2017年8月4日

 日曜日から原水禁世界大会のために長崎に行きます(途中、九州のある県で2時間半ほど途中下車しますが)。九州は台風5号が襲いそうですね。福岡などつい先日の大雨の被害地域も大変ですが、私の生まれた長崎もたびたび水害にあっているんですね。心配です。雨にプラスがあるとすると、本を売る場所が炎天下の外から大会会場のなかになって、熱中症にはならないだろうという超個人的、身勝手な理由だけなので、絶対に台風がそれることを祈ります。

 原水禁世界大会の会場には水曜日までいて、夜に福岡に移動。そこで一仕事(一飲み?)します。これが大事なんですよ。弊社の将来を左右するような仕事ですからね。中身は秘密ですけど。

 そして、木曜日の昼に京都に戻り、弊社の会議室で開かれる第3回歴史総合研究会に参加します。これも何回か書きましたけれど、近く、高校では、世界史と日本史を統合した科目がスタートする予定でして、歴史をそういう視点で捉えるのは大事だと思うんです。そこで、そういう観点での本を学校の教科書にとどめず、一般の歴史書でもやってみようという試みのための研究会なんです。そうそうたる歴史学者(もちろん日本史、東洋史、西洋史そろい踏みです)に参加してもらっています。この間、これを提言した学術会議の議論を伺ったり、すでに試験的に実践している学校の先生のお話を聞いたりしてきましたが、いよいよ実際にどんなタイトルの本にするかという議論に入ります。楽しみだなあ。本になるのは、私が退職する頃なんですけどね。

 それにしても、体力が持つかなあ。まあ、金曜日からお盆休みなので、頑張ります。

 個人的なことでは、長沼裁判の40万字はあろうかという「最終準備書面」を読み終え、いま証人尋問の箇所に入ったところです。いや、内藤功弁護士と、源田実航空幕僚長のやり取りがリアルで勉強になります。これはA3にコピーしたものなので、大きくて、机の上でしか読めません。だから、長崎の往復は、イラク派兵違憲訴訟関係の本をまとめて読む時間にあてるつもり。そこまでできたら、お盆休みの6日間で、予定の本の第3章を書き終えると思われるので、残りは短めの「終章」と「あとがき」になり、9月末脱稿が見えてきます。

 その上、9月に出す道徳の本は大詰めを迎えていて(近く、ご紹介します)、中国文化論の翻訳本も9月末完成のためには待ったなしの状況で、10月から11月に出す予定の福島差別論、経済企画庁の本を平行して進めているんですから、我ながら超人的だと褒めておきます。

 ということで、来週はパソコンの前にいないので、ブログはもしかしたら書かないかもしれません。その後、お盆休みに突入するので、10日間ほど書かないかも。それなりに楽しみにしている人がいることは最近実感しているので、書くかもしれませんけどね。

2017年8月3日

 この秋、『経済企画庁とは何だったか──その復活のための墓碑銘』(仮題)という本の刊行を予定している。著者は、この企画庁の幕を引いた当時の事務次官の方だ。順調に仕上がっていて、中身はそのうち紹介することになると思う。

 この本のなかに、経済企画庁の源流をつくった人の話がたくさん出てくる。戦前のマルクス経済学者で講座派だった人も労農派だった人も、戦争で壊滅した日本の再建のために力を尽くしたわけだよね。

 その中の一人が都留重人さんである。日本の第1回経済白書は都留さんが執筆したわけ。その後も、経済白書を議論する場にはよく出てきたらしく、宮崎勇さんなどは都留さんに批評される会議に緊張して臨んだらしい。

 私にとっての都留さんは、大学(一橋)入学当時の学長である。学長とお話しする機会なんて想像もしていなかったけど、一度だけ親しくお話しできた。

 貧しい家の出の私が東京の大学に入るためには、寮に入るのとセットでないとあり得なかった。だから学生数に比して募集が多い寮のある大学ということもあって、この大学を選んだわけだ(社会学部というのが国立ではここしかなかったのが一番大きい理由だけれど)。

 それで寮委員をやると手当が出るということで、すぐに寮委員になった。その際、びっくりしたのは、当時の寮委員会というのは、石原慎太郎氏を信奉する人たちの系列につながっていたことだ。寮委員長選挙になると、そういう人たちと民青の人たちがぶつかって、民青は敗れていた。当時、大学では左翼が席巻していたわけだが、長崎大学の自治会と(これは現在「日本会議」の事務総長をしている椛島氏が委員長になった)と、一橋の寮自治会だけが異端だったんだね。

 教養部の寮なので、秋の委員長選挙は1年生が立候補することになり、私は、その両派から「出ろ」と言われて、無投票で当選することになる。争いを好まない私の融和的な性格って、当時から変わらないんだね。ま、それはどうでもいいけど。

 その秋から冬にかけて問題になったのが石油ショック。大学のトイレからトイレットペーパーが消えて、その芯で拭いたという笑えない話も飛び交った。

 寮では、石油の値上がりで暖房費が不足した。そこで一生懸命署名集めして、寮生全員の署名を持って、学長室に殴り込みに行った。文部省から補助金を獲得して、その一部を寮の暖房費に回してほしいという内容である。

 そうしたら、約束もなく訪れたのに、都留さんは穏やかな表情で学長室に招き入れてくれて、真剣に話を聞いて下さったのだ。自治会の団交で、「授業料をとるのは税金の二重取りだ」という批判に対し、いつも毅然と反論していた都留さんだが、ただ黙って聞いてくれて、「分かりました。努力しましょう」と約束してくれた。

 その後、ホントに暖房費が増えて、なんとか寒い冬を乗り切ることもできたのである。感謝、感謝。

 戦後、自民党政治ではあったが、そういういろいろな人が日本を形づくってきた。自民党政治だったからただ全面的に否定的に描くというのは、現実ともかけ離れているよね。何を評価して、今後に活かしていくのかが、この本の課題だと思います。

2017年8月2日

 先日、長沼裁判の全記録に目を通すと書きましたが、ようやく判決だけは読み終えました。いちおうは、「へなちょこ」であれ「護憲派」を自認してきたのに、唯一の自衛隊違憲判決を読んでいたなったんですから、怠慢と言われても仕方がありませんね。全記録となると300万字程度になるでしょうが、判決だけなら15万字超なので、なんとかなりますよ。護憲派のみなさんも改憲派のみなさんも、挑戦されたらいかがですか。

 いやあ、勉強になりました。世に流布している自衛隊違憲論は、この長沼判決をベースにしていると、多くの違憲論者は思い込んでいるでしょう。でも、そんなに単純な判決ではありませんでした。

 この判決、最初に「違憲だ」という認識に立った主文があって、その後、原告と被告の主張をそれぞれ紹介します。その上で、判決理由を展開していくわけですが、その5番目に自衛隊違憲論の理由が置かれています。

 そこもいくつかに分かれていて、第1が「当事者双方の主張の要旨」、第2が「自衛隊の司法審査の法的可能性」(いわゆる統治行為論)、第3が「憲法の平和主義と同法9条の解釈」と続き、その次の4で「自衛隊の規模、装備、能力」として自衛隊の実態分析がきます。でも、それでは終わらずに第5があって、そこでなんと「自衛隊の対米軍関係」があるんです。

 その最後で展開されている事実認定はすごいものです。「松前・バーンズ協定」はじめ、要するに自衛隊がアメリカの作戦に協力することを義務づけられていることが、いろんな資料で認定されているんです。そのなかには、源田実元航空幕僚長の証言もたくさん引用されているんです。日本防衛が関わる「局地戦」を時として持ち出すのは、「局地戦争と言わないと今の陸上自衛隊を使う場所がない」からだとか、「(米ソの)「全面戦」の場合に日本の空軍というものは役割を果たす」とか、「防御の主体というものはアメリカの持っている反撃力を守る」ことだとか、その他その他。

 要するに、日本防衛の任務からかけ離れていることを事実認定しているわけです。そしてそれに続くかたちで最後に、「以上認定した自衛隊の編成、規模、装備、能力からすると、自衛隊は明らかに……憲法第9条第2項によって保持を禁じられている「陸海空軍」という「戦力」に該当する」となるわけです。

 まあ、もちろん、判決のなかには、侵略に抵抗するためでも「戦力」を持ってはならないというところもあります。だけど、そうやって言えたのも、自衛隊が専守防衛になっていないだろうという事実認定が支えていたからのように思えました。

 明日は、原告団の「最終準備書面」に挑みます。判決の3倍ほどもあるんですけど。

2017年8月1日

 先日、「「民進は原点に戻れ」の前原さん見解に賛成」という記事を書いた。それについて、いくつか賛同もあり、同意できないという方もあったので、もう少し書いておく。

http://www.kamogawa.co.jp/~hensyutyo_bouken/?p=3063

 安倍政権を倒したいという強い願いを持っている人が少なくない。そのうちのある人々にとって、安倍さんとは超右翼の超タカ派である。そう思っている人ほど、安倍さんに対する拒否感情は強い。

 全力でその道を進む安倍政権を追い詰める上で大事なのは、たとえ保守であっても協力しあうような、幅広い戦線をつくりあげることだ。それは沖縄でまずあらわれて、「オール沖縄」という元自民党と革新との共闘ができあがった。この間、そこに不調があらわれているのは、革新色が強くなりすぎて、保守層の離反が起きているからに他ならない。

 安倍政権を倒す上で、安倍さんの路線にはついて行けない保守と、革新派の団結が必要なことは、本土でも同じである。国民にとって保守と革新が団結しているように見えないと、安心して投票することはできない。

 本土ではしかし、沖縄のように、自民党から離反する動きは見えていない。保守リベラルを結集できるとしたら、「すぐに改憲は必要ない」と明言した岸田さんだったが、結局、次の内閣改造でも内部にとどまることになっている。自民党内部にも個々には不満があるようだが、自民党というのは、その内部の不満を吸収するということでは、長年の経験があるわけだ。

 ということで、保守色の強いリベラル層の行き場がなくなっているのが現状である。この人たちは、どんなに時代が変わっても、安保廃棄や自衛隊解消を掲げる共産党には付いていかないし、民進党が共産党と安全保障面などで妥協するのなら、民進党にも付いていけない。

 いま求められているのは、だから、明確な保守であって、かつ安倍さんの路線とは異なってリベラルな立場を堅持する政党である。そのポジションを得られるとすると、民進党しかない。共産党が安全保障政策で抜本的な転換ができれば違ってくるかもしれないが、それは無理だと思うし。

 ところが、民進党のなかでは、自分たちがどんな社会を提示するのか、それは安倍政権が進む道とどう違うのか、まともな議論がされていない。それが十分でないまま野党共闘ということになると、保守層にとっては共産党に引きずられているように見えてしまう。民進党が共産党と近づきすぎると、野党共闘には魅力がなくなる。多様性が感じられなくなる。

 だから、民進党は、安倍自民党とも共産党とも違う立ち位置を明確に持って、そこに国民の共感を集めることが大事である。その上で、自分たちが進む道を切りひらくためには、安倍政権を打倒することが肝心で、そのためには野党共闘が求められるという話の順序にならないと、保守層にとって野党共闘の魅力も生まれてこないだろう。

 代表選挙をきっかけに、民進党内での議論が活性化することを期待する。枝野さんと前原さんは、ニュアンスの違いはあるけれど、そのことをよく分かっているように思える。民進党が生まれ変われるとすると、ほとんど最後のチャンスではないか。