『福島のおコメは安全ですが、食べてくれなくて結構です』下

2015年1月26日

 三浦さんのすごいところは、「敵」を内側につくらないことで徹底しているところだ。3.11直後、福島の農民は、事故を起こした東電福島支社の前で抗議集会をやろうとしていた。しかし、その支社には、親戚や友人も働いているし、何より、炉心を何とかしないとダメだということで必死の作業をやっている。どうするかが問われていた。

 それなら、東電本社前で集会をやろうと提案したのが三浦さんである。福島から牛を連れて行ってやった集会のことは、当時、全国ニュースで流れたので、覚えておられる方も多いだろう。

 「福島のおコメは安全ですが、食べてくれなくて結構です」という考え方も、そこに通じている。脱原発運動の内部で、福島に住めるかどうか、福島のコメが食べられるかどうかで分裂すると、東電や政府の「思うつぼ」だというのが三浦さんの立場である。
 
 「食べてほしい」と言って、相手が押しつけられていると感じたら、国民のなかに亀裂が生まれてしまう。悪いのは国と東電なのに、それでは運動が強まらない。

 全袋検査をやった結果、国の基準値を超えるものがひとつもなかったということで(99.8%は検出限界以下)、国や東電は、安全が科学的に確かめられているから、売れなくても自分たちの責任ではないとして、賠償をしない方向に動くかもしれない。そのとき、買ってくれない消費者を批判するのではなく、そういう消費者の心を生みだしたことも含め、国と東電の責任を追及し、賠償を求めるのが三浦さんの立場だ。

 この闘いは長引く。コメを買ってもらえるようになるまでも長いだろうし、いまは荒れ放題の20キロ圏で農業を再開するとなると、想像もつかないほどの時間がかかるだろう。

 だから、その闘いでギブアップしないためにも、楽しい闘いが不可欠だ。三浦さんは交渉のとき、相手の役人の年齢をまず聞くそうだ。名前くらいはすぐに言う役人も、年齢はプライベートだということで、なかなか答えない。でも三浦さんは、10分かかっても20分かかっても、それを聞き出す。そして、ようやく50歳だと聞き出すと、「そこまで人生経験があるなら、僕たちの置かれた状態を理解できるよね」と迫っていく。組織との交渉ではなく、人と人との交渉に持ち込めば勝てるというのが、三浦さんの信念だ。そうやって、役人や東電社員が成長し、将来の日本を背負う人材になってほしいというのだから、壮大な展望である。

 この本で、そういう三浦さんの姿を伝えたい。それは福島原発問題の将来にもつながってくると思うから。(了)

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