2017年7月24日

 安倍さんが窮地に立たされていて、次は誰になるのかという議論が始まっている。私の周りでは、すぐにでも引きずり降ろせという人が少なくないわけだが、そうしたとして誰が首相になるのを望むのと聞くと、なかなか名前が出てこない。誰がやっても安倍さんよりマシなんだから、考えなくてもいいんだと言う人もいる。ホントにそうなんだろうか。

 そんなことを考えていたら、本日の毎日新聞の世論調査がおもしろかった。「安倍1強」といわれる政治状況について、「あなたの考えは次のどれに近いですか」と聞いている。

 「安倍首相が強いままでいい」は7%にとどまる。「自民党から安倍首相に代わる人が出てきてほしい」は31%。「野党から首相に対抗できる人が出てきてほしい」は25%。「新しい政党や政治団体から首相に対抗できる人が出てきてほしい」が23%。

 そう、きれいに3つに分かれているんだよね。そこも分裂しているあたりが、対抗勢力を苦しめるかもしれない。

 まず野党と言っても、選挙は来年末までないだろうから、期待薄である。政策協議を進めないと、核兵器禁止条約を批准する政府をつくろうということも言えないから、魅力ある対抗軸になるかも不明である。

 次に新党と言っても、いま話題になっているのは都民ファーストくらいで、都政では改革勢力になり得ても、憲法改正が焦点となる国政では安倍さんの対抗軸にならない。護憲新党でも出てくると、違うかもしれないけど。

 そして自民党。先日書いたけど、岸田さんが閣僚にとどまることになって、有力な対抗馬と言えば、石破さんくらいしかいないわけだよね。私は、石破さんだったら、9条については自民党改憲案に固執しているとは言え、それを2020年までにやり遂げるなんてことを公約にしない理性はあると思うので、選択肢かなとは思う。だけど、野党勢力にとって、石破さんって、安倍さんよりいいとは思えないだろうから、そこがネックだよね。

 というか、昔は、自民党のなかの権力闘争があって、内部から別の選択肢が出てきた。だけど、それは小泉さんを最後に、ずっとなくなっている。政権に忠実な人が次の指名を受けるみたいになっているから、自民党内から対抗軸が出てくるのは、もう無理なのかもしれない。

 私としては、どこかで書いたことだけど、国民投票にせよ総選挙にせよ、安倍さんと正面から取っ組み合って勝利しないと、安倍さん的なものが残ることになると思っている。だから、この1年、真剣に準備をするのが望ましいという立場なんだけど、どうでしょうね。

2017年7月21日

 出張が終わりました。いま新幹線のなかです。いや、忙しかった。来月は、広島から長崎に向かうし(なぜか佐賀で途中下車)、お盆休みもあるし、次に東京に行くのは一か月先になるでしょう。

 私としては、来年(2018年)が勝負の年かなと感じています。安倍さんも来年に改憲発議することをめざしているし(順調にはいかないでしょうから、少し伸びると思われます)、来年は沖縄で名護市長選挙、県知事選挙もあります。新憲法の施行が2020年というのが安倍さんの目標ですが、その年に私は退職することになっているので、勝負の年と重なっているんですね。悔いなく闘って、退職の年である2020年を迎えようと思います。

 その後も、出版の仕事には、少し関わるかもしれません。少しね。ブログも継続する意思はありますが、その場合、タイトルは「編集長の冒険」から「出版界の片隅で」に変えるつもりです。どうでしょ。

 それにしても、安倍さん、しぶといですね。岸田外相が留任を決めたということは、安倍さんの九条加憲案に対して、九条には当面手をつけないという選択肢が自民党のなかにはなくなったことを意味します。安倍路線に反対する旗印は、自民党内では、石破さんの2項削除、国防軍明記路線しかないということです。

 つまり、自民党内の争いに期待していても、護憲派の未来はないということです。国民投票で勝利するか、政権を奪いにいくか、どちらかしかないんですね。護憲派は覚悟を固めないといけません。

 ということで、2018年は超忙しくなりそうで、そこで問題になる改憲論議に一石を投じる本は、今年中に出そうと思って、それも忙しい要因です。長沼裁判の全記録に目を通すことになるなんて、考えてもいませんでした。

 2020年で退職したら、何をやろうかな。片手間でやっている自衛隊を活かす会の専従にでもなって、これをメジャーにするために命をかけてみようかな。ま、よく考えてみます。

2017年7月20日

 このブログで、「信頼されない防衛大臣の進退」という4回連載の記事を書いたことがあるけれど、その開始日は3月31日だった。もう4か月も前なんだね。

 その記事の冒頭で、某メディアに頼まれて寄稿したものだと書いている。どのメディアかというと、産経新聞デジタルのiRONNAだった。そこが「稲田朋美はもう限界かもしれない」という特集を組んだのだが、そのうちの一つだった。

 私の記事のタイトルは、「自衛官の「矛盾」を放置し信頼を失った稲田氏は潔く身を引くべきだ」というもの。その最後は次のようなことばで締めくくっている。

 「憲法9条の下での防衛大臣の仕事には特有の難しさがつきまとう。だからこそ苦労のしがいがあるポストでもある。防衛大臣たるもの、自分の身を捨ててでも、職務に邁進(まいしん)してほしい。それができないなら、潔く身を引くべきではないか。」

 産経から依頼があったとき、この記事を寄稿するかどうか、ちょっと迷った。なぜなら、稲田さんが大臣にとどまることはもうガマンできないという声が高まっているので、左派の私にも書いてほしいという依頼だったからだ。産経新聞による稲田さん追い落としに利用されるかもしれないと躊躇したのだ。「自衛隊として投票をお願いしたい」という発言を受け、産経新聞が公然と稲田やめろの論調を明確にしているけれど、その素地はいまから4か月前にあったんだよね。実際、私は「信頼されない防衛大臣の進退」というタイトルで寄稿したのに、実際に掲載されたときは「自衛官の「矛盾」を放置し信頼を失った稲田氏は潔く身を引くべきだ」と、過激なものになっていた。

 まあ、しかし、ここ数日の報道を見ると、稲田さんが辞任すべきことはますます明確だ。産経に利用されてもいいから、再度言っておく。

 南スーダンの日報のデータが残っていたことについて、稲田さんは国会で3月、「報告を受けていない」と明言したのだ。ところが、報告を受けていたことが報道されはじめると昨日、「報告を受けたという認識はない」と答えたそうだ。

 これって、自分の「認識」の問題にすり替えていこうということだよね。報告があったということが事実認定されても、自分の「認識」にはなっていないということにしておこうということだ。

 だけど、これって、自衛隊が自分の暴走だと言われないよう、大臣に一生懸命報告しているのに、防衛大臣は「報告を受けたという認識はない」ということなんだよね。認識に残るような報告を自衛隊はしなかったということにして逃げようとするわけだ。その結果、「暴走する自衛隊」という印象操作をすることになるんだけれど、自分を守るためにはそれでやろうということだ。まあ、会議をやってもボヤッとしているだけで、ホントに何の認識もないのかもしれないけど、

 そんな大臣のもとで自衛隊がちゃんと仕事できるわけないでしょ。アタマに来るなあ!

2017年7月19日

 本日から、またまた東京です。昨日、『核兵器禁止条約の意義と課題』(表紙画像をご覧ください)を東京の印刷所に入稿したのですが、それを出力したものを宅急便でやり取りしていると、2日間余計な日が増えて、原水禁大会に間に合わない可能性があります。それで高い交通費を払って行くわけです。まあ、それに併せて、商売に関係する仕事もセットしますから、損するわけではありませんので。

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 ところで、全国のみなさん。これ以降、原水爆禁止運動は、これまでと違ってきますよ。核兵器禁止条約を日本でも批准させようという運動になってきます。自民党と公明党の政府がそれを拒否しているもとでは、批准する政府をつくろうという運動になるということでもあります。

 そういう運動をするためには、この本の著者である冨田宏二さん(関西学院大学教授・政治思想、原水禁世界大会起草委員長)をお招きし、条約の意義と課題を勉強することが不可欠になります。冨田さんは、この条約とそれに至る長い長い議論に直接関わってこられた方であり、他に替わる人はいません。

 すでにいくつかの県で、原水協や保険医協会やその他、冨田さんをお呼びした講演会が企画されていますが、もし直接につながりがないなら、私にご連絡ください。仲介します。

 条約を批准する政府ということでは、それなりに真剣な議論が必要だと思います。アメリカの「核の傘」の下にある国が一つも賛成しなかったわけですから、同盟関係にあると批准できないという流れもできてくると思います。そうなってくると、民進党は及び腰になるでしょう。

 この条約を批准する上では、核抑止力なり核の傘は否定することが不可欠だと思われます。しかしそれは、核に頼らない防衛政策を考える絶好の機会にもなります。核兵器も否定するが、通常兵器による防衛も否定するというのでは、国民も安心して条約の批准に賛成するということにはならないでしょう。

 それをどう打ち出していくのか。野党共闘に臨む政策担当者の覚悟と力量が問われることになると思われます。

2017年7月18日

 劉暁波さんの死が大きな問題になっている。外国での治療を望んでいたのに中国が邪魔をしたと報道されていて、当初、少し違和感があったのだ。天安門事件のあとに出国した活動家と異なり、劉さんはあくまで中国にとどまることによって、自分は苦しむけれど中国への愛を貫きとおすものだと思っていたからだ。

 だけど、昨日の朝日新聞を見て、納得した。劉さんを支えて国内で一緒にがんばってきた奥さんの精神状態が深刻となり、その奥さんの希望を叶えるため海外行きを望んだらしい。自分の信念を変えるとしたら、そういう場合だということだよね。偉いなあ。

 中国政府は、ネットを自由に操ったり、お墓に埋葬させないことで、劉さんの影響力を断ちきりたいと考えているのだろう。でも、劉さんの振る舞いは、中国のやり方の非道さをもっとも目に見えるかたちで示すためには、最善のものだったと考える。その思いはいつか結実するだろう。

 てなことを週末に考えていたら、ちょっとした事件が起きた。現在、中国のある出版社との間で、弊社が出しているマルクスに関係した本を中国語で翻訳・出版する話が進んでいて、契約書のやり取りが進んでいた。ところが、何日経っても、何週間経っても、それが相手に届かないのだ。

 そうしたら、相手の担当者が言うには、マルクスに関係する本だから当局が警戒して、没収されたかもしれないだって。そうか、中国でマルクスは警戒の対象なのか。少なくとも出版社が当局のことをそうみなしているということだ。

 その話を週末、某大新聞社の編集幹部に伝えたら、大受け。「中国共産党が一番警戒しているのはプロレタリア革命が起きることかもしれない」だって。

 そうだよね。客観的に見ると、中国って、政治的には封建制で、経済的には資本主義だ(イデオロギー的には共産主義と言いたいところだが、そんなことを言うと独裁も共産主義と言うのと同じなので言わない)。普通だったら、政治的に次に来るのは自由を求めるブルジョア革命だが、それを担うブルジョアジーは封建政治に庇護されることで、経済面での資本主義によってばく大な利益をあげている。

 だから、中国で起きるとすると、政治的には自由を、経済的には資本主義の規制を求める革命である。それを担うのは、やはり抑圧されているプロレタリアートということになるんだろうな。