2018年5月10日

 2005年6月の6か国協議で初めて共同声明を出すことで合意し、「朝鮮半島の非核化は最終目標」という文言が確認された。北朝鮮の非核化が約束されたわけである。

 ところがその後、協議は暗礁に乗り上げていく。そして翌06年7月、北朝鮮が7発のミサイル発射実験を強行したのをきっかけにして、国連安保理で北朝鮮批判決議が全会一致で採択され、協議そのものが中断するのである。07年には北朝鮮は核実験に踏み切ることになる。

 北朝鮮がその間、一貫して問題にしたのは、06年9月、アメリカが隊テロ特別法第311条にもとづき、マカオの本拠を置く銀行「バンコク・デルタ・アジア」を資金洗浄の疑いのある金融機関に指定したことであった。さらに続いて10月、アメリカが北朝鮮企業8者に対して、大量破壊兵器拡散に関与したとして資産を凍結したことであった。それを解除しない限り6か国協議の再開には応じないという態度をとったのである。

 日本の識者のなかには、このアメリカの措置こそが6か国協議を破綻させた元凶だとして非難する人もいる。共産党の志位委員長も、「米国が北朝鮮の銀行口座を凍結するなどの行動をとり、それが「共同声明」履行のプロセスに困難を持ち込んだことも事実」(「赤旗」日曜版4月15日)と述べている。

 しかし、その志位さんも、「「共同声明」に反する行動をとったのは、基本的には北朝鮮だった」としている。実際、共同声明のなかに米朝の国交正常化などがうたわれているが、経済制裁問題への言及は合意事項としては一言もない。「「約束対約束、行動対行動」の原則に従い、前記の意見が一致した事項についてこれらを段階的に実施していく」とされていて、北朝鮮が話し合いに応じているのにアメリカがそれに反する行動をとったと主張するのは可能だが、非核化のための協議しているのだから、大量破壊兵器の拡散に関与する企業の資産を凍結することが約束違反だと言われても、かなり常識外れのことに思える。

 いずれにせよ、アメリカの金融制裁が、北朝鮮を核・ミサイル開発に邁進させたほどのものであったことは確かだ。そして、なぜそれほどまでの行動を北朝鮮にとらせることになったかといえば、凍結された北朝鮮の銀行口座の性格がそれほどのものであったことに由来するわけである。

 アメリカがなぜ「バンコク・デルタ・アジア」を問題にしたかというと、そのなかにある北朝鮮関連の口座が、資金洗浄に利用された疑いがあったからである。これはニセドル札流通をアメリカが捜査するなかで発覚したことである。そして、この口座は、北朝鮮の金一族の資金源となっていると言われている。
 
 つまり、北朝鮮にとって最も大事なものは、金一族の支配体制の維持であり、そのための資金だということなのだ。それが維持できないなら核合意など踏みにじるということである。

 今回も同じことに直面するだろう。核合意を推進するためには金一族の支配体制まで永続的に保障するのかどうかだ。(続)

2018年5月9日

 いきなり体制保障の話になる。北朝鮮が求める体制保障とは何なのか。それを明らかにしないと話が始まらないだろう。

 9.11をきっかけに「先制攻撃」戦略を明確にしたブッシュ政権は、北朝鮮を「悪の枢軸」と位置づけ、その「枢軸」の一員であったイラクのフセイン政権を武力で打倒した。それに脅威を覚えた北朝鮮が核開発に邁進したとされる。

 その文脈で捉えると、体制保障とは、北朝鮮の体制を武力で打倒しないことへの保障と捉えるのが常識的だ。本日の朝のニュースでも、金正恩が中朝首脳会談において、非核化のためには安全保障上の懸念が解消される必要があると「条件」を出したとされるが、そのことである。

 そして、そういう懸念のことならば、これまで何度も解消されたのだ。それは94年の米朝枠組み合意にも、2005年の6か国協議の共同声明にもあらわれている。

 枠組み合意は次のようになっている。「米国は北朝鮮に対し、核兵器を脅威として用いないこと、ならびに使用しないことに関する公式な保障を提供する」

 いうまでもなくアメリカは核抑止を基本戦略としていて、いざという時には核兵器を使用するという脅しによって外交目的を達成しようとしている。そのアメリカが北朝鮮に対しては核抑止戦略をとらないことを公的に保障したのだから、アメリカにとってはそれなりに踏み込んだ合意だったと言える。

 6か国協議の共同声明は、これをさらに発展させた。「米国は、朝鮮半島で核兵器を保有せず、北朝鮮に対して核兵器または通常兵器による攻撃または侵略を行う意図を有しないことを宣言した」

 朝鮮半島の核兵器をおかないことは90年代初頭に確認されていたことで新しくはないが、それを北朝鮮も含む協議で確認したわけだ。さらに、枠組み合意と異なり、通常兵器で攻撃しないことも約束したのである。

 それなのに、なぜ、北朝鮮は合意を無視して核開発の道を邁進したのか。アメリカが合意を破ったのか。そうではないだろう。別にアメリカは核兵器であれ通常兵器であれ、北朝鮮を攻撃したわけではないし、攻撃する意図があると表明したわけではない。

 もちろん、「意図」があるかどうかは主観的な話であって、北朝鮮が「アメリカには意図あり」と断定すれば、合意に反したのはアメリカだと主張するぐらいのことは可能になる。実際、北朝鮮は米韓合同演習を意図のあらわれだと批判してきた。それに応えて、枠組み合意を結ぶ際、当時の米韓合同演習であるチームスピリットが中止されたこともあり、アメリカも柔軟に対応してきたと思う。

 しかし、北朝鮮が合意から離脱する際に理由としたのは、そういう問題ではなかった。求めた保障とは、北朝鮮を攻撃しない保障ではなく、現在の支配体制をアメリカなど国際社会が支えるための保障だったのである。6か国協議が破綻した経緯を見れば、そのことはすぐに分かる。(続)

2018年5月8日

 先日、東京に出張した際、ある人から「松竹さんは北朝鮮非核化の流れに慎重ですね。なぜですか」と聞かれた。その際には結論だけお答えしたのだが、大事な問題なのでまとめて私の考え方を述べておきたい。

 まず、朝鮮半島の南北首脳会談、そして米朝首脳会談という流れを歓迎していることは表明しておく。また、94年の米朝枠組み合意、21世紀に入ってからの6か国協議と、朝鮮半島の非核化についてはこれまでの2回のチャンスがあったが、それと比べても可能性が高いと考えることも述べておく。

 しかし、これまでのチャンスも、数年間は期待を持続させたのである。私も大いに心を躍らせた一人だ。現在と比べてみて、その期待が非現実的なものであったとは思わない。北朝鮮にしてもそれなりの真剣味を持って当時の合意を結んだと考えている。

 例えば枠組み合意の際には、使用済み核燃料をアメリカに搬出するための予備作業をするため、アメリカから何人もの人を招き入れ作業した。その決意は半端なものではなかった。

 ところが結局、その期待はついえさったわけだ。そのことを考えると、これまでの総括を抜きにして楽観はできないと思うのである。

 その時の合意が実を結ばなかった背景には、クリントン政権が終わり、ブッシュ政権が誕生したことがあると指摘されている。イラクなどと並べて「悪の枢軸」呼ばわりされたわけだから、「アメリカは信頼できない」と感じたのは宜なるかなである。

 ただし、ブッシュ政権が強硬路線に走ったなかで、小泉首相は拉致問題解決のために訪朝し、日朝平壌宣言を結んだ。核・ミサイル・拉致を包括的に解決すれば日本との国交が正常化し、経済建設のためにそれなりの資金を得られる展望があったわけだ。

 つまり不安もあっただろうが希望もそれなりにあったはずだ。それなのに北朝鮮は核開発への道を選択することになる。その後の6か国協議も、同じような経過をたどる。

 なぜそんなことになるのか、どうすればそれを繰り返さずに済むのか。そこを見定めることこそ、いまもっとも大事なことである。

 結論を最初に述べておく。北朝鮮の非核化への意思はいつも本物だった。今回もそうだろう。だが、北朝鮮が約束する非核化の目標と、その見返りに北朝鮮が求める体制保障の間には、じつは深い溝があるのだ。溝というよりジレンマのようなもので、両立することが難しいのだ。それがこれまで期待を持たせながら合意が破綻してきた根本的な理由である。今回、朝鮮戦争の終結がうたわれることで、さらにそのジレンマが深くなる。それを明らかにするのが、この連載の目的である。

2018年5月7日

 伊勢崎賢治さんとのバトル「これからの憲法の話をしよう」が、「現代ビジネス」で公開されています。「憲法9条が日本を危険にさらしてる!? 護憲のジレンマを超える方法」が5月3日、「日本がいつまでもアメリカと「対等」になれない本当の理由」が5月4日の公開でした。

 読んでいただければ分かることですが、1点についてだけ若干の解説を。伊勢崎さんが提起している「交戦権」の問題点です。

 私なりに伊勢崎さんの提起を解説すると、日本がいくら憲法で交戦権を否認したところで、自衛権は認めているわけだから、実際問題として交戦することはある。交戦すれば国際人道法上の義務(民間人を殺してはいけないなど)を果たすことは免れないのに、日本はそのための法整備をしていない。本来は人道問題に敏感であるべき護憲派までもが「日本は戦争しないのだからそんな法整備は不要だ」という立場に立っている。そういうことならば、人道問題を重視する日本国憲法を尊重するためにも、9条2項の交戦権否認規定は削除すべきだ、それこそが憲法を大事にする道だ。そんな感じでしょうか。

 人道法上の義務を果たすための法整備をすべきだという点で、私は伊勢崎さんに共鳴します。また、それを護憲派が提起すべきだという点でも、強く共感します。人道問題に無関心な護憲派という現状のままでは、護憲の訴えは人の心に届かないでしょう。

 これは軍法や軍事法廷をどうするかということにも行き着く問題です。「軍法会議」の過去を知る人には受け入れがたい面があるとは思います。しかし、軍法が扱う分野そのものが、戦争をやり放題だった過去とは様変わりし、戦争が禁止される時代に即して、交戦者にどう人道を重視させるかに変化しているわけで、軍法が必要とされる時代になっているのだという自覚が必要でしょう。

 護憲派のメッカであるコスタリカが軍法を整備していることも見逃せません。いくらコスタリカが憲法で常備軍を否定していても、戦争するかどうかはコスタリカ一国の意思では決められません。相手のあることですから。そうならば、戦争することも想定し、人道法を守るための法整備は必要になるのです。

 私が伊勢崎さんと異なるのは、そのために憲法の改正は不要だろうということです。いや、憲法の改正が必要だということになってしまうと、いつまで経っても人道法の整備はできない可能性があるので、憲法規定にかかわらずやるべきだということになるでしょうか。

 幸いなことに、9条2項で否定されているのは交戦の「権利」です。一方、問題になっているのは、交戦に伴う人道法上の「義務」を守ることです。

 国際法上の権利を各国が憲法で否定することはあり得ます。集団的自衛権は国際法上の権利なのに日本国憲法で否定してきたのは、その一環です。しかし、国際法上どの国も守らなければならない義務を、各国が勝手に「わが国には義務はない」と宣言することはできません。しかも、日本国憲法が否定しているのは権利であって義務ではない。

 それならば、伊勢崎さんの提起は現行憲法のもとで実現可能だし、即刻護憲派が提起すべきだというのが、私の立場だということになります。明日から、北朝鮮の核・ミサイル問題について連載します。

2018年5月2日

 そうです。昨年の憲法記念日である5月3日に亡くなられました。あっという間の1年でした。

 この間、泥さんの全発言のアーカイブを残そうと、ホームページを開設したことはご存じの通りです。分量が多すぎて、まだまだ終わらないんですけれど。

 それが終わったら本をつくるという予定だったんですが、それだといつ本に取りかかれるか見えてきません。そこで平行して取りかかることにしました。

 また、泥さんがいつも中心にいた姫路(播磨)の九条の会が主催する憲法記念日の集い(今年は5月5日)にそれを発表することが不可欠だと思いまして、チラシをつくりました。これです。

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A4_u_0417

 発言のすべてを入れると、合計で3000ページくらいになります。とても1冊には収まりません(そういう製本は不可能ではありませんが、常識から外れます)。そこで内容を厳選し、限界と思われる800ページの本にします。価格は本体5000円+税で5400円です。

 チラシを見ていただければ分かりますが、10月発行を予定しています。そして、7月末までにチラシについている払込票を使って申し込んでいただいた方には、「予約特典」があります。お名前を本のなかに記載しますし(ペンネームや記載しない場合も可)、お値段は消費税抜きの5000円として、書店での発売前に送料無料でご自宅にお届けします。

 ご希望の方は、弊社のホームページから申し込んでいただければチラシを郵送します。私にメールをいただいても対応します。

 びっくりしたことに、このチラシをダウンロードして裏表に印刷し、すでに払込票の部分を郵便局に持っていった方がいたのです。そうしたら、さすがに機械は受け付けなかったそうですが、窓口では大丈夫だったとか。JPになって変わったんですね。でも、念のためということもありますから、チラシの送付を依頼するほうを選んで下さいね。

 姫路の憲法集会では主催者にこのチラシを配布してもらいますが、もしかして郵便局に行くより、その場で申し込みたいという人がいるかもしれませんので、私も参加予定です。ブースを出します。

 また、京都の憲法集会(5月3日)には、泥プロジェクトと深く関わっておられる池田香代子さんが記念講演のために参加されます。そこで、その日の夜、池田さんを高槻の我が家にお呼びして、プロジェクト関係者による1周忌を開くことにしました。どんな会になることやら。連休後半も忙しいです。