2017年6月16日

 これはなかなか難しい決断が迫られる問題だ。「食の安全」を100%追求しようとすると、豊洲に問題があるのは当然である(築地にも似たようなところはあるが)。ただ、東京都が抱え込む膨大な赤字のことを考えると、そう簡単に結論が導けない。

 豊洲には6000億円がつぎ込まれている。安全対策でさらに投資が必要となろう。それをどうやって回収するのか。

 豊洲に移転した場合は、築地の活用策で利益を生み出すことが可能だ。一等地だから、いろんな可能性がある。

 一方、築地に残った場合、豊洲はどう活用できるのか。そこに大きな問題がある。

 その場合というのは、豊洲の安全は保障されないと判断が下るのと一体である。そうすると、活用策は限定されてくる。

 マンションやホテル用地として活用するなど、人が24時間住むなんてのは論外だろう。時間限定でも保育所や公園としての利用もあり得ない。つまり、危険な場所と判断されたら、投資を回収する策が見つからないのだ。

 あり得るとしたら、カジノくらいではないか。それなら得られる収入の面はなんとかなりそうな気がする。

 ただ、豊洲移転反対の人々が、カジノ誘致を主張できるかというと、それも無理だろう。だから、この問題は難しいわけである。

 ということで(記事とは関係ないけど)、私は来週、おやすみをとります。ブログは合計で9日間の休止ということです。リフレッシュして戻ってきますね。

 いや、就活していた娘が無事に内定がおりて、ようやく子育て責任からの解放間近だから、安心して休みがとれます。池井戸潤が描くような正義の金融ウーマンになってほしいな(たくさん読ませたし)。2、3年後には営業だろうから、うちの会社が高利で借りているのを低利のものに借り換えさせてもらおうかな。さあ、解放されてもっと自由になれるか、安心し過ぎて老け込むか。

2017年6月15日

 共謀罪の結末については、あきれかえるしかない。ただ、日テレのニュースで、ある自民党のベテラン議員が語った言葉として、次のことは印象に残った。

 「(東京都議会選挙もにらみ)加計学園の問題を1日でも長く追及されるよりも、採決で批判される方がダメージが少ないと判断したのだろう」

 まあ、議院内閣制というのは、アメリカなどと異なり、国会での多数を基礎に行政権力ができるわけで、そもそも権力は集中しやすいのである。与党がぶれないかぎり、どんなに国民の多くが反対しても、行政府がとおそうと思う法案は可決される。

 そこに躊躇が生まれるとしたら、可決することによって、次の選挙で多数派ではなくなるところまで追い詰められた時だけだ。安倍さんは、共謀罪を強行しても、国民の支持はつなぎ止められると判断したということだ。しかし、加計学園問題を追及されると、その支持基盤は揺らぐと感じているということだ。

 ここは、今後、安倍政権への対抗を考える上で、大事なポイントだと思う。森友にせよ加計にせよ、法律に反してカネが動いたというようなことではないから、安倍さんが逮捕されたりするような性格の問題ではない。官邸の最高責任者の意向が証明される内部文書が出てきても、誰であれ自分の意向を表明することは自由であって、政権が倒れるような問題にはならないだろう。

 しかし、この一連の問題を通じて、少なくない国民は、森友や加計に代表される政治の在り方というのがどこかおかしいとは感じていると思う。加計はとくに官僚まで安倍政治をおかしいと感じていることが、腹をくくった覚悟とともに伝わってきて、国民にもわかりやすくなっている。

 そこを野党がどう捉えて、どう攻めていくか次第では、別の政権が必要だと国民に思わせるものを提示できる可能性があるのではないか。個別の政策的な対案ではなく、あれこれの暴露的なものでもなく、政権のありように関する選択肢の提示である。

 森友や加計に代表される安倍政治とは何か。「絶対権力者にみんな右へ倣へ」の政権である。「決められない政治」が問題になってきて、「決める政治」が生まれているわけだが、それが行き着くところまでやってきて、絶対権力者だけが決める政治が生まれている。そして、政治家も官僚も「右へ倣へ」なのである。昔、「みんな右へならえでいいのでしょうか」というスローガンがあったけれど、そんな感じだ。そこにおかしさを感じているのではないだろうか。

 それに対抗軸を提示できるとしたら、やはり「多様性」ということになるだろう。しかし、多様性だけだとバラバラということで、いまの民進党のなかのことを言っているようで評判が悪いし、野党との政策的バラバラ感も強い。だから、対抗する政権の在り方としては、「多様性を統合する政権」みたいな感じがいいのではないかと感じる。バラバラ感は強調しなくても伝わっているので、「統合」である。

 まあ、そのためには、本当に野党協議を加速してもらって、政権の対抗イメージでも政策でも、まとまったものを出してもらわないとダメなんだけどね。期待しておきます。

2017年6月14日

 先日、生まれてはじめて、政治資金パーティーなるものに参加した。個人としてでも出版社としてでもなく、「自衛隊を活かす会」の事務局長として。もう14回もシンポジウムを開催しているが、国会で会場をお借りしたりするのに、いつもお世話になっている議員もいるわけで、礼儀も必要である。

 まあ、私のようなものには、なかなか常識的なものではなかった。ホテルで朝食をとりながら講演を聴くのだが、2万円だからね。まあ、それでもいっぱい参加していたのは、政治家を大事にしよう、応援しよう、そのために年に2万円というなら出してあげようという人も少なくないからだろう。

 同時に、それだけではないと思った。というは、その講演というのが、とても魅力的だったからだ。いつもそうなんだろうね。

 講演したのは、最近までアメリカのヘリテージ財団で研究員をやっていた女性の国際政治学者。共和党系の財団だということで、トランプさんに関わるお話がリアリティがって勉強になった。オフレコの話が多かったので、ここでは書かないけれど。

 講演後のやり取り、やはり北朝鮮に対してトランプさんはどう対応しようとしているのかが、議論になった。その方の見方は、トランプさんは基本的に経済制裁で北朝鮮の体制を崩そうとしているのではないかということだった。レーガンがそのやり方でソ連を崩壊させたのを見て、トランプさんはあこがれているらしい。それがあるので、中国との関係は親密さを保つのが基本路線ということでもあった。

 一方、体制の崩壊って、いつ来るかわからない。北朝鮮のほうは、崩壊する前に一矢を報おうとするのかも。

 本日の共同通信の配信では(京都新聞の夕刊に載っていたが)、7日の米上院公聴会で国防副次官補は、「(北朝鮮が)年内に初のICBM発射実験を行える状況だ」と証言したらしい。また同じ日の下院公聴会で、国防総省のミサイル防衛局長は、「北朝鮮が核弾頭を搭載したICBMで米国に照準を合わせることができると想定するのがわれわれの責務だ」と述べたらしい。防衛関係者は、やはり最悪の事態を想定して対処するべきだから、当然だろう(政治家が同じであってはいけないが)。

 この問題、引き続き、日本政治の焦点になっていくだろう。それと平行して憲法改正論議が盛り上がっていくわけで、北朝鮮の核ミサイル開発が進めば進むほど、日本では護憲派が有利になるという状況をつくらなければならない。それくらいじゃないと、護憲派は勝てないでしょ。

 まあ、それに貢献できるかどうかわかりませんが、自衛隊を活かす会は年末、この問題での長時間企画をするつもりです。平日の午後の時間帯をあてて、陸海空の自衛隊そろい踏みで、敵基地攻撃論も含めて議論します。まだだいぶ先ですが、よく準備してやりますね。

2017年6月13日

 初めてお会いしたのが昨年の9月、那覇市にある国際平和研究所だった。元総理の鳩山友起夫さん、沖縄独立論の松島泰勝さん、平和学者の木村朗さんとの座談会をやって、構造的沖縄差別と言われる現状を告発する本を出そうという企画でお邪魔したのである。

 まず近くのホテルでお昼にラーメンを食べながら打合せして、研究所まで向かった。近い距離とはいえ、90歳を越える大田さんに歩かせるわけにはいかないと思ったのだが、スタスタとというわけにはいかないけれど、お元気に歩いていかれた。

 その後、11月にも2回目の座談会。両方とも3時間を超えたのだが、沖縄戦のことなどここまで覚えておられるのかと感嘆するほど頭脳明晰だし、終了後にはビールを振る舞われるなど気配りもしていただいたし、ずっとお元気でいるものと思い込んでいた。

 今年に入り、座談会で語り尽くせなかったことを4人の筆者には論文でまとめていただき、ようやく最近、初校ゲラをやり取りできた。そして、昨日の朝、再校ゲラを沖縄に郵送した直後、訃報に接することになったのである。

 この本で大田さんがどんなことを言っておられるのか、著者のお一人に沖縄の新聞社から取材があったらしい。そうだよね。大田さんの遺作というか、遺言のようなものになるわけだから。

 ずっと沖縄県民の立場にたって闘ってこられた。しかし、沖縄差別は解消するどころか、どんどん深まっていく。その中での苦悩と告発が、この本の中には満ちていると思う。

 タイトルは『沖縄謀叛』。帯の周りは少し変わるかもしれませんが、これが基本である。

okinawa0606-mihon のコピー

 「謀叛」って、時の権力者に逆らって兵を起こすことだ。権力者って、自分で法律をつくれるわけだから、常に合法性の側に立てる。その場合、民衆は謀叛を起こして、みずから権力を奪取することしか道がない。沖縄では自民党の国会議員はゼロなのだから、全国で沖縄と気持ちが共有できたら、それは可能だ。

 そんな気持ちを込めてタイトルを用意しまた。この本を広く普及することで、大田さんのご遺志に応えたいと思います。8月刊行予定です。
 
 合掌。

2017年6月12日

 いま、安倍さんの加憲提案について論じる本を書いていて、その関係でいろんなものに目を通す。へえ、そうだったんだと思わせるものも多い。その一つが、非武装中立VS中立自衛の真相である。

 60年代から70年代にかけて、社会党が自衛隊違憲論と非武装中立の政策を確立する。一方、共産党は、自衛隊違憲論では同じだったが、防衛政策としては中立自衛政策をとることになる。

 この二つは、安保条約の廃棄を意味する「中立」という点では同じだが、それ以外は本質的に異なっていた。非武装中立は文字通り非武装で自衛隊をなくそうということであり、攻められた場合は抵抗するが、「降参したほうがいい場合もある」と明言するものであった。他方、中立自衛というのは降参などせずに自衛権を発動して戦うというのが基本である。九条で自衛隊は認められていないからいったん解散するが、ゆくゆくは国民の合意を得て九条を改正し、自衛戦力が持てるようにするというものだった。

 両者は相容れなかった。社会党は共産党に対して、日本の武装を容認するというのは、「(防衛力増強論者に)絶好の口実を与え」るものだと批判をしてきた。共産党は社会党に「降参など無責任だ」と糾弾をした。かなり激烈な論争が行われたわけである。

 ところがである。当時、社会党支持者、共産党支持者は、それをどう見ていたのか。1966年に憲法学者の小林直樹が全国的な世論調査を大規模に実施した。そこでは政党支持者別の調査もあった。

 それを見ると、社会党支持者で自衛隊を「憲法違反だと思う」と答えたのは二八%しかいなかった(「違反していない」は一四%)。一方、共産党支持者ではそれぞれ七八%、五%だったのだ。

 さらに、自衛隊が必要かどうかの質問もあった。社会党支持者の五八%が必要論で(不要論は二七%)、共産党支持者の二一%(六八%)と好対照だったのである。

 小林は、以下のように書いている。『日本人の憲法意識』(東大出版会)からの引用。

 「革新派の「平和主義」とくに社会党のそれが、いかに民衆の底辺まで行きとどいていないか」「(共産党支持者)にくらべて政治の知識でも感覚でも判断力でも、ひどく見劣りがした」

 あれだけ論争していたのに、社会党支持者は自衛隊必要論が大勢で、共産党支持者の多くは自衛隊不要論だったのである。社会党と共産党の論争を、この支持者はどう見て、どう感じていたのだろうか。

 村山内閣で自衛隊合憲論に転換し、それが理由になって支持者から見放されたと一般に言われているが、まったく違うということだよね。もともと支持者は自衛隊必要論だったのだから。

 一方、共産党がここを転換すると、本当に支持者から見放されるかもしれない。私の実感としても、共産党支持者と共産党幹部の自衛隊違憲論、自衛隊悪論・廃止論って、激しいからね。66年調査時点と同じなんじゃないだろうか。