2018年3月1日

 ようやく本日、京都に戻れます。夕方になってからだけど。疲れた。

 だけど今回の出張では、映画の予告編も観ちゃいました。今月のはじめ、池田香代子さんに誘われて「マルクス・エンゲルス」を観たんですが、先週は「女は二度決断する」で、今度は「ラッカは静かに虐殺されている」でした。どれも良かったです。忙しくて気の重い出張を楽しく過ごせました。池田さん、ありがとうございました。

 ということで、「マルクス・エンゲルス」に続いて映画評を。本日はまず「女は二度決断する」。ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞で、近日公開である。

 主題はテロ。主役はドイツ人の女性。クルドの難民の男性と所帯を持って子どももいるのだが、ネオナチによる爆弾テロで二人を失う。その落とし前を付けるためどんな決断をするのかがテーマだ。

 本日公開のクリント・イーストウッド監督の映画に「15時17分、パリ行き」がある。先日、メトロポリタンオペラ「トスカ」を映画で観たときに予告編を流していたが、これは列車のなかで無差別テロに直面した3人の幼なじみの物語である。実話だという。

 そしてこの「女は二度決断する」。そうなのだ。欧米ではもう、移民、移民排斥、憎悪、テロというものが日常となっている。その現実がまず存在し、だからそれが映画になっているというわけだ。それがもう目を背けることのできない現実になっているということに、何よりも圧倒される。

 そして、タイトルともなっている「女の決断」「二度の決断」。ドイツ語の原題はAus dem Nichtsとなっていて、「無から」とか「どこからともなく」となるそうだが、日本語タイトルを支持する。欧米の人にとっては扱っているテーマがリアリティのあることなので、そこから何物かを感じ取ることができるだろうが、日本人にとっては難しい。夫と子どもをテロで失った女性がどんな決断をするのかということが分かったほうが、自分に引き寄せて映画を観ることができるように思える。

 どんな決断かはここでは言えない。ネタバレでもあるし、そのネタそのものが映画の主題となっているわけだから。

 でも、一度目の決断を躊躇して放棄したところで安心したけど、二度目の決断が実行に移されて衝撃だったことは言っておきたい。救いようのない最後の決断だけれど、ここにはテロが日常になっている世界での避けられない現実が反映している。テロに対して暴力で立ち向かうのはいけない、あくまで平和的な手段を求めるという声があるけれど、そういう抽象的な思考を許さない現実である。

 しかし、映画を観てから2週間経ち、この最後の決断は案外「憎しみの連鎖」を断ちきる一つの手段なのかと感じることもある。間違っているかもしれないけれどね。