閣議決定後の集団的自衛権をめぐる展望・中

2014年8月14日

二、自民党の変化の意味と「専守防衛」問題

 最近、一点共闘という言葉が聞かれるようになってきました。立場の違いは大きいけれど、大事な一点でだけは、これまで考えられなかったような方々と共闘できるようになっているということが、この言葉には込められているように思います。

 集団的自衛権に即していえば、かつて自民党の幹部だった方々が、集団的自衛権反対の旗をかかげ、護憲派と手を組むようになっています。考えるべき問題は、この一点共闘から、政治を変える共闘が生まれるのかどうかということです。その可能性はあるのか、あるとしたら、どういう努力をすれば可能性を現実のものにできるのかということです。

 この答は、ある意味で簡単です。政治の場面での共闘というのは、政策での一致があって初めて現実のものとなります。政策の一致があれば一点共闘は政治を変える共闘になるというのが、この問題の正解でしょう。

 答は簡単ですが、簡単でないのは、それを現実のものとすることです。集団的自衛権についていえば、一点共闘においては、その行使に反対するというだけの一致でいいのですが、政策で共闘する場合は、それに代わる対案が求められ、少なくとも安全保障政策の大枠での一致が必要となるでしょう。かつての自民党幹部から共産党までが、安全保障政策で一致するなどということがあり得るのでしょうか。

 この点ではまず、集団的自衛権行使容認にいたった自民党の変化をどう見るかが大事です。過去数十年にわたる自民党の防衛政策を特徴づけてきたのは、もっぱら自国防衛を意味する「専守防衛」という考え方と、アジア全域にアメリカの影響力及ぼす「日米安保依存」という考え方とが、渾然一体となっていたことです。アジア諸国との関係でいえば、戦前のようにアジアの盟主となる願望をもった人々もいれば、それはもっぱらアメリカにまかせるという人々もいました。

 戦後数十年続けてきた憲法解釈を変更したということは、自民党自身が自覚しているかどうかは別にして、この防衛政策の基本が変わったということを意味します。「専守防衛」は後景に追いやられ、アメリカとともに「アジアの盟主」になろうという考え方が主流になったということです。その結果、「専守防衛」を基本にしたいと考えてきた自民党の人々のなかで、安倍政権に離反する動きが出ているわけです。沖縄県知事選挙にあらわれた「オール沖縄」の動きも、こういう変化を背景にしています。

 これまで、「専守防衛」といえば、護憲派から見れば、いわゆる解釈改憲の立場でした。また、侵略的な日米安保と一体のものであったため、言葉の本当の意味で「専守防衛」とは言えないものでした。しかし、安倍首相が改憲と集団的自衛権の立場で突きすすんだ結果、「専守防衛」が積極的な意味をもつ可能性が生まれています。護憲派が「専守防衛」派と同じ政策で手を結ぶことができるなら、安倍政権にとって代わる選択肢を提示することができるのではないでしょうか。

 政府が三年に一度大規模な世論調査をしていますが、自衛隊の縮小を求める声は二〇年前の二〇%から次第に減って六・八%となる一方、現状維持を求める人々は一貫して六割を超えています(図1)。そして、国民が自衛隊に求める役割は、圧倒的に災害救助と侵略の防止なのです(図2)。集団的自衛権を行使するのではなく、自衛隊の任務は侵略の防止と災害救援であるべきだというのが、国民大半の気持ちだということです。また、NHKの四年前の世論調査を見ると、非武装で安全保障を考える人は一二%と少数ですが、一方で安保条約に依存して日本を守ると考える人も一九%と少数であって、国民の大半は、アジア諸国との平和的な関係を重視する人々でした。

 つまり、国民多数も「専守防衛」派だということです。国民大多数の声に依拠すれば、一点共闘が政治を変える共闘に発展する可能性はあるのです。

記事のコメントは現在受け付けておりません。
ご意見・ご感想はこちらからお願いします

コメント