2017年9月13日

 先日、「野党共闘の難しさ」を書いたけど、正確には「野党政権共闘の難しさ」ですね。野党が国会で共闘するとか、一致する政策で共闘するとかは、難しくもなんともないわけだから。

 いま、いろいろなところで、市民共闘に押されて、野党がどんな政策で一致できるか話し合いがされている。その高揚のなかで、選挙で協力して候補者を立てようということになるところも少なくないと思う。

 ただ、政権をともにするとなると、あれこれのたくさんの政策が一致するだけではダメで、基本政策の一致が求められてくる。防衛政策のことを考えていると、そう思わざるを得ないわけだ。

 集団的自衛権を行使するための新安保法制の撤回という政策目標で一致することの意味は大きい。ただ、安保廃棄とか自衛隊の廃止とかで独自の見解は共闘に持ち込まないと共産党が言っても、それって、政権を担っていると、毎日、具体的な問題で試されてくるわけだ。

 先日書いた「イージス・アショア」もその一つ。本日の「赤旗」にも無人偵察機グローバルホークの導入を問題にする記事が出ているけれど、前原さんが首相となる政権でも、おそらく導入が進んでいくだろう。思いやり予算特別協定の前回の承認は前原外相の民主党政権だったから、政権をともにしていると、それにも賛成することになってしまう。そもそも、「この装備、この予算には反対」というのは明確なんだが、じゃあ、どの装備、どの予算だったら賛成と言えるのか。

 民進党は核抑止力を維持するという考え方である。共産党は全面否定である。そこを「核兵器禁止条約を批准する政府」という合意をつくって乗り越えようという話もあるそうだが、そうなっても『防衛白書』で抑止力依存を記述する段になって、違いは露呈することになる。

 そういうことを考えると、基本政策の一致なしに政権をともにするのは、やはり困難なことだと感じる。閣外協力だって、相当な決断が必要だ。

 だって、前原さんは、次の選挙で、消費税の増税を掲げるだろうし、憲法だって、安倍さんの加憲案には反対するだろうが、民進党としては独自の改憲案を出す可能性がある。辺野古への移設も、テンポは別にして、止むことはないだろう。

 それでも、その他のたくさんの個別政策で一致するからとして、選挙で民進党の候補を応援できるのかということだ。私は、それでも新安保法制が撤回されるなら、それだけでも意味があるという立場なので、そうすべきだとは思う。あと、せめて一つくらいは、民進党が候補者を立てない選挙区があってしかるべきだろうけどね。

 明日は個人的な都合で休むので、仕事で書いているこのブログもお休みします。

2017年9月12日

 本日、入稿しました。忙しいのでチラシを添付するだけです。著者は中国を代表する哲学研究者で、私は大学の哲学ゼミにいたのですが(ドロップアウトしましたが)、その岩崎允胤先生(故人)とも親交があった方です(価値論でつながっていたのです)。そんな方の本をいまになって出すなんで、中国文化論チラシ

中国文化論チラシ

2017年9月11日

 この難しさは、現在、民進党の側の問題として語られることが多い。とりわけ前原代表になったということで。

 ただ、この問題の本質的な難しさは、前原さんが言っているように、基本政策の違いにある。とりわけ安全保障と自衛隊に関する基本的なところの違いである。

 共産党はそこを回避するため、野党共闘では安保と自衛隊についての独自の見解を持ち出さないと言っている。しかし、具体的なことを想定すると、そう簡単ではないのだね。昨日の「赤旗」をみてそれを感じた。

 何かというと、政府が導入しようとしている「イージス・アショア」に関する記事である。「巨大な基地」「四方に強力な電磁波」などの見出しが躍り、「完成の域にはほど遠い」「完璧な防御は不可能」「際限のない軍拡を引き起こす」「米軍事企業に半永久的な利益をもたらす」と論じられている。

 これは、いちいちもっともな評価である。それ以外にも、こういうものは真っ先に攻撃されるという批判もある。アメリカの衛星からの情報がないと、日本のイージス・システムにせよ、PAC3にせよ動かすことができないなど、アメリカの情報システムのなかに組み込まれてしまうという批判もある。

 これらの批判は当たっているのだ。しかし、民進党は、たとえ政権をとったとしても(その可能性はどんどんなくなっているのが現実だが)、イージス・アショア導入を推進する側に立つだろう。民主党政権のときも推進側にあったわけだから。

 ということは、共産党を含む政権ができたら、最初から正面衝突ということになる。共産党は、閣外に出て政権を崩壊させるか、政権にとどまって自分の信念を裏切るか、どっちかを迫られることになる。

 前原さんのほうも、「赤旗」を見る度に、「この党と政権は組めない」という確信を強めるだろう。武器一つのことでそうなるのだから、日米安保や自衛隊そのものをどうするかで違うということは、本当に共闘できるのかを問うような違いなのだと思う。

 イージス・システムについて言うと、全面否定ととらえさせないような接近もあり得るのではないか。敵基地攻撃能力を日本が獲得することを否定するのであれば、完成度は低いにしても、他に防衛手段がないのが現実だから。攻撃されやすのは現実だが、これがあるから攻撃を探知できるという面もある。

 このシステムはアメリカとの一体化を不可欠にするのだが、それは日本が配備するシステムは、アメリカをICBMから守るためにも不可欠だということであって、日本もまたアメリカの防衛に貢献しているということを強調し、アメリカに恩を売って、対米従属的な姿勢を改めるのに意味があるという側面もあるかもしれない。

 だから、改良を重ねていくのも選択肢だと思うの。だけど、「赤旗」はそれは言えないだろうね。だから野党共闘は難しい。やれやれと言って進むものではない。

2017年9月8日

 本日は一日中、引用文献の読み合わせです。「甦れ! 経済企画庁」みたいなコンセプトの本なんですが、400頁にもなっているんですが、引用文献の多さもすごいんです。

 100冊くらいはあるでしょうね。経済企画庁の「何十年史」みたいなものもありますし、なかには国会図書館のマイクロフィルムからコピーしてきたのもあります。古い時代のことも詳しく書いていますからね。

 個人がそれを横に置いて、目で見ながらパソコンに打ち込むのでは、やはり間違いが多くなるんです。それで文献を全部送ってもらって、一人が読み上げ、一人がゲラを目で追って確認する作業です。

 さすがに一日やっていると目が疲れます。もうだいぶまえから老眼が進行しているなって自覚はあったのですが、なんとかメガネなしにやってきましたけれど、そろそろ無理だと思って、老眼鏡ではなくていま流行のルーペを用意したので、ちゃんと終わることができました。

 そんな引用文献の多い本なんて、おもしろくなさそうと思うでしょう。でも違うんですよ。昔の人はドラマチックに表現していることが多いですね。

 例えば引用文献の一つに『戦後沖縄経済史』という、800頁を超える本があります。これ、琉球銀行が作成したもので、非売品ですけど、米軍の統治下で沖縄の経済がどのようにゆがめられたのかをリアルに解き明かしています。そういうものを琉球銀行が活字に残して、生まれてはじめて沖縄を訪れた経済企画庁幹部の著者に渡し、それを読んだ著者が感銘して、沖縄問題への思いを馳せるということがあるんですね。

 この本を読むと、読者は、引用された方々のもとの本を読みたくなると思います。白州次郎、都留重人、宮崎勇、下村治、大来佐武郎、金森久雄、下河辺淳、その他。

 経済企画庁の栄光と挫折を、人の物語として描いているわけです。先行きの見えない日本経済を前にしている私たちにとって、これを読むと、「こんな官庁を現代に蘇らせたい」と思うこと必至です。

2017年9月7日

 アメリカが国連安保理に北朝鮮制裁強化案を示しているという。石油の禁輸が中心問題だとか。

 これに中国とロシアが反対することは必至であり、どうなるか見通せない。ただ、これをアメリカと日本が本気でとおすつもりなら、自分にその結末を受け入れる覚悟があるかどうかが問われることは指摘しておきたい。

 北朝鮮をしめあげようとすれば、石油の禁輸が決定的なことは論を俟たない。いまでさえ電気が乏しいわけだから、核ミサイル開発にほそぼそと残ったエネルギーを集中するにしても、いろいろ矛盾が出てくるとは思う。

 だけど、これもよく指摘されているように、その結果、北朝鮮国民の窮乏はかつてないほどのものになるだろう。「いい気味だ」とか「自己責任」だとして、それを歓迎する人がいるかもしれない。

 しかし、その結果として生まれることが予想される多くの難民をどうするのか。そこに覚悟が求められるということだ。

 難民は間違いなく中国に向かう。中国はいまだって、追い返せば強制収容所に入れられることが分かっていても、それでも追い返している。だが、石油の禁輸で生まれる難民は、おそらく何万にものぼって、追い返せる規模ではない。だから中国はいやがっているわけである。
 
 だったら、アメリカと日本が、本気で石油の禁輸をしようとするなら、何万という難民は自分たちで引き受ける覚悟を示せばいいわけだ。そこまで約束すれば、中国だって制裁強化に反対しないのではないか。

 それをせずに、北朝鮮の核ミサイル開発は中国が甘いからだなどと言うのは、何の道理もない。問われているのはアメリカと日本の側である。