2017年8月24日

 安倍さんが2020年を意識して戦略を練っていることは誰もが意識している。改憲もそうだしね。それで生まれることになる国民分断状況を、オリンピックで埋めようという腹づもりなのかもしれない。

 いま準備している経済企画庁元事務次官の方の本の冒頭に、そのことが少し出てくる。安倍さんをはじめ2020年のことを考える人はいるが、大事なのは2040年頃のことを考え、戦略を練ることではないかという文脈で。この著者が経済企画庁に勤めはじめたとき、企画庁内に20年後の日本を論じる文書が出回っていて、そういうことをやる役所なのだとびっくりしたことを書いておられる。

 ところが現在、そういう役所はなくなった。経済企画庁の主要機能は内閣府に移管されたのだが、内閣府というのは、首相直轄の役所だ。この間、森友や加計のことが問題になり、内閣府のお役人の名前が何人も出てきたけれど、「政治主導」で総理の意向を進めるための役所のようなものだ。

 だから、そういう点では、経済政策についても同じことが起きる。内閣府がやることは、一言で言えば、アベノミクスをどう進めるかという観点のみから生まれてくる。

 それに対して、経済企画庁の時代は、専門の調査官がたくさんいて、日本経済の現状を客観的に分析していた。その分析にもとづき、どんな政策が必要かを、経済合理性を基準に判断していたわけだ。

 もちろん、経済企画庁だって政府の役所であって、全然別のことができるわけではないし、実際の政策は大蔵省や通産省が牛耳っていたわけだ。しかし、この本にも何回も出てくるのだが、経済企画庁が独立した観点で考え、提示していくことによって、議論が生まれてきたわけである。

 現在、議論はない。あるのは首相の意向とその忖度だけだ。専門の経済調査官もいなくなった。内閣府というのはいろいろな仕事の分野があるから、経済の部署にずっといることはなくなった。だから官庁エコノミストも、これからはもう生まれることはない。

 ある程度の独立性のある日本経済の戦略本部。これがいま求められているというのが、この本の結論である。そこで、2040年に向けた戦略を真剣に議論してほしいなあ。2020年なんて、2年半という目先のことにとらわれずだ。

 この本ができたら、「経済企画庁を復活させる会」をつくりたいんですけど、どなたか協力していただけませんか。私自身は、安倍さんと同じ年齢で、ついつい憲法に目が行ってしまうので、安倍さんに対応して、2020年安倍対抗戦略という程度のつまらないことしか考えられないんですけどね。

2017年8月23日

 一昨日、京都の郊外で、安倍首相の9条加憲案についてお話をしてきた。このテーマでのお話は、すでに関東、中部、関西と3箇所でやったのだが、これにしぼったお話は最初かな。年末に出す予定の新書がほぼ書き上がってきたので、だいぶ頭が整理されてきて、講演するのも楽になってきた。

 安倍さんの加憲案がどういうふうになっていくかは分からない。内閣が追い詰められていて、憲法どころじゃないだろうという雰囲気は、自民党のなかにもあるのだと思う。実際、加憲案が出た5月の世論調査では、この案への支持が多かったのに、安倍内閣の支持率低下とともに、加憲案への支持も大幅に下がっている。

 しかし、もし本当に国民投票にまでこぎ着けるようなことがあるとしたら、その際の有力な案がこれになることも明らかだ。他の案が国民投票で支持される可能性はほぼ皆無だとい思われるからだ。

 それに、ちょっと前の朝日新聞に書いてあったが、岸田さんが政調会長になったのは、改憲にかける安倍さんの深謀遠慮だという見方もあるそうだ。60年安保を前に支持率の低下に悩んだ岸首相は、反主流派だった池田勇人に政権を禅譲するとほのめかして内閣に取り込み、党内を一致結束させて安保を強行可決した上で、実際に禅譲した。安倍さんは、それが頭にあって、「岸田さん、憲法では内閣がオモテに出ると問題になるから、あなたが党内を調整してまとめてほしい。成功したら次の首相だよ」と誘いをかけているということだとか。そして憲法改正を強行し、自分は辞任するが、自民党政権は維持させるというシナリオ。ホントかどうか分からないが、ありそうな話ではある。

 いずれにせよ、これが国民投票にかかったとき、選択肢はこの案に○をするのか×をつけるのか、どちらしかない。そういうときに、他の案を提示したって意味がない。

 そして、この加憲案は、9条解釈は変えないという建前で出てくる。それに反対する側は、解釈が変わらないということはあり得ないということで、きびしく糾弾することになる。とはいえ、自衛隊を明記するということだけなので、その糾弾は自衛隊糾弾のように国民の目には見える。

 ということで、この問題で国民の理解を得ようとすると、「自衛隊の明記に反対するが自衛隊に反対しているわけではない。それどころか、自衛隊には安倍さんよりずっと敬意を抱いている」と言えないと、支持は広がらないのではないか。そうでないと、自衛隊が違憲だと疑われるような状態は放置できないと主張する安倍さんに勝てない。

 実際、護憲派の政党はすべて侵略されたら自衛隊に働いてもらうと言っているわけだから、その自衛隊に敬意をもって接するのは当然のことだろう。敬意の表し方をどうするか、真剣に考えるべきだ。護憲派にとっては矛盾を抱えることなのだが、護憲による矛盾をどうするかは護憲派が考え、みずから提示していかないと、理解されることはないと思う。

2017年8月22日

 民進党の代表選挙がはじまった。前原さんと枝野さんの違いばかりが強調されるが、それほどの違いはないのではないか。自民党に替わる選択肢を示そうとすれば、「ここは違うな」というものを提示する以外にないのだから。それを選挙を通じて深め、是非、本物の選択肢をつくっていってほしい。その上で、野党共闘ではどこまでが協力でき、どこからは協力できないのかを明確にしていってほしい。

 その一つとして9条がある。新しい代表のもとで、民進党には9条をどう変えるのか、「これなら選択肢になるな」というものを具体的に示してほしいと思う。

 昨日の会見を見ると、2人に大きな違いはないようだ。本日の朝日では、こう書いている。

 「憲法でも歩調が一致する。9条の1項、2項を残したまま自衛隊を明記するとの安倍晋三首相の提案に対し、集団的自衛権の行使を容認した安全保障法制を「憲法違反」(前原氏)と断じ、「いま9条に手を付ければ(憲法違反を)追認することになる」(枝野氏)として反対する。党内論議を進める立場についても、両氏で変わりはない。」

 つまり、安倍さんの提案には反対ということだ。この点で、どちらが代表になっても、野党共闘は維持できる可能性がある。

 同時に、2人とも、党内論議を進める立場だ。しかも、方向性も似ている。集団的自衛権を認めたまま(安保法制のまま)の改憲はダメだということである。個別的自衛権にとどまることが明確な9条にしようということだろう。

 そういう改正案なら、護憲派との間であっても、少なくとも冷静な議論の対象になるだろう。共産党だって、もう40年以上前になるけれど、そんな改正案をつくると言っていた。毎日新聞社主催で各党の安全保障政策を他の党との間で激論する企画があったのだが、自民党の中曽根さんが「第九条はなくなるんですが、変形されるんですか」と聞いたのに対して、宮本顕治書記長(当時)が、自民党のような「ゴマカシ解釈は政権ととったからといってもやらない」として、次のように答えている。

 「最小限、文字通り自衛で、節度のある防衛に限定して軍隊を持ち得るという規定を適当な方法で考慮する」(毎日新聞社『共産党政権下の安全保障』132-133)

 そういう立場をとっていた時期もあるのだから、民進党からかつての自分と同じような改憲案が出てきても、それを悪魔の提案ように批判することはないだろう。共闘相手の真面目な案として冷静に議論し、どこで協力し合えるのかを探っていけるのではないだろうか。

2017年8月21日

 ブログを書かない週末の最大の話題はバノン更迭だった。ということで、遅ればせながら一言。

 バノンが現在のような立場を確立したきっかけとして伝えられているのが、2008年のリーマンショックである。当時、バノン自身はゴールドマン・サックスで活躍していたが、労働者出身の父親は、こつこつと貯めていたAT&Tの株価が一夜にして下落し、すべて財産を失う。一方、株を売りまくっていた金融マンについては、アメリカの政治が問題にすることなく、何の責任もとらずに済むことになった。その理不尽さが、エスタブリッシュメント批判を強烈なものにしたということである。真面目な国民をないがしろにする政治への憤りである。

 これに限らず、資本主義が生み出す歪みが、アメリカ国民の意識に与える影響は大きいものだと感じる。大統領選挙でトランプの勝利を支えたラストベルト地帯の人々を丹念に取材した朝日新聞ニューヨーク支局の金成(かなり)隆一さんは『ルポ トランプ王国』(岩波新書)で、真面目に働けばそれなりの生活を送ることができた時代が終焉し、どんなに働いても楽にならない暮らしになってきて、政治への不満が高じる姿が生き生きと描いている。

 それらを見ながら感じるのは、一つは、アメリカ資本主義の病弊というものを、多くの人が正確に捉えていることだ。自分の暮らしが下降しているのは、企業がとにかく安い労働力を求め、賃金の高い白人を雇わなくなっているからだと、誰もが認識している。

 しかし、二つ目に感じるのは、じゃあ、だからそういう企業行動をコントロールしようという議論が、国民の間からはほとんど生まれていないように見えることだ。問題の根源だとみなされるのは、良くて「政治」のありよう。心の奥底では安い労働力である「移民」ということになる。

 つまり、企業の行動そのものは、どこまで行っても批判の対象にならないように見える。そこが不思議でならない。

 いや、もともとアメリカン・ドリームの国だから、一旗あげようと思った国民が起業し、会社を大きくすることに寛容だとは感じる。それがアメリカ資本主義発展の原動力ともなってきた。

 けれども一方、「企業の社会的責任」という用語は、そもそもアメリカで誕生し、70年代前後に広がっていったものだ。ラルフ・ネーダーという消費者運動の旗手が生まれ、ジェネラル・モータースに社会的責任を果たすよう求めていったことが、頭の片隅に残っている。「公共の利益」を果たさせるための取締役を置くことなどが決まる。

 自動車産業をはじめ、その後のアメリカ経済の発展を支えた一つは、この思想である。社会への責任があるのだから、地域経済にも責任があるし、働く人々の雇用にも責任があるという思想だった。

 ところが、いつの間にかそれが希薄になり、現在のアメリカ資本主義の腐朽を促進しているように見える。その原因とか、打開の展望とか、来年のマルクス生誕200年アメリカツアーで探ってこなくちゃ。

2017年8月18日

 はじめまして。私は、日本の伝統的な都市である京都で、かもがわ出版という出版社の編集長をしている松竹と申します。あなたにお願いがありまして手紙を差し上げます。

 弊社は民主的社会主義に関心を持ち、北欧諸国の政治・社会事情紹介など、関連する出版事業を手がけています。その一環として、『若者よ、マルクスを読もう』というタイトルで2冊の本と関連本1冊を出版しております。カール・マルクスは、死後に誕生した社会主義国のひどい歪みのため、正確に捉えられていない人ですが、エイブラハム・リンカーンとも交流のあった晩年には、民主的社会主義者と評価してもおかしくない考え方をしていたと思っております。

 この本は、マルクスのいくつかの著作を取り上げ、日本の2人の研究者が往復書簡を交わすという形式のものです。1人は内田樹氏といい、専門はフランス現代思想であり、若い頃にエマニュエル・レヴィナスに師事した方で、日本の論壇では知らぬ人のいないほど著名な方です。もう1人は石川康宏氏といい、専門は日本経済論であり、ゆがめられたマルクスでなく、マルクスそのものを研究の指針としています。

 一昨年、この2人とご一緒にドイツ(マルクスの生地であるトリーアなど)、イギリス(ロンドンとマンチェスター)を旅しました。そして、その場での対談などを『マルクスの心を聴く旅』という本として出版しました。この本のタイトルにも、マルクス自身が考えたことを、さまざまな歪みを排して、そのままつかみ取りたいという気持ちがあらわれています。

 来年、マルクス生誕200年にあたり、この2人とアメリカを旅したいと考えています。その際に、あなたにお会いする機会が得られないかと希望しています。

 なぜアメリカに行くのかと言えば、1つは、マルクスが変革しようとした資本主義が最も発達した国であり、現状をよく学びたいからです。大統領選挙でも話題になったラストベルト地帯を、日本の代表的な朝日新聞の記者の案内で視察することも日程に入っています。

 もう1つの理由は、アメリカにおける社会主義の可能性について知りたいからです。日本ではアメリカは社会主義とは最も縁遠い国であるとみなされています。しかし、アメリカは、マルクスが「いままで実現された人民自治の最高の形態」の国と評価したのであり、そういう形態の国家こそ、社会主義に向かう可能性を秘めているのではと思っています。そこで、あなたの民主的社会主義の話を伺う機会を得られればと期待しているのです。

 私たちの旅は、来年3月末の予定です。そのどこかの日程で、あなたのご講演を2人と同行する30人程度のツアー客ともどもお聞きし、若干の質疑をする場を持ちたいと希望します。もし、あなたが良ければ、この旅を通じて作成する予定の本に、あなたのお話を収録できればうれしいことです。

 あなたの良いお返事をお待ちしております。