政府は橋本龍太郎答弁の転覆を準備していた

2014年7月29日

 少し前に、集団的自衛権の国会集中審議で、共産党の小池さんの質問のことを取り上げた。それに関連することをひとつ書いておく。政府はきっと、小池さんの質問を恐れていたんだね。それで周到に準備していたのだと思う。「赤旗」によれば、以下のようなやりとりがあったとされる。

 小池氏は「アメリカからの派兵要請を断ることなどできなくなる」と指摘し、1997年の国会での日本共産党の志位和夫書記局長の質問に対する橋本龍太郎首相(いずれも当時)の答弁を示しました。
 小池 この答弁以降、日本がアメリカの武力行使に反対した事実はあるか。
 外相 遺憾の意を表明した実例は存在する。1983年のグレナダ派兵、89年のパナマ軍事介入の際だ。
 首相 橋本総理(の答弁)が間違っていたんだろう。

 ここで小池さんが取り上げた橋本答弁というのは、以下のようなものである。1997年10月7日の衆議院予算委員会における答弁である。

 「第二次世界大戦後、我が国が国連に加盟いたしまして以来、我が国が、米国による武力行使に対し、国際法上違法な武力行使であるとして反対の意を表明したことはございません。」

 これって、日本政府がアメリカにものが言えないことの典型的な「証拠」である。だから、それ以降、何回もいろんな場所でとりあげられ(私も自分の本のなかで引用しているし)、話題になってきた。集団的自衛権を容認するようになったら、この答弁がじゃまになると政府は考え、どこかで覆そうと思っていたのだろう。それが小池さんへの「急襲」となってあらわれたわけだ。

 ところで、じゃあ、本当に政府は、グレナダやパナマの事態の際、アメリカの行動に「遺憾」を表明したのか。とんでもない。

 たとえばグレナダ。この問題では、83年11月8日、共産党の野間友一さんの質問主意書に対する答弁書が出ている。そこで、「今回の事件に関しては、政府としては、実力行使を含む事態の発生を見るに至ったことは遺憾であると考えている」として、たしかに「遺憾」という言葉は使われた。しかし、その「遺憾」は、「事態の発生」に対する表明にすぎない。

 大事なことは、アメリカの武力行使への政府の見解だ。これについて答弁書は、「今回の米国の行動については、米国人の安全確保の問題や、関係諸国の強い要請等の事情があったと理解している」というものだ。「理解」表明なのである。さらに答弁書では、アメリカが自国の行動を「グレナダ在留の米国民保護のための活動は、国際法上の諸原則によつて正当化される」と説明していることを紹介しながら、次のように述べている。

 「このような米国政府の説明にある事実関係を前提とする限り、米国の行動は、国際法上合法と認められると考えられるが、政府としては、前提となっている事態の詳細について承知していないので、最終的な法的判断を述べる立場にない。」

 そう。最終的な法的判断はしていない(だから「遺憾」だって最終的な判断ではない)。同時に、アメリカの説明通りなら合法だと、堂々とのべている。いずれにせよ、「国際法上違法な武力行使であるとして反対の意を表明したことはございません」という橋本答弁は、少しも揺らいでいないのである。

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