京都での仕事はいいなあ

2014年8月19日

 今月は仕事をしながら4回の講演をこなす。4回とも地元・京都というのが異例だけど、それだけ受け入れられてきたということかな。

 京都で呼ばれてうれしいのは、どこにも観たい場所があることだ。今月はじめは醍醐だったのだが、有名な醍醐寺のあるところである。昨夕は同じ山科区だが、椥辻(なぎつじ)駅周辺だった。ネットで調べたら、坂上田村麻呂のお墓があるということで、講演開始が7時30分だったということもあり、早めに出かけた。

 行く途中、この地域では2万年前の石器が出土しているという看板もあって、すごい場所なんだなと自覚する。お墓にもすぐ到着。中には入れないよう鎖がしていた。

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 その後、会場の近くに行ったら、折上(おりがみ)神社というのもあって、これは働く女性の守り神なんだって。そんな神社もあるんだね。神社って、ゆたかだね。今月後半のあと2回も、せっかくだから、いろいろ観に行かなくちゃ。

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 昨夕の講演のあと、いくつか質問があって、いろいろ考えさせられた。従来の護憲派が、専守防衛の護憲派と協力しあう問題についてふれたのだが、それにかかわる質問も少しあったのだ。そうやって自衛隊を認める人と一緒にやることになると、ズルズルと先に行きかねないという趣旨のことだった。攻められたから自衛するということをやってしまうと、攻める前から自衛するということになりかねないということでもあった。

 この問題って、いろいろな角度から論じることができるけど、野党的な感覚で疑問が出ているということが指摘できる。専守防衛で自衛隊を使うというとき、その自衛隊を使う政権というのは、質問する方の感覚では、自分の政権ではない。自分とは遠い政権だから、その政権の暴走は止められないと思うわけだ。

 そうじゃなくて、たとえばあなたが防衛大臣だと考えれば、先制攻撃の命令なんかしないでしょということである。しっかりとした護憲派が政権の一翼をになえば、そういうことはしないのである。自民党だってしなかったことを(それだけ憲法の規範力は強く、護憲運動も力も強いのだ)、護憲派の政権がやるはずはない。

 それに、専守防衛の護憲派と従来型の護憲派がタッグを組んで政権を担えば、この地域に安定が訪れる可能性が生まれる。そういう状態が何年、何十年も続くことによって、「自衛隊は減らしてもいいよね」という国民の気持ちが生まれる。やがては「なくてもいいよね」となるかもしれない。従来型護憲派の夢が叶うのは、専守防衛の護憲派とタッグを組んだときだけだと思う。どうでしょ。

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