兵士の守り方──日独比較・続

2015年11月17日

 福島に来ています。本日は、生業訴訟の公判の日。限定された傍聴席に入れない原告を対象とした講演会をやっており、私が講師選定係。この春から、浜矩子さん、白井聡さん、藻谷浩介さん、大友良英さんとやってきて、本日は内田樹さんです。講演会はまだまだ続きますが、本日までのものをまとめて、来年の3.11に本を出す予定。タイトルは『福島が日本を超える日』かな。

 さて、三浦耕喜さんが書いている『兵士を守る 自衛隊にオンブズマンを』は、そのタイトルが示すように、ドイツが導入している軍事オンブズマンを自衛隊にもというのが、本来の趣旨です。ドイツには、議会が指名する軍事オンブズマンがいて、スタッフは50名で半分は法律家。25万兵士から苦情を受け付け、「兵士の保護者」として全軍事施設に立ち入りでき、国防大臣をはじめ全軍関係者とコンタクトをとれるそうです。兵士は上官の了解や検閲を経ずに直接オンブズマンと連絡をとれます(毎年6000件)。

 オンブズマンはアフガニスタンにも調査に行きました。兵士が何十人も死亡しているわけで、軍からは「危険だからお勧めできない」と言われたそうですが、「兵士が危険にさらされているからこそ調査に行く」と宣言したとか。オンブズマンが行くと言えば、軍は拒否できる立場にありません。そして現地調査の結果、ロケット攻撃が基地内におよんでいるのに塹壕(バンカー)がないので、設置を要求し、設置されたそうです。3500人では任務が過重になっているとして増員を提案し、5350人になりました。オンブズマンは、アフガニスタン派兵そのものにはというか、軍の運用には口を挟まないで、あくまでそれを前提にどうやったら兵士を守れるのかを考え、提言するものです。

 ドイツではなぜこんな制度ができたのか。これまで書いたように、兵士の人権が守られないことがナチスの横暴を生んだという考え方が背景にあるでしょう。同時に、ドイツ軍の存在が国民的コンセンサスになっていることも大きいと思います。

 戦後のドイツが再軍備することについて国内で大論争があり、社会民主党などは猛反対しました。90年代になってNATO域外に派兵されることになったときも、同様の論争がありました。しかし、それが決着したあとは、社会民主党を含めて、実際に存在する兵士をどう守っていくかということが、国民的な関心事になっていったということです。

 一方の日本では、自衛隊は憲法違反で認められないという人々が、戦後かなり長い間にわたって協力に存在し、自衛隊は廃止すればいいのだということで、自衛隊員の人権を守るという発想がありませんでした。他方、自衛隊を認める側は、政治問題化を避けるため、自衛隊員には危険なことをさせないのだとして、非戦闘地域という概念をつくったり、今回の安保法制でもリスクは増えないという立場をとりました。どちらの側も兵士を守ることに積極的でなかったわけです。

 そこをどう転換させるのかが問われていると思います。自衛隊員が直面する現実への想像力が大事です。ドイツの内面指導センターの教官が、この本の筆者にこう尋ねたそうですが、それにどう答えるのか。戦場に自衛隊が派遣されることになる日本人一人ひとりにとって、重たい問いだと感じます。

 「たとえば、あなたがひとりの兵士だとする。あなたはどこかの外国に派遣され、自軍の宿営地で入り口の警護に当たっているとしましょう。すると、あなたは道の遠くの方に乗用車を見つけた。どこでも、近くの町で走っていそうなタイプの乗用車です。その車はだんだん近づいてきた。宿営地の入り口には「止まれ」の表示があるが、その手前に来てもスピードをゆるめる気配はない。運転手の顔さえ見える距離になったのに、車はまっすぐこちらに向かってくる。あなたの脳裏には、今までに同じパターンで自爆攻撃が行われたことが思い浮かぶでしょう。もしかしたら、犠牲になった戦友のことを思い出すかも知れない。あなたは銃を構えて引き金に指を当て、「止まれ!」と叫ぶ。それでも車は近づいてくる。自爆テロか、それとも何かを勘違いした民間人に過ぎないのか。引き金を引くべきか、それとも踏みとどまるのか。あなたならどうしますか?」(了)

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