2018年4月20日

 明日から6月下旬まで、上記のようなテーマを扱うイベントが連続的に開かれます。明日のイベントは、主催が兵庫県弁護士九条の会。会場はJR神戸駅あるいは地下鉄大倉山駅で降りてすぐのアステップ神戸です。午後2時から。

 自衛隊のことが憲法に明記される「加憲」が浮上して、その「自衛隊」をどう考えるかが焦点になっているわけです。ところがこれまでの護憲派は、自衛隊の外にいる人が、自衛隊を批判するという文脈で論じたものしか見ていません。自衛隊を批判してもいいのですが、当事者である自衛官、とくに自衛隊を代表できるような幹部自衛官からは何も聞かないで、自分の自衛隊論を構築してきたわけです。

 さすがに現在、それではダメだと考える護憲派が生まれてきて、この時期のイベントにつながったわけです。私が「自衛隊を活かす会」の事務局長として呼ばれるものもあれば、幹部自衛官の話を聞きたいからとして私が仲介したものもあります。さて、どんなものになっていくのでしょうか。

 明日は幹部自衛官のお話。元陸将、東北方面総監を務めた方です。自衛隊がはじめてPKOで海外に出たのはカンボジアでしたが、その最初の部隊の隊長も務められました。

 1973年に防衛大学校に入学した方です。73年と言えば「あっ!」と思う方もいるかもしれません。そう、長沼訴訟の第一審判決で自衛隊が違憲とされた年です。この方にとっては、自分がこれから一生を捧げようと決意した仕事を「違憲」とされたわけで、その衝撃の気持ちは忘れられないでしょう。この判決を受け、同期には退学した親友もおられるそうです。

 一方、明日参加される弁護士の方々の多くは、73年当時、護憲派の弁護士を目指していたか、なりたてのホヤホヤだったでしょう。自衛隊違憲判決に心を躍らせ、違憲の自衛隊を解散に追い込む決意を固めたのではないでしょうか。

 その両極に立っていた人々が、それから45年を経た明日、同じ会場で相まみえるのですから、歴史的だと思います。さて、どんなお話を伺えて、どんな議論になるのでしょうか。

 主催者から私には、「お呼びする自衛官は護憲派でも改憲派でもいいから」ということだったので、人選はスムーズに進みました。いま、いろんな自衛官の方々のお話を伺っている最中ですが、たとえ安倍さんの加憲案を評価する人であっても、「心からうれしい」と感じている人はいないのが現状だと思います。そうした自衛官の複雑な気持ちを理解した上で護憲派が護憲論を再構築できるなら、かなり説得力ある議論が展開できるのかもしれませんね。

 明後日は、私が、私の住まいのある高槻市で、ある九条の会に呼ばれておりまして、お話しします。来週、そのご報告をします。

2018年4月19日

 東京でお昼過ぎまで仕事をして、ようやく戻ってきました。いまさら新しい記事を書く余裕がないので、某紙に寄稿したものをそのままアップします。

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 「破棄した」とされていたイラクに派遣された自衛隊の日報に「戦闘」の文字が記されていたことが報ぜられた。南スーダンPKOに派遣された自衛隊の日報と同じである。自衛隊が派遣されているのは「非戦闘地域」だという政府の弁明が、もろくも崩れ去ったのだ。

 この問題は、巷間言われているように、もちろんシビリアンコントロールの問題でもある。日報があるなら出せという稲田防衛大臣(当時)の指示が無視されていたわけだからそれは間違いない。しかし、問題はもっと大きいように思う。

 思い起こされるのは、実際には「戦争」を開始しながら、政府も軍も「戦争ではない」と言い張った過去の事例である。戦争を「事変」だと言いくるめた満州事変、支那事変のことだ。

 満州事変などの場合、「戦争」と言ってしまうと中立法が適用されることになり、アメリカが中立を宣言すると原油が輸入できなくなるという懸念などがそうさせた。戦争であることは自覚していたが、より効果的に戦争しようとする思惑が働いたわけである。

 イラクや南スーダンも構図は同じである。政府は現地がPKO法の規定では自衛隊を派遣できない戦闘地域であることは重々承知していたのだ。しかし、戦闘地域と認めてしまえば、法律の規定上も国民世論上も自衛隊は派遣できない。現地の実態よりも政治的思惑を優先させ、戦争に参加するためのハードルを下げたのである。

 現地の自衛隊は、法律の規定からして、「戦闘地域」の用語を使ってはいけないと自覚していたはずだ。それなのになぜ日報にこの用語が出て来るかといえば、無責任に派遣を決定する政府とは異なり、実際に任務を遂行しようと思えば、実情をリアルにつかんでおくことが不可欠だからだ。「非戦闘地域」という建前で任務を遂行していては、自分の身さえ危うくなるからである。

 本来なら、自衛隊にとって日報はオモテに出したい性格のものではないだろうか。そんな危険な中で任務を遂行していることを国民に知ってもらうことは、自分たちの誇りにつながるからだ。政府から与えられた任務は遂行しなければならないという使命感と、同時に自分のいのちは守り抜きたいという当然の気持ちと、その両方を貫こうとすれば、現場の実情を隠そうという気持ちにはならないはずだ。

 けれども他方で、その真実をオモテに出してしまっては、事実上、「戦闘地域ではない」と説明している政府を批判することになる。「政治的活動に関与せず」(服務の宣誓)が義務となっている自衛官にそれはできない。だから自衛隊は、自分の命にかかわることでも、政府にとって都合の悪いことは隠そうとするのである。

 これはシビリアンコントロールの問題ではない。自衛隊をコントロールするべきシビリアン(政府)が間違っている問題である。自衛隊を海外に派遣するために政府がウソをつくから生じる問題なのだ。自衛隊員の命よりも安倍政権の延命が大事だということから生まれているのである。この構図は、刑事訴追されても安倍政権を守ろうとする財務省・国税庁の佐川氏問題と同じであるが、その結果が自衛隊員の命と、日本の戦争への関与にかかわることだけに、より重大である。

 「戦争ではない」とする建前から、自衛官が武器を使用して民間人を殺傷しても、国の責任は免れ、現行法では自衛官個々の責任になる。「戦争ではない」ので自衛官は捕虜にもなれない。こうして政府がウソで自衛官を追い詰めていたら、それこそいつか来た道の再来となり、本当にシビリアンコントロールの問題になってくるかもしれないのではないか。

2018年4月18日

 昨日の伊勢崎さんとのバトル、5月3日の現代ビジネスを楽しみにしていてくださいね。それなりにかみ合った刺激的な議論がされたと思います。本日午前は『改憲的護憲論』に関して「ふぇみん」のインタビューを受けていました。

 それらで感じたことの一つですが、理想と現実の矛盾をどう捉えるのかということです。9条と現実は矛盾するわけですから、そこの説明が護憲派であれ改憲派であれ求められています。

 旧来的な護憲派の言い方は、「現実を理想に近づける方向で解決する」というものだったと思います。自衛隊を縮小して、次第になくす方向にするということで、だから当面は矛盾があってもやがては解決するのだから、それまで待ってくれという感じでしょう。

 しかし現在は、そういうやり方は通用しなくなっているところに、護憲派は注意しないとダメだと思います。「現実を理想に近づける方向で解決する」と言っても、国民の多数は自衛隊をなくそうなどと思っていないわけですから、そういう時代は見通せる将来実現しません。あるいは、そういう時代がくると仮定しても何世紀も先のことですから、いくらなんでもその矛盾を何百年もそのまま放置するわけにはいかないということです。

 そこにはいろいろな矛盾があって、伊勢崎さんがよく言うのは、自衛隊が民間人を殺傷した時の法体系がないという問題もそうです。そのうち自衛隊をなくすから、それまでの何百年は、殺傷することがあっても我慢してくれとは言えないのです。

 だから、自衛隊と9条が共存する時代のことを、真剣に考えなければならなくなっているのです。軍事にかかわる法律や制度をつくることについて、「軍事だからダメだ」という時代ではなくなっているということです。

 しかも、伊勢崎さんが提起している問題に限っていうと、たとえ自衛隊がなくなっても同じことです。自衛隊を廃止したあとにどこかに侵略されたとして、日本国民のなかにゲリラをつくって反撃しようとするグループが現れる場合もあるでしょう。しかし、そのゲリラが相手国の民間人を殺傷すれば、やはり国際人道法で裁かれなければなりません。

 常備軍を否定しているコスタリカにそういう法体系があるのは、自分が常備軍を持っていなくても、侵略されれば交戦することがあることが想定されるからでしょう。交戦に関する権利を国家がみずから制約し、否定することはあり得ても、交戦にともなう義務までは否定できないのです。

 9条と自衛隊が共存する時代の矛盾は、護憲派自身が引きうけないといけないと思います。矛盾を放置してもいいという態度をとると、じゃあ改憲しようねということになるわけですから。

2018年4月17日

 午後2時から講談社の応接室で。現代ビジネスの主催です。午前10時から別件のインタビューが予定されていたのですが、それは新幹線に乗っている間に電話が来て延期されたので、いまは弊社の東京事務所で仕事中。

 年末に『改憲的護憲論』を出した時から、「護憲的改憲論」を掲げる伊勢崎さんとの間では「やろう」と盛り上がっていたんですが、ようやくですね。さて、どんな議論になるやら。

 私は伊勢崎さんの提起している問題はよく理解できるんです。一言で言えば、日本は実際問題として交戦する(=自衛権を発動する)ことを想定しておきながら、交戦にともなって生じる義務を果たすような法体系を持っていないということでしょう。民間人を殺傷したいした場合、それを裁くための法体系です。そしてそれは、9条2項で交戦権を否認していることが問題なのだということでしょう。

 自衛官が事件、事故を起こした時の法体系の問題は以前から指摘されていました。例えば1982年11月、浜松基地の航空祭でブルーインパルスが墜落し、お子さんにやけどを負わせるという重大事故が発生しました。パイロットは死亡したのですが、刑法上の業務過失傷害罪が適用されます。他に法体系がないからです。

 日本有事の際に民間人が殺傷されても同じようなことになるのだと思われます。一方、殺傷される民間人が外国人なら(民間の漁船を盾にして軍艦が押し寄せてきた場合、漁船の民間人をどうするのかという問題が生まれます)、国際人道法では問題になるのに、対応する日本の法体系は皆無ということでしょう。

 しかし、これは大きな矛盾なのです。だって、自衛官は国家の出動命令を受け、任務を果たすために交戦するのです。敵を殺傷することが任務になっている。その任務の遂行過程で民間人を殺傷した時、決められている交戦規定を守らないで発生した問題なら、当然、罪となるでしょう。しかし、交戦規定を守っているのに発生したのなら、「ちゃんと規定は守っていたね」ということで罪は問われないというのが、軍事の世界の決まりです。他方、殺傷したのが外国人だから裁かないということでは、世界から糾弾されることになります。

 そのあたりのことが、ずっと議論されないで来ました。ブルーインパルスの事故の時も、やけどを負わせたことは重大であっても、パイロットにとっては任務の遂行中の事故なのです。任務を遂行しているのに傷害罪に問われ、しかも、刑事罰を受けたからということで、叙勲の対象からも除外されました。日本有事の際、生命を賭して任務を遂行せよと言われている自衛官が、そういう法体系の下にあることは、やはり問題だと思います。

 私の立場は、そういう問題はそういう問題として議論しようということです。ここに9条2項を改正論議をかぶせるとややこしくなる。しかも憲法を改正しないとできないということになると、その矛盾をずっと引きずることになり、自衛官にとっても人道法の世界にとってもいいことではないと思うのです。

 その辺りを議論できればと思います。5月3日にアップされるのかな。

2018年4月16日

 どういうことかと言うと、ソ連の支配下にあった東欧の国の姿が、安倍さんとダブって見えるということです。明日から訪米ですから、一応期待を表明してはおきますけれど。

 私がまだ青年の頃、ソ連や東欧の国の代表も参加する国際会議に参加することがありました。そういう場合、例えば核問題に対するソ連の立場について、核廃絶などを正面に据えないで、部分的な措置(ICBMなどの削減交渉)ばかりやっているなどと批判すると、ソ連のまわりに据わっている東欧諸国の連中が、いっせいに襲いかかってくるわけです。やれ現実を知らないだとか、段階的にやるのが効果的なのだとか。これがまず、アメリカから圧力を受けて核兵器禁止条約に反対表明した安倍政権にダブります。

 しかし同時に、ソ連が態度を変えることもあるわけですね。とくにゴルバチョフが出てきて、核兵器廃絶を重視した時期があります。そうすると、当時、「反核青年連合」と呼ばれましたが、核兵器廃絶のための世界規模の統一行動をやるという機運が高まります。

 日本にとっては、かねてからの自分の主張の実現なので当然、歓迎するのですが、みじめなのは東欧諸国です。それまでずっとそういう考え方を批判していたわけで、ソ連の転換についていくのに苦労するのです。ソ連は自分で変えるわけであって、それなりに議論をした結果です。ところが東欧諸国にとっては、なぜそんなことになるか分からない。しかしソ連と違うことを言えないので、納得しないまま追従するのです。

 そこがね、訪米する安倍さんとダブるということです。要するに、衛星国家というのは、自分の頭で考えることを許されない国家です。まあ、自分でそれを選択しているので、結果も甘んじて受けるしかないんですけど。

 しかも、当時のソ連が態度を転換したといっても、そこはやはりソ連でした。結局、核問題で成果を得るにはアメリカと仲良くなろうという路線で(それ自体はいいんですけど)、屈服していくことになるのです。核問題で何の成果も得られないままです。そして最後は崩壊。普通、頼っていた国が崩壊したからといって、そう簡単にまわりの国まで崩壊するって考えられませんが、身も心も従属していた東欧諸国は、あっけなく全崩壊することになりました。

 アメリカが対話路線に踏み切ったっていいますけど、そこはやはりトランプさんなんですね。安倍さんが「100%ともにある」相手はね。ソ連の崩壊で東欧諸国が崩壊する結果になったことまで、ダブらないようにしたいものです。