2018年4月5日

 「ありがとう日本会議」の記事はまだ続きますが、本日は政治の焦点を取り上げます。自衛隊のイラク日報隠ぺいをめぐって、「シビリアンコントロールが利いていない」などの批判がありますが、この問題の深刻さは別のところにあるのではないかということです。

 確かにシビリアンコントロールは利いていないでしょう。現場は存在を知っているのに、長きにわたって大臣にさえ隠していたわけですから。

 しかし、なぜ自衛隊が日報を隠していたのかを考えると、深刻さの度合いが違って見えてきます。南スーダンにせよイラクにせよ、同じです。

 この日報には、派遣された自衛官が日々体験する現地の実情が書かれているわけです。PKO五原則を満たしていて、だから戦闘地域ではないという建前で政府は自衛隊を送っているわけですが、実際にそんなものではないことが、日報から伝わってくるのです。

 そういう実情って、本当は、自衛隊にとって、政府にも国民にも知ってほしい情報でしょう。だって、そんな危険な中で自衛隊が任務を遂行しているのだと知ってもらわなければ、いざというときに「自衛隊は何をしていたんだ」ということになるわけですから。

 それに、危険だということが政府や国民に伝わることは、撤収するという判断をするにせよ、あるいは危険度に応じて武器使用のレベルを上げるにせよ(こちらは法改正を伴うでしょう)、絶対に不可欠なのです。政府から与えられた任務は遂行しなければならないという使命感と、同時に自分のいのちは守り抜きたいという当然の気持ちと、その両方を貫こうとすれば、現場の実情を隠すなどはあってはなりません。自衛隊の幹部も隊員も、そのように思っているはずなのです。

 ところが、それを自衛隊が隠していた。なぜなのか。

 それは日報に書かれていることが、政府の建前を崩すものだからでしょう。安全だという建前が崩れる。安倍政権を窮地に追いやることになる。

 そういうことになるくらいなら、現地の実情を隠してしまおうということでしょう。その結果、隊員の生命が危険にさらされるのを放置することになるわけですが、それよりも安倍政権の延命を望むというところでしょうか。守るべきは隊員のいのちではなく安倍政権になっている。刑事訴追されても安倍政権を守ろうとする佐川さんと同じですが、その結果が隊員のいのちにかかわることだけに、より重大です。

 そこに私は深刻さを感じます。そんなことで任務を遂行できるんですかと問いかけたいと思います。

2018年4月4日

 この論評を読んでいると、この論者もまた、改憲か護憲かの二項対立の枠内で思考しているように思える。それこそ私がもっとも避けたいと思っている思考方法である。例えば、以下のような記述がある。

 「ちなみに、松竹氏は現在の自衛隊に対する「国民的な支持」を「憲法に明記されていない」ことの賜のように評しているが、自衛隊はその正統性に疑念をもたれてきたが故に、国民的な支持を得たと言っているようにも聞こえる。現状維持のための倒錯したレトリックと言うほかない」

 いや、批判していただいていいのである。私が改憲、加憲を批判するように、その立場から私を批判するのは当然であろう。

 しかし、大事だと思うのは、この問題の複雑さへの自覚である。そう簡単に割り切れる問題ではないからこそ、圧倒的多数の中間層は迷っているわけである。

 憲法に自衛隊が明記されたとして、多くの自衛官が歓迎するのは当然のことである。この号の別の場所に元陸上幕僚長の火箱さんが「なぜ憲法に自衛隊を明記すべきなのか」というインタビューに答えておられて、そこにも共感する部分が多い。私は自衛隊に対する国民の支持、敬意が増すことを心から喜ぶ立場だ。

 けれども、自衛官のなかでさえ、ことはそう単純ではない。私は現在、元自衛隊幹部にインタビューをしてまわっていて、もちろん加憲に賛成で、安倍さんへの感謝を表明する元陸将の方もいる。しかし、その同じ方が、加憲をめぐって国民が分断されることになれば、せっかく国民的な支持を獲得した自衛隊に関して世論が分断されることになり、歓迎できるようなものではないと表明するのである。そんなことになるなら現行憲法のまま法整備をするというやり方が望ましいと言うのである。

 私の論理は、確かに「倒錯」しているかもしれない。私はよく「どっちつかずだね」とか「すっぱりした論理がない」と言われる。その通りだ。だがそれは、倒錯した現実というか、倒錯した自衛官、国民の感情の反映なのである。本のなかでも改憲が45点で護憲が55点と書いているけれど、それが現実の国民意識なのだと思う。

 それを切って捨てるようでは、論者は気持ちがいいかもしれないし、加憲の支持者からは拍手喝采を浴びるだろうが、「明日への選択」がねらう中間層はどうなのだろうか。「一方的でコワい人たち」と思われてしまわないだろうか。

 論争相手の心配をしても仕方がないかもしれないけれど、結論を先行させて違う考え方には悪罵を投げかけるというのは、決して生産的な結果を生み出さない(どちら側にもそういう人はいるのだが)。私は、この雑誌の関係者とも誠実に議論し、生産的な結論を得たいが故に、こういう手法はとってほしくないと考える。(続)

2018年4月3日

 この論評には当たっているところと外れているところと、両方がある。まず当たっているところから。

 私の『改憲的護憲論』がねらっている層については、まさに正解である。というか、日本会議も同じことを考えているのだろう。この論評の冒頭部分はそれをあらわしている。

 「自民党は現在、憲法九条一,二項を変えない加憲による自衛隊明記案での意見集約を進めているが、現時点では同案に賛否を決めかねている「中間派」の国民も少なくない。
 各種の世論調査を見ると、仮に加憲案が国会で発議された場合、この中間派の動向が、憲法改正の成否を左右することが予測される。それ故、われわれ改憲派は、中間派国民の説得に全力を尽くす必要があるわけだが、同じことは護憲派も考えていることはいうまでもない」

 そう。日本会議も中間派をねらっていて、私も同じなのである。

 私の立場からすると、確固とした護憲派に対して護憲の論理を提示するのは、ただの時間の無駄である。護憲への確信をさらに深めることはないよりあった方がいいけれども、確固とした護憲派は、どんな天変地異があろうとも、その信念を変えることはないのだから、仲間内を固める論理のために時間を使う必要はないのだ。焦点は中間派以外に存在しない。

 では、その中間派とはどういう人たちか。日本会議は私の本のなかから、以下のように引用しているが、これは正解である。

 「圧倒的多数の専守防衛派が改憲に向かうか、それとも護憲を選ぶかで、憲法改正をめぐる闘いの決着がつくということです。専守防衛派の心をつかめるかどうかで、この闘いの帰趨は決まるということです」

 この論評は、そのために私が提示した論理を批判するのだが、同時に、評価もしてくれている。例えば以下のような記述もある。

 「まず、松竹氏の真意はどうあれ、憲法への自衛隊明記の意義を認め、護憲派に向けて安全保障を正面から論じ、自衛隊に敬意をもつべきだと説いている点は率直に評価したい」

 ありがとうございます。最大限の褒め言葉ですね。

 これ以外は私への批判なんです。でも、ここまで褒めてくれるなら、「騙されるな」とか言わないで、もっとどこまで一致できるのか、どこが根本的に異なるのか、深く掘り下げてほしかったと思います。討論会なんかがあるのなら、私を呼んでほしいんですけれど、そのためにももっと詰めた論議を交わしておく必要があると思うんですけどね。明日以降はその問題です。(続)

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2018年4月2日

 日本政策研究センターをご存じだろうか。代表は伊藤哲夫さんといって、日本会議の常任理事(政策委員)を務めている。生長の家が右派的な政治活動を熱心にしていた頃からの活動家で、生長の家が政治活動を停止してからも、日本会議のなかで大事な役割を果たし続けているそうだ。

 私が伊藤さんのお名前を知ったのは、昨年5月1日に発行された同センターのブックレットを読んだ時である。『これがわれらの憲法改正提案だ──護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?』というタイトルの本。

 その本のタイトルを見て、「ああ、あれか」と分かるこだわり派は、読者のなかにどれだけいるだろうか。護憲派の一部では、安倍さんの加憲案は日本会議が主導しているという説がまことしやかに流布しているが、その根拠になっているのは、5月1日に出版されたこの本で9条1項2項を維持したまま加憲する案が提示されていて、その翌々日に公表された安倍さんの加憲案と同じものだったことにある。日本政策研究センターが日本会議のシンクタンクと言われるゆえんでもある。

 さて、その日本政策研究センターが出している月刊誌がある。「明日への選択」(600円)という。その最新号(3月号)に、なんと私の『改憲的護憲論』に対する批判論評が掲載されている。なんと5ページも。

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 一般書店では売っておらず、仕方なく(といっても弊社の東京事務所の近くなので時間がかかったわけではない)同センターまで出向いて購入した。買ってからエレベーターに乗るまで、職員の方が礼をしながら見送ってくださって、恐縮である。

 さて、その中身だ。なぜ5ページもの批判をしたのかという問題意識が、その冒頭近くにある。引用してみよう。

 「後ほど明らかにするように、「改憲的護憲論」の正体は、自衛隊を圧倒的に支持する国民世論を踏まえた新種の護憲論であり、そこには国の安全を危うくする毒も含まれている。この新たな護憲論が、旧来の護憲派は中間派国民にどう受け止められ、世論にどんな影響を与えるかは現段階では分からないが、空想的平和主義に安住する旧来の護憲派よりもいささな厄介な相手にも見える』 

 ありがたい評価である。そこで、この論評の中身を、感謝を込めて論じてみたい。(続)