言できます。いつもと異なるのは、一般傍聴を制限させてもらったことです。自衛官(現元)と外交関係者に限定します。メディアの方は取材ができます。すでに各党の党首クラスの方には案内をしておりまして(会の呼びかけ人はいろんな政党の幹部に頼られる存在ですので、こういう時には逆に協力していただけるものと確信しております)、徹底的に議論するための制限ですので、ご理解いただけると幸いです。記録はすぐに公開するようにします。

 討論するための素材として、提言「南スーダン自衛隊派遣を検証し、国際貢献の新しい選択肢を検討すべきだ」を公表しています。近く、議員会館ではいつものように全戸配布しますが、会のホームページにはすでにアップされていますし、ここでも貼り付けておきますので、読んでご意見をいただけるとうれしいです。

オモテ
ウラ

 南スーダンの自衛隊には無事に帰ってきてほしいし、そのため最後まで慎重に対応してもらいたいと思います。ただ、5月以降はジプチだけになりますので、日本の国際貢献のあり方をめぐる議論が急速にしぼんでしまうのではないかと危惧します。そして、南スーダン派遣の検証がされないままということになると、結局最後まで政府は「危険ではない」ということでしたし、問題点が何も解決しないまま、自衛隊を派遣する新安保法制だけは残るということになると最悪です。

 ということで、今回のような取り組みになった次第です。ご協力の程、よろしくお願いします。