2018年1月17日

 文在寅大統領が「日本政府に対して心からの謝罪を求める」と述べた。他方、日本と再交渉するわけではないというわけだから支離滅裂なのだが、私は、自分の心持ちというだけの角度で言うと、「心からの謝罪」を求める気持ちは理解できるのである。実際、日韓政府合意で表明された安倍首相の言葉が「心からの謝罪」だとは思えないからだ。

 だって、改めて論じるまでもなく、安倍首相をはじめ歴代自民党政権というのは、侵略と植民地支配を推し進めた勢力とその後継である。非自民の細川政権までは侵略戦争への反省表明はなかったし、社会党の村山首相までは植民地支配への謝罪もなかった。そういう流れにおされて、イヤイヤ対処してきたのが自民党政権であって、「心からの謝罪」などあり得ないわけだ。

 しかし、別の角度から言うと、そういう自民党政権を支持してきたのが戦後の日本国民であって、自民党に政権をまかせながら、「心からの謝罪をせよ」というのは二律背反である。実現不可能な要求なのだ。

 そこをしかしうまくやらないと隣国との関係がうまくいなかいので、河野談話や日韓政府合意が生まれたわけだ。「心から謝罪する」という言葉をその中に入れたわけだ。

 まあ、自民党のなかにもいろんなバリエーションはあって、河野さんが言うと「心からの謝罪」に聞こえるが、同じことを安倍さんが言ってもそうは聞こえないということはあるだろう。でも、発している言葉は、同じ自民党政権だから、同じ中身なのである。

 だから、「心からの謝罪」を求める文大統領の気持ちは分かるが、「こうすれば心からの謝罪になる」というものは存在しない。ましてや、日韓政府合意で「心からの謝罪」と言っているのに、「それは心からの謝罪ではないから、心からの謝罪を求める」と言っても意味不明なのだ。

 救いは、「法的謝罪」ということを、大統領も外相も言っていないことである。挺対協は求めているが、そこに依拠していたら台無しになる程度のことは、韓国政府は理解していることである。

 「謝罪のための新たな措置」(首相が慰安婦に手紙を出すとか)となると、日韓政府合意は間違っていたということになって、日本政府は受け入れられないと思う。だから、最近の別記事でも書いたように、日韓政府合意で盛られた「心からの謝罪」は将来にわたって堅持されるべきものだとして、それを日本政府に確認することが大事だと思う。「心からの謝罪」という気持ちは、2年前は持っていたが、いまは持っていないなどとは、日本政府といえでも言えないだろう。そこが大事だと思うのだが、どうだろうか。

2018年1月16日

 慰安婦問題はどうなるのだろうね。NHKや読売の世論調査では、韓国側の態度に理解を示す日本人は1割にも満たず、8割以上が日本政府を支持している。

 先日、その1割に属する人と飲んでいて、「なぜ、こんな世論になるのか、理解不能だ」と言っていた。「日本側は実質的に何もしていない。ドイツと大違いだ」と。

 それで、日本とドイツのことを、簡単に説明したのだ。戦争が終わったら敗戦国がどう償うかについて、いろいろな歴史的経過があるということを。

 ずっと長い間、それを国家と国家の間の条約で決着させるというのが、通常のやり方だった。日本もまた、サンフランシスコ条約や、それに続く各国との条約によって、それらを決着させてきた。性格は異なるが、韓国との間でも、それを日韓条約と請求権協定で決着させた。だから、決着済みというのは、国際法的に動かしがたいことなのである。

 一方のドイツは、戦後に国家が分断され、条約を結ぶ主体として問題があった。しかし、ナチスが犯した犯罪はあまりに重大で、統一されるまで待ってくださいとは言えなかった。だから、条約を結ぶことなく、被害者個々人に対して補償するという、新しい方式をとることになった。

 やり方が違うとはいえ、どちらも責任は果たしたのである。しかし、実際にやってみると、個々人に支払うドイツ方式が良いやり方のように思えた。

 第一次大戦後のベルサイユ条約でも、国家間の条約で賠償を取り立てる方式が継続していたが、総力戦の時代にふさわしく国民が動員され、国民が被害を被ったので、その賠償は国民の被害に対して支払われるという考え方が導入されていた。実際には個々人に支払われることはなかったが、そういう建前でもないと、被害者は納得しなかったということだ。

 ドイツ方式は、国民が戦争に巻き込まれる時代にふさわしかった。人権が大事にされる時代にもふさわしかった。

 しかし、法的な観点から見れば、日本も責任を果たしたことに変わりはない。謝罪する気持ちがどれだけあったかどうかとは別にして、法的責任は果たしたということだ。

 そうはいっても、人権問題、人道問題である。慰安婦の方々の訴えに心をかき乱される人びとの多かったわけで、何らかの人道的な措置が求められた。

 だから、河野談話以来、一昨年の日韓政府合意も含め、いろいろな努力がされてきたのだ。しかし、「まだ法的責任を果たしていない」という牢固な思い込みが、日韓の双方に存在してきた。

 それが、日本側に限って見ると、かなり減ってきたというのが現状だろう。あとは韓国側をどうするのかということが問われている。

 法的責任は条約を結べば果たされるが、それは形式的に責任を果たしたということで、心から悪いと思ってされた行為かどうかは別なのだ。そこをどう見るのか。明日も続きかな。

2018年1月15日

 朝鮮半島の南北協議は、早くもこのテーマに直面することになった。文在寅大統領がどこかの演説で北朝鮮の非核化にふれたところ、そういうことを求めるならオリンピックに代表団を派遣しないことを、金正恩が示唆したということだ。予想通りの展開だね。

 北朝鮮は、核・ミサイルの「完成」を宣言することによって(実際は完成にはほど遠いのに)、強気の態度をとれることとなった。すでに完成したものを放棄させるのと、未完成のものを完成させないのとでは、天と地ほどの差がある。政治の世界では(国際政治ではそれ以上に)、既得権に類するもの(領土の実効支配なども含め)の力は抜群なのである。

 これに屈して、非核化を直接に外交交渉で求めなくなる場合も当然だが、どこか無関係な別の場所の演説などでも非核化への言及がタブーになるような状態を、北朝鮮は望んでいるわけである。その積み重ねによって核保有国として事実上認められることになるからだ。インド、パキスタン、イスラエルが核兵器を保有しているが、だからといってどの国も国交を断絶することを問題にしないし、別に非核化を求めもしないわけで、北朝鮮にとってはその再現にしかすぎない。

 これは他人事ではない。日本との関係においても、北朝鮮はどこかで、「非核化を求めるなら拉致問題には取り組まない」と宣言するかもしれない。

 全然別のことだとか、日朝平壌宣言はそれらの包括的な解決をうたっているとか、もちろん反論はいくらでもできる。けれども、現実問題として北朝鮮がそう主張するのに日本が非核化を求め、「それなら非核化要求を取り下げるまで拉致の再調査もしない」と宣言されたら、被害者や家族の苦痛を放置することになるわけだから、対応はそう簡単ではなかろう。

 どう考えればいいのだろうか。これは難しい問題だ。
 これまでは、米朝枠組み合意においても6か国協議においても、北朝鮮が非核化(核・ミサイル開発の放棄)を達成すべきことは、議論のそもそもの前提だったわけである。どういう条件のもとでならそれが現実のものになるか、その条件をめぐっての交渉だったのである。

 しかし、今後は、それを前提にすると、北朝鮮は協議の場を設定すること自体に抵抗し、協議そのものが開始されないということだ。前提の見直しが求められるかもしれない。

 可能性があるのは、入口と出口を区別することだろう。入り口で合意できるのは、せいぜい「朝鮮半島における核問題の最終的な解決」みたいなところにする。それが出口としては非核化を意味するという解釈を各国がするからといって、北朝鮮は批判はしても席を蹴らないという程度は担保しておかないと、日本の世論は持たないと思うけれども。その上で、実質協議で何を求め、何を譲歩できるのかが勝負になるのかな。

 いずれにせよ、対話と交渉でこの問題を解決するって、気の遠くなるようなことである。誰のものでもいいから、少しは説得力ある主張を聞きたいものだ。いまから東京。

2018年1月12日

 昨日、某大新聞社のインタビューを受けていた。掲載されるのは2月になってからかな。

 答えながら感じて、インタビュアーにも伝えたことだけれど、改憲的護憲論は歯切れが良くない。改憲は絶対悪で護憲は絶対善(こんな言葉は聞いたことがないが)、あるいはその逆という立場ではないから、いきおい「絶対に護憲だ」という議論はしないわけである。そして、憲法論争で幅を利かしているのは、どちら側であれそういう絶対的な立場に立つ議論だから、私の論など、すきま産業のような議論に聞こえるだろう。

 しかし、そういう絶対的な立場というのは、改憲であれ護憲であれ、人数からするとそう多くないのではないかと感じる。ただ、これまで長い間、憲法論争はそういうものだったから、「これぞ憲法論争」というふうに見られているのだろう。

 けれども、目の前にいる多くの人びとは、そこには付いていけないのではないか。だって、人びとが期待しているのは、少しでも日本の安全保障環境が改善されるにはどんな憲法だったらいいのだろうということだろうから。

 九条が維持されたからといって、新安保法制もそのままだし、アメリカの戦争に協力させられるかどうかを迫られる日本の現状も変わらないし、「九条があれば平和国家」という議論に付いていける人は少ない。それにそれって、究極的にいえば、九条を変えないできた戦後の自民党政治を持ち上げる議論になってしまう。

 逆に、九条が変わったからといって、改憲論でもアメリカの戦争に協力することは前提になっているわけだから、「改憲されれば平和国家」というのも通用しない。アメリカに守ってもらう日本の平和という構図があることは否定しないが、アメリカと一緒だから戦争に協力することも否定できないわけである。

 憲法論議を通じて、そこをどうすればいいのかを突き詰めないと、せっかく戦後でも一番の国民的な議論がされるというのに、生産的な結果は生まれない。もしかしたら短期的に見れば、そして立憲的に考えれば、憲法の条文に手を入れることが、日本の平和を守るためにふさわしい場合だってあるだろう。だから、九条を維持するという場合、そこを肯定しつつ、「でも……」という説得的な提起が必要になるのだと思う。もっと考えなくちゃ。
 

2018年1月11日

 本日、3時間ほどにわたって、ある自衛官のお話を伺っていた。最後は陸将で、中央即応集団の司令官を務めた方である。安倍さんの加憲案で「自衛隊」が明記されるわけだから、その自衛隊の内部にいた方が発言するのは当然だと考え、昨年から何人かにインタビューを重ねている。

 生年は私と同じ。昭和30年。お父さんも自衛官であり、自分もそこを志すことに違和感はなかったが、小学校の提出書類などに父親の職業を「国家公務員」を書いて提出することには、何か割り切れない気持ちを抱えていた。ご自身は最後まで直接に体験したことはなかったが、「税金泥棒」と批判され、石を投げられることもある時代だったから、自分を納得させていたという。

 防衛大学に入り、1年のとき、担当教官が、「自衛官を志す人は好戦的とみなされることが多いが、一番先に命を差し出さなければならない自衛官が戦争を望むはずはなく、自衛官こそ平和主義者だ。そこに自信を持て」と言ったことが、ずっと記憶に残っている。

 自衛官としての歩みは、前半はまさにソ連との戦いにどう勝つのかがテーマだった。実際にソ連が北海道を占領した時、どう戦えばそれを既成事実とさせず、戦争を終わらせられるかを必死に考えた。

 一方、それを真剣に考えれば考えるほど、自衛隊に与えられている法的権限とのギャップに悩む。とはいえ、その権限を政治が与えないなら、その範囲でやるのが自衛官だとの思いもある。

 自衛隊が海外に派遣されるようになったソ連崩壊後は、そのギャップを身を以て体験する仕事に携わることになる。悩みながらの自衛官人生だったと思う。

 そういう自衛官にとって、「自衛隊」が憲法に明記され、違憲の存在だという見方が一掃されることは、本当にうれしいことだと感じる。しかし、世論調査を見ると、それに反対する国民も半数いて、世論が分かれている。

 そのことを考えると、九条を変えずに、法的な整備を積み重ねるやり方を否定するまでには至らない。自衛隊違憲という見方が残るのは悔しいけれど、日本の平和と安全のための環境が整備されることが一番大事だから。

 まあ、無理矢理ざっと要約すると、こんなお話だった。正確にはテープ起こしをし、他の方のお話とまとめて本にするけれど。

 こういう自衛官の使命感、苦悩に何の思いも馳せない改憲反対論は、やはり説得力を欠くだろうなあ。それが主流なだけに、なんとかしたいなと思う日々である。