東京裁判史観に毒された安倍首相

2015年8月10日

 いま書いている本の特徴をひとつあげるとすると、このタイトルになるだろう。変ですか?

 東京裁判史観って、ふつうに使われるときは、日本の戦争がただただ悪だったとする歴史観という意味ですよね。それを安倍さんたちは嫌っている。

 だけど、東京裁判史観って、裏を返すと、その日本と戦ったアメリカは正義だということです。アメリカは常に正義だという歴史観。

 第二次大戦の結果、そして日本を裁いた東京裁判の結果、その成功体験を忘れられず、アメリカは本当にそういう歴史観をもつようになってしまいました。イラク戦争のとき、侵略をしているのに、第二次大戦の日本占領の経験を強調して、イラクも日本と同様に民主化して成功するんだって、何回もブッシュさんが強調したことは忘れられません。

 安倍さんは、日本は悪くないという点では、東京裁判を否定しているように見えます。だけど、アメリカが正義だという点では、東京裁判に毒されているわけです。

 東京裁判に毒されているが故に、戦後の自民党は、アメリカがどんな侵略戦争をやっても、「正しい」「支持する」「理解する」と言い続けてきました。東京裁判を否定しているように見えて、じつは、体中に東京裁判史観の毒素が回っていたのです。

 現在の国際政治において、戦争と平和の問題で間違いのない判断をするためには、東京裁判の肯定的な面と否定的な面と、その両方を統一的に把握することが大事なような気がします。東京裁判の否定的な面を強調すると、表面上、安倍さんたちと立場が同じように見えて、「歴史修正主義だ」という批判が返ってくるのかもしれませんけど、肯定が主要な側面だということになると、前回の記事で書いたことですが原爆投下のように、アメリカも日本と同じように残虐非道なことをやったことをうきぼりにすることはできません。

 そして、私が思うのは、そういう仕事ができるのは、日本人だと思います。アメリカは自分の戦争が正しいという歴史観にしばられていて、そういう思考方法そのものができない。中国も似たようなものです。このふたつの国では、自分たちの戦争は正しいという教育で子どもが育ってきているわけです。

 そういう歴史観と比べて、どんな意味でも自分たちの戦争を無邪気には語れない日本人の方が、ちゃんとした歴史観を確立できるように思います。いま書いている本では、その序論くらいにはたどりつきたいと考えています。

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