2017年12月15日

 ようやく本が出来上がってきました。年末に書店に搬入しますが、年末年始の忙しく書店員の少ない時に本を並べ替えるのは簡単ではなく、実際に本屋でお目見えするのは年始になると思います。アマゾンでは24日から購入できるようになると思いますので、よろしくお願いします。

 画像は書店向けに1か月ほど前に出したチラシです。その後、微調整をしましたので、実際に販売されるものとは目次に少し違いがあったりします。

fukushima2017

 福島の問題はこれからどうなっていくんでしょうね。この7年間ずっと、「住める」「住めない」にはじまって、福島の人びとは「差別と分断」と言われる状況におかれてきました。現在、適切な表現が見当たらないけれど、それが固定化されているような感じです。最初の3年間ほどは、危険だと思って避難したり、いや大丈夫だと思って戻ってきたり、「相互浸透」みたいな状況がありましたけど、動きがなくなった感じかな。

 ここ数年でいろいろ新しい情報が得られているわけですが、そういう情報ではなく、最初の3年ぐらいのところの情報が頭に入っていて、更新されていないという感じ。

 この本は、そこをこじ開けたいなというねらいを持った本だと言えます。ツイッターなどで話題になっていて、著名な方からも「買いたい」というご要望が寄せられたりしています。

 福島の問題を語る上で、こんな豪華な著者人はいませんよね。入手できるまで、もう少しお待ちください。

2017年12月14日

 本日、東京新聞のインタビューを受けた。来年、改憲論議が高まるだろうからということで、特集の連載をするためにいろいろな人に取材をしてまわっているとのこと。その一人に選んでもらって、素直にうれしい。まあ、「改憲的護憲論」を唱えているのは私だけなので、他の人には取材できないよな。来年は(も)忙しくなりそうだ。

 ただ、文化人類学者の船曳建夫氏(東大教授)が、かつて毎日新聞(2004年7月8日付)で主張したことがあるらしい。以下のようなものだったという。

 「例えば憲法9条が国際紛争を解決する手段としての武力行使を放棄している以上、自衛隊のインド洋やイラクへの派遣は無理があります。だからといって憲法を現実に合わせるべきでしょうか。憲法はその国が目指すべき姿を表す原則だと考えます。現実というものは、原則に反せざるをえない側面がある。逆に原則を現実に合わせたら、どうしようもなくなる。
 例えば、男女の平等が現実には完全でないとしても、不平等を認めるように原則を直すことはしない。いかに平等を実現するかを考えなければならない。差別の問題や生存権など現実と憲法が一致していないことは9条以外にもあるが、未来志向の正しい原則は直す必要はない。」

 この限りでは、私も同意する。ただ、「憲法九条のもとでの自衛隊」の問題をどう位置づけ直すかという点で、もっと深い探究が必要だというのが、私の考え方の核心にある。

 本日も聞かれたのだが、「憲法九条のもとでの自衛隊」というと、「加憲と違わないと思われないか」と危惧する方もいる。だから、「軍事的価値はいっさい認めないと明確にしたほうが議論しやすい」というわけである。

 最近、護憲派のなかで、そういう認識が増えているのを感じる。ここ数年、私を7回ほど講演に呼んでくれた9条の会で、私の考え方をよく理解してくれていると思っていたら、最近の講演会では、「それではダメなのではないか」という意見が初めて出てきた。別の場でも、「純粋な護憲論が大事」という声を聞いた。

 なんとなく事情は分かる。憲法に「自衛隊」を明記することに反対するわけだから、自衛隊を認めてしまっては、その後の議論にもっていけないと感じるのだろう。

 確かに純な論理のほうが「議論しやすい」だろう。でも、その場合の議論というのは、仲間内ではやりやすいということで、自衛隊をリスペクトしている圧倒的多数には反発されるということだ。そういう人たちを「敵」に回すような議論のほうがやりやすいということになると。結果は目に見えているように思える。

 で、「改憲的護憲論」は、明日発売です。よろしくお願いします。
 

2017年12月13日

 何かと話題の山尾志桜里さんが「自衛隊を活かす会」に協力してくださることになった。そこで本日、仕事のあとに国会事務所を訪ねたのだが、その後、思い立って、東京駅まで歩くことにした。それだけで一万歩。健康にも良かったのだが、あのあたりは歴史的な建造物も多く、最近のことだろうけど日比谷あたりからずっと歩行者天国が続くようになっていて(午前11時から夜の10時まで)、東京駅丸の内側の広場は整備されているし、なんだかいい街になってきたね。

 それはともかく、ちょっと前まで、東京出張の新幹線往復は、ちょうど一仕事するのに都合のよい長さだった。だけど、さすがにこの年になるとダメで、もっぱら小説を読んでいる。

 帰りの新幹線で読んだのは、浅田次郎の『天国までの百マイル』。この冒頭近くに、こんな描写があった。

 「そういえば中西は学生時代からいつも、要領のいい野田の被害者だった。……野田が宿題のノートを提供するかわりに、中西は掃除やゴミ捨ての当番を請け負っていた。もちろんそうした関係を対等の安全保障体制だと思い込んでいるのは中西だけで、野田にしてみればこれほど都合のいい友人はいなかっただろう。カンニングや提出物の類似が発覚したときは、必ず中西が責任を負う仕組みになっていた」

 行きの新幹線で読んだのも、同じ浅田次郎で、『椿山課長の七日間』。これは、死んだ人が冥土で申告して認められると、初七日の間、別の人間に姿を変えて下界に帰れるシステムがあるという話で、死んだ中年男性が家に戻ると、残された男性の妻がすでに不倫している場面が出てきて、長男である小学校2年生にこう言わせている(以上の説明は単純化しています)。すでに別の男がいるのは守ってもらう必要があるからだという言い訳に対する反論である。

 「日米安保条約みたいなこと言わないで。みんなが信じても、ぼくはだまされないからね」
 「外国人に自分の国を守ってもらうっていうのはおかしいよ。たとえどんな理由があっても、どんな歴史があっても、オキナワもヨコタもへんだよ。外国の軍隊の基地がぼくらの国の中にあるなんて、とてもはずかしいことなんだよ。みんながそれでいいって言ったって、ぼくはいやだ。キセイジジツはけっして正義じゃない」
 「あのね、おかあさん。どう考えても、おとうさんが死んだあとで嶋田さんに面倒をかけるっていうのは、ぼくらの甘えだと思う。それに、ぼくらの生活が心配だから毎晩泊まりにくるっていう嶋田さんも、常識に欠けていると思う。これって、日米関係そのものだよ。日本とアメリカは世界中の笑いものだけど、おかあさんと嶋田さんはご近所の笑いものです。ちがいますか」

 小説の主題はどちらも家族の絆。人間関係を考察すると、日米関係も考えることになるところに、元自衛官らしさがあるというか、いつも深く考えておられるのだなあと感心する。

 ところで、これから改憲論議が高まっていくなかで、議論の主題とすべきは日本の安全保障をどう構築するのかということであり、日米関係の議論は欠かせない。ここで国民多数が支持できるものを護憲派が打ち出せないと、改憲派に押され気味になるだろうね。浅田さんを「自衛隊を活かす会」の顧問としてお迎えするって、どうかなあ。

2017年12月12日

 はい。この写真の通りです。発売開始は15日(金)ということです。よろしくお願いします。

IMG_0447

 本日と明日、また東京です。幹部自衛官だった方に安倍さんの「加憲案」に対する違和感を語ってもらうための取材のようなものです。前回は空自の方でしたが、今回は陸自の方です。

 取材しながら思ったんですが、もちろん憲法に対する考え方を伺うんですが、その前提として、自衛官としてどんな生き方をしてきたのかを知りたいのです。それ抜きだと、おそらくつまらないものになると思うのです。

 前回の方は、取材を申し込んでから1週間ほど、自分は憲法についてどう考えたかを突き詰めてくれました。私も、きっと憲法との関係で、自衛官とくに幹部自衛官は悩んできたと思うから、いろいろ聞いているわけです。だって、60歳以上の方々ですから、60年、70年の安保闘争をどう見ていたのかも興味津々ですし、とりわけ73年の長沼裁判の第一審判決(自衛隊違憲判決)をどう受けとめたのだろうと思いますよね。

 だけど、人によって違いはあるんでしょうが、前回の方は、憲法があるから任務が果たせないという事態に直面したことはないということでした。それどころか、自衛隊が保有している事態対処のマニュアルについて、「これでは相手に戦争の口実を与えかねない」というものがあり、変えるべきだという立場を内部で貫いてきたというのです。ある基地の司令をしていたとき、基地反対運動のリーダーだった方と親しくなり、いまでも交友が続いているそうです。

 だから、憲法論って大事だと思うし、改憲論者かなと自分のことを思っていたが、よくよく考えたら、現行憲法のままで何の問題もないと語ってくれました。加憲で自衛隊が明記され、自衛隊が大手を振って歩けるようになるのは、あまり歓迎されるようなことではないということです。

 これからも、いろいろはお話が聞けると思います。楽しみです。自分が楽しい本は、他の人が読んでも楽しいのではないかなあ。

2017年12月11日

 先週末は「歴史総合研究会」の第4回会合だった。2020年から高校では、日本史と世界史を総合して教える科目がはじまることから、それにあわせて同じ見地で一般向けの歴史書シリーズ「歴史総合教養講座」(仮)を刊行しようということで、世界史、東洋史、日本史のお歴々に集まっていただき議論しているものだ。第1回が昨年12月だったので、ちょうど1年が経過したところである。今回、これまで学術会議の役員でお忙しく会議に参加できなかった先生もくわわり、6人全員が集まることになった。

 そこには、いま話題になっているが、高校教科書や大学入試で使われる歴史用語を精選しようという提言をしている先生も参加していた。「坂本龍馬を教科書から削るのか」と、産経新聞などで叩かれている、あの提言である。全文も頂戴した。

 歴史用語の精選って、大事なことだと思う。私が大学に入学した頃は、すでに「歴史は暗記科目」という風潮が強かったけど、私が受けた大学は日本史も世界史も短答式ではなく、1問を125字で回答する記述式だった。だから私は、岩波新書の歴史書だとか、中央公論社などで出ていた「日本の歴史」「世界の歴史」の全20巻程度のものを読みあさっていた。歴史が暗記物だとは感じたこともない。まさに思考力を鍛える教科だったというのが実感である。坂本龍馬の名前を覚えるかどうかは、思考力を鍛えるのに、あまり(まったく)関係がない。

 2020年からの「歴史総合」は、そういう歴史学の復権へとつながることになるかもしれない。だって、世界史と日本史をどう統合するかということ自体、思考力の強化と関係する。

 例えば「帝国」。日本では、いわゆる「大日本帝国」の時代であり、専制と対外膨張が一体となったものとして理解され、それは「帝国」そのものの概念と違和感なく受け入れられている。しかし、例外も多く、たとえばビザンツ帝国は戦争を好まなかった専制国家として知られているらしい。私の世代の左翼的理解では、「アメリカ帝国主義」という用語に疑いも持ってこなかったが、民主主義国家を帝国と位置づける例は、歴史的には稀少だろう。だから、「帝国主義」を理解するためには、世界を横断し、時代も横断するような捉え方が必要なのだと感じる。

 こういうことを歴史の全分野でやれるきっかけにしたいな。どこまでできるか分からないけれど。