2018年3月23日

 このところ右派メディアにばかり出ていましたが、ようやく本日、最近元気な「朝日新聞」が取り上げてくれました。

松竹伸幸氏

 これからは左派として認知してもらえますかね。いや、朝日のことを左派だと認定しているわけではありませんけれど。

 それにしても、右にも左にも気を配ってものを考えるというのは、いつから身についた習慣でしょうか。新聞だって、ずっと長い間、出勤途上のiPhoneで朝日新聞と産経新聞を読んで、会社に着いたら赤旗、読売等に目を通すというのが日常です。昨年、それまで全文を無料で配信していた産経が有料化されて、困ってはいるんですが。

 共産党の本部で仕事していた頃、たぶん「国旗・国歌」問題でかなり批判が寄せられた時だと思いますが、不破さんが、「政党としては右からも左からも批判がくるようなスタンスが望ましい」とおっしゃったことがあります。なるほどなと思いました。

 だって、政党というのは国民の多数を獲得することをめざしているわけで、左の人だけが満足するようなことを主張していては、仲間内では気持ちがいいかもしれないけれど、圧倒的多数の人の声には耳を傾けないということです。

 市民運動はそれでいいんです。特定の理念があって、それをめざすために全力をあげるのが目的ですから。

 でも、政党というのは、理念はあるからそれをめざすのだけれど、同時に政権を取りにいくことが使命なんです。自分の考え方が国民多数に浸透するまでは政権のことは考えませんというのでは、政党とは言えない。

 それならば、そのときそのときで、右側の人とどこで一致できるのかを考えなくてはいけません。自分の本来の考え方とは違うところがあるけれど、ここまでは容認しても意味があるという一致点です。

 そういうことを言おうとすると、左派から批判が寄せられることになります。右派からの批判というのは、「いっしょに働く必要のない人からの批判だ」として無視することは可能ですが(無視したら政権は取れませんが)、身内からの批判というのはいっしょに働いている人からの批判なので、なるべく批判されないようにしようという思考がどうしても働くんですね。その結果、身内だけに通用する考え方の範囲内で日々を過ごすことになってしまう。

 それではダメだよということだったと思います。いえ、不破さんがそういうことまでおっしゃったわけではありませんけれど、私はそのように受けとめました。

 退職して12年です。いいかげん、そういう思考方法から抜け出してもいいと思うんですけど、三つ子の魂百まで、というところでしょうか。

2018年3月22日

 必要があって、高坂正堯さん(故人)の「現実主義者の平和論」を再読した。『海洋国家日本の構想』(中公クラシック)に収録されている。

 高坂さんと言えば、保守派の国際政治学者ということで、左派には嫌われている。テレビにもよく登場し、左派に対する批判を展開していたので、私も何も読まないまま嫌っていた時期が長かった。

 しかし、いつだったか、氏の『国際政治』(中公新書)を読む機会があり、認識を改めることになる。自分で「現実主義者」を名乗るわけだから、もちろん現実主義的に国際政治を分析しているのだが、ただの現実追随でないものを感じたのである。

 そこで何年か前、「現実主義者の平和論」を初めて読んだのだ。いや感激した。どういうことが書かれていたか。引用をしてしまう。

 「中立論が日本の外交論議にもっとも寄与しうる点は、外交における理念の重要性を強調し、それによって、価値の問題を国際政治に導入したことにある」
 「国家が追求すべき価値の問題を考慮しないならば、現実主義は現実追随主義に陥るか、もしくはシニシズムに堕する危険がある」
 「こう考えてきた場合、日本が追求すべき価値が憲法第九条に規定された絶対平和のそれであることは疑いない。私は、憲法第九条の非武装条項を、このような価値の次元で受けとめる」
 「憲法第九条は、国際社会において日本の追求すべき基本的価値を定めたものと解釈されるべきものと思う」
 「問題は、いかにわれわれが軍備なき絶対平和を欲しようとも、そこにすぐに到達することはできないということである」
 「重要なことは、この権力政治的な平和から、より安定し日本の価値がより生かされるような平和に、いかにスムースに移行していくかということなのである」

 この思考過程って、いまの私とほとんど同じだ。高坂さんは、そういう考え方の上に、自衛隊と日米安保のもとで、どうやって平和に近づいていくかという議論を展開するわけである。

 そこで展開される議論には賛同できないものも多くて、だから左派、護憲派はカチンとくる部分があったのだろう。けれども、その思考過程は大事なものだと感じる。

 こうして高坂さん自身は、非武装中立論を唱える著名な研究者にも議論を呼びかけたそうだが、相手にされなかった。それでも、この論文が書かれた60年代初めから90年頃まで、護憲派であることを隠さなかった。

 その高坂さんが改憲を公言したのは、湾岸戦争に際して、侵略したイラクをクウェートから排除する軍事行動を護憲派の多くが批判したからだという。60年代、アメリカに侵略されたベトナムの人びとが武力で抵抗していた時、護憲派はベトナム側の武力を支持していたのだ。それなのに月日が経って、侵略されても武力で排除してはならないというのが護憲派ということになってしまっていた。高坂さんは忸怩たる思いだったんだろうね。

 改憲が日本政治の日程にのぼる現在(政局的には不透明さが増すけれど)、これをどう捉えるか。高坂さんの話に耳を貸さなかった誤りを再び繰り返すようでは、護憲から脱落する人があらたに生まれてしまうだろう。
 

2018年3月20日

 「政治主導」という政治と官僚の関係のあり方は正しいのだと思う。「忖度」もあっていい。

 だって、例えばだけど、消費税の引き上げに反対する野党の政権ができたとして、政権は、引き上げをしつこく求める財務官僚がいるとすれば、行政の主流から外そうとするだろう。引き上げでまとまっていた財務官僚の中に、政権を忖度して、引き上げ反対で態度を変える人が出てきてもおかしくない。そういう人を政権が優遇することになるのも当然のような気がする。

 現在の事態は、しかし、そういうものとは異質なところに問題があるのではないか。政治主導や忖度一般というものではないということだ。

 それは何かというと、前もどこかで書いたが、法令違反が平気でやられていることである。いくら政府が主導するといっても、官僚が忖度するといっても、許されるのは法令の範囲内のことなのに、そこに止める慎みを失ったのが現在の政治と官僚の姿だと思える。

 前川さんの授業に対する対応もそうだ。教育の中立性という教育法規の大原則に違反してでも、政治の側は政治主導を貫くのは当然だと考えている。法律を熟知しているはずの官僚の側は、法律違反だと承知しながら政治の要請に応え、自分たちの独自の判断でやったとして政治を守ろうとする。

 森友問題の現在の局面も同じこと。個別の国有地の売却などで、政治の側の働きかけなんて、ずっと存在していたことだ。道義的には問題だが、たとえ昭恵さんが「前に進めてほしい」と発言したところで(それが文書に残っていたところで)、それが売却を決めるいろいろな要因の一つであるなら、「法令の範囲内」「最後は法令にもとづいて決めた」で済ませられてきたはずの問題だった。

 ところが、「私も妻もまったく関係ない」という安倍さんの発言をきっかけにして、昭恵さんの関与が痕跡も残しておけないということになったのだろう。その結果、法律に違反してでも文書を改ざんすることが求められることになる。安倍さんが指示したとは思わないけれど、政治家からの求めというのは法律違反でもやらねばならぬこととという雰囲気が、役所に蔓延しているのではないか。その結果、国家に対して嘘を浮くことになる。

 これは議会制民主主義を裏切るものであるが、同時に、もう法治国家の体をなしていないことを意味する。現在の政治のありようを見ていると、そんな感じがする。大げさかもしれないけれどね。

2018年3月19日

 週末の土曜日、また東京に出張してきた。自衛隊の陸将、海将、空将で昨年退官したばかりの方々のお話が聞けるというので。

 直接には、加憲の対象とされる自衛隊の方々に、それをどう感じているかを語ってもらう本をつくっていて、それに海自の方が不足しているのでお願いするのが主目的。でも、いろいろな角度のお話を聞けて、勉強になった。

 自衛隊とは何かについて、日本の左翼はあるパターン化した認識をもっている。例えば「対米従属の軍隊」というものがある。

 それは本質的には正しい。例えば、米軍にリンクされたデータなしには、自衛隊は任務を遂行することができないわけだから。

 しかし、それが本質的に正しいといっても、防衛の現場でそれがすべて貫かれるわけではない。「すべての歴史は階級闘争の歴史」という本質をすべてに当てはめようとすると、自分と考えが違う人びとがみんな階級敵に見えるようなものになっていくのと同じで、有害なことになる。

 例えば、米陸軍との共同演習「ヤマサクラ」というのがあるが、一昨年、九州を中心に開かれたこの演習を指揮した陸自の方のお話があった。お話の中心は、やってくる米兵が使い物にならなくて、どうやって鍛え直したかというものである。最近の米兵は、アフガンやイラクで市街戦ばかり経験しているので、「敵地」で戦うのが身についているが、日米共同演習は日本有事であって、敵地ではなく日本国内が戦場になることを想定している。ところが米兵は「敵地」でやるみたいにして、何でも壊そうとするらしい(演習だから実際に壊さないのだが)。村にとって不可欠な水源などは壊せないし、鎮守様だってそうだ。そういうことを教え、自衛隊の指揮下でちゃんとやれるようにするのに、大変骨を折ったというような話だった。

 陸上自衛隊だからという条件もあると思うけどね。だけど、そういう実態を無視して、「対米従属の軍隊」という本質規定をすべてに当てはめようとすると、すべての演習が米軍指揮下で、米軍を守るためのもので、アメリカがねらう侵略を助けるのが目的だということになってしまい、現実からどんどん遊離していくことになる。自戒しなければならない。

 憲法についても見解を伺えた。最近まで現役だったので、政治的発言はしたくないと表明したが、司会者に「もう退官したでしょ」と促されて、少しだけ。ある人は、「2項は諸悪の根源」とばっさり。別の人は、「自衛官としてはどうやったら国民が守れるかを基準にして考えてほしい」と、直接には言及せず。もう一人は、「憲法があったから任務遂行に不都合があったことはない」と明言しておられた。

 これからも、いろいろなお話を聞きたいと思う。憲法に明記される人が発言しないで、誰が発言するのかということだからね。それを抜きにして加憲論議はできないでしょ。

2018年3月16日

 この間、ずっと忙しいけれど、本日は特別に忙しかったです。いくつもの仕事を同時並行で進行させました。

 一番大きかったのは原稿書き。3月31日に日比谷図書文化館の大ホールで開かれる公開討論「安倍加憲論への対抗軸を探る」では、4人の出演者(伊藤真、伊勢崎賢治、山尾志桜里、私)が自分の対抗軸を文書にして提出します。それをもとに討論するわけですが、その締め切りでした。これは最終的には本に収録されますが、当日の出席者には資料としてお配りします。A5判で32頁くらいになるでしょうか。資料代1000円をいただくのですから、これくらいは当然ですね。

 その公開討論ですが、すでに予約が200名を超えています。定員を超えているのですが、当日になって欠席する人もいることを想定し、220名になった時点で締め切ります。安倍さんが追い詰められて改憲論議が後退している感じもありますが、多少とも安倍さんが盛り返すとすると、改憲問題をどう利用するかと考えるはずなので、25日の自民党大会の直後に開かれる公開討論は、きっと大事な場になるはずです。興味のある方は早めに申し込まないと、すぐに締め切りになりますからね。よろしく。

 それに加えて、『泥憲和全集』の準備にも着手。8月以降の出版ですが、憲法記念日に「予約販売開始!」のチラシをつくって配布しないと、枕のような厚さ(800頁)と価格(5000円)の本を売るのは簡単ではありませんからね。

 予約販売に応じた方には特典があります。お名前を本のなかに入れます。消費税分はサービスで、本ができた時点で送料無料でお送りします。

 チラシのことを考えたら、表紙のデザインくらいはやって、チラシに載せるべきだと考えました。それでデザイナーに連絡をとりました。その場合、本のタイトルは最終的に確定しなければならないし、帯に載せる文章もつくらねばならないし、著名な方に「私と泥さん」というコラムを書いてもらうのはまだあとにしても、チラシにお名前は載せたいので、そうすると了解を得なければならないし。ということで、この本のことでもバタバタしました。

 マルクス関係の仕事もいくつか。そうそう、3月27日、28日と、京都の妙心寺というお寺で、「内田樹先生&石川康宏先生特別対談と交流の夕べ マルクスで読み解く今日の世界と日本」というツアー企画があります。27日の午後、28日の午前、マルクスを主題にお二人に語り合ってもらうんですが、参加者には『若者よ、マルクスを読もうⅠ』の中国語版をプレゼントできることになりました。ちょっとしたお土産になるでしょ。京都は知事選挙の最中なので、あまり大声では言えないのですが、参加ご希望の方は、旅行社のこのサイトに行ってみてください。

 明日は東京に行って、幹部自衛官だった方と新たな出会いがあります。ホント、忙しいです。