続・内閣法制局の弱点

2014年4月16日

 先日、内閣法制局の弱点について書いたが、その続きである。いくつもあるのだ。

 たとえば、集団的自衛権というのはどういう種類の行為かという問題である。国際法上、集団的自衛権というのは武力の行使にかかわる概念であるが、そのなかには戦争する国に対する基地の提供や後方支援も含まれる。

 一九六〇年に日米安保条約を強行可決した国会で、岸首相は、「他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている」とのべた。また、一九八六年の国際司法裁判所判決は、「兵器または兵たんもしくはその他の……援助は、武力による威嚇または武力の行使と見なしうる」とのべ、「兵たん=後方支援」が武力の行使だとしている。

 ところが現在、内閣法制局は、基地の提供や後方支援は集団的自衛権(武力の行使)ではないと解釈している。この解釈は、純粋な法理論から生まれたものではなく、日米安保条約が存在し、米軍に対する基地の提供や後方支援まで否定すれば、自民党政治が成り立たなくなるという政治の現実にあわせた結果に他ならない。

 この解釈が、国際基準からはずれるのに国民のなかで通用し、定着したのは、日本的な現実があったと思う。一方では、憲法九条を支持し日本が他国民のいのちを奪うことは嫌うが、他方では、不安定なアジア情勢のもとでアメリカの駐留を願うという、国民がそんな気持ちを持っていたという現実である。

 しかし、内閣法制局が、これから解釈改憲の片棒をかつぐようになっていくことが想定されるもとで、新たな探究が必要となる。内閣法制局の論理を乗り越えないと、これからの闘いは成り立たないということだ。

 集団的自衛権が違憲だという内閣法制局の論理の代表は、81年の政府答弁書である。以下のようなものだ。

 「わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるべきものと解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」

 13年前、『「集団的自衛権」批判』という本を書いたとき、その冒頭あたりで、問題意識を書いている。それは以下のようなものだった。

 「この答弁書は、改憲勢力の攻撃の標的となってきたこともあり、平和勢力のなかでも一つのよりどころとする考えがあった。しかし、筆者は、この答弁書の論理をのりこえることなしには、集団的自衛権の推進論を批判しつくすことはできないと考えている」

 いま、13年前の初心に立ち返り、政府答弁書の論理をのりこえるため、全力をつくしたい。それ抜きに、この闘いに勝利することはできないと思うから。

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