2018年2月6日

 名護市長選挙の結果は残念でしたね。せっかく保守と革新が辺野古移設反対で一致して、微妙なバランスで共闘する「オール沖縄」が発足したのに、どんどん昔の「反基地勢力」みたいになってきて、保守の支持を得られなくなっている現状が深刻に問われていると思います。「ウーマン村本」問題にもそれがあらわれていると思い、産経新聞デジタルiRONNAの依頼に応えて書いたものをアップします。明日の朝には全文がそちらのサイトに載るそうですが、ここでは連載にしますね。ディープな連載は17日の講演会向けなので、来週でも十分でしょうし。(以下、投稿)

 私はもう寝ている時間帯だったが、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏が1月1日、「朝まで生テレビ」に出演して発言したことが議論になっている。憲法9条の解釈、非武装中立の考え方その他、議論は多岐に渡っている。

 その発端になったのは、中国が攻めてきた場合、尖閣諸島について、「僕は、取られてもいいです。僕は明け渡します」と主張したことだとされる。村本氏はさらに、「人を殺して国を守ることってどうですか?」として、そういう状況に置かれた際、「じゃあ、(自分が)殺されます」と述べたという。

 村本氏は典型的な非武装中立論者なのであろう。その中でも、非武装中立をあくまで将来の理想として掲げているだけでなく、現実の目の前の世界でも、攻められたときには「座して死を待つ」という徹底した立場だということだ。私はそういう立場をとるものではないが、理想に殉じようとする村本氏は立派だと思うし、是非、その志を実際にも貫いてほしいと期待もする。

 ただ問題は、村本氏が沖縄の基地問題などをネタにする数少ない芸人の一人であり、現地での人気も高く、村本氏の考え方が沖縄の人びとを代弁しているように思われていることである。もちろん、沖縄の人びとに同じ考えの人がいること自体は否定しない。沖縄戦とりわけ日本軍が関与した集団自決なども体験したことによって、少なくない沖縄の人びとのなかに軍隊そのものを忌避する感情が生まれ、それが非武装中立という考え方につながっている面はある。

 けれども、県民の選挙で選ばれた翁長県知事が自衛隊も日米安保も認めていること一つとっても明白なように、非武装中立の世論は沖縄でも少数である。翁長知事は、普天間基地の辺野古への移設には強く反対しているが、日本の安全保障についても真剣に考えているのである。沖縄は基地の重圧ばかり訴えて日本の安全には無責任だという本土の世論が、安倍内閣による辺野古移設強行を支える役割を果たしているときに、村本氏の言明をもってきて「沖縄の世論はやはり非武装中立」みたいな世論が本土で加速するなら、普天間基地を閉鎖するという沖縄の人びとの闘いに水を差すことになりかねない。

 その意味で、村本氏には自重を促したいと思う。自分の個人的な見解に過ぎないものが沖縄の代弁だととられる誤解を生むような言動は慎んでほしい。(続)

2018年2月5日

 さて、これは何でしょう? ディープな連載が続くと疲れる人もいるでしょうから、本日はちょっと休憩です。

 この4人、いま焦点の憲法問題で特徴づけると、以下のようになりませんか。私が勝手に命名した人もいますけれど。

山尾志桜里=立憲的改憲論
伊藤真=護憲的護憲論
伊勢崎賢治=護憲的改憲論
松竹伸幸=改憲的護憲論

 で、何かというと、この4人で公開討論会をしたいと思います。3月31日(土)午後、日比谷図書文化館の大ホールですので、スケジュール帳に書き留めておいてくださいね。

 主催は未定。というか、弊社の出版企画の一部なんですけど、せっかく注目を集めそうな企画なので、主催者を募集します。朝日新聞社などメディアでもいいですし、九条の会などの団体でも構いません。ご希望される場合は、私宛にメールをください。10日間ほどお待ちして、どこもなければ弊社が主催します。ネットでの放映はすでにあるところと独占契約をしていますので、申込みされても無理です。

 出版企画と書きましたが、本にタイトルをつけるとすると、『安倍加憲案への対抗軸を探る』でしょうか。ちょうど3月25日(日)が自民党大会で、安倍さんはここで加憲案を自民党として決めたいと思っているようなので、その週の土曜日のこの討論会って、それへの対抗軸を議論する場として最適かなと感じます。

 加憲案にどう対抗するかをめぐって、いろんな立場、考え方があります。ピュアな護憲という立場もあれば、他の立場もある。問題は、そのいろんな立場をどう切磋琢磨していけるかが大事だと思うんです。

 山尾さんに対して、「加憲案の露払い」みたいに言う人がいます。だけど、山尾さんがどうあろうと、自民党は加憲案を出してくるんですよ。そして、国会で発議してくるんです。山尾さんの考え方は、安倍さんの加憲案が専守防衛の立場からのものでないことを明らかにする上でも、大事な役割を果たすと私は思います。

 いずれにせよ、加憲案に反対する勢力がモノトーンであってはならない。国民の憲法に対する考え方もいろいろあるわけですから、加憲案に反対するやり方もバラエティ豊かなものであってこそ、国民に届くのではないかと思います。

 そこをめざし切磋琢磨するための公開討論です。まあ、主催者が弊社ではないところに決まれば、会の趣旨も変化するかもしれませんが、基本の趣旨はそういうことで。

2018年2月2日

 共産党の自衛隊違憲論は、旧綱領のもとでは何の問題もなかった。民主連合政府は自衛隊を違憲とみなし(連合相手の社会党もそうだったし)、次第に縮小して最後は解散するわけである。時間はかかっても解散するのだから違憲論は通用した。

 ただ、かつての共産党の防衛論では、自衛のための実力組織は必要とされていた。しかしそれは、民主連合政府の次の段階の革命の政府(民族民主統一戦線政府)において、九条を改正して設置することになっていた。

 この考え方のもとでは、自衛隊もなくなり、新たな実力組織もないという空白期間が生まれることになり、防衛論としては整合性を欠いていた。だから共産党は、その空白期間をできるだけ短くするため、民主連合政府の段階で憲法問題の議論を開始することを表明するなど、いろいろな努力をしていたわけである。

 けれども、憲法上の問題は生まれなかった。律儀に護憲だったのである。

  しかし、現綱領においては、そう簡単ではない。綱領はこう規定している。

 「安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」

 ただでさえ日米安保廃棄の「条件ができない」(不破)上に、自衛隊の廃棄はさらにその先の課題なのである。安保よりもっと長期間、憲法九条に合致していないと綱領で規定していながら、自衛隊を保有し続けるのである。

 平和運動、市民運動が自衛隊は違憲だと叫ぶのは容易い。しかし、政権がそう叫ぶことは許されない。

 政府というのは憲法尊重義務を課されているのであって、自分の政策を憲法違反だと認めるなら、政府の存立そのものが許されないのである。憲法違反の事態(この場合は自衛隊の存在)があると政府が認識するなら、ただちに解消に向かっての措置を取らなければならないのだ。集団的自衛権問題での安倍内閣の行為は明白に憲法違反であるが、それなのになぜ退陣しないで済んでいるかというと、自分の行為は「合憲」だと言い張っているからに過ぎない。自分の行為を「違憲」だと言ってしまえば、その日の内に退陣である。

 最近まで共産党は、政権をとっても自衛隊は違憲だという立場を堅持すると表明していた。しかし、政権問題をリアルに考えた昨年末の総選挙において、はじめて「政府としての憲法解釈はただちに違憲とすることはできません。しばらくの間、合憲とする解釈が続くことになります(志位和夫委員長)と述べることになる。

 これは、政権問題に真剣になれば、当然のことなのである。突然の表明でもない。共産党が国民連合政府構想を打ち出した2015年の年末、ある企画で山下書記局長(当時)がお話をされたので、私は以上のような説明をしつつ、「当然、この内閣では自衛隊は合憲になりますよね」とお伺いしたら、「もちろんです」というお答えであった(翌日の「赤旗」に記事はでなかったけれども)。

 誰が考えても、普通に考えれば、それ以外の選択肢はない。とりわけ連合政府なのだから、共産党の綱領に「自衛隊は段階的に解消」と書いてあっても、他党が「自衛のために自衛隊を強化」という場合もあって、「とにかく解消には向かっているから合憲」とも言えない可能性が高いわけだ。

 なお現在のところ、内閣としては合憲という立場をとるが、政党としては違憲ということになっている。でも例えば、志位さんが防衛大臣になったとして、自衛官を前にしては「合憲」といい、共産党の会議では「違憲」というのが通用するのかという大事な問題はのこっているのだが、それは共産党自身が結論を出すことであろう。

 ということで、ようやく次回から、主題である安保論、安全保障論に移っていく。まあでも、あまりにディープな議論が続くのは読者にとって苦痛だろうから、来週は別テーマの連載にするかもしれない。(続)
 

2018年2月1日

 日米安保廃棄を課題としない「暫定政権」「よりまし政権」をどう位置づけるのか。これは悩ましい問題である。

 まずそもそもこの種の政権を、「暫定政権」「よりまし政権」という名前で、今後も呼ぶのかという問題がある。安保を廃棄しない限り日本の平和はちっとも訪れないとする共産党の綱領の上では、そういう位置づけにならざるを得ないだろうが、何よりも相手のあることだ。政権をともにするために協議をしている相手に向かって、「これは暫定的なものなんですよ」「よりましな政権なんですよ、平和が訪れるのは次の政権です」なんて、口が裂けても言えないだろう。これまでは、暫定政権構想といっても理論的な想定だったのでそれでも良かったのだが、この間のように実際に政策協議が現実になってきてみて、新しく浮上した問題だと言える。 

 もっと大事なことは、「暫定」との位置づけながら、安保条約を破棄できる条件が生まれるまで続くことを想定しているわけだから、期間が相当長いことである。しかもその期間、安保条約に対する態度が180度異なる政党が、連合政府を組んでいるということである。その矛盾は半端なものではない。

 不破さんは、この論考の時点で、経済政策においても野党は真逆だということを自覚している。「いまどの野党をとってみても、それぞれの党が持っている政策体系はずいぶんちがった内容をもっています」「たとえば、日本共産党と自由党は、それぞれがもっている将来の税制像はたいへんちがっています」等々。

 とはいえ当時、民主党、自由党との間で国会での共闘は成立していた。また、直前の参議院選挙では、将来の税制像は異なるのに、3党とも当面の景気対策として消費税の3%への減税を掲げるなどの共通点も生まれた。

 そこで、「消費税の3%への減税を要求する政策共闘をおこないうる条件は、理論的にも、実際的にも、現にある」と考えたわけである。そして、その政策共闘を積み重ねていけば、その上に政権共闘があるのではないかというのが、不破さんの提起の眼目であった。以下、引用。

 「政策共闘を積み重ねることは、この共闘の論理を政党間で血肉にしてゆくことにも役立つでしょう。また、一致点での共同という問題に、たがいに誠実に対応しあう経験を通じて、政党間の信頼関係をきずくことにもつうじるでしょう。また、この党とのあいだではこういう種類の政策問題ではここまで共闘が可能だといった判断をおたがいにもって、いわば政策面での政治地図をたがいに見定めることにも役立つでしょう。
 こういう経験をへてこそ、政権共闘が問題になる段階での議論の足場もしっかり定まってくると思います。」

 政策的に真逆の立場が政策で共闘し、政権で共闘する。当時のある会議で、不破さんがこれを「東と西から自民党を攻めるみたいなもの」と表現されたことがあったが、「なるほどな」と思ったことを記憶している。

 しかし、「言うは易し」である。政策がただ異なるだけでなく、真逆なのである。税制像もそうだが、安全保障になると本当に正反対なのである。政権共闘はもちろん、政策共闘だって、そう簡単なはずがない。

 実際、不破さんがこれを提起した98年以降、政権協議はもちろんのこと、その種の政策協議、政策共闘さえずっと行われてこなかった。ようやく前回の参議院選挙の前、ほんの少しだけ行われただけである。不破さんが提起した「積み重ね」とか「信頼関係」と言えるほどのものは存在しないのである。

 その程度の到達で、政権共闘を前提とした政策協議に他の野党が前向きになることが可能だと夢想できる人は、そうはいないのではないだろうか。しかも、政策が真逆だといっても、真逆なのは共産党だけで他の野党はほとんど一致しているわけで、問われているのは共産党がどこをどう譲って一致点を広げるのかということである。

 もちろん、共産党が何もしていないわけではない。自衛隊の憲法上の位置づけをどう考えるかという問題での総選挙の際の提起は、大事なことであった。ということで、明日はその問題を。(続)