戦争法反対闘争から何を導くか・6

2015年10月6日

 共産党が戦争法を廃止するための「国民連合政府」を提唱していて、少し評判になっている。この問題を少し書いておきたい。というか、すでに書いたように、私は戦争法を廃止する政権や道筋について、複数の選択肢があると考えており、共産党の提案はその選択肢の一つとして十分に評価できるというのが、まず前提である。

 私がびっくりしたのは、今回の共産党の提案を受けて、「すごい大胆な方針転換だ」という受け止めが多かったことである。中央委員会で決められるようなことでない、大会で決めるべきだ、みたいな論調もあった。まあ、志位さん自身、「すごく踏み込んだ」みたいなことを言っているから、周りがそう感じるのも仕方ないのかもしれない。

 だけど、私にとっての共産党の政権論というのは、76年に体験したことがベースになっていて、その体験からすると不思議でも何でもなかった。どういう体験だったか。

 76年といえばロッキード事件である。私が大学に入って、政治的に覚醒した時期だけれど、はじめて自民党が追い詰められたという自覚を持てた事件だった。

 その76年の選挙を前にして、共産党の宮本委員長(当時)が、小選挙区制粉砕、ロッキード事件の徹底究明、当面の国民生活擁護という三つの緊急課題で「よりましな政権」をつくろうと提唱したのである。これにはびっくりした。おそらく、いま現在、共産党の「国民連合政府」提案にびっくりした人が感じたようなことを、このときに感じたのだと思う。

 だって、共産党の基本方針は「民主連合政府」だと思い込んでいた。その政府は、安保条約廃棄、大企業本位の経済政策の転換、議会制民主主義の擁護という課題にもとづく政府のはずだった。「70年代後半の遅くない時期に民主連合政府を」というスローガンがあって、ポスターなども張り出されていて、国政選挙で共産党は前進を続けていた時期だったので、そこに現実味があると思っていたのだ。

 ところが、76年の提案は、その安保条約の廃棄をめざさないというのである。いまだったら、安保廃棄を唱える政党は共産党しかいないので、安保廃棄を一致点にしないと言っても、「何をぼけたことを言っているのか」と一蹴されるだろうけれど、当時は、まだ社会党が多くの議席をもっていて、安保条約廃棄の方針を掲げていて、その点でも民主連合政府に現実味があったのだ。

 それなのに安保廃棄を一致点にしないということは、社会党とだけでなくもっと幅広い政権共闘をめざすということである。政権をとろうとすると、そういう柔軟性は不可欠だろうけれど、大学に入りたてで、安保条約に諸悪の根源があるのだと教え込まれていた身には、安保を容認する政党とも手をつなぐというその方針は驚愕と言えるものだった。

 その時、宮本さんが記者会見をして、それを聞いて納得した。宮本さんは、この方針について、「二本立て政権構想だ」と説明したのだ。安保廃棄の民主連合政府の方針を捨てたわけではなく、三つの課題での政府と民主連合政府の「二本立て」で政権を追及するというものであった。そして、そういう考え方は、共産党の基本文書である「綱領」に書いてあるし、実践もしてきたという説明だったのである。

 それ以来、共産党の政権問題への接近方法は、つねに「二本立て」であるべきだというのが、私の考え方になった。というか、それこそが政党だろうと思うようになったのである。(続)

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