被害と加害の交錯する問題

2016年5月12日

 オバマ大統領の広島訪問をめぐっては、誰の反応も似たようなものになっている。歓迎する、同時にさらに前進を望む、という感じだろうか。私だってあまり変わらない。

 原爆投下に対する謝罪を求めていくのは当然だと思う。だけど、いつどのようなタイミングでそれがなされるべきなのか、いまじゃなければダメなのかということは、難しい問題である。

 中国や韓国からはは、そもそも日本が被害者の側に回ることは許せないという声があがっているが、それはズレた感情だと思う。無差別大量殺戮はどの国がやろうとも許されないという基準を確立しないと、自分たちが日本に謝罪を求める道理もなくなっていく。

 ただ、私がこの問題を難しいと感じたのは、長崎の原爆資料館で被爆者の証言ビデオを見たときだった。被爆者といっても、オーストラリアの捕虜で、長崎の収容所に入れられているときに被爆した人である。

 いろいろ被爆時の様子を証言していって、しかし最後にこの方がつぶやいたのは、日本は原爆を投下されて当然だというものだった。本人は被爆者なのである。自分の体に障害をもたらしたアメリカによる原爆投下を批判するどころか、逆にそのアメリカを支持するのである。謝罪を求めることの対極にいる被爆者が存在する。

 被爆者にそれほどのことを言わせる日本への感情の重さというか、深さというか、それを考えると思考が停止する感じだった。だからオバマさんが、日本と戦い、傷ついた人々の感情をふまえながら判断するというのは、理解できることである。

 もちろんオバマさん、プラハ演説の時は輝いていたが、輝きはそのまま維持されているわけではない。ただ、この間、段階的にアメリカ政府代表のレベルを上げながらを広島に派遣し、世論を見計らいながら自分の訪問を実現させるというやり方は、すごい執念を感じさせる。立派だなと思う。

 次がクリントンさんになるにせよ、あるいはトランプさんになったら絶望的だが、オバマさんと同じことは望めまい。だったら、オバマさんの広島訪問を強い記憶が残るようなものとして記録し、この課題をさらに前へと進める大統領が現れるまで記憶を継続させることが求められるのかもしれない。

 そういえば、一年ほど前、オバマさんの広島訪問を想定して、「オバマさんへの手紙」という本を企画しようとしていたんだ。忙しくて手が着かなかったんだけど、ちゃんとやっていれば、売れたかもしれないなあ。残念。

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