「文民」が最も暴走してるからなあ

2015年3月2日

 今国会では防衛省改革の関連法案が提出される予定だ。それが、いろいろと議論になっている。

 これまで、自衛隊の部隊運用を担当してきたのは、防衛官僚(いわゆる私服組)からなる運用企画局だけれども、それを廃止し、自衛官(制服組)からなる統合幕僚監部(統幕)に部隊運用を統合するというものである。また、現行法(防衛省設置法)は、防衛大臣が自衛隊に対して指示するのに際し、防衛官僚がそれを補佐するとしており、それが制服組より私服組が優位であるとする根拠とされてきたが、両者を対等とするように改正するという。

 議論というのは、これが「文民統制」に反するかどうかだ。戦前の軍の暴走をふまえて自衛隊の位置を決めたのに、それが覆ることが懸念されているわけだ。なかなか難しい問題である。

 文民統制というのは、もともと国民が選んだ国会のオープンな議論をふまえ、その国会が選出した政府が、軍人(自衛隊)を統制するというものである。だから、自衛官を指揮するのが文民である防衛大臣だという構造が、文民統制の核心であって、今回の法案はそこを変えようとするものではない。

 ただ、現行法には、その防衛大臣が自衛隊を統制するに当たって、軍人ではない官僚を関与させることで、その統制を十全なものにしようという意図があると思われる。そういう点では、改正に当たっては慎重さが求められるし、十分な議論が必要である。

 ところで、現在における文民統制の最大の問題点は、戦前とは異なって、その文民がいちばん暴走していることである。文民のなかでも最高の位置にあって、自衛隊の最高指揮官でもある安倍首相のことである。そして、それを自衛隊が危惧するという構図ができていることだ。

 いろいろなところで引用されているが、自衛隊の準機関紙である「朝雲」のコラム(「朝雲寸言」2月12日)が、今回の人質事件のような場合に自衛隊が救出に駆けつけるということが議論されていることに対して、「無責任」と切って捨てた。その2月14日に開かれた「自衛隊を活かす会」のシンポジウムで、陸上自衛隊幕僚長を務めたことのある冨澤暉さんが、「監禁状態にある人を救い出すなどということは、軍事行動として基本的にあり得ません」「情報がなく、情報収集手段がなく、訓練していないことはできないのです。それをどうしてもやれと言ったら大変なことになります」と発言されていた。

 また、2006年7月6日には、「朝雲寸言」が竹島をめぐる衝突について、こんなことを書いていたそうだ。泥憲和さんの『安倍首相から「日本」を取り戻せ!!』に引用されている。

 「日韓のコーストガードは、互いに事態を紛糾させないよう細心の注意を払おうとしている。どちらも力ずくの紛争にはしたくないのだ。実力組織は「政治の道具」でありつつも、政治の行き過ぎに巻き込まれまいとする。方や政治家は海を挟んで声高に相手を非難し、現場はリスクを背負って苦労する。勇ましい政治が紛争の解決に役立たないことは歴史が教えている」

 自衛隊の側のこの懸念に応えたものでないと、リアルな議論ではなく、机上のものになる。自衛隊が暴走を願っているかのような議論をすると、今回の法改正の議論は、現実味を欠いたものになる。

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