改憲と護憲は対義語ではない・中

2016年9月26日

 一昨日から東京。本日、朝から夜中まで、びっしりとスケジュールが詰まっているので、朝のうちの記事をアップ。

 9条3項に自衛隊や自衛権を書き込むという改憲案が出てきたとき、護憲派はどう対応すべきだろうか。前回も書いたように、「難しい」という自覚が必要だ。いまも新9条論が出て来ると、それを危険視する考え方がただちに有名な護憲派からも出て来るが、そんな簡単に決められることなのか。

 いや、もちろん、護憲派なのだから、いまの9条を少しでも変えるという考え方が出てきたとき、それに反対するという立場をとるのは構わないのだ。だけど、自衛隊や自衛権は国民が支持するものであって(ほとんどの護憲派だって支持している)、それを憲法に書き込むという考え方に対してただ反対するというのは、そういう国民を敵にまわす可能性があることを念頭に置くことが不可欠だ。

 護憲派の少なくない部分は、改憲というと、平和主義と対立物のように捉えることが少なくない。だけど、9条を変えたいと思う人びとと実際に接して、ちゃんと話し合えば分かることだが、改憲派の多くも、日本の平和のためにそれが必要だと思っているのである。そういう人びとは、もともと護憲派の仲間なのである。新9条論や加憲論を批判することは、仲間を失うことにつながる。

 専守防衛の自衛隊くらい認めないと、中国の拡張主義に対抗して、日本の平和を守れないと思うのは、普通の感情だろう。あの中国を前にして、自衛隊がないほうがいいと主張していたら、護憲派は滅亡の危機だ。

 あるいは、戦力を否定するから日本の平和をアメリカに頼ることになり、ちゃんとした自主外交もできなくなるから改憲だという人も少なくない。これも、本来なら、護憲派と通じる考え方なのだ。 

 くり返しになるが、改憲を主張する人の心のうちを見ると、護憲派と同じく、日本の平和を念願しているわけである。もちろん、そうでない特殊な一部の人がいることは否定しないが、われわれが説得の対象にする人の多くは、そういう人びとである。

 そして、説得とか対話というのは、心がどこかで通じ合う人びとの間でされるものである。相手を敵だと位置づけたら、もう対話は成立しない。敵と味方を分けるせんを、9条の条文を一字一句変えるかどうかに置いてしまっては、たくさんの人が敵になってしまい、対話は成立しない。

 だから、護憲派にとって何よりも大事なことは、自衛隊のことを9条に書き込もうとか、新9条が必要だという人を前にして、「あなたは間違っている」と言うことではない。そうではなくて、「あなたは私の仲間だ」と言うことだ。(続)

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