統一戦線は「気持ち」が大事

2016年2月24日

 ある大事なことを実現するため、大きな意見の違いを脇に置いて協力する。これって、言うのは容易いけれど、行うのは簡単ではない。

 これまでだって、実現が求められる大事なことは、たくさん存在してきた。最近で言えば、原発問題や沖縄基地問題がある。少し前に問題になっていたのは、「護憲」で共同候補を立てるかどうかということだった。それらは大事な問題だったのに、意見の違いを脇に置いて協力するという話にはなっていかなかった。

 そこにあったのは、直接的には、「意見の違い」の「違い」の度合いをどう評価するかという問題だった。例えば、安保条約を認めるか認めないかという問題は、他の大事な問題を帳消しにするほどのことだと捉えられていたわけだ。

 さらにいえば、統一戦線への道筋をどう考えるかという問題もあった。誰であれ、「協力しあう」というほうが、「敵対し合う」というより好ましく見えて、だから協力が実現しない場合、その責任が自分にあるというように思われたくない。そこで、かつての社会党や共産党の文書を見ると、統一戦線を実現するためには、それを求めている自分の党を強く大きくすることが先決だという論理が垣間見えてきた。

 それが正しいかどうかは、なかなか判断が難しい。日本でいちばん共産党が強く大きい京都で、他県より統一戦線が現実味を帯びているかというと、そういうわけではない。逆だろう。かえって、小さくて弱いもの同士でいる方が、強大な敵に対して立ち向かうには協力しあうしかないという現実が迫ってくるので、協力という選択肢しかない場合も生まれてくる。

 いまの野党協議を見ていて思うのは、統一戦線は「気持ち」が大事ということだ。安保条約の現実や評価が変わったわけでもないし、統一戦線論が変わったわけでもないけれど、なぜ協議が進んでいるかというと、協力しあわなければならないという強い「気持ち」があって、何よりもそれが優先されているからではないのか。

 協力しないという理由は、いくらでもたてられる。「この地域のあの政党は特殊だから、全国的な趨勢に付いていくことはできない」等々。

 だけど同時に、どんな理由も、「気持ち」があれば克服できる。これから、どんなことがどこで起きていくのか。そこから何を導き出せるのか、ワクワクしますね。

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