2017年5月24日

 学生運動に関わった過去のことは知られていなくても、アニメーターとなり、漫画家として大成していく安彦さんのその後は、多くの人に知られている。作品を通じて、そのメッセージを自分のものにしている人も少なくないと思われる。

 この『原点』を見て、昨日まで書いてきたように、私も学生運動の時代を思い出し、自省が求められることを感じたのだが、アニメーター、漫画家としての姿勢に対しても、どこか共感を覚えることがあるのだ。私とは分野も違うしスケールも違うけれどね。

 例えばマンガの主題ともなっている古代史。安彦さんは、神話を基礎にしていた戦前から、神話を全否定する戦後への転換が、どうしても納得いかなかった。それで神話を主題に取り込んだいくつかのマンガを書いたわけだが、私も、神話というものには、実際にあった歴史の何物かが反映していると考えていて、その究明は歴史学が課題にしなかればならないと考える。

 あるいは2人とも小林よしのりさんと対談したこと。左翼からは蛇蝎の如く嫌われている小林さんだが、書いているものを素直に読んで見ると、共通点が多いことに気づく。だから、慰安婦問題をめぐって小林さんと対談をした上に、彼のゴー宣道場に二度も出演することになった。安彦さんも、戦争論をめぐって小林さんと対談している。そのなかで、「あまりにも多くの点で同感なので驚きました」と表明している。

 さらには、それとも関連するが、日本の植民地支配に対する評価も安彦さんと私では似通っている。植民地を持たないと国際法の主体である主権国家とはみなされない時代でのできごとだから、法的な善し悪しを論じても仕方がないところがあるわけだ。しかしそれでも、欧米による植民地支配と異なり、何千年もつきあってきた隣国を支配するというのは、やってはならないことだった。安彦さんも、次のように言う。

 「フランスをドイツが植民地にするようなものです。そういう例はテリトリーゲーム発祥の欧州にさえないわけだから、当然無理があるわけで、結局はたがいのプライドを傷つけあってしまう」

 おそらく安彦さんも、私と同様、いろいろな支配的な論説に対して、昨日私が書いた「違和感」のようなものを感じ、それを大事にしてきたのではないだろうか。それを基礎にいろんなことに挑戦してきたのだろう。

 そこまで考えて、そりゃサブカルだから、当然そうだよねと思う。そして、ああそうか、この私も政治の世界でのサブカルなんだなと納得する。ということで、明日はそのお話。(続)

2017年5月23日

 今回は安彦さんの本とはあまり関係がない。自分自身の反省、自己批判である。

 昨日の主題に取り上げた「トロツキスト暴力集団」。これって、私が大学に入学した当時、共産党やその系列の学生運動の常用熟語のようなものだった。その言葉を使うのを、周りの誰もおかしいと思っていなかった。

 共産党だけが使うのなら、まだ分かる。昨日書いたように、スターリンがトロツキーを批判していて、共産党もその延長線上で思考していたからだ。56年のスターリン批判の際に、当時のブントと同様「ソ連は社会主義ではない」という見地に達していたら、トロツキーに対して別の評価もあっただろうが、そうではなかったからだ。

 しかし、全学連が使っていたのは、かなり違和感のあることだった。説明するまでもなく、全学連というのは学生全員が加盟している自治会の連合体であって、特定の思想集団ではない。その全学連が、学生の一部を「トロツキスト」と共産党と同じ用語で呼び、批判するわけである。しかも、じゃあトロツキーの本を読んでいるかというと、誰も読んでいない(私が最初にトロツキーの本『ロシア革命史』を読んだのは30代になってから)。

 言い訳はあった。57年にみずから「日本トロツキスト連盟」を名乗った潮流があったので、「自分でそう言っているから使っているだけだ」という言い訳だ。それにしても、その名前の連盟は1年も経たずに解散したわけで、一般の学生にとって通用するものではなかっただろう。

 問題はその後である。80年代末、共産党は「トロツキスト暴力集団」に変えて、「ニセ左翼暴力集団」という用語を使い始める。私は当時、全学連の指導部にいたのだが、全学連もまた「ニセ左翼暴力集団」という同じ用語を採用したのである。とくに議論することもなく。

 共産党にとっては、「トロツキスト」という言葉に意味があったように、「ニセ左翼」にも意味があったと思う。暴力集団が過激な行動をくり返していて、しかもメディアや社会から、左翼的な集団だと位置づけられていて、それが左翼ということでは共産党も同じだというイメージにつながっていたので、それを払拭する意味があったのだろうと思う。

 けれども、全学連は違うはずだ。先ほど書いたように全員加盟制自治会の連合体である。その傘下にある学生を左翼と右翼に分けたり、左翼を本物が偽物かに分けたりすること自体が、正常な感覚からすればズレていたと感じる。しかし私自身、何か変だなという気分はあったが、特に異論を唱えるでもなく、決定に従うことになってしまう。

 当時、共産党で全学連を指導していた人は、たいへん立派な人で、私の人生の師のような人である。学生自治会の役員には創価学会員や無党派の人も入れて、共産党の独断専行にならないようにしろなどと、口を酸っぱくして言っていた。それでも、暴力集団をどう位置づけどう闘うかということになると、やはり命がけで闘った経験から来るのだろうか、誰もが同じ思考をして当然と考えるようなところはあった。

 ただそれも、共産党の側の問題であって、全学連は別の思考回路があって当然だったと思う。学生運動に責任を持っている人間として、責任を果たすことと共産党の考え方が矛盾すれば、それを指摘し、解決しなければならなかった。学生運動の現状を見るにつけ、自分の頭で考えないことが何をもたらすかを、後悔の念でいつも振り返ることになる。

 違和感を感じたら、黙ってしまうのではなく、徹底的に考え抜き、納得するまで議論する。それは私のその後の人生にとっての大きな教訓である。(続)

2017年5月22日

 「人はわかり合えない。しかしだからこそ、わかり合う努力が必要だ」。これが安彦さんの考え方で、「ガンダム」にもその思想が貫かれているという。

 わかり合う努力ということを一般化せず、安彦さんや私に即して論じるとすると、トロツキストと共産党はわかり合えるのかという問題が浮上する。そこを抜きにすると抽象的な問題になってしまう。

 私が大学に入学した1973年というのは、学生運動自体が退潮に向かっていたが、とりわけトロツキストは壊滅的な状態だった。浅間山荘事件その他、凄惨な内ゲバに明け暮れているわけだから、もう対話の相手というものではなかった。私がいた一橋大学でも数名の反帝学評(青トロと呼ばれていた)がデモをする程度で、私も私の友だちもそれに惹かれるようなこともなく、議論の相手として認識することはなかった。

 ただ、トロツキストが誕生した50年代末のことを考えると、しっかりとした総括が必要だと感じる。戦後すぐ、共産主義の思想が少なくない学生の心を捉えていたが、いわゆるスターリン批判が56年に行われ、ソ連の驚くような実態が明るみになった。単純化することになるが、スターリニズムに犯された社会主義には未来がないとして、共産党員だった学生たちが58年に「共産主義者同盟(ブント)」をつくり、全学連指導部で多数を占めるようになる(なお、60年安保闘争において国会前で亡くなった樺美智子さんは、私と同じ神戸高校の先輩である)。それとは別に「日本トロツキスト連盟(57年)」から「革命的共産主義者同盟」に至る系譜がある。

 共産党はこれら全体を「トロツキスト集団」として批判することになる。しかし、現在の到達から見ると、当時のトロツキストには道理があったと思う。あれだけのスターリン批判が行われ、「こんな国は社会主義の名に値しない」と学生が感じたのは、当然のことだったろう。当時学生で共産党員としてがんばった私の大先輩も、学生がその方向に動くのはいかんともしがたかったと語っている。

 ところが共産党は、トロツキストの考え方に同調しなかった。それどころか、スターリン批判をきっかけに起こったハンガリー民衆の蜂起をソ連が軍事介入して鎮圧したとき(56年)、それを理解する態度をとった(後に訂正)。その学生たちを「トロツキスト」と名づけていたのも、スターリンによるトロツキー評価を前提にしたものであった。要するに、トロツキーはスターリンが言うように革命の裏切り者だが、スターリンは革命の枠内にあるというか、腐っても社会主義という評価だったわけだ。その後、自主独立の立場を確立し、ソ連とも激しい論争をくり広げ、国際会議の場で闘うわけだが、ソ連が社会主義の枠内にあるという評価は変えなかった。

 ところが91年にソ連が崩壊すると、こんどは共産党自体が、「ソ連は社会主義ではなかった」と断定することになる。そして大事なことは、その論拠としてあげられたものは、基本的にすべて56年のスターリン批判の際に明らかになったものだったことである。つまり、56年の時に学生たちが感じたことは、たいへん先駆的で鋭かったということでもある。それなのに、共産党の側はそれを評価できず、深刻な対立を生み出したということだ。

 もう60年も前のことで、存命の人もほとんどいないのだろうが、少なくとも当時、わかり合うための努力が必要ではなかったのだろうか。トロツキストというと、多くの人にとっては大学紛争前後のことを思い浮かべるのだが、その時代のことではない。その前のトロツキスト誕生の頃のことは、議論されてしかるべき問題だと感じる。(続)

2017年5月19日

 安彦さん、高校の時は、歴史の見方を教えてくれるすごい先生がいて、その影響で民青同盟に入ったそうだ。大学に進めば、もっとすごい勉強ができると、胸をふくらませていたという。

 だけど、大学の民青の班は、そういうものでなかったらしい。拡大とか、指定文献の読了とかだけを追及され、おもしろくない。やりたいのはベトナム反戦運動だったので、独自に運動組織を立ち上げ、全共闘に近づいていくことになる。こうやって自分の頭で考え、自分で道を切りひらいていくところが、その後の漫画家としての活躍につながっていると思う。

 一方、私が体験した一橋大学の民青は、安彦さんのとはかなり違っていた。まず、私はすぐには入らなかった。

 筑波大学法案粉砕闘争とか小選挙区制反対闘争とかがあって、毎回それに参加し、大学生はデモの最後尾のため最終電車に間に合わず、新宿の深夜喫茶で連日の加盟工作を受けるわけだ。だけど、「猿が人間になるなんて、科学的にあり得ないでしょ」なんて論争をふっかけて、民青の人を困らせていた。

 二年生になって入った民青は楽しかった。指定文献はあったのだろうけど、読め読めと言われた記憶はない。班の会議は、総選挙が近づいていたこともあって、みんなで政党を分担して政策の発表と議論をしていた。私は公明党を担当していて、別に議論の結果として共産党が優位ということになるわけでなくても、共産党から「指導」で入っていた人が文句を言うこともない。

 その人と飲んでいたら、突然、共産党の月刊誌『前衛』を取り出して、こんなことをいうのだ。「ここに「政治理論誌」って書いてあるだろ。これって、理論に対して政治が優先するということで、そんな見地で組み立てられる理論っていうのは、いつも疑いの目で見ていたほうがいい」。

 へえ、そんなものかと聞いていた。会議で報告される情勢の分析なんかも、「赤旗」を参考にはするんだろうが、そこには書いていないような独自理論みたいな展開がされていて、極端だなと思うことはあっても、共産党というのは指令で動くのではなくて、全部自分の頭で考えるんだと感じていた。その後も、個人的にはそういう体験が少なくなく、共産党はそういうものだと思っていた。

 ただ、いまから考えると、反省すべき点も多い。安彦さんは現在、全共闘体験をどう総括していくのか、当時の関係者と議論を重ねているようだが、私にも真剣に総括すべき問題はあると考えている。

 その一つが、まさに、安彦さんなど全共闘というか、当時の言葉でいうと「トロツキスト暴力集団」とか「ニセ左翼暴力集団」との闘いである。全部を書くとそれこそ、この『原点』のような本が必要となるので、ワンテーマだけ。(続)

2017年5月18日

 ファンの方には申し訳ない。「機動戦士ガンダム」というのは聞いたことはあったが(アニメを見たことは一度もない)、その中心にあった安彦良和さんというお名前は、一度も聞いたことがなかった。いや、安彦さんに限らず、そもそも漫画家、アニメーターの名前はほとんど知らないので他意はない。マンガを読んでいたのは小学校までなので、知っているのは、手塚治虫とかに連なる世代の人だけだ。

 サブカルと言われたこの世界に、日本の優秀な頭脳が集まっていて、表現手段としてなくてはならないものであることは、編集者としては自覚しているつもりである。硬派の本ばかりつくっているが、その分野でマンガを取り入れる新しい世界を切りひらきたいという思いもある。

 でも、おそらくそれは自分にはできない。だから、新しい頭脳を近く獲得することによって、そこに挑もうとしているわけだ。

 と、前置きが長くなったが、知り合いの編集者に勧められて、安彦良和と斉藤光政の『原点 THE ORIGIN──戦争を描く、人間を描く』(岩波書店)を読んだ。私とは表現する手段が異なるだけで、同じようなことを考えている人がいるんだなあというのが、率直な感想である。

 この本、東奥日報の記者である斉藤さんが、弘前大学全共闘(準備会)の中心メンバーだった安彦とその周辺に取材したもので構成され、それに安彦自身の覚書が挟み込まれるというかたちになっている。斉藤さんのことは米軍三沢基地の難しい本でしか知らなかったけれど(だから難しい文章を書く人だという印象しかなかったけれど)、本当に生き生きと描写されていて、この世界が大好きなんだなあということが伝わってくる。いい仕事ができて良かったですね。

 「同じようなことを考えている」というのは、安彦さんの政治的、思想的な考え方というだけではない。学生運動の出発点も似通っていて、最初から笑ってしまった。

 もちろん、安彦さんは全共闘で、私はいわゆる共産党系全学連の委員長だから、対極にあったわけだ。だけど安彦さん、全共闘のアジ演説が嫌いで、普通の語り方をして学生に伝えようとしたと書いている。ヘルメットもかぶらなかったそうだ。

 私も(8歳ばかり年下だが)、学生運動特有のアジ演説はなじめなかった。人前でしゃべること自体にはすぐに慣れてきて、何時間でもメモなしに話せるようになったが、煽って人を興奮させるのはいやだった(できなかった)。10数年前、国政選挙に立候補して人前でしゃべっているとき、「松竹さんの演説は、目の前にいる人に語りかけているみたいで、いいこともあるけれど、熱狂するような話し方をしてほしいときもある」と言われたのが印象に残っている。

 そういうこともあり、安彦さんの体験が共感できたので、この本にもスッと入っていけたわけだ。(続)